244話 不死身の門番
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 医務室〜
狭い医務室で、ブレイドモアが憑依した刑務官が炎の刀を振るう。シスターが防壁魔法で防ごうと試みるが、あまりの力量差に防壁は薄ベニヤのように焼き切られてしまう。反撃を試みようにも、相手は精神だけを乗っ取られた無実の人間。傷つけるわけにはいかない。
「他人の身体を盾にするなんて……卑怯な手を!! それでも国刀ですか!!」
「何? 生身で来て正々堂々戦えってこと? そんなの弱者の言い訳じゃない。本気出されたら勝てないので手加減して下さいって、そんなお願い通るわけないでしょ」
追い詰められたシスターを、ラデックが抱えて飛び退き退避させる。
「ラデックさん気を付けて下さい! ブレイドモアは憑依の異能者です!」
「憑依か……やり辛いな」
ブレイドモアの怒涛の追撃を、ラデックは手刀で上手く弾いて往なす。
「……身体強化の魔法じゃないわね。異能者?」
「答える義理はない」
「ふーん……。ま、動きは素人同然ね。それじゃあ勝てないわよ」
ブレイドモアの振るう刀が、僅かな幻覚魔法を帯び輪郭をぼやけさせる。魔法が苦手なラデックは咄嗟の判断が間に合わず、袈裟斬りをもろに受けてしまう。その際、刑務官の肌に吹き出したばかりの血が触れる。瞬間、ラデックの頭に情報が傾れ込んでくる。
生命改造の異能者の特性。改造という都合上避けては通れない、相手の改造前の生態情報の把握。
把握できたのは、刑務官本人と、ブレイドモアの2人分。――――ではなく、ブレイドモアからさらに伸びる数十、数百の人間の情報。
「がはっ……!!」
ラデックは傷を押さえて血反吐を零すが、今彼の頭を揺らしているのは激痛でも酸素不足でもない。強制的に読み取らされた莫大な情報。その重みに、嘗てない混乱と嘔気を喘がずにはいられない。
「どうして歯向かってくるの? 無駄だって分かってるでしょ?」
国刀、断将ブレイドモア。その実力は国刀の中でも上位であり、魔法を伴わぬ個人戦ならばジャハルをも凌ぐ。憑依の異能を抜きにしても国刀足り得る器。
続け様に放たれた斬撃がラデックの四肢を削り、刀身に纏う炎魔法が血を焼き焦がす。ラデックの姑息な反撃は一目で見抜かれ、身動ぎすら咎められ徒に傷を増やしていく。
「仮にアンタが私に勝てるとして。この刑務官が死んでも、私には何のダメージも入らない。アンタは罪のない人間を無意味に殺すだけ。私はそこの気絶してる刑務官に憑依するだけよ。それだったら、犯罪者のアンタが死んだ方がまだマシだと思わない?」
「……それを言われると返答に困る」
「じゃあ大人しく殺されてよ」
「そうもいかない」
ラデックは重傷を装いつつ、背面の体毛を細く伸ばして床に這わせる。気付かれぬよう瓦礫の陰を沿わせるようにしてブレイドモアの足元に伸ばしていく。
しかし、ブレイドモアは重傷のラデックから飛び退いて炎魔法を発動し、焔球の粒を手に溜め投げつけた。砂利程度の大きさの焔球の雨は、針のようにラデックの全身を貫く。そして、その熱波で床に這わされた体毛は一瞬で塵になり吹き飛ばされた。
「ぐっ……!!」
ブレイドモアは、決してラデックの異能を察したわけではない。体毛に気付いたわけでもない。特定の何かを訝しんでさえもいない。軽薄に言うならば、獣の勘。正確には、敵に対する重い信頼と自己投影。どんな局面でも、どんな相手でも、起死回生の一手を疑い続ける。格下の囚人だろうと、子供だろうと、老人だろうと、瀕死だろうと、死んでいようとも。一切手を緩めずに全てを警戒し対策する。真剣勝負に於いてはあまりにも当然の心構えだが、それを当たり前のように貫ける人間はそう多くはない。そして、それを当たり前のようにやってのけるのがブレイドモアを強者たらしめる一番の理由である。
ラデックは致死量の出血、肩から胸までの深い裂傷、全身に刻まれた大小様々な重度の火傷を伴う創傷。焔球による焼け爛れた銃創。気を失わないのが不思議なほどの満身創痍。それでもブレイドモアは眼光を一切緩めない。息をするのがやっとの敵を前にして、未だ反撃を恐れ疑い警戒している。
呼吸が止まりかけてきたラデックは、その眼光に刺されながらも異能がバレぬよう怪我の治療を行うしかない。出し得る限りの回復魔法の発動光を目眩しに、最も深い傷の最低限の止血だけを異能で補助する。
しかし、その直後にブレイドモアが目の色を変えた。
彼女はゆっくりと足を擦るようにして数歩退がり、暫く思案してから口を開く。
「……ふーん。ちょっと早いけど……ま、いっか。“来週はお前だよ”」
そして、気絶するようにその場に崩れ落ちた。シスターが慌てて駆け寄ると、既にブレイドモアの憑依は解けており、刑務官は気を失ったままぐったりとしている。
「……いなくなったみたいです」
「バ、バレた、のか? 俺の異能……」
「そうかもしれません……」
2人は別の刑務官を呼び、刑務官とラデックに少しの応急処置をしてその場を離れた。
誰もいない通路まで来ると、シスターが遠慮がちに話始める。
「……“来週”……と、言っていましたね……」
「多分、あのプレス機の刑のことだよな」
ラデックは包帯だらけの身を抱いて大袈裟に震わせる。
「ラデックさんなら生き残れますよね?」
「やりたくない」
「じゃあ死ぬんですか?」
「助けてほしい」
「無理ですね」
「もうちょっと考えてから答えて欲しかった……」
「無理ですね」
悲しそうに肩を落とすラデック。それに目もくれず、シスターは神妙に呟く。
「でも、付け入る隙は見つけました」
「……ああ。ブレイドモアは、刑務官を“罪のない人間”と言った。最初は無価値だと言っていたのに」
シスターが力強く頷く。
「等悔山刑務所の体制に疑問がある人間でないと出てこない台詞です」
「俺達の立場に合わせた発言かもしれないが、皮肉とかで挑発するタイプの人間には見えなかったな……。小馬鹿にするような物言いもあったが、挑発というよりは心からの苛立ちに見えた」
「今の状況に不満があるのかも……もし彼女を仲間に引き入れることができたら、この刑務所の体制も覆せるかもしれません」
そこへ、後ろから誰かが走ってくる音が響く。
「……誰でしょうか」
「知らない顔だ」
癖っ毛の混じる大ぶりなツインテール。大きな丸眼鏡に、釣り上がった目。バタバタと慌ただしく駆けてきた彼女は、2人に追いつくと両手を膝について大きく息を切らして喘ぐ。
「ぜぇ〜……ぜぇ〜……ちょ、ちょっと、タンマ。はへぇ〜……へぇ〜……」
それからバッと顔を上げると、ラデックとシスターの肩をガシッと掴んで笑いかけた。
「ウチは“ゼラザンナ”!! 憐憫冠涙の冤罪囚人ちゃん!! さっきのお二人の戦いに敬意を表して、お力添えを致したく! そしてされたく! つーか助けて!!」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 運動場〜
2人はゼラザンナと名乗る女性に指示された通り、待ち合わせ場所のトイレにやってきた。
「ここか」
「……ゼラザンナさーん」
「あいよっ!」
鍵のかかった個室の前で名前を呼ぶと、中からゼラザンナが敬礼しながら出てくる。
「いやぁ来てくれるって信じてたよぉおふたりさぁん! よっ大統領! あ、大統領2人はマズいか」
「……俺、このノリ苦手かもしれない」
「奇遇ですね。私もです」
2人の背中をバンバンと叩くゼラザンナを、シスターは訝しげに睨みつつ問いかける。
「……それで、助けて欲しいっていうのは何ですか?」
「そうそうそうそう! 助けて欲しいのよぉ〜! え? 何ですかって言った? 何でも何も、冤罪のこと以外なくなくなくない!?」
「冤罪だから、どうして欲しいかを聞いてるんですが」
「何とかしてぇ?」
「帰りますね」
「あー待って!! ちゃんと答えるから見捨てないでぇ二分の一大統領ズ!!」
シスターは深い溜息をつき、仕方なくゼラザンナに向き直る。
「おほん。可愛く可哀想なゼラザンナちゃんが捕まっちゃったのは半年前! 今はドマドジュダ親分の下で滝汗海涙奮闘中。しかぁし! そんな中でもゼラザンナちゃんは孤独百走頑張ったのです!」
「帰りますね」
「聞いてぇ!! 実は実は実を言っちゃうと……この刑務所。“イグジット”なる親分がいるらしいんすわ……!!」
「出口……?」
ゼラザンナは不敵な笑みで何度も首を縦に振る。
「そうそうそうそう! 万物通見のゼラザンナちゃん情報網によるとぉ、親分格が刑務所内から突然消える現象があるらしいんよ! 処刑でもない、懲罰房行きでも、独房行きでもない……。そして、消えた親分は二度と戻ってこない! 他の子分ちゃんズはこれを、“イグジット”なる特権持ち親分が脱獄の手引きをしてるって睨んでるらしいんよ!」
「……成程」
「どどど? ど? 脱獄ちゃわない? 3人で脱獄ちゃわない? ど?」
シスターは再び深い溜息をついてゼラザンナに問う。
「まず……、そのイグジットが人間だって、どうしてわかるんです?」
「え、皆そう言ってるから」
「……次に、特権に私達があやかれると思う理由は?」
「そこは追々追いがつおでしょ。まだわからんちーよ」
「…………最後に、私達が貴方を手引きするメリットは?」
「え? ウソ、見捨てるの? 見捨てるの!? 見捨てるのぉ!?」
ゼラザンナはシスターにしがみついて、涙と鼻水を擦り付け叫ぶ。
「見捨てないでよぉ!! ウチひとりじゃ寂しいし怖いしで死ぬってぇ!! ねぇ!! お願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願いお願い――――」
「ああうるさいっ! 分かりましたよっ!」
「じゅじぃーっ!!」
「鼻かむな!! ひとの服で!!」
シスターが服からゼラザンナを引き剥がすと、鼻汁が糸を引いて煌めく橋を作った。
「うぅ……ありがとぉ……。いやぁ言ってみるもんだねぇ……。無血で話し合いが終わったのは初めてよ……ずびび……」
「私だって腕力があれば殴りたいですよ」
「ふざけているときのラルバみたいだ」
ゼラザンナは顔中にへばりついていた汁類を拭うと、涙目のままニヤっと笑ってみせる。
「へへへ……でも、このゼラザンナ様を脱獄してくれたらば、損はさせませんぜおふたりさぁん」
大きな丸眼鏡をくいっと上げ、大仰に見得を切って見せ名乗りを上げる。
「何を隠そう、このゼラザンナ! あの“スナイパーライフルマジラブ協会”副会長!! ここを出た暁にゃあ、おふたりの望夢願祈に惜しまぬことを約束しちゃうぜぇ!!」
暫しの沈黙の後、ラデックとシスターは互いに顔を見合わせる。
「……知ってるか? シスター」
「知りませんが」
「ええええ!? 知らないのぉ!? 思い出せないとかじゃぁなく!?」
「全く知らない」
「第一、スナイパーライフルマジラブ協会なんてトンチキな名前、知ってたら否が応でも思い出しますよ……」
「ほら、あの、グリップラップ社のパイソンスコープって製品知らない? あれとか、ウチらの製品なんだけども」
「全く知らない」
「……母国の会社なので知ってますけど、スポンサーにいましたっけ?」
「いや、あのー。ウチらのって言うか、ウチらのアイデアって言うか、要望書とか設計図とか送ってたって感じなんだけども、スポンサーではないって言うか」
「すごく迷惑……」
「今日の話は全てなかったことにしていいですか?」
「わぁーん!!」
〜ダクラシフ商工会 等悔山刑務所 ???〜
「――――っつーわけでー。子分が増えたぁー。報告はそんぐれーかなぁー」
「……ふーん。あーね?」
「何だぁー?」
「いーや何でもない。帰っていいよー」
「おー。じゃーなー」
「……ラデックに、シスターかぁ。仲間の使奴はどっかで待機してる感じかな? どーなるかなー? どーなるかねー? ま、どーなってもいいけどねー」




