213話 不運
この世に生まれてきた意味とは?
何とも陳腐で愚かな問いだ。こんなことを考える奴は、毎日が暇で仕方のない無価値で怠惰な人間だろう。だが驚いたことに、この問いに頭を悩ませ一生を終える賢人も少なくないという。タチの悪い感染症のようなものなのかもしれない。
この問いの答えは至って簡単だ。何人も、この世に生まれてきた意味など無い。
そも意味と言うのが人間本位で傲慢な考え方だ。実存は本質に先立つ。高々数十万年程度の歴史しか持たない、少し賢いだけの猿が、生命程度に特別な意味を見出そうとするなど愚行中の愚行だ。
お前らに生まれた意味があるなら、犬や猫にもあるのか? 鼠や貝にもか? ミジンコにもか? 菌にもか? そこに差はあるのか? 考えるだけ無駄だ。馬鹿馬鹿しい。
私も、お前らも、何人も、生まれてきた意味など無い。生まれてきた意味など無い故に、当然死に意味も無い。そして愚かなお前らは私という不運に遭遇した時、何の意味もなく死ぬ。
生まれてきたばかりだとか、妊娠しているだとか、明日にでも死にそうだとか、努力が報われたばっかりだとか、不幸ばかりの人生を送ってきたとか、誰からも好かれる善人だとか、極悪人だとか、誰の息子だとか、誰の母親だとか、どの宗教だとか、どの人種だとか。そう言うものは一切関係無い。私が気紛れに斧を投げた先に、お前がいれば死ぬ。
「これを聞いてどう思うかは自由だ。別にこの行為に正当性だとか、使命だとか信念だとかの思想は抱いていない。私はこの行いに意味が無いことを知っている。故に、続ける意味も、続けぬ意味も無い。ただ私がそうしたいからそうしている」
ガルーダが足元に広がる粘液の中に転がっている肉塊の一つを踏み潰すと、肉塊が劈く金切り声を上げる。ゾウラはガルーダの目をまっすぐ見つめて率直に反論した。
「そういうことはしてはいけないと教わりました。自分がどう思うかではなく、常識の中でタブーとされていることはしてはいけないと」
「それはお前達が人間で、生命に何かしら特別な感情を抱いているからだろう? 私はそうではないと言うだけだ」
「使奴も人間です」
「私はそうは思わない。だが、仮に私が人間でも同じことだ。常識の恩恵を受けたいなら、その教えに従えばいい。どうせお前らはひとりでは生きていけないのだから。だが私にはお前らに歩み寄る益がない。どうせお前ら人間が絶滅したところで、私の余生には何の影響もないのだからな」
「……でも、それならどうしてガルーダさんは人間しか殺さないんですか?」
ゾウラの素朴な問いに、ガルーダは気を惹かれて外しかけていた視線を戻す。
「全ての命に意味が無いなら、動物も同じように殺したりしているのでしょうか? それこそ菌とか、植物とかも」
「案外いい問いをするな。お前」
「ありがとうございます!」
「察しの通り、私は主に人間しか殺さない。それは人間だけが無意味な死を遠ざけているからだ」
「どういうことですか?」
「文明という盾によって、不運を遠ざけている。避雷針は落雷を受け流し、堤防は津波を打ち消し、医者は病を取り除く。飢えを凌ぎ、獣害を制御し、同族同士の殺し合いにも規則を設けて根絶を図っている。その結果、旧文明の世界人口は100億に迫る勢いだった」
「100億!? すごいですね!」
「私にはそれが気に入らない。だから私は、文明では防げぬ不運として歩むことにした。その方が、じっとしているより気分がいいからな」
「はぁ……」
「うーん。なるほどねぇ」
ゾウラの後ろで口を噤んでいたレシャロワークが、顎を摩りながらウンウンと頷く。
「……喋るなと言ったはずだが?」
「いやあ分かりますよガルーダさん。つまりは、ガルーダさんにとってこの世界はゲームみたいなものなんですよねぇ? 自分も“モン狩”の周回とかしますけどぉ、ゲーム内の生態系云々は気にしたことないしぃ、どっちかって言うと「自分が上位種狩りまくったせいで小型モンス鬼繁殖してそうでワロタ」くらいにしか思ってませんしぃ。NPCボコれるシステムがあれば意味もなく村人に八つ当たりしますしぃ。ああ、RPGなら家探しはマストですよねぇ」
「…………極めて不愉快な類推だが、まあ概ね当たっている。お前にとってのゲーム世界くらい、私にとってこの世はどうでもいい世界だ。後で縦に裂いてやる」
「勘弁勘弁。それに、自分みたいな有益NPCは利用した方がお得ですよぉ」
「有益……? 害悪そのものでしかないが? どうせお前の異能は未来予知ではないのだろう?」
「確かに自分の異能は空想ですけどぉ、そこじゃなくてぇ。自分がラルバさん達の仲間だってことですよぉ。あ、いや、仲間は言い過ぎたか? 人質? ペット? まあそんなん」
「ラルバ? 知らない奴だな」
「悪者殺すのが趣味の使奴でぇす。あとイチルギさんとかぁ、他の使奴も何人か。あとハザクラさんねぇ。みんなガルーダさんを結構恨んでるみたいですよぉ。こればっかしは無視できないんじゃないですかぁ? そこでぇ、このレシャロワークちゃんがいい感じにスパイになってあげようかなぁと。悪い話じゃないでしょぉ?」
「断る」
「何でぇ!!」
「戦力は間に合っているし、どうせ私も無意味に死ぬ命のひとつだ。まあ抵抗はするがな」
「そっかぁ。じゃあこの話はナシで」
「話はそれだけか? じゃあ、裂くぞ」
「勘弁勘弁」
そこへ、部屋の奥から足音が聞こえてきた。3人が音の方向を向くと、ひとりの男が姿を現した。
跳ねっ気のある明るい橙色の髪を腰まで伸ばし、暗い色のコートに身を包んだ人間の男。彼は無表情のままこちらに目を向け立ち止まった。
「あ、ひょってして、あなたがカザンさんですか?」
ゾウラが駆け寄ろうとした瞬間、ガルーダがゾウラに足をかけて転ばせる。ゾウラは咄嗟に受け身を取るが、レシャロワーク共々拘束魔法によってその場に縛り付けられた。
「運が良かったな。不運から生き延びたことを喜ぶといい」
ガルーダは足早に暗闇へと消えていく。カザンはレシャロワーク達を冷たく一瞥した後、ガルーダの後に続き姿を消した。
それから間も無く、別の出入り口から聞き覚えのある声と足音が聞こえてくる。
「――――ーー、――――……な、レシャロワーク? ゾウラ!?」
先頭にいたハザクラが、慌てて拘束されている2人に駆け寄り拘束を解く。そして、後ろをついてきていた毛皮一枚羽織っただけの男に指示を出す。
「――――! ――――、ーー!」
「ーー? ――――!」
男はすぐさま踵を返し走り去って行く。ゾウラは頭をブンブンと回転させて髪についた汚れを振り払い、ハザクラに笑いかけた。
「ハザクラさん! ありがとうございます!」
「無事で良かった……。どうしてこんなところに? ダンタカの家で待っていなかったのか?」
「レシャロワークさんと朝早く探検に来たんです!」
「本当に勘弁して欲しい」
ハザクラは深い溜息をつく。それから、背後から慌ててジャハルとデクスが走ってきた。その後ろには、先程ゾウラ達が遭遇した人間達も全員揃っている。
「ゾウラ! レシャロワーク! 無事か!?」
「おいおいふざけんなよゾウラ! テメーが死んだらあのバケモンが暴れるだろうが!」
「ごめんなさい!」
ハザクラは再び深く息を吸い、落ち着いた声色でゾウラに尋ねる。
「カガチは一緒じゃないのか?」
「ダンタカさんを見張ると言っていました。ここへは来ていませんよ?」
「……そうか。次から使奴の元を離れる時は誰かに行き先を……いや、違うな……。おい、レシャロワーク」
「何ですかぁ! 自分が悪いって言うんですかぁ!」
「そうだ。いなくなるなら書き置きの一つでもしろ」
「急に探検って言われてこんな山奥まで来ると思わないでしょぉ! 自分は何度も帰ろうって言いましたぁ! て言うか自分誘拐されてここにいるの分かってますぅ!? 配慮するのはそっちなんですけどぉ!?」
「……それはラルバに言え」
「それを制御するのがハザクラさんの仕事でしょぉ! はい論破ぁ! レスバうんちぃ! ざーこざーこ!」
ハザクラはレシャロワークに拘束魔法をかけ直し、足元に散らばる粘液と固形物の方へ目を向ける。
「これは……肉片か……?」
視線を這わせ、粘液を吹き出したであろう機械の方に目を向ける。そしてゆっくりと近づき、機体の型番を指でなぞる。
ハザクラが機械の方を調べている間、ゾウラがジャハルとデクスに尋ねる。
「皆さんはどうしてここへ?」
「え? あ、ああ。村人の案内で入山したんだが、その、説明が難しいな……」
「素っ裸の人間ぶっ殺して死体持って来いとよ」
「うわぁ! もう少し濁せ!」
「濁してどーすんだよ」
「ゾウラはまだ16歳なんだぞ!?」
「それが何だってんだよ」
「先日17になりました!」
ジャハルは頭を抱え腰を屈める。デクスは溜息と共に一瞥し、ゾウラの方に顔を向ける。
「里で食ってる人間達っつーのは、あいつらのことらしーぜ。さっきもひとり撃ち殺された。で、ハザクラ曰く人造人間じゃねえかってさ」
「人造人間? 水の街にいたエンドさんみたいな感じでしょうか?」
「さあな。ただ、この寒さでも顔色ひとつ変えねー。凍傷どころか、素足で凍った枝を踏んでも傷一つ付かない皮膚。明らかに人外だとさ」
「すごいです! 人造人間なんて私初めて見ました!」
「使奴がいるだろ」
「……そう言えばそうですね!」
精神的な頭痛から復帰したジャハルが、今度はゾウラの方に尋ねる。
「それで、ゾウラ。ここで何があったんだ? 誰に拘束されていたんだ」
「あっ! そうでした! 私、ガルーダさんに会ったんですよ! カザンさんにも!」
「――――えっ?」
ゾウラの言葉に、ジャハルとデクス、そしてハザクラは目の色を変える。
「ガルーダって、あの、通り魔か……!?」
「そいつらは今どこにいんだ?」
「機械を壊して私たちを拘束した後、カザンさんと2人でどこかに行ってしまいました」
「機械を壊した? ガルーダが?」
「はい。200年近くメンテナンスをし続けてきたけど、もう必要無くなったって」
「あぁ? どういう意味だ?」
機械を調べ終えたハザクラが、眉間に皺を寄せたままゾウラ達の方へ歩いてくる。
「……先に戻っていてくれ。俺は少し、やることがある」
〜キュリオの里 北方 山の麓〜
ハザクラ1人残し下山を始めたジャハル達。日は傾きかけ、山は錫色の雪と鉛色の空に包まれている。無彩色の中4人は足並みを揃え、雪の軋む音と共に帰り道を辿る。
「――――つーわけでぇ、まあムッチャ大変だったって話ですよぉ」
「そうか……。しかし、よくガルーダ相手に会話ができたな。彼女の振る舞いからして、出会えば即座に殺されそうなものだが……」
「そこはゾウラさんのお手柄ですねぇ。なんかいい感じに質問が1クリしたっぽい」
「……よく分からないな」
レシャロワークが自身の異能を秘匿にしたまま話したため多少怪しくなった経緯に、ジャハルは首と耳を同時に傾ける。
「幸運の異能者か……。だとしたら、狙って先回りをするのは難しそうだな」
「折角のシンボルエンカなのに遭遇率低いとか、色厳選してる気分ですねぇ」
「さっきからちょくちょく理解できない言葉があるんだが、ゲーム用語か?」
「うん」
「一部の人間にしか伝わらない言葉を使うな!」
「それは自分が万人に思ってることなんでぇ。相容れないですねぇ」
レシャロワークのせいでくだらない言い争いになった話の途中、デクスが唐突に足を止めた。
「デクスは急用を思い出した。ゾウラ、手伝え」
「はい!」
ゾウラは元気よくデクスの元へ走って行く。不自然極まりない申し出を不審がったジャハルがデクスに話しかける。
「私達も手伝おう」
「いらん。さっさと行け」
「どうした急に。急用って何だ?」
「さあな。歩きながら考えろ」
「え、ええ……?」
険悪な表情で手の甲を振って見せるデクスに、半ば追い払われる形でジャハルとレシャロワークは歩き出した。
「一体何なんだ……。何か気に障ることでもしただろうか……」
「うーん……うーん……」
「どうしたレシャロワーク。腹でも痛いのか?」
「いやぁ……うーん……チェックポイント無しでロード入るの苦しいなぁと」
「だから、私にも分かるように言ってくれ」
「じゃあ帰ったらケモ牧2をやりましょう。ね」
「何でそうなる」
「宗教上の理由」
話の通じないレシャロワークを無視し、ジャハルは先頭を歩きながら独り言つ。
「デクスは頭の良い男だ。勘も良いし、何か訳あっての行動だろう」
しかし、ジャハルの推測は真実に辿り着かない。
「戦力の分散が目的か? だとしたらハザクラを奥地に1人残すはずがないか……私が気付かない何かが――――」
回数こそ多くないものの、ジャハルはラデックやシスターから苦言を呈されることが多い。しかしそれはジャハルが人道主義自己防衛軍人であることに起因しており、本人の過失ではない。
人道主義自己防衛軍ではゴミを分別したり食事を完食する美徳の文化がないため、こうして他者の反感を買うことがままある。
しかし、ジャハル自身もこのことは客観的に理解しており普段から注意深く行動しているため、他の人道主義自己防衛軍人より相当振る舞いは良く見えている。だが、人道主義自己防衛軍は宗教色が薄く禁忌的行為が少ない故に、彼女と外国人の間には大きな認識のズレがある。
実際、ラデックがジャハルのゴミの処理の仕方を見た時の違和感や、ジャハルの食べ残しをシスターが見た時の嫌悪感は、ジャハル自身が想定しているものよりもずっと深く大きい。そしてその気持ちを、ジャハルは未だ学べずにいる。
「あ、ジャハルさん、村の門見えてきましたよぉ」
「道中は何も無かったな。ひとまずラルバ達と合流するか」
そして今も、気付いていない。自分の犯した禁忌に。相手の文化を軽んじていたことに。
「おん? お出迎えですかねぇ? 人いっぱい」
「死体を持ってこいと言われていたからな。私から見つけられなかったと言っておこう」
ジャハルは出迎えにきた村人の前に出て頭を下げる。
「すみません、約束の“お恵み”ですが、見つけられませんでした。また明日探しに出てもよろしいでしょうか」
「…………アンタ、今」
背後から気配。ジャハルが咄嗟に振り向くと、額を鉄棍棒で殴打され激痛が走る。
「山の方から来たなぁ」
耐え難い痛みの中、ジャハルは思い出した。
部外者が山へ立ち入るのは禁忌。そして、山から来た訪問者は、お恵みとして食される。




