217話 ラプー
〜260年前 バクタ帝国領 辺境の村〜
彼が物心ついた時、側には3人の家族がいた。それは母親と、父親と、頭の中の声だった。取り分け頭の中の声は、母や父よりも彼に近い存在だった。
頭の中の声は彼が言葉を覚え始めた頃から現れ、昼夜を問わず彼の疑問に答えをくれた。そのせいか、彼は言葉を話すのが人よりもずっと遅く、漸く言葉を発するようになったのは3歳を過ぎてからだった。その頃には、彼は頭の中の声の正体が”全知の異能“であるということに気が付いていた。
彼は言葉を発するようになっても、滅多に人と話すことはなかった。全知の異能は全ての問いに答えをくれるが、全知ではない人間は問いに必ず答えをくれるわけではない。その上、全知の異能は問いと答えの質に拘らない。どんなに曖昧な問いも、本質の部分に関する回答をくれた。どんなに難解な回答も、知識という形で彼に伝わった。如何なる問いも、理解という工程を必要とはしなかった。そんな異能に頼り切っていた彼にとって、誰かに何かを”伝える“行為、誰かの何かを”理解する“行為は、酷く難しい行為であった。
5歳になっても彼は人と関わることを無意味とし、日中はぼーっと空を見上げながら全知の異能との対話のみを楽しんでいた。同年代の幼児や保育所の職員が話しかけても、幼児らしからぬ知識と物言いで鬱陶しそうに退けた。この頃既に彼は、中学生並みの知識を身につけていた。田舎の村という半閉鎖的な環境下のせいか、彼の評判は決して良いものではなかった。
だが、そんな奇妙な子供を両親は一切の偏見なく溺愛した。彼も両親にだけは心を許して抱き合った。彼は幸せだった。
しかし、7歳になった頃。彼は全知の異能によって恐ろしい事実を知る。
この世界は、滅びる。
各国が世間に秘匿にしている兵器や技術の数々、鬱憤。犯罪組織の動向。水面下で進行している侵略作戦。近い未来、これらは露呈し、交わり、争いが争いを呼び、世界を滅ぼす大戦となるだろう。全てを知ることができる彼だけが、この事実を明確に予見していた。
守らなければ。
愛する家族を守りたい。戦争を止めなければ。世界を救わねば。7歳という幼さで背負った決意であった。
「お父さん、お母さん。行ってきます」
「ラプー! どこ行くだ!? ラプー!」
「戻ってこいラプー!! 行っちゃいけねぇ!! ラプー!!」
「ごめんなさい。でも、もう行かなくちゃ」
時間がない。世界中の争いの火種を潰すには、あまりにも時間が足りない。せめて、せめて両親が天寿を全うするまでは、平和な世界を守らなければ。彼の決意は、甘えたい盛りの子供心を無惨にも踏み潰した。
「僕を育ててくれてありがとう。産んでくれてありがとう。2人とも、愛しています」
それからは、世界中を巡った。全知を駆使して路銀を稼ぎ、人の信頼を得て、権力者との謁見にも至った。だが、世界は残酷で、愚かで、狡猾だった。
「素晴らしい能力だ。君の言う戦争を止めるため、我が国に力を貸してくれ!」
彼と話した者は、皆彼を欲しがった。
「わかった。ギーカ共和国への侵攻は中止しよう。その代わり、助言を貰いたい」
上辺だけ尊敬するフリをして、納得するフリをして、懇願するフリをして。彼の力を我が物にしようと手を伸ばした。
「是非とも我が国に――――」
「褒美なら幾らでも――――」
「兵と土地を与えよう――――」
「どうかわが国を助けてくれ――――」
権力者に手を差し伸べられる度に、彼は全知に問い続けた。この手を取れば、大戦争は止まるか? 全知は答え続けた。いや、止まらない。
彼は奔走を続けた。生物兵器のデータを改竄し、犯罪組織の戦争資金に火をつけ、様々な支援団体に知恵を貸し、争いの火種を遠ざけ続けた。だがそれも、限界が近づいていた。
「もう、無理だ」
彼は目的を変えた。戦争が防げないのなら、せめて終戦を早めようと考えた。恐らくは大勢の人間が死ぬ。文明は一度火の海に沈むだろう。それでも、再び文明が取り戻せるように。そして、誰も勝者にならないように。文明の崩壊を前提とした、歪んだ世界を救う旅が始まった。
ラプー、53歳の時の出来事である。
まずは仲間を集めた。人類を生存させつつ大戦争を終わらせるのは、全知を以てしても1人では不可能。そのために、この世で最も強大な力を潜在的に持つ者達、彼らの信頼を勝ち取り、力を貸してもらう必要があった。
〜ローウォード王国 黄乃薔薇大学医学部附属病院〜
「エグアドラ先生!! 急患です!!」
「またぁ〜? 勘弁してよ……昨日からゼリーしか食べてないのに……」
「早く!! 急いで!!」
「はいはい……。ん? あなたは……見ない顔だね。どなた?」
「僕の名前はラプー。エグアドラ・クアッドホッパー先生。貴方に頼みたいことが」
「……ごめん、忙しいんだ。他を当たって」
「対価として、術式の完成を手伝います」
「……驚いたな。どこで知ったの?」
最初はどこも邪険にされた。そこで、彼は最悪の提案と分かっていながらも、悪質な交換条件を提示した。
〜大ヨカリ国 リン工務店株式会社〜
「棟梁ー! お客人ですー!」
「あぁ!? なんだこのクソ忙しい時に!!」
「初めまして、リン・カザン。僕はフォーアビス・ヒューレッツェル・ラプー。貴方に頼みが」
「俺は無い。仕事の邪魔だ」
「話を聞いてくれれば、復讐を手伝います」
「…………あ?」
全知によって得た技術の数々は、彼らが抱える闇を晴らすのには充分だった。だが、この提案は半分以上脅しに近いものであった。
〜ピーディ民主主義共和国 首都高速道路高架下〜
「クソッ……私に追いついてきた奴なんか初めてだ……!! でも、いい気になんなよ!! 勝負はこっから――――」
「待って。僕は貴女に危害を加えにきたんじゃない」
「は、はあ……? いや! 騙されないかんな!! どうせ帝国の連中――――」
「貴女の妹さんを探すのを手伝います。ゼファー・クリープランド」
「…………今、なんて?」
「だから、僕の話を聞いて」
タネは全てバラした。全知の異能。それによって得た擬似的な未来予知。それから、彼らが持つ潜在能力を開花させるための修行法。そして、彼らが心の底から求めるものを差し出した。
「世界が滅ぶ? 信じられないな」
「で、それがマジだったとして、どうやって全知のお前を信用しろと?」
「正直なところ、こっちに選択肢なんてないよね? 恐喝もいいとこだよ」
彼らも最初は懐疑的だった。突拍子もない終末の予言、全知の異能者を自称する謎の男。頭の中を盗み見られたように魅力的な交換条件。疑わない方がおかしい。それでもラプーは体裁を取り繕わなかった。騙す術があっても、言いくるめる技術があっても、脅迫の材料があっても、真正面から頭を下げ続けた。それが、ラプーに出来る精一杯の誠意表明だった。
そして、ラプーの愚直な誠意に呆れ、弛まぬ自己犠牲の人生に感化され、努力に圧倒され。彼らは少しずつ心を開いていった。
「まあ、聞くだけ聞いてあげるよ。こんな穏やかな長期休暇は久しぶりだしね」
「その修行とやらをしたら強くなんのか? じゃあもっと酒飲んでも問題ねーな!」
「ねえねえ、全知ってどの辺まで知れるの? 今私が何考えてるか分かる? ……あーやっぱ言わないで! なんか怖くなってきた!!」
次第にラプーを信用し、旅の仲間に加わってくれた。どこか厭世主義的だった彼らも、旅を続けるうちにラプーの志に従うようになった。彼らは大義よりも、ラプーという人物を手助けすることを目的に行動するようになった。
「医者として人を救うよりも、勇者として人を救う方が楽だね。おいしいご飯とちゃんとした睡眠。これだけでも退職した価値があるよ。……なーんて、ウソウソ。聞かなかったことにしてね?」
「責任者の俺がトんで、今頃現場は大騒ぎか? 仕方ねーよな! 世界を救うためなんだからよ! あのビルだって、戦争が始まりゃすぐに解体されて戦闘機にでもなっちまうんだろ? じゃー俺は悪くねーな!」
「突然巨大隕石が降ってきて世界が終わらないかなーなんて考えたこともあったけど、みんながいるならもう少し続いてもいいかもね。この世界」
全知によって仲間を得たラプーには、どこか後ろめたさがあった。しかし、仲間達はそれを知った上でラプーを受け入れた。
「ごめん。皆」
「今後の為に言っておくけど、僕は謝られるより感謝されたいタイプ。美味しいご飯があればなお良しかな」
「ラプーはつくづく勇者が似合わねーよな。救世主の像とか作る時は俺がセンターでもいいか?」
「ラプーがこなきゃ私の人生クソみたいなもんだったんだし、もっと誇りなって! 全知ってこういう時の振る舞い方は教えてくれないの?」
彼らの旅は順調に進んでいった。束の間の幸福は、彼らにとって代え難い宝物になった。
そして遂に、全世界を巻き込む大戦争が勃発した。
初めは紛争地域で強大な兵器が投入されたのがきっかけであった。それに対抗する為、敵勢力は隠しておいた兵器を持ち出した。漁夫の利を得ようと集まった別勢力同士が、先手必勝と言わんばかりに攻撃を開始。流れ弾が周辺国に飛び火し、反撃しようとした国を敵の友好国が妨害する。
どの国も、今までに類を見ないほど早く他国を攻撃し始めた。まるで、我が国が負けるはずないと自信に満ち溢れているかのように。人智を超えた素晴らしい兵器でも持っているかのように。
「そんじゃあ3人とも、頼んだでよ」
ラプー達は事前の打ち合わせ通りに方々へ別れ、鍛え上げた異能と魔法で全世界の戦力を削り始めた。
大戦争勃発から数ヶ月。ラプーが考案した魔法により人間の限界を超え不眠不休で奔走していた彼らは、状況が大きく様変わりしていたことに気がついた。
「……爆発音が聞こえなくなった」
「お? もしかして、勝ちか?」
「これ……戦争終わったでしょ……! てゆーかもう無理! 一旦戻ろ!」
彼らの夢は、ラプーの夢は叶った。背に腹を代えた妥協案。世界人口の9割近くの被害。文明の崩壊。失ったものはあまりにも多かったが、それでも、人類史は首の皮一枚で繋がった。
〜200年前 見渡す限りの荒野〜
「やったねラプー、お手柄だ。多分人類史上一番のね」
「あーねみぃー。宴会は明日でもいいか? おい待て、もしかして今この世界って居酒屋無くねーか?」
「泥塗れなんだけど……お風呂とかってどうすればいいの? ご飯は? お化粧もできない!? てゆーかベッドある!? 考えてなかったけど、こっから生きてくの無理ゲーじゃない!?」
口々に不平不満が飛び出すも、心の底では皆ラプーを祝福していた。ラプーもそれを分かっていた。
「エグアドラ、カザン、ゼファー……。ありがとう。オレひとりでは、絶対叶えられんかった」
「お、謝罪よりも先に感謝が出るようになったね。いいよ、その調子」
「欲を言えばもう10人は人手が欲しかったな。南方地域殆ど俺一人で片付けたんだぜ!? 人間ひとりでやる範囲じゃねーよ!」
「正直な話、爆撃とか妖精よりも服着替えらんない方がしんどかった。Tシャツとかすぐマフラーになっちゃうし」
〜キュリオの里 ダンタカの家〜
「こうして、世界を滅ぼす大戦争は食い止められ、世界に平和が訪れましたとさ。めでたしめでたし」
ハピネスが語り終え、数秒の沈黙が流れる。
静寂を破ってハザクラが尋ねる。
「何故、お前がそんなことを知っている?」
「んー? いっつもラプーと留守番してるのは誰だと思ってるんだい? 他にも色々聞いてるよ」
「コラー!! ハピネス!! ラルバ一家家憲第43条を忘れたのか!! ラプーの全知を乱用するなって言ったでしょー!!」
横から怒鳴るラルバに、ハピネスは飄々として答える。
「残念、この話を聞いたのはヒトシズク・レストランで君らが悪者退治に行ってる時だよ」
「ラルバ一家家憲86条。ラルバ一家の法は遡って適用される」
「笑顔の国でもそんなことやってないよ」
2人がやいのやいのと言い争いをしていると、イチルギがぼそりと呟いた。
「ごめんなさい。その話は、まだ続きがあるの……」
「イチルギ……?」
ハピネスが話している最中、顔を伏せて蹲っていたイチルギが、頬に涙を伝わせながら立ち上がった。その顔は依然として悲痛を堪える苦しい表情だが、彼女は震える声でなんとか言葉を発し、昔話の続きを語り始めた。
〜200年前 見渡す限りの荒野〜
「だが、すまねぇ皆。見誤った」
ラプーは嘗ての問いを頭の中で全知に尋ねる。しかし、全知の答えは変わらない。
「今やオレ達は、殆ど永遠の命を持ったと言っても過言でねぇ。全知に聞いたこの魔法式は、この世でいっちばん強力な魔法だ。そんで、多分この先誰も編み出すことはできねぇ」
ラプーの目的は、最初から2つあった。
「異能についても同じだ。3人の異能は、もう元の異能とは別物ってぐれー強くなってる。範囲も、性質も。この異能の鍛え方だって、多分この先気付ける奴はいねぇ。オレと同じ全知でもなきゃあな」
一つは、世界を滅ぼす大戦争を止めること。そしてもう一つは――――
「オレ達は、強くなり過ぎた」
世界を滅ぼすであろう、未来の大犯罪者を予め抹殺すること。
「世界が健全に育っていくために、オレ達はいちゃいけねぇ。互いに封印をかけねばならねぇ」
「……そんな」
「はぁ!? 聞いてねーぞラプー!!」
「封印って、どう言うこと……!?」
その者の名は――――
「嘘だろ……ふざけんなよ……!!! ラプー!!!」
リン・カザン。




