246話 誰が彼女を殺した?
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 ニーハチニー通路〜
マーデアバダットが戻らぬまま夜が明け、午前の刑務作業が始まった。シスターとラデックが引き続き負傷した刑務官の治療のため医務室に向かうと、廊下で数人の受刑者らとすれ違った。その時、受刑者の1人が青褪めながら2人に詰め寄った。
「な、なあ! アンタら、ウチの親分を、カッカ親分を見なかったか!?」
「カッカ? プスパーカッカか? いや、見てないが……」
「私も知りませんね……」
受刑者は大きく肩を落とし、譫言のようにプスパーカッカの名を呼びながら離れていった。
「どうしたんだろうな。マーデアバダットも今朝から姿が見えないが……」
「部屋長会議って言ってましたけど、プスパーカッカさんもですかね?」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 医務室〜
昨日から新たに増えた怪我人、受刑者とラデックの揉み合いに巻き込まれ負傷した刑務官だけが、ベッドから体を起こして軽く会釈をして2人を出迎えた。
「お怪我の具合はどうですか? 痛むところは?」
「まだ、頭と首がかなり……」
シスターが流れるように問診に入ると、ラデックは漫然と辺りに視線を落とす。前に負傷した刑務官の2人は変わらず意識を取り戻しておらず、シスターの創造魔法による白い謎の機械に繋がれて眠っている。
「すごいな……こんな物も作れるのか」
ラデックが何の気無しに手を伸ばすと、白い機械は形を崩してぐにゃりと捻じ曲がった。
「あ」
「あ!」
それを見たシスターが慌てて駆け寄ってきて魔法に修正をかける。
「何で勝手に触るんですか!」
「あ、いや、すまない。まさかこんな柔いとは……」
「創造魔法は複雑なものほど他者の波導影響を受けやすいんです! 研究所で習わなかったんですか!?」
「習っ……………………たかも」
「もう! じっとしててください!」
「はい……」
それからラデックは暫くじっとしていたが、シスターが忙しそうにするのをただ眺めているだけの時間に耐えかね、そっと医務室を出た。
通路に出ると、ラデック達の見張りに来ていた別の刑務官が立っていた。
「やあ」
「あ……どうも」
刑務官は気まずそうに会釈を返す。暫しの沈黙が続き、ラデックは気まずさにも耐えかねて無意味に世間話を持ちかけた。
「その制服、かっこいいな」
「あ、どうも……」
「俺も刑務官になったら着れたりするのか?」
「え、いや……高いっすよ。これ」
「え……? 自腹なのか……? 支給品じゃなく……?」
「まあ、そうっすね。まあ給料なんて使うこと、あんま無いんでいいっすけど。……どうせ外なんか出られないし」
「……そうか。あ、でも金は貯めておいた方がいいぞ。多分近いうちに使う機会があるだろうからな」
「…………あっす」
刑務官は段々面倒くさそうに生返事を返すだけになっていく。屈辱と寂しさを同時に被ったラデックは、シスターのお荷物で終わらぬよう何か意味のあることをしようと一生懸命に頭を悩ませた。
「あ、そうだ。君は“イグジット”の噂を聞いたことあるか?」
「……はぁ。あんま無いっすけど」
「親分の失踪は、イグジットの手引きで脱獄してるという噂だ。今朝からプスカーパッパの姿も無いと言うし、もしかしたら脱獄したんじゃないかなー、なんてな」
「はぁ。いや、知りませんけど。違うんじゃないっすか? ここで脱獄とか、あり得ないし」
「……そうか」
「第一、プスパーカッカは早朝の時点で事故死扱いでしたし、私物の回収もとっくに――――」
「待て」
ラデックは刑務官に詰め寄り、頬に汗を伝わせて尋ねる。
「な、何すか……」
「私物の回収? じゃ、じゃあ、本当に死んだのか?」
「本当にも何も……嘘で死亡記録なんかつけないっすよ」
「彼女はどこで死んだんだ? 死因は? 死体は今どこに?」
「い、言わないっすよ! そんなの! って、やば……記録も言っちゃダメだったっけ……」
ラデック達が予想していたイグジットの正体は、刑務所側の秘密裏な処刑による失踪。しかし、彼女には処刑される理由がない。
彼女は子分の数も多く、信頼にも厚い。ブレイドモアに楯突くことはあったが、反旗を翻すほどではなかった。親分間での抗争を好むこともなく、自分の子分でなくとも面倒を見に来るほどの器の大きさ。刑務所側からしてみれば刑務所内の治安維持に大きく貢献していた有力者。
そんな彼女がもし失踪したとなれば、子分は散り散りになり統率は取れなくなる。中には暴走し刑務所に被害を齎す者もいるかもしれない。刑務所にとって彼女の死は、何のメリットもない。
「じゃあ……誰が彼女を殺したんだ……?」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 運動場〜
「それは……奇妙な話ですね……」
医務室で昼食を済ませた2人は、ゼラザンナと合流するために待ち合わせに使っているベンチに来ていた。そこでラデックが刑務官から聞いた話をシスターに報告すると、シスターも渋い顔をした。
「私は、治療していた刑務官から過去に失踪した人物のことを聞いていました。しかし、やはり失踪しているのは親分格ばかり。子分格の受刑者は、例え事故死や病死であっても同房のメンバーには正式に死亡の通達がなされるそうです」
「……叛乱を企てた親分格を秘密裏に処刑しているかと思っていたが、そうじゃなさそうだな」
「そも、叛乱の芽を摘みたいならば処刑の通達はするはずです。プレス機もそうですが、処刑には抑止力の効果もあります。秘匿する意味がありません」
「それに、幾ら格下だからと言っても刑務官が何も知らないのは不自然だ」
「はい。知られると不都合があるのか、万が一にも事情を漏らしたくないのか、或いは……」
そこへ、遠くからゼラザンナが歩いてくる。しかし、お調子者の普段の彼女にしては足取りが重く、足元の数歩先に視線を落としている。
ゼラザンナは2人のところまで来ると、視線を上げぬままか細い声で呟いた。
「……ごめん。脱獄の話、聞かなかったことにして」
突然の告白に、2人はゼラザンナを心配して顔を覗き込む。
「……やっぱりウチ、ここで頑張ることにするよ。もう、ドマドジュダ親分に、迷惑かけらんないし……」
「ゼラザンナ?」
「どうしたんですか急に。何かあったんですか?」
「ウチから誘っておいて、本当にごめん」
声を震わせるゼラザンナに、シスターが静かに尋ねる。
「……プスパーカッカの失踪と、何か関係があるんですか?」
ゼラザンナは一瞬体を痙攣させ、2人に背を向けた。
「……2人のとこの親分さんなら、何か分かるかもね……」
悲しげに遠ざかっていく彼女の背を見送り、2人は顔を見合わせる。
「どうしたんでしょうか……」
「……マーデアバダットに聞くしかないみたいだな」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 収容房〜
その日の晩、夕食が運ばれて来たタイミングでマーデアバダットが戻ってきた。
「たっだいまぁーっとぉー。大人しくしてたかぁー?」
「おかえり」
「おかえりなさい」
2人の変哲のない返事を聞くなり、マーデアバダットは気の抜けた普段の顔のまま口を開いた。
「そうかぁー。死にてーらしーなぁー」
直後、マーデアバダットの張り手がラデックを突き飛ばす。凄烈な破裂音を伴う一撃に、爆風が吹き荒れ部屋中の物が宙を舞う。ラデックはそのまま三段ベッドを破壊しつつ壁にめり込み、全身の至る所から血を噴出させる。
「ラデックさん!!」
「じゃーなー」
マーデアバダットがシスターに向け掌底を放つ。しかし、直前で何かに気付いて飛び退き混乱魔法の陣を展開した。
「おっととぉ」
「まずっ……!!」
シスターは慌てて反魔法を被せ、混乱魔法とせめぎ合う。発動されようとしていたのは“巡る隘路の階段魔法”。対象者の思考力と筋力を奪う、混乱魔法と雷魔法を合わせた高位の複合魔法。もろに食らえば、立つことは疎か呼吸さえもままならない。
「やるなぁーシスター。でもなぁー、抵抗しねーほーが楽に逝けるぞぉー」
「ぐっ……!! マーデアバダット……!! どうして……!!」
「言っただろー。親分に隠し事なんて、長生きしねーってよぉー。脱獄なんてバレてみろぉー。監督責任でオレまでプレス機行きだぁー」
2人のせめぎ合いに、戦線復帰したラデックが横槍を入れる。地面を蹴っての大振りのジャンピングパンチ、に見せかけた足元から這い寄る伸ばした体毛の一刺し。接触さえしてしまえば、改造の異能で確実に勝利できる。
しかし、マーデアバダットはシスターとのせめぎ合いの片手間で風魔法を発動し、再び壁に押し返す。
「わっぷ!」
「邪魔だなぁー。先にお前からにするかぁー」
マーデアバダットは混乱魔法の発動を中断し、ラデックに向き直りつつシスターに闇魔法を放つ。
「あっ!! ラデッ――――」
真っ黒な斑ら模様の障壁がシスターを覆い、毒ガスを噴き始める。
「これは……!! 呪術……!?」
障壁を構成する見たことのない魔法式を前に、シスターは必死に解読を急ぐ。しかし、それよりも回復魔法による解毒を優先する他なく、ながら作業での解読は困難を極めた。
「どうしたら……!! ラデックさん……!!」
障壁の外では、ラデックが暴風による檻に必死に抗っている。しかし、これもマーデアバダットの呪術による風魔法。目も開けられないほどの暴風には、細かい検索魔法の粒が混じっている。それらが獲物の動きを読み取り、それに合わせて風向きを変えて脱出を阻む変幻自在の見えざる檻となる。
「ぐ、ぐぞ……反魔法っ……いや、防壁……!!」
「あっはっはっはー。おめー、さてはお馬鹿ちゃんだなぁー? 魔法の勉強サボってっからだぞー」
暴風の檻で転がされるラデックの必至の抵抗を、マーデアバダットは反魔法で難なく弾いていく。
相手の得手不得手を見抜く観察眼。未知への脅威を避ける勘。呪術にも精通した知識量。それらを並列で熟す技量と体力。マーデアバダットは決して類い稀なる才能の持ち主ではない。それぞれの要素が人より多少優れているだけの、普通の優秀な人間。やっていること自体は凡夫の工夫とそう変わらない。ただ、それらのリソース配分に恐ろしく長けているだけである。しかし、ちょっと他人より優れている程度の人間でも、たったそれだけで怪物に匹敵する。
ラデックを包む暴風の檻は顔周辺では最も勢いを強め、呼吸によって空気が動くことを許さない。呼吸器に溜まった二酸化炭素たっぷりの呼気は行き場を失い、新鮮な空気を求めて肺が悲鳴を上げる。
しかし、生命改造の異能者であるラデックには瑣末事である。窒息どころか、今や脳さえ無事なら使奴顔負けの再生すらやってのけるだろう。現在、窒息状態に陥った際の一番の問題は、もっと別のところにある。
マーデアバダットがラデックの異能を知った時、果たして彼はどう対処するのか。そして、断将ブレイドモアは、等悔山刑務所所長“フィース・ジャージト”はどう動くのか。それらにラデックは見当もつかず、だからこそ今動くことができない。
異能をバラしてでも自己強化で突破すべきか。死んだふりをすべきか。不意打ちは効くか。シスターをどう守るか。もし失敗したら? 突破した先に罠があったら? 突破した直後にシスターを人質に取られたら? 人質にもせず殺されたら? 救命は間に合うか? 援軍を呼ばれたら? ブレイドモアが来たら? こうして迷っているうちにシスターが死んでしまったら?
マーデアバダットは言った。「先にお前からにするか」と。ならば、死んだふりが正解。しかし、その言葉を信じられる根拠は? 罠ではない確証は?
ラデックはラルバと出会い戦闘経験は豊富になったが、依然として心理戦の経験は浅く素質もない。幾ら頭を悩ませようとも、彼は自分の読みを信じて賭けに出ることができない。彼は元より、騙す側には回れない人間。
そして残念なことにそういった人間は、騙す側からはカラスに混じるドバトのように一目で分かってしまう。
「ゲホッ!! ゲホッ!! どう、どうしたら……!!」
毒ガスに咽せるシスターもまた、騙す側の人間。マーデアバダットとラデックの相性差は、ここにいる誰よりもよく分かっている。
呪術の解読にはまだ時間がかかる。毒ガスの影響は微々たるものだが、悠長にしていられるほどではない。解呪後のことを考えようにも、既に今は解毒と解読で手一杯。一対一の戦いならばそこまで強くない呪術だが、分断という点においては厄介なことこの上ない。
「どう……どうしましょう……!! ラデックさん……!!」
どうしましょう。などと口では言いながらも、実際のところ打開策は思いついている。この“どうしましょう”は、何をすべきか、ではなく。してよいものか、に近い。死の淵にいながらも策に踏み出せずにいる理由は、策もまた死の淵を行くものだからである。
それでも、行かねばならぬ。やらねばならぬ。例えそれが、仲間の死を前提にした策でも。
「……………………ううっ!! ごめんなさい……“ハピネスさん”……!」
シスターは両手を合わせて、跪いき目を閉じる。
「“コーリング”……!」




