216話 不運と幸運
ここがまだ名も無き集落だった頃、私は何の気無しに村を訪れ、滞在することにした。一見ただの貧しいだけの集落だったが、そんな貧乏集落が冬の飢えを凌げることを私は訝しんだ。そこで目にしたのが、山から来た放浪者をお恵みと称して襲い食す“食い扶持”と呼ばれる狩猟文化だ。今は少し訛って“キブチ”と呼ばれているな。
私はこの放浪者の正体を知るべく、山の奥へ入り、ある施設を見つけた。“魔導ゴーレム・ロジスティクス株式会社”。表向きは魔導ゴーレム関連の技術を扱う企業だが、裏の顔は使奴研究所の末端組織だ。末端故、時間壁なんて高級品の防護はなく、中は動植物に侵され風化しきっていた。だが、そこには人間の集落があった。衣服も碌に纏わず、石器や単純魔法のみを扱う原始人のコミュニティが。
極寒の廃墟という過酷な環境にもかかわらず血色の良い肌に、毛皮一枚という薄着と裸足。イチルギ達が言語統一に奮闘している中、嘗てこの地域の主要言語であったキャーナ語を母語としている。そして、会話は問題なくできるのに原始的な魔法の一つさえ使えぬチグハグな文明。意図的に外界と分断されている。何者かの支配下にあることは容易にわかった。
そして、ガルーダと出会った。
「何の用だ? こんなところで何をしている」
「それはこちらのセリフだ。見たところ使奴のようだが、こんな山奥で何をしている。彼らも普通の人間ではないな?」
「……はぁ」
ガルーダは呆れたように溜息を吐きながらも、私の問いに答えてくれた。
「地下に人造人間の製造装置があったから、暇潰しに群れを作ってみた。それだけだ」
人型魔導ゴーレム製造機。嘗て東西大戦で用いられ、その後の開発が禁じられた“キュリオネクロ魔導製造機”の脱法改造機だ。暑さや寒さ、多少の波導乱でも動き続ける人造人間を生み出す、非人道兵器の代表格。
私は彼女を咎めた。キュリオネクロ魔導製造機には、3つの大きな問題点があったからだ。
ひとつは、人造人間を生み出すのに実際の人間を必要とすること。キュリオネクロ魔導製造機で生み出される人造人間は、厳密にいえば人造人間ではなく改造人間だ。当時、施設には大量の冷凍睡眠状態にある子供が保管されており、ガルーダはそれを使って人造人間を生み出していた。
ふたつめは、生み出された改造人間には自我があるということだ。学者連中は”意思を限りなく模倣した非生命的プログラム”だと屁理屈を抜かし、改造人間ではなく人造人間だと言い張って追求を逃れた。だが、この改造人間が持つ自我は、我々使奴が持つ自我と仕組みは何も変わらない。生身の人間が持つ脳味噌のガワを再利用した居抜きでしかない。彼等にも心があるという事は、我々使奴が一番よく分かっている。その点で言えば、我々使奴も改造人間と言えるかもな。
みっつめは、キュリオネクロ魔導製造機で作られた改造人間には、寿命が設定されていない点。これは永遠に生きると言う意味ではなく、正常に動作する期間が未設定という意味だ。数少ない過去の記録には、製造されてから大凡12年から20年を過ぎたあたりで不具合が発生したとある。不具合の主な症状は、全身が硬化し腫れ上がるというものだ。人間で言うところの、蜂に刺されたような具合にな。だが、この腫脹は生きている限り恒久的に続き、放っておけば人の形をした肉の石になるという。これに伴い、皮膚が肥大化に耐えられず裂けたり、骨が押し潰されて骨折したり、内臓が押し潰されたり……。早い話しが、碌な死に方を迎えないということだ。
だが、私の糾弾に彼女はキョトンとした顔で首を傾げた。
「それがどうした?」
嘲笑や傲慢による返事ではなかった。真に純粋な疑問だと感じた。
「……どうした、だと? お前には正しくあらねばならないという心が無いのか? 苦しむだけの命を無為に生み出していい道理がどこにある」
「逆に問うが、何故お前は正しくあろうとする? 脆弱な人間と違って、我々使奴は道徳的規範に頼らずとも何ら困らず生きていけるだろう」
「理由になっていない。道徳は実利ではなく責務だ」
「尚更疑問だ。責任というのは、それを律する機関があっての概念だろう? 我々使奴を何が律するというのだ」
彼女との話は、常に平行線だった。
「それに、お前の言う問題点だが、既に解決してある。私にしては割と正義じみた善行だ」
彼女は、改造人間達にある布教をしていた。村の者が知るキブチと対になる、言わば裏のキブチを。山から来る放浪者を喰らうことを義とする表のキブチに対し、山から降りて喰われることを義とする裏のキブチを。
死に際の苦しみに囚われるその前に、下界の民にその身を捧げよ。無為な生は地獄。誰かの糧となって死ぬ自己犠牲こそが最も尊い。
ガルーダの教えによって、改造人間達は順番に山を降りて苦しみの少ない死を自分から選んでいたんだ。
そしてガルーダは、とんでもない提案をしてきた。
「そうだ。お前、私を手伝え」
「……何だと?」
「私はここで裏のキブチを定着させる。お前は、村で表のキブチを定着させろ。折角自死を尊ぶ教えが確立しても、殺す側が滅びたら無意味だ。まあ、生きた墓石で埋め尽くされる山を見たいと言うなら無理は言わんが……」
突拍子もないふざけた誘いに困惑しながらも、私はどこか正当性を感じていた。
「お前は……お前は何がしたいんだ?」
今思えば、我々は本質的に同類だったのかもしれない。
「私はガルーダ・バッドラック。不運そのものだ。私の殺しに意味はない。天変地異が服を着て歩いているようなものだと思ってくれればいい」
彼女の言い分は終始戯言だったが、不思議と受け入れ難いとは思わなかった。
きっと私も心のどこかで、人間と自分の間に大きな隔たりを感じていたのだろう。
「ならば、私は幸運として生きよう。私と出会った者を意味なく救い、幸福を齎す。ただの幸運として」
私は村の者にとっての幸運。そして、改造人間達にとっての救い。より辛い死苦から守る”ヴァーツ“として歩むことにした。
〜キュリオの里 ダンタカの家〜
「あれから百余年。ガルーダは毎年ここへ来ては、機械の手入れをして帰って行った。だが、昔は何十人もいた改造人間が、十数年前から段々と減ってきていた。今思えば“種切れ”だったんだろう」
アルカは冷笑的に息を溢し、窓から見える北方の山の方に目を向ける。
「最初から、ガルーダにはこの光景が見えていたんだろうな。改造人間達が数を減らし、村も因習に逆らう者が現れ壊滅する。幸運は、不運に飲み込まれた。……せめてチャシュパとケリャクだけでも生き延びてくれれば、不幸中の幸いと呼べるのだが……。どうだろうな」
話を終えると、アルカは徐に立ち上がる。
「さて、私が言うべきことは全て言った」
そのまま玄関の方へ立ち去ろうとするのを、ハザクラが前に立ちはだかって制止させる。
「まだ一つ、話していないことがあるだろう」
「ああ。ガルーダの同行者のことだな?」
アルカは首を傾け微笑み、他人事かのように思案する。
「んー……。私から言ってもいいが……、それは私が言うべきことか、と言われると……疑問だな」
「……話してくれ」
「さあ、どうしようかな。どうする? ラプー」
そう話を振られ、部屋の隅に座り込んでいたラプーが立ち上がる。
「んあ、オレが話す」
「ダメッ!!!」
声を発そうとしたラプーを、イチルギが正面から抱きしめ止める。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!!! 私が、私が話すから……!!!」
「……んあ」
イチルギはゆっくりと立ち上がり、振り返って皆の方を向く。
しかし、目線が地を這うばかりで一向に口を開こうとはしない。聡明な彼女には到底似つかわしくない、姑息な言い訳を考えるような幼稚で愚かな姿。
ハザクラは意を決して自分から名前を呼んだ。
「イチルギ」
イチルギがびくりと震える。眼は痙攣し、噛み締めた歯の奥からは「言わないで」と声が聞こえてきるような気さえした。それでも、ハザクラは何とか声を絞り出す。追い詰めるためではなく、真に彼女に寄り添うために。
「俺は、村の人間から“魔人神話”について聞いた」
イチルギの呼吸が荒くなり、汗が滝のように流れ始める。
「世間に広まっている魔人神話だが、そこに登場する神に名前はない。しかし、ここの村人たちは神の名を知っていた。俺が思うに、勝手に名付けた独自のものではない。恐らくは、ここが本流。或いは、他の魔人神話が意図的に改竄されている」
ハザクラの頭の中で、イチルギの「やめて」と言う幻聴が強く鳴り響く。
「村人は言った。星の魔人、山の神様が、“カザン”。時の女神、空の神様が、“ゼファー”。人の魔人、生命の神様が、“エグアドラ”……そして……それらを統べる大神様が、“ラプー”……これについて、説明を」
長い沈黙が訪れる。
「リン・カザン」
声を発したのは、ソファに寝っ転がっていたハピネスだった。
「エグアドラ・クアッドホッパー。ゼファー・クリープランド」
ハピネスは仰向けのまま言葉を続ける。
「フォービアス・ヒューレッツェル・ラプー」
気怠そうに上体を起こし、猫背のまま首だけをハザクラに向ける。
「200年前、世界を滅ぼした大戦争を止めた4人の名前だ。」




