240話 灯台
〜ダクラシフ商工会 狗霽知大聖堂 歓楽街 狗霽知天文館 コンサート会場 (ゾウラ・カガチサイド)〜
分厚い石壁が、ゾウラの頭上に振り下ろされる。
ゾウラは迫り来る石壁に向かって、全長50センチもないショテルを振りかざす。波導を纏った刃が石壁に触れると、石壁は自分から裂けるようにして両弾され中を舞った。
続けて迫り来る土塊を、ゾウラはショテルを振るった勢いのまま回転し、クロスボウを振るって弓部分で引き裂こうと試みる。しかし、波導を纏った弓が土塊に食い込まないと見るやゾウラは魔法を発動し、弓から雷を放って土塊を爆発させた。
それから拘束魔法の鎖と楔をキールビースに打ち込み、トコトコとカガチに駆け寄って質問をする。
「切れませんでした! 何がいけなかったんでしょうか?」
「波導が適合していませんでした。石と土を同系統の物体と見做したのは間違いではありませんが、調整は必要です」
「じゃあ次からはやめた方がいいですか?」
「いえ、失敗を前提に工夫を続けて下さい。そのうち小枝で鉄扉も切れるようになりますよ」
「本当ですか!? 頑張ります!!」
ゾウラが戦闘の続きをしようと振り返ると、キールビースの体が再び変容していた。
辛うじて保っていた四肢と胴体のバランスも崩れ、倒壊寸前の家屋からは巨大なマネキンの頭部が半分顔を出し、モビールや哺乳瓶などの幼児用品が幾つもはみ出ている。
「アっ……。…………タっ……」
発声も碌にできなくなったキールビースの口から、赤ん坊の泣き顔が彫られた飴玉が転がり落ちる。飴玉の群れは無差別に転がり、壁にぶつかると爆発とともにガラス片を放出した。
ゾウラは防御魔法の盾で破片と飴玉本体を弾き、キールビースの方へ駆け出していく。キールビースの頭上にあったモビールが高速回転し、丸鋸のように地面を削りながらゾウラへと迫る。ゾウラは水魔法を鞭のように振り回してキールビースの顔面に伸ばし、同化の異能で水に溶け込み姿を消した。直後、鞭の先端から姿を現したゾウラが頭部に斬りかかろうとショテルを振り上げる。直後、キールビースの絶叫が衝撃波となりゾウラを吹き飛ばす。
「ぁあああああああああああっ!!!」
すぐさま姿勢を立て直したゾウラは、モビールの破片を蹴って再びキールビースに接近し、今度こそ頭部を両断する。真っ二つに割れたマネキンの頭部の中から、どろどろに溶けたパンが呻き声を上げながら這い出てくる。
「ゾウラ様、回避を」
カガチの指示を聞くと、ゾウラは走り出そうとした足を止め、水魔法に溶け込んで姿を消した。解けたパンの群れは瞬く間に膨張し、破裂しながら全方位にフォークの弾丸を射出した。
カガチの隣にいたナハルは、ショットガンのように放たれたフォークから身を捩ってなんとか躱す。
「うおおおおお!?」
「まだいたのか。早く帰れ」
「帰れるもんか! どうせお前、キールビースを助ける気なんてないんだろう!?」
「ないが?」
「こいつっ……! ラルバの頼みを聞いて来たんじゃないのか!? あの子が必要なんだろ!?」
「別に? 代役を探す。今は奴の挙動を知りたい」
「……知ってどうする」
「どうもしない。興味だ。ゾウラ様の訓練にもなるしな。分かったらさっさと帰れ。お前の異能でゾウラ様に何かあったらどうする」
「こいつっ……!!!」
「代役は……そうだな。折角だからキダの会社でも強請るか。芋蔓で他の権力者も釣れるだろう」
ゾウラはカガチの指示の元優勢を維持しており、変容を繰り返すキールビースも体積を減らして勢いを無くしていく。
「カガチ! あの子死んでしまうぞ! 止めさせろ!」
「死ぬ? 奴は異能生命体だ。魔導学的には生物じゃない」
「定義の話なんかどうでもいい! 止めさせるんだ!」
「それに、今更殺人がなんだ? 少なくとも、私はゾウラ様以外の人間の生き死にに興味がない」
「……お前を説得しようと思った私が馬鹿だった……!」
「そうだな。お前は馬鹿だ」
ナハルはゾウラの方へ駆け寄り、大声で叫ぶ。
「ゾウラ!! もうやめろ!! キールビースが死んでしまう!!」
しかし、ゾウラは楽しそうな笑顔のまま全く聞く耳を持たず、キールビースのマネキンの頭部に向けてクロスボウの矢を放つ。矢は頭部に命中すると大爆発し、キールビースは痛みに声を枯らして泣き叫ぶ。
「クソッ……!!」
ナハルが堪らず拘束魔法の展開を始めると、カガチが即座に腕を掴んで制止した。
「どけ!!」
「待て。事情が変わった」
「……何?」
「と言うより……事情が“変わるかもしれない”」
そう言ってカガチは、通信魔法越しに聞こえるボブラの声に耳を傾けた。
「テメー……!! 大人しくしてろっ……!! このっ……!!」
「ぎぃーるびぃーずっ……ぢゃぁん……っ!!!」
「あでででっ!! 爪食いこませんな!!」
妄想の異能者、ユータイアを抑え込み、ボブラは後ろで見ていた母親に顎をしゃくって指示を出す。
「おいっ! 奥さん! アンタ外出て人来ないか見とけ! 近所に知れたらコトだぞ!」
「あ、あ……あ……!」
「早く! 大丈夫だ殺しゃしねーよ! さっさと行け!」
「は、はいっ……!」
母親が出て行くのを見届けると、ボブラは床に押さえつけたユータイアに耳打ちをする。
「おいテメー……! 本気でアイドルとなんか結婚できると思ってんのか……!? オメー見たいな屑の豚野郎がっ……!」
「うるっ……うるっざいっ……!!」
「いいかよく聞け! オメーみたいに、何の努力もしねぇ、何の才能もねぇ、飯ばっか食らって寝てばっかで、不平不満に言い訳ばっかで現実を見ねぇ奴が……!! 得られるもんなんか何もねーんだ!! いい加減目ぇ覚ませ!! 世界がお前を嫌いなんじゃない!! お前が世界を嫌ってんだ!!」
「うるざいうるざいうるざいうるざいっ!!」
「うおおお!?」
ユータイアはのしかかっているボブラごと起き上がり、転がるようにして壁に叩きつける。
「ぐえっ!!」
アイドルグッズが山積みになった棚が崩れ、溜まりに溜まった生活ゴミの山に埋もれて行く。ボブラは受け身を取って起き上がり、ユータイアの胸ぐらを掴んでゴミ山に投げ飛ばす。
「ぎっ!!」
「どんだけ世界が嫌いでも! 1個ぐれー真面目に頑張ってみろよ! テメーの大好きなアイドルだって!! デカいスポンサーが1社でもつけば話変わってくんじゃねぇのか!? そんな発狂するぐれー好きなら! 会社の1つや2つ起こして見せろよ! そうなりゃ、こんな臭いゴミ部屋でちいせぇモニター越しに見なくたって、ライブの特等席ぐらいもらえんじゃねーのかよ! おい!!」
「ううっ……!! ううううっ……!!!」
「そんぐれーやってみろよ……! 今決めろ!」
ボブラは倒れ込むユータイアに、指を突きつける。
「こっから死ぬ気で頑張って! テメーで大好きなアイドル救いに行くのか! それともここでべそかいて惨めに死ぬのか!」
「うううっ……!!!」
「もし……死ぬ気で頑張るっつーなら、少しの手伝いはしてやる。……テメーの母ちゃんだって、また笑ってくれんだろ――――」
「うわあああああああああああっ!!!」
ユータイアはボブラを突き飛ばし、部屋の外へ出て行く。
「だっ……! お、おい!!」
ボブラが急いで追いかけて行く。玄関を出た通路では数人の近隣住人と、青褪めた母親が立ち尽くしていた。
「おい奥さん! 息子はどこに!?」
「あ……あ……!」
母親が指を出した方へ、ボブラは急いで走って行く。
通路を抜けた先の外階段。地上44階の鉄柵に、ユータイアは跨っていた。星ひとつない夜空と、無数の電灯が星のように輝く歓楽街。それを、ユータイアは過呼吸に身を震わせながら眺めている。
「……おい、何してる?」
「ユーちゃん!!!」
呆然とするボブラの横を、母親が駆け抜ける。同時に、ユータイアは柵を乗り越え身を投げた。
「……おい、ボブラ。どうした? 何があった」
カガチの問いかけに、ボブラは徐に答える。
「…………ユータイアが…………身投げした」
「そうか。じゃあ後は好きにしていいぞ」
カガチは通信魔法を解除し、ナハルの腕を離す。
「妄想の異能者が死んだ。キールビースは間もなく消滅する」
「は、はぁぁああ!?」
「私は経過を見守ることにする。異能者の死による異能生命体の消滅……生で見るのは初めてだ」
そう言うと、カガチは楽しそうな笑顔で足を組んで漫然と観賞を決め込む。キールビースの変容は止まり、緩やかに泡を吹いて溶け出していく。それを、ゾウラは不思議そうに眺めている。
「……キールビースさん?」
「あ……ア……」
左半分が溶け出した巨大なマネキンの頭部は、目と外殻の隙間から涙のように黒い体液を流す。劈く耳鳴りと眩暈の中、キールビースは昔のことを思い返していた。
「君、オーディションに来たの? 名前は?」
「あっ、あっ、えっと、あの」
キダさんと出会ったのは、意識が芽生えて間もない頃だった。身分証どころか家も名前もわからない私を拾ってくれたのは、今思えば都合のいい存在だったからかも知れない。それでも当時の私にとって、あの出会いは天の救いだった。
「ルックスは当然として、歌も上手いし、ダンスも上手い! 何よりそのくすぐられるような初心っ気がいいね~! 採用!」
「本当ですか……!? あっ、ありがとうございますっ!!」
何も分からない中で、唯一の寄る辺だった願い。それがアイドル。真っ暗な海に浮かんでるような空っぽの私の、遠くに見える優しい灯台。涙は出さなかった。目が腫れたら、舞台には立てないから。
「キールビースちゃんて言うの? 私ニアノ! よろしくね!」
「メルニー。よろしく」
「スアンツァだよ! よろしく!」
「よ、よろしくお願いします!」
友達もいっぱいできた。そうだ、友達。謝らなきゃ。みんないい子なの。すごい子たちなの。
「キルビスちゃん売上また1位だぜ!! やったじゃん!!」
「キダさん……!! ありがとう……!! ありがとうございますっ……!!」
きっと、あの時からもう“売り時”を計ってたんだと思う。私はただの商売道具。着せ替え人形だった。
だけど、人形でもよかった。私はアイドルだから。中身はなくていい。ガワだけでいい。ガワもなくたっていい。名前だっていらない。愛されたいんじゃない。必要とされたいんじゃない。私もみんなと一緒に、最高のアイドルを作りたかった。私も、キールビースのファンの一人だったんだよ。
みんなの希望を。灯台を。作りたかったんだ。真っ暗な海の中で、光を照らしてくれる灯台を。
「あや、あやま、らな、きゃ……」
溶け残った眼球が、ひび割れながら呻き声を漏らす。
「みん、みんな、と、あい、あいど、る…………」
眼球がパックリと割れ、端から霧になっていく。
「ご……め、……ん……」
それを、ゾウラは両手で掬い上げてカガチに差し出した。
「カガチ!」
「……何でしょうか」
「治せませんか? キールビースさんを!」
「…………はい?」
思いもよらぬゾウラの申し出に、カガチは思わず顰めっ面を見せる。声すら聞こえなくなったキールビースの破片を、ゾウラはこれ以上無くならぬようにぎゅっと手で覆い隙間を閉じる。
「カガチ、前に言っていましたよね? 異能の源は命力だって。それで、カガチは命力を使えると! なら、カガチなら治せるんじゃないですか?」
「……無茶です。不可能とは言いませんが、直したところで出来上がるのは脈動する粘土細工程度でしょう。死よりも苦しい末路です」
「アイドルを続けられるくらいには戻してあげて下さい!」
「……理由を伺っても宜しいでしょうか」
「キールビースさんの舞台をもう一度見たいです!」
「……………………もう一度言いますが、ほぼ不可能です」
「ありがとうございます! カガチ!」
カガチはゾウラから殆ど粉になった破片を受け取り、深い溜息をついて舞台袖へと歩いていく。その折にナハルとすれ違うと、酷く険悪そうに睨みつけた。
「……何か言いたいことでもあるのか?」
「いや……その……が、頑張ってな」
「ラプーを連れてこい。あとユータイアの死体の回収」
「え、あ、ああ」
何も聞こえない。何も見えない。真っ暗闇の海に浮かんでいる。
身体を揺らす波のさざめきは不安。水の冷たさは孤独。限りない無音が鼓膜を痛いほどに突き刺す。
一瞬とも、無限とも思える時の中、彼女は一条の光を見た。
太陽ほど明るくなく、星ほど弱くもない。遠くで、誰かが呼んでいるような気がする。
「起きろ」
キールビースは目を覚ました。楽屋の天井、カガチがこちらを目だけで見降ろしている。
「出来に文句は言うな。極めて不本意だが、最善は尽くした」
壁に嵌め込まれた大鏡に目を向ける。そこには、色彩のない白い肌に斑模様の黒痣を浮かべる自分が映っていた。
「お前の残骸を練り潰し、私の異能と混ぜて中身を作った。それから私の肌を移植して外面を覆った。気味の悪い歪なパンダ柄に目を瞑れば、元のお前と同じ形状だ。あとはペンキで塗るか色紙でも貼るか、好きにしろ」
キールビースは震えた手で頬を触る。陶器じゃない、人間の肌。手を見る。石壁じゃない、人間の手。人間の足、人間の体。
「文句ならそこのラプーに言え。製法の半分はそいつの案だ」
「んあ」
ガワだけでいい。ガワもなくていい。みんなが呼んでる。みんなが待っている。私たちの偶像は、まだここにいる。私の灯台は、まだ照らしてくれている。まだ、やり直せる。
必死に堪えた涙が。一粒だけ涙腺から転がり落ちた。




