209話 憶測と真実
〜キュリオの里 ダンタカの家〜
赤子を抱いてソファに深く腰かける黒髪青眼の使奴を、イチルギはアルカと呼んだ。
「アルカ……どうしてここに? ダンタカって、あなたのこと?」
「アルカ、ケンシュト、ヴァーツ、ダンタカ……。まあどうとでも呼べ。永く生きていると、それなりに呼び名も増える」
「普通は増えないわよ……」
イチルギはダンタカのことを警戒しつつも紹介を引き継いだ。
「アルカ……ダンタカは沈黙派の使奴よ。早くに行方不明になったけど、180年前くらいまでは私達のことを手伝ってくれていたの。怒らせなければ危険は無いわ」
「くっ……はははっ……! 怒らせなければ? お前のような無頼者が、よくも人のことを言えたものだ」
「昔の話でしょ! ちゃんとしてる時期の方がずっと長いから!」
「お前ら聞け。このイチルギとか言う偽善女はな、その昔はまあ気に食わない人間を拳で黙らせていたのだぞ」
「“昔”はね!!」
ラルバがラデックボソリと呟く。
「割と今もじゃない?」
「割と今もだと思う」
イチルギは今し方握りしめた拳骨を緩める。
「そう言うダンタカも、随分丸くなったわね。その子、あなたの子?」
「うむ。名を“ケリャク”と言う。抱いてみるか?」
「いいの?」
「お前も流石に赤子には手を上げんだろう。ほら」
「当たり前でしょ……。うわー可愛い! 旦那さんは?」
「さあ……村の若い衆の誰かだろうな」
「た、爛れている……!」
今日1番の困惑の表情を見せるイチルギ。しかしダンタカはまるで気にすることなくラルバ達を見回す。
「しかし、また性懲りもせず世直し旅とは。よほどその男に入れ揚げているのだな」
ダンタカがラプーに目を向けると、イチルギはラプーを庇うように立って睨み返す。
「やめてダンタカ。何も知らないくせに」
「ふむ。それもそうだ。今の悪態は撤回しよう」
拍子抜けするほどの平謝りに、イチルギは苛立ちよりも疑問を膨らませた。
「……本当に丸くなったわね。家庭を持ったせい?」
「それもあるだろうな。昔は喜びも何も感じることはなかったが、今は家族のために働くことが喜びだ」
「……そう。ねえダンタカ、もし考えが改まったのなら――――」
「家族のために、ねぇ〜」
イチルギの声を遮って、ニヤニヤと笑うラルバがわざとらしく横槍を入れる。
「ねぇ〜ダンタカさぁん。その家族のためっつーの? 家族がもしも“とんでもない悪党”だったとしても貫けたりすんの?」
「何が言いたい」
「知らないとは言わせないぜ。“キブチ”のことを」
ラルバの口から放たれた禁句に、ダンタカは眉ひとつ動かさない。しかしそれは使奴の胆力による辛抱ではない。
「無論、知っている。稀人信仰のフリをした人喰いの邪教だろう?」
一切の躊躇いなく言い切ったダンタカに、ラルバは虚を突かれて反応をが遅れる。
「知りたいなら教えてやる。どうせ使奴相手に里の者が隠し通せるものでもないしな」
私がこの村に来たのは、今から130年前。その頃には既にこの信仰は存在した。起源は詳しく知らない。山に祈りを捧げるだけの平和的な側面の内側にあったのが、キブチの本質。人喰いの儀式だ。
山からやってきた“人間”を、狩猟し、解体し、村の者で分け合い食す。キブチに於いては、この食人行為が最も肝要。彼等がする山へ祈りは、実際は人間を山から放っている何かしらの超常存在への祈りだ。キブチは山岳信仰でも稀人信仰でもない。精霊信仰に近いかもな。
食人行為はこの地ではそこそこ意味があった。牛もトナカイも死に絶えるような極寒の時期も、山から来る人間は途絶えなかった。奴らはこの村の貴重な食糧だった。今でこそ安定した農業を行えてはいるが、それまで村を生かしたのは紛れもなく山から来た人間達だ。
それから今現在まで、食人行為は継続して行われている。これは最早食材としての価値云々ではなく、先人の教えに従う常識的な行為とされている。
「寧ろ、彼等の中ではキブチに従わぬ者こそが悪。神を冒涜する破戒者を、彼等は決して赦しはしない。……教えに従わない者を敵視し裁くのは、どこの国でも同じだろう?」
彼女が語ったのは、デラックス・ピザのサラミが語った内容とほぼ同じものだった。しかし、彼女は当事者であり村の住人。事情をよく知る人物。その彼女が語ったことで、憶測が真実になった。
最初に口を開いたのはイチルギだった。
「ダンタカ……。貴方は善人ではないけれど、決して悪人ではなかったわ」
「どの口が言うか、イチルギ。お前が善悪を語れる立場か?」
「でも……貴方は沈黙派の使奴だった。人類復興に力を貸してくれた。貴方が怪我人の治療を寝ずに手伝ってくれたこと、汚染された地区の浄化、避難所の建設、補給路の整備に、狼王堂放送局の立ち上げまで手伝ってくれた……本当に頭が上がらない」
「そうだな。ヴァルガンにお前の分まで手伝わされた」
イチルギは力強く訴える。
「そんな貴方が!! どうしてキブチをずっと野放しにしているの!? ここに昔から住んでいたなら!! 穏便な根絶だってできたはず!! それを、どうして――――!!」
憤慨に声を荒らげるイチルギに、ダンタカはまるで興味なさそうに視線を外して答える。
「私は正義の味方ではない。私は、私が守りたいものの味方だ」
「それがこの人喰いの村だって言うの……!?」
「たかが食人如きでぎゃあぎゃあと喚くな。トナカイを捕まえて食うのと何が違う」
「タブーもタブーでしょ!? この文化が表沙汰になれば、この村はマトモに暮らしていけなくなる!」
「表沙汰にするのか? お前らが? ああ、なんて酷いやつなんだ」
「そうじゃない! 隠し通すのは無理って話よ! それに、食べるってことは、殺人も犯してるってことでしょ……!?」
「それがどうかしたか? もしかして、私が少し見ない間に世界から殺人事件は根絶されたのか?」
「ダンタカ……!! 貴方、自分の言ってることが分かってるの……!?」
「それはこっちの台詞だイチルギ。お前は昔の方が物分かりが良かった。……いや、嘘吐きになったと言うべきか。……殺人事件など、大した害悪ではないだろう」
「本気で言っているの……!?」
「当然。お前達もそうだろう? 殺人事件、爆破テロ、紛争、殺戮。そんな凄惨な事件をテレビの画面越しに眺めながら、暢気に朝飯を食えるだろう。「ああ、惨たらしいね」なんて口では言っておきながら、数秒後には飽食に現を抜かすだろう。そのくせ、高々愛玩動物の四つ足や鳥類が倒れた死んだだの如きで、酷く狼狽し涙を流し床に伏す。人間と言うのはそういう生き物だろう」
イチルギの腕の中で、赤ん坊が大声で泣き始める。それから彼女は顔を伏せて押し黙り、赤ん坊を撫でる。しかし、そこへダンタカは我が子の心配すらせず追い打ちをかけるように言い放つ。
「イチルギ、私はここで永く暮らしてきた。最早、この村は私の子孫のみで構成されている。あ、近親相姦も常識じゃタブーか? まあ使奴には関係ないか。この村全てが私の子であり、伴侶であり、家なのだ。彼等が傷つくことがあれば、それは私にとって画面の向こうのニュースじゃない。私の家族に手出しをしようものなら、旧友とて容赦はしないぞ」
ダンタカに睨まれて尚、イチルギは力強く睨み返している。しかし、食い縛った歯と握り込んだ拳はわなわなと震えるばかりで、何かをダンタカに示そうとはしない。
そこへラルバが割って入り、ソファに座るダンタカを嘲笑するように見下ろす。
「いや〜ダンタカさぁん。アンタの言い分はよく分かった。そりゃあもう、これ以上ないってくらいに。見上げた家族愛だよ。マジでキモい」
「何だお前は。イチルギの隣には似つかわしくない悪人面だな」
2人は互いに睨み合い、わざとらしく敵意を押し付け合う。
「でもさ〜。ウチら、一応世直しご一行なんだよね〜。キショい邪教は潰さなきゃ」
「その邪教と言うのは、お前のような悍馬が英雄を気取ることか? 確かに度し難い」
「こんな僻地の限界集落、どうせ文明の発展には寄与しないでしょ? 世界人口には換算しなくていいよね」
「苦手なのは算数と社会科のどちらだ? いずれにせよ、不出来な廃棄品に変わりはないな」
「うんうん、不出来な廃棄品はさっさと捨てなきゃ。人間って燃えるゴミ? 雪崩でみんな埋めちゃえばどっちでもいいよね」
「使奴を壊した場合は器物破損で済みそうだ。鳥獣保護法にすら抵触しまい。ああでも……」
ダンタカは視線をラデックに移す。
「な、なんだ?」
「……飼い主には人権があるのか。まあ今更、人殺し程度気にはしないが」
今度はシスターがダンタカの前に立ち、ラデックを庇う。
「気にしてください。そこの英雄気取りの悍馬がどうなろうと知ったことではありませんが……」
「ちょっとシスターちゃーん? 気にしてー?」
「他は私の仲間です。どうかご勘弁願えませんか」
使奴相手に物申して来たシスターのあまりに豪胆な態度に、ダンタカは少し困惑して首を捻る。それからイチルギをチラリと見て、嘲笑うように鼻を鳴らした。ダンタカはイチルギの腕から我が子を抱き上げ、黙って階段を上がっていく。
「お前たちは村の客人だ。害するつもりは毛頭ない。大人しく過ごし、大人しく出ていくならば、何も文句は言わない。家の物は好きに使うといい」
3階の部屋の扉を開け、吹き抜けからリビングの一行を見下ろして一言だけ言い残す。
「いい仲間を持ったな、イチルギ。そんな素晴らしい仲間を騙し続けるのはどんな気持ちだ?」
彼女が部屋に入り扉を閉めると同時に、不自然に波導が揺らぐ。
暫しの沈黙の後、ナハルが口を開いた。
「虚構拡張……ほどではないが、かなり厚めの結界だな。向こうからもこっちからも音は聞こえないだろう。気を遣ってくれたのか?」
バリアが訝しげに答える。
「どっちかって言うと、巻き込むなって言う拒絶の現れでしょ。気持ちは分かる」
そしてジロリとイチルギを睨んだ。
「正直、私もラルバも、多分ハピネスも、世界ギルドを出てからずっと我慢してるよ。イチルギ」
イチルギはビクッと身を震わせる。しかし、お構いなしにバリアは責めるように続ける。
「内容までは分からなくとも、後ろめたい事情があるのはずっと感じてるよ。隠し事が多いのは結構だけど、ハザクラを裏切るようなことを企んでるなら、私も容赦しないよ。遅かれ早かれ争うって言うなら、今ここでヤり合ってもいいけど、どうする?」
「先生、やめて下さい」
ハザクラはバリアの前に出てイチルギを庇う。
「確かに多くの事情があるとは思いますが、イチルギは使奴解放のきっかけになってくれました。彼女が使奴研究所に工作をしてくれなければ、俺達は今でも囚われのままでした。彼女は俺達の味方です。どんなことがあろうとも」
「それが善意だったって根拠は?」
「え?」
思わぬ指摘に、ハザクラは言葉を失う。
「仲間を救おうとする善意でも、復讐心からの逆意でも、ラルバみたいな害意でも、ハザクラを含めた使奴に関わった者達への敵意でも、全ての破滅を望む自暴自棄な悪意でも……使奴の解放自体は手段としておかしくないよ」
「そんな、わけ」
狼狽するハザクラに、イチルギからの反論はない。
「ねえイチルギ。イチルギは世界にどうなって欲しいの? ハザクラに何を期待してるの? 何のために私達を解放して、ラプーやヴァルガンの仲間になったの?」
イチルギは答えない。言葉を探している、と言うよりは、言うべきか言わざるべきかという決断への迷い。そして、バリアの頭上から勢いよく拳骨が振り下ろされる。
「だっ」
「ばっかも〜ん! 今責め立ててどーすんのっ!!」
ラルバがバキバキに折れた指で何度もバリアを引っ叩く。
「こう言うのは! 取り返しがつかなくなるくらい切羽詰まってからしたり顔で詰問すんのが楽しいの! 食べ頃はまだです!」
「ラルバ、そんな強く叩いたら指取れるよ」
「お前のせいじゃボケ!」
それからラルバはイチルギの首を鷲掴みにし、軟体動物の様にぐにゃぐにゃになった血塗れの手で頭を撫でる。
「おおよしよし可哀想にねぇ。ちょっと自分のこと棚に上げてちょっと嘘ついてちょっと裏切っただけなのにねぇ。大丈夫だよ。お前が碌でもない大嘘つきのゴミクソ裏切り偽善者ド畜生の歴史に残るすっとこどっこいだってのは、ちゃあんと分かってるからねぇ」
イチルギは暫く強引に撫で回されたあと、乱暴にラルバを押し退けて個室に入って行ってしまう。
「あでで……何でい何でい。ちょっと本当のこと言っただけじゃねぇかよぉ。あーっ! 手がぐちゃぐちゃ! ひっどーい! ラデック治して!」
「頑張れ」
ぎゃあぎゃあと喚くラルバを軽蔑の眼差しで睨みつつ、ハザクラはイチルギの入って行った部屋の方に目を向ける。
何故、もっとはっきりと信じていると言ってやれなかったのか。自分もどこかで疑念を抱いていたのではないか。そんな自分を責める言葉が、浮かんでは消えていく。バリアともう一度話そうと振り返るが、彼女も既にリビングを離れ客室に入って行くところだった。
ふと、肩をシスターが叩いた。
「シスター……」
「イチルギさんなら大丈夫ですよ。あの人は、私達の考えていることなんかお見通しです。それだけ葛藤してくれているなら、それも分かってくれています」
「だが……それでは……使奴の優秀さに甘えているだけだ。俺は、あの人の支えになりたい」
「それなら、今できることがありますよ」
「今、できること……?」
シスターの優しそうな微笑みが、途端に真剣な表情に変わる。
「ダンタカさん……。あの人、多分嘘をつきました」
その言葉を聞いて、ハザクラも思考を切り替える。
「“知りたいなら教えてやる”……。だが、肝心なところをはぐらかしていたな」
「キブチの起源を知らない……。使奴が、130年も同じ宗教に接して来て、そんなことありえるでしょうか」
「何かしらの超常存在への祈りと言うのも変だ。常識にまで浸透する宗教の主神が名称不明なんて無理がある。それに、実際に名前の無い神ならそう言えばいい」
「そして、トナカイも死に絶えるような極寒でも現れる人間……。ハザクラさん、この辺の最低気温ってご存知ですか?」
「旧文明の記録なら、冬の最低気温はマイナス40度を超えることも珍しくない。……この辺のトナカイが凍死する冬となると、マイナス50度は行ってるだろうな」
「そんな時にも現れる人間……。それって本当に人間なんでしょうか」
2人の後ろから、ナハルが近づいて来て呟く。
「使奴ならこんな簡単にバレる嘘はつかない。……早い話しが、知りたきゃ勝手に調べろ。何を知ろうとも自己責任……ってことだろうな。バリアが言っていただろう? ダンタカが結界を張ったのは、”巻き込むな“って意味だと」
3人はもう一度ダンタカの部屋の方を見上げる。依然として結界が張られた部屋からは、何の波導も流れてこない。そしてハザクラは、デラックス・ピザのサラミのことを思い出した。
「……そう言えば、サラミも嘘をついていたな……。キブチの詳細は知らない、と」
知ったところでどうしようもない、何か取り返しがつかないような状況。若しくは、自分で手を下したくない、心理的な理由。
それが今、憶測から、真実へと変わろうとしている。




