214話 積年の呪い
〜キュリオの里 北方 山の麓〜
鉄棍棒による殴打を受け、ジャハルはその場に倒れ込む。常時発動していた強化魔法のお陰で大したダメージにはなっていないが、それでもジャハルは倒れ込んで気を失ったフリをするしか無かった。薄目の端でレシャロワークが倒れ込むのが見える。そして、脳裏にダンタカの言葉が過ぎる。
「この村全てが私の子であり、伴侶であり、家なのだ。彼等が傷つくことがあれば、それは私にとって画面の向こうのニュースじゃない。私の家族に手出しをしようものなら、旧友とて容赦はしないぞ」
一体どこまでがダンタカの許容範囲内だろうか。イチルギの態度を見るに、ダンタカは相当な実力者だ。何せ、ラプーを古くから知っている上で啖呵を切って見せた。全治の異能者相手に、加えて使奴数人相手に、互角以上に渡り合える自信があるのだろう。ダンタカの怒りを買えば、恐らく仲間の半数は無事では済まないだろう。
村人を傷付けず、穏便に退けなければならない。しかし、時間ももう残されていない。
村人の1人が、小刀を手に近付いてくる。ジャハルは、山で仕留められた裸の男が脳に刃を突き立てられた時のことを思い出す。脳を破壊されては、使奴やラデックによる蘇生は絶望的だろう。
時間がない。
「お、おい……あれ……!!」
「あ? ひっ……!!」
「く……熊だ!!!」
ジャハルの発動した幻覚魔法が、村人達が最も恐れる野生動物の姿を映し出す。銀色の体毛に、赤褐色の荒い縞模様。主に雪山を中心に生息する平均体重500kgを超える超大型の熊、ボーダーグリズリーである。
「逃げ、逃げろ!!!」
「逃げろぉーっ!!!」
「ひぃっ!! ひぃっ!!!」
村人達は一目散に逃げ出す。幻覚の熊は雄叫びを上げ、巨躯を震わせ走り出す。村人達は一斉に坂を下り、ダンタカを呼ぼうと逃げ惑う。しかしボーダーグリズリーの最高速度は時速80km。500kgの巨体からは想像もつかない速度で雪山を駆ける。
「たすっ、助けっ!!!」
そして逃げ遅れた村人に飛びかかろうとした瞬間、横から別の男が杖で熊の側頭部を薙ぎ払った。
「下らん。子供騙しだ」
熊は反魔法を浴びて煙のように消え去る。男は深く被っていた笠を持ち上げ素顔を見せる。それは、山に立ち入った時ジャハル達の案内をしていた男だった。
「一度ならず二度までも、よくも騙してくれたな」
「……嘘をついたことは謝罪する。だが、どうか我々の話を聞いてほしい。貴方達がお恵みと称する人間達は、恐らく貴方達が思うような存在ではないんだ!」
「黙れ。部外者が軽々に口を出すな」
男は杖を刀のように腰に構え、ジャハルに向かって突進を始める。それを迎え撃とうとジャハルが背負った大剣を振り抜くと、男が急停止して雪を蹴り上げる。
「わぷっ!」
顔面に雪をひっかけられたジャハルが怯んだ隙に、男が浮遊魔法を放つ。重力から脱した雪はジャハルの体温で溶けて表面張力で張り付き、鼻と口を覆い始める。
男の居合斬りがジャハルの腹部に命中する。波導を纏った杖による斬撃は肉を裂き、負の波導でジャハルが無意識に発動した回復魔法を変質させる。
ジャハルは大剣を斬り上げと共に上空に放り投げてから雷魔法を発動し、男と自身に落雷を打ち込む。自分に落ちてきた雷は腹部に集めて傷口を炙り、肉を焦がして出血を止める。不意に感電した男の動きは止まり、遅れて落下してきた大剣が足を斬りつける。そして大剣が紫色に発光し、拘束魔法による檻を吐き出し男を閉じ込める。
「そんなものか」
男はジャハルの大剣の柄を握り、即興で術式を書き換える。男を閉じ込めていた檻がぐにゃりと変形し、歪な鎧の形になって男を覆う。
「書き換えた……!? 高位の魔法を一瞬で……!?」
「この術はパドロク式の転用だろう? やはり子供騙し、半可通の浅知恵だ」
ジャハルは言うまでもなく強者である。人道主義自己防衛軍を代表する戦士であり、生まれながらにしてベルの教育下にあった。
だが、要素だけ抜き出せば、この男も同じ。キュリオの里を代表する戦士であり、生まれながらにしてダンタカの教育下にある。
「いいか流浪者。奇策とは、こうやるのだ」
男が大剣を放り捨て、杖を地面に突き刺し詠唱を始める。ジャハルは既知の術式の波導を感じ、打ち消そうと反魔法を展開する。だが、男の発動した魔法はジャハルの放った術式をも飲み込み、2人分の魔力を吸収して高位の幻影魔法の龍を生み出した。
男が踏み込み杖で斬りかかる。同時に龍が実体と虚像を織り交ぜた光弾を放つ。避けるので精一杯になったジャハルが堪らず後退すると、魔法で隠れていた別の村人が槍を突き刺した。
「がっ――――!!」
怯んだジャハルの胸元に、男が杖の鋒を捩じ込む。
「こんな簡単な騙し打ちも、舌先三寸で有効打になり得る。勝負事は過程ではなく結果だ。何でも工夫しただけ良質なものになるとでも思ったか? お利口さんの考えそうなことだ」
「……ぐっ」
「ああ、そうだ。助けなど期待するなよ。他の連中も、山へ入った者は皆罰を下す。仲間も同罪だ。誰一人生きて返はしない」
恥と悔しさを噛み締めながら、ジャハルの意識が遠のいていく。痛みは鈍く和らぎ、耳鳴りが全ての音を掻き消していく。訓練生時代に幾度となく味わった、命を手放す感覚。
しかし、今回は少し様子が違う。耳鳴りは波のように強弱をつけ、鈍い痛みの上から突き刺すような痛みが意識を刺激する。脱力感を上書きする手足の痙攣。そして激しく込み上げる吐き気に、瀕死だったジャハルは朦朧としていた意識を覚醒して咳き込んだ。
「げほっ!! げほっ!! がはっ!!」
追撃を警戒して即座に顔を上げる。だが、咳き込んでいるのは自分だけではなかった。
「がはっ……!! な、なん……だ……!?」
「ゲホッ!! ゲホッ!! く、苦し……!!」
「ぐっ……!! がはっ……!!」
村人達全員が、意識を失っていたであろうレシャロワークまでもが、同様に咳き込み倒れ込んでいる。苦しみの咽び声だけが漂う中、遠くから暢気な女の声が響く。
「らぁ〜……。やっぱり、とっちゃも喰っちまったのね」
村人達が、そしてジャハルとレシャロワークも、声のする方に目を向ける。そこには、村の手前で出会った牧場主の女性、チャシュパが大斧を手に佇んでいた。
「チャ、チャシュパ……!?」
「貴様……!! 今更何の用だ……!!」
チャシュパは冷めた目つきで村人を見る。
「さっき、言ってたでしょ。山へ入った者は皆罰を下す。誰一人生きて返はしない……」
「それが、村の掟だっ……!! ゲホッ……!!」
「それで、とっちゃも……」
「ゲホッ……ゲホッ……。悪いのはお前の親父だ!!! 勝手に山に入り……!!! 神を愚弄した!!!」
「……だから、喰っちまったのね?」
村人の咆哮に続き、他の村人も咳き込みながら言い返す。
「そうだ!! お前の父親は掟を破った!! そのせいで、お恵みは余計に来なくなった!!」
「カザン様を怒らせた!! 他所者のお前達が勝手なことをしたせいで!!」
「掟が守れないなら、村から出て行け他所者!!」
チャシュパは一方的に怒鳴られつつも、決して感情を昂らせることなく呟くように答える。
「レシャロワークさん、ジャハルさん、ごめんねぇ。巻き込むつもりはなかったのよぉ〜……。ちょんとだけ、我慢しててねぇ……」
チャシュパの全身から波導が流れ出す。とても常人とは思えないほど濃く、澱んだ魔力が。
「チャシュパ!! 貴様何のつもりだ!! 仇討ちのつもりか!? 被害者は俺たちだぞ!!」
「悪ぃのはおめぇの親父だろうが!! おいチャシュパ!!」
村の周囲から、空から、大地から、チャシュパの波導が流れ込む。村を囲っていたであろう気付けないほど薄かった波導が、徐々に濃くなって滞留していく。その濃度からして、複雑さからして、昨日今日で拵えた術式ではない。
「らぁ〜……。キブチに、村の文化に文句は言うつもりはないのね……」
魔学に明るい者なら、この呪術を受けただけで術者の苦労が手に取るようにわかるだろう。日に何度も、違う場所で、米粒に文字を書き込むような思いで術式を構築したのだろう、と。それを毎日、何週間、何ヶ月、何年も、欠かさずに、丁寧に、丹念に続けた。並々ならぬ意志で編み込まれた、大樹のように頑強で、緻密で、勇ましい、煮え滾る愛憎入り混じる術式。
「とっちゃも言ってた。郷に入らば郷に従え……、人の文化に、他所者が文句言うのは良くないって……」
使奴であるナハルでさえ実態を間違えた程の、複雑極まりない難解な呪術。これはビンドウのような受け身な罠ではなく、巻き網漁のような一網打尽を狙う殲滅用の殺戮呪術。未活性状態の境界線を通過した者を対象とし、活性化して徐々に狭まる呪術結界の境界に近づけば近づくほど苦しむ変則的な混乱魔法の類。
「な、ならばっ……!! ゲホッ!! ゲホッ!! 何故こんなことをっ……!!」
「らぁ〜……とっちゃ喰っちったのは仕方ないのね……。とっちゃも、山に入るのはダメって知ってたのね……でも……」
仕組みを逆算して魔法を無効化する反魔法では到底防げない。非効率的で無軌道な呪術だからこそできる、苦しみを長引かせるだけの拷問魔法。
「あんたらも……山の方から来たなぁ」
チャシュパの放った睡眠呪術によって、ジャハルとレシャロワークだけがそこで意識を手放した。




