234話 ワクワクドキドキ浮気デート 前編
〜ダクラシフ商工会 給冥エージェンシー ホテル“真人館” 客室〜
豪奢なホテルの一室で、ヘレンケルが置いていった荷物をラルバが楽しそうに漁っている。
「おーダクラシフ商工会のお金いっぱい!! 嬉しいねぇ〜」
そして札束をがばっと掴むと、後ろにいたラデックに差し出す。
「はい。お小遣い」
「え……こんなにか?」
「足りないくらいでしょ。これでヤクルゥちゃんと浮気デート行っといで」
「それ、意味がよく分かっていないんだが……俺は結局どうしたらいいんだ?」
「んー。取り敢えず、ヘレンケルに会ったら”お金足んない“って伝えといて〜」
「足らない……? これだけあってまだ足りないって……家でも買うつもりか?」
ラデックが言い終わらないうちに、ラルバは鼻歌混じりに部屋の外へと駆け出していった。1人残されたラデックは乱雑に撒き散らされた札束をいそいそと片しつつ、無理難題であろうヘレンケルの交換条件に溜息をついた。
「利子って、俺はどうすればいいんだ……?」
札束を片し終えて部屋を出ると、そこにはシックな黒いドレスを身に纏ったヤクルゥが申し訳なさそうに立っていた。
「あ……」
「……久しぶりだな。ヤクルゥ」
スヴァルタスフォード自治区でラデックと相対した、ヘレンケルの側近にして悪魔郷騎士団の一番槍。ヤクルゥ。彼女は胸元と足を大きく露出した煌びやかなドレスに身を包みながらも、裾をグッと握り締めて猫背のまま俯いている。
そんな扇状的な彼女の姿の中で最も目を引くのは、胸でも足でもなく、その左腕だった。
肩より先はなく、スカーフを巻き付けてあるだけ。スリットから露出した右足も大きく抉られたような傷痕を残しており、丈の長いドレスで隠された左足は膝より先が金属の棒に置き換わっている。大きく開いた胸元も、谷間よりも夥しい縫い痕に目がいく。俯いてばかりの顔をほんの少し上げると、長い前髪で隠れた右目を眼帯が覆っているのが見えた。
よく見れば、他にも全身に塞がったばかりの裂傷が見て取れる。その痛々しい姿に、それでも精一杯着飾った姿に、ラデックは言葉を失いつつもどうにか口を開く。
「生きていて何よりだ。俺達と別れた後、その……大怪我をしたと聞いている」
「あ、は、はい……。で、でも……姉さん達が、あ、仲間が、助けてくれたので……その……なんとか、助かりました……」
「そうか……。よかった」
会話が終わると、ヤクルゥは何かを言い出そうと顔を上げるが、すぐにまた怯えて目を伏せてしまう。ラデックはこういう時にどうしたらいいのか分からず、しばし困って頭を掻く。
「その……ヘレンケルからは何か聞いているか?」
「あ、えっと、その……あの……あ……」
ヤクルゥは青かった顔を忽ち真っ赤にして汗を流し始める。
「わ、わかった。言わなくていい。大丈夫だ」
「あ、あ、す、すみません……」
2人が言葉を失って立ち尽くしていると、視界の外から声をかけられる。
「……邪魔」
不機嫌そうなイチルギが、半ば侮蔑の意が込められた眼差しで2人を睨んでいた。2人が黙って道を開けると、彼女は振り向きざまに捨て台詞を残した。
「遊ぶんなら 狗霽知大聖堂にでも行ってきたら? ここにいたらラルバに面倒ごと振られるわよ」
それだけ言うと、イチルギは2人を見捨てるように部屋の扉を閉めた。ヤクルゥが戸惑いながらラデックの方を見ると、ラデックはどこか宙を見上げながら何か考え事をし、小さく頷いた。
「うん……ここ最近は色々大変だったし、遠慮なく休ませてもらうか。ヤクルゥ、行くぞ」
「え? あ、はい。え?」
ヤクルゥは訳もわからぬままラデックに手を引かれホテルを出た。
〜ダクラシフ商工会 狗霽知大聖堂 歓楽街モノレール駅前〜
広場と見紛う交差点。空を侵食するビル群と夥しい数の袖看板。行き交う老若男女の波。貧富も身分もないまぜになった群衆は、まるで体内を巡る細菌のようにも思える。絶え間なく続く話し声、笑い声、奇声、罵声、エンジン音、電子音、足音。視聴覚に押し寄せる情報の濁流。文明的で、低俗で、無秩序でありながらも混沌ではない。都会と呼ぶに相応しい歓楽街。
人混みに押されながらも、ラデックとヤクルゥはなんとかその隙間を縫って歩く。
「ヤクルゥ、大丈夫か? 歩きづらくないか?」
「え? えっと、あの、だ、大丈夫です!」
「大丈夫か? そうか。これだけの人混みだと会話も満足にできないな……」
ラデックは逸れぬようヤクルゥの手をしっかりと握りしめ、どこか入れる建物はないかと辺りを見回す。
「とにかく駅から離れよう」
ラデックはヤクルゥの顔をチラリと見やる。彼女は顔を真っ赤にして節目がちに歩いており、握った手から緊張による発汗が伝わってくる。
「……人の少ないところに行こう。もう少し我慢してくれ」
この緊張は身体の欠損を気にしているのではなく手を終始繋ぎっぱなしにしているせいなのだが、ラデックは勘違いしたまま彼女の手をより強く握り返して進んでいく。
映画館、ゲームセンター、ショッピングセンター、スイーツ店と、ヤクルゥが意見を言わないがために、ラデックは思い思いに 狗霽知大聖堂を歩き回る。
「メロンケーキが想像以上に美味しかったな。メロンと乳製品は相性最悪だと思っていたが……お、この先にプラネタリウムがあるみたいだぞ。行ってみないか?」
「あ、はい」
2人が施設の回転扉を潜ると、偶然にも見知った顔に出会う。
「ん、ボブラ?」
「ラデックか。お前今暇……じゃあなさそうだな」
しかめっ面をしたボブラは、疲れた様子でラデック達を見る。
「ボブラも遊びに来たのか? だったら向こうのスイーツ店が結構――――」
「ちげぇわ!! 1人でこんなとこ来るかよ! 無理矢理付き合わされてんだよ!」
「付き合わされてる? ハピネスか?」
「いや……あ、戻ってきたな」
ボブラが振り向いた方から、ゾウラとカガチが歩いてきた。
「お待たせしました! プラネタリウムすごかったですね! 私あんなの――――……あれ? ラデックさん! と、そちらの方は……」
「ひっ――――」
ゾウラの姿を見るや否や、ヤクルゥは顔を引き攣らせてラデックの後ろに隠れる。しかし、ゾウラは顔をパッと輝かせて怯えるヤクルゥに近寄る。
「こんにちは! お久しぶりですね!」
「――――!? あ、あ……」
「あの時はお手合わせありがとうございました! 私もあれから結構――――」
「ゾウラ、少し離れてくれ。大丈夫だヤクルゥ、彼は無害だ。……その怪我は、ゾウラにつけられたものだったな。すまない」
ヤクルゥの片腕と片足を切り落とし、目玉を貫き、死の淵まで叩き落とした張本人。そんなゾウラが目の前に、ましてや笑顔で近づいてきたことで、ヤクルゥは恐怖で動けなくなってしまう。
「ラデックさん! その方とってもお強いんですよ! あれ、前に話しましたっけ?」
「ああ、俺も彼女と戦ったことがあるから分かる。悪いが、ヤクルゥは少し気分が優れないらしい。構わず遊んできてくれ」
「……? はい! これからアイドルのコンサートがあるみたいなので、そっち観に行ってきます!」
「そうか。楽しんで」
ゾウラはヤクルゥにも手を振って別れを告げると、ボブラの手を引いて外へ駆けていく。
「ボブラさん! ソフトクリーム売ってます! 食べていきましょう!」
「買ってやるから引っ張るな!」
歩いて2人の後を追うカガチが、すれ違いざまに呟いた。
「……この昼行燈には、言わねば分からんぞ」
「昼行燈、俺のことか?」
カガチは何もこたえず姿を消した。ラデックはうなじを少し掻き、改めてヤクルゥの手を握る。
「あっ」
「まあ、気にするな。ゾウラには俺から言っておく――――が、そうか、ヘレンケルの命令次第ではまた敵対するのか……参ったな。ヘレンケルにも言って――――も無駄か。俺の言うこと聞きそうにないしな……。あ、ラルバからヘレンケルに言わせておく。うん。これなら聞くだろう」
ヤクルゥの不安が膨らむ前に、ラデックは手を引いて歩き出す。
「折角息抜きに来たんだ。ひとまず不安なことは置いといて、楽しめるだけ楽しもう」
ヤクルゥは黙って頷きつつも、カガチに言われた言葉を頭の中で反芻し続けていた。
2人がプラネタリウム観賞を終え外へ出ると、外はすっかり日が落ちて夜空が広がっていた。しかし、辺りは眩いほどのネオンとハロゲンランプに囲まれ、看板の群れが闇夜を昼間のように照らしている。
「おお……流石都会。夜でも明るい。これならさっき見かけたバッティングセンターにでも……」
ラデックは道路の奥に顔を向けるが、チラとヤクルゥの足元に視線を落とす。
「まあ、明日でいいか。時間はまだまだありそうだし、今日のところは帰って休もう」
ヤクルゥの桁外れた身体能力では、片足片腕片目で過ごしたところで大した疲労はない。それでも、ラデックはヤクルゥの心理的負担を気遣って帰路を辿り始めた。
「どうだヤクルゥ。人の目には慣れたか?」
「あ、あの……は、はい……あ、はい……」
「まだ気になるか。無理することはない。ホテルに戻ればバリアかナハルが居るはずだ。使奴の手にかかればその程度の怪我どうとでも――――」
「あ、あのっ! ラデックさん!」
「ん?」
一日中肯定以外を口にしなかったヤクルゥが、いつになく強い口調でラデックの名を呼ぶ。力強く手を引くヤクルゥは、顔を真っ赤にしたまま視線を足元に這わせ、必死に何かを言おうと呟いている。
「えっと! あ、あの……! 実は、その……あ、あの、ヘ、ヘレンケル様から、あの……えっと……!」
「……? 大丈夫だ。ゆっくりでいい」
「あ、あの……その……あ、私、あ……あの……!」
延々と吃り続けるヤクルゥの言葉を待ち続けていると、流石のラデックも気付いた。ヤクルゥの視線が向かおうとしている先。自分達を照らす、真横の建造物が放っているマゼンタとシアンのネオン光。そして、この場所。この地域の俗称。
「あ、そう言えばここ、【歓楽の街】……だったか」
飲み屋やホストクラブのド派手な建造物が乱立する中でも一際目を引く、ネオン管が外壁を覆い尽くすレジャーホテル。所謂、連れ込み宿。
ラデックの頬を、生まれて初めて覚える感情を含んだ汗が伝い落ちた。
部屋の全面を埋める赤。赤。赤。調光自在の間接照明。部屋の中央に置かれた円形の巨大なベッド。リーズナブルな簡易宿としての側面も持つはずのレジャーホテルの中でも、相当“こっち寄り”な内装。節操ないくらいにこれから起こる事態を突きつけてくる情報の暴力に、2人は困惑と焦燥を露わにする。
「なんでも人形ラボラトリーの時はどうってことなかったのに……。いや、あれはハピネスだったからか……ラプーもいたし……」
沈黙に耐え切れず適当に独り言を言ってはみたものの、隣のヤクルゥは依然として顔を伏せて呼吸を乱している。ラデックは珍しく責任感を感じ、平静を装って振る舞う。
「先に風呂に入ってくるといい。内装がアレなだけで、大体は普通のホテルと変わらない。……手伝いは……しない方がいい……よな?」
ヤクルゥは黙って頷き、覚束ない足取りで脱衣所へ向かっていく。ひとり取り残されたラデックは、ヘレンケルの言葉を思い出して両手で顔を覆う。
「五体満足で利子つけて……か。利子、利子……!?」
通路の奥から聞こえるシャワーの音を聞きながら、ラデックは床でダンゴムシのように蹲るしかなかった。




