207話 キブチ
「人喰いの村?」
サラミの口から飛び出た物騒な言葉に、ラデックは思わずイチルギとジャハルを見る。しかし2人とも首を振っており、デクスも唸りながら否定する。
「そんな話は聞いてねぇな〜。マジで人間食ってるっつーなら、イチルギが黙っちゃいねーだろ。なぁ?」
「……ごめんなさい。私も行ったことないの」
「はぁ〜!?」
申し訳なさそうに顔を伏せるイチルギをジャハルが庇う。
「無理もない。人道主義自己防衛軍でも、偵察に数度訪れた程度で文献も少ない。サラミ、その話詳しく教えてくれるか?」
「ケケケケ。一応口外厳禁なんだけどな」
サラミは嫌な顔ひとつせず、故郷の汚点を明朗に語り始めた。
彼らの信仰は“キブチ”と呼ばれる山岳信仰である。南方からの訪問者は“神への謁見者”として丁重に扱い、山がある北方からの訪問者は“神からの貢物”として狩猟し食す。それらは神聖な行為であるため、神への謁見者である南方からの訪問者、つまりは外部の人間には知られてはならない行為とされている。そのためキブチは、外部の人間には旅人を讃える稀人信仰の類と認識されている。
「まー知らねーのも当然だわな。キュリオの里は最北の秘境。旅人も滅多にこねーし、捕まえた“獲物”は即日解体、サクにして配っちまう。もしかしたら、旅人のうち何人かは鹿かトナカイと思って食ってたかもな。ケケケケ」
そう言ってサラミは席を立つと、大きくのびをして溜め息をつく。
「ま、俺も実際の狩猟現場を見てるわけじゃない。見たことあるのは、素っ裸の人間が猟師に解体されていくとこだけだ。村の行事もサボってばっかだったし、詳しくは自分らで確かめてくれい」
それから背を向けて立ち去ろうとするのを、ハザクラが咄嗟に引き止める。
「ちょ、ちょっと待った! 最後にひとついいか?」
「何だ?」
「お前達はつい最近まで村にいたんだろう? その際、変なことがなかったか?」
「変なこと?」
「例えば、最近村を出た人間がいるとか、逆に誰かが尋ねてきたとか……」
「んー。特段何かは聞いてないねえ。ま、俺らがあんまり好かれてないってのもあるかもだが。ケケケケ」
それだけ言い残すと、サラミは「じゃ、又のご利用を」と言って窓際のカーテンを大きく広げる。サラミを覆い隠すように靡いたカーテンが重力に引っ張られ元の位置に戻ると、中にいたサラミはマジシャンのように姿を消していた。窓の向こうでは、デラックス・ピザのキッチンカーが南に向け砂漠を蛇行して遠ざかっている。
窓を覗き込むデクスが、不機嫌そうに鼻を鳴らしてぼやく。
「しっかし、本当に何も知らねーみてーだな。ジャハルどころかイチルギの名前すら知らねーとは。世間知らずにも程があるぜ」
「いや、真逆でしょう」
デクスの真後ろにいたシスターが否定する。
「あん? だってアイツ、イチルギの名前を聞いても眉ひとつ動かさなかったぜ。こっちを警戒する様子もねーしよ」
「恐らく、私達のことをすでに知っていたのでしょう」
「はぁ? 誰から?」
「真吐き一座です。……三本腕連合軍で、真吐き一座の座長さん、シガーラットさんにお会いしました。そこで彼は、“べしゃりサーカス”と“デラックス・ピザ”には世話になったから、挨拶をしにベアブロウ陵墓に向かうと話していました。あれから彼等が真っ直ぐに目的地を目指していたのなら、私達より先にデラックス・ピザと出会っていても不思議ではありません」
デクスは顎を引っ掻いて思案し小さく唸る。
「あー……お前らは真吐き一座と交流があったんだっけか。じゃあ何でアイツは知らねーふりしたんだ?」
「試したんじゃないでしょうか。私達を」
「試す? 何で。何を」
「分かりません。そんな気がするだけです。しかし、あのサラミと言う方は大雑把に見えて実際は非常に慎重な方のように見えました。デクス、貴方のように」
「一緒にすんな」
背後から近づいてきたバリアが、瞼を少し下げて窓を覗き込む。
「あんだけ露骨にされたら返って挑発になるよ。逃亡に優れた異能を見せつけて、強制的に言葉での対話を手段にさせた。仲間はギリギリ波導感知外の場所で待機させておいて余計な情報は与えない。話してる最中もずっとこっちの反応を窺ってたしね。一方的に探りだけ入れにきたんじゃないかな」
「バリアさん、彼等の目的が分かるんですか?」
「彼等は故郷に嫌われている。でも、里帰りする程度には大切なものがある。私達に何かを期待でもしてるのかな」
「期待……ですか」
「例えば、自分達じゃどうにもできない因習や支配者。それらから、私達が解放してくれるんじゃないかって期待。それこそ、爆弾牧場のリィンディみたいに」
シスターは顔を上げ、再びキッチンカーの去っていった方角を見る。豆粒程に小さくなったキッチンカーが、砂嵐の向こうに微かに見える。
「……期待……。しかし、それならどうして彼等は私達に隠しごとをしたんでしょうか」
デクスが眉を顰める。
「んなもん、人肉ピザ喜んで食う化け物相手なんか信用できねーだろ」
「彼等が真吐き一座から私達のことを聞いていたのなら、ラルバさんの危うさも聞いているはずです。そして、使奴に隠し事が無意味だと言うことも……。でもサラミは、“キブチの詳細は知らない”と嘘を吐きました」
バリアが意外そうな顔をしてシスターを見上げる。
「気付いてたんだ。やるじゃん」
「……少し露骨だと思ったんです。人喰いの村なんてラルバさんが好きそうな言い方をしておいて、内容については表面しか触れない。そして、この私の推測が正しいのならば……」
シスターは顔を伏せて言い淀むが、バリアは躊躇なく続きを口にする。
「知ったところでどうしようもない、何か取り返しがつかないような状況。若しくは、自分では手を下したくない、心理的な理由。ってとこかな。どうする? 行くのやめる?」
「……いえ、行きましょう」
「それが善行ならば。ってとこ?」
「まあ、そんなとこです」
「ふーん。こりゃカガチの言う通りかもね」
〜キュリオの里 南方〜
浮遊魔工馬車を走らせること4日。とうに砂漠地帯は抜け、起伏の激しい野原も終わり、今は薄らと雑草が地上を覆う泥濘んだ道を走っている。地平線には緩やかなカーブを描く丘と針葉樹林が疎に見え、ちらほらと古びた木造の廃屋が乱立している。
それから暫く走ると、数頭の牛が地べたに寝転んでいるのを見つけた。奥へ進むごとに牛の数は増え、中にはポニーや大型の犬も混じるようになってくる。どの動物も浮遊魔工馬車に驚くことなく、のんびりとこちらを眺めている。そのうちに半壊した木の柵と牛舎が見え、1人の女性がこちらに向かって手を振った。
ハザクラは浮遊魔工馬車を停め、農夫の元へ歩いていく。
「初めまして。私は人道主義自己防衛軍のハザクラと申します。キュリオの里の方ですか?」
「らぁ〜? そやよ〜。えんとぉ〜じんどーすぎ……なんとかさん?」
「…………ハザクラです」
「らぁ〜。ハザクラさん〜こんなとこまでよこそぉ〜。なんか飲む? なんか食べる? 食べて行きなよぉ〜。お客さんなんて久しぶりなのねぇ」
「え、あ、いや、じゃあ、お言葉に甘えて……」
大きな木槌を担いだふくよかな女性、“チャシュパ”は、朗らかな笑顔で一行を迎え入れた。牛舎の隣にある自宅に一行を半ば強引に招き入れた。
「ちょんと待っててねぇ。待っててねぇ〜」
「お、お気遣いなく……」
チャシュパは一行を家のリビングに上げるも、すぐに自分は外へ駆けていってしまう。不用心な彼女を見送ってから、ハザクラはイチルギに尋ねた。
「……こんなにも警戒心がないものなのか? この村は」
「いや、あの子の性格じゃないかしらね……。騙そうとしてる感じもないし……」
「初対面の旅人を10人近く家にあげて放っておくなど……不用心極まりないな……」
そこへチャシュパが戻って来た。昏睡した牛を一頭担いで。
「うおっ」
「待っててねぇ。待っててねぇ」
そのまま彼女はリビング奥の作業台に駆け寄り、牛を作業台の上に投げ下ろし、側にあった大斧で牛の首を両断した。
ダンッ!! という力強い音が部屋に響き渡り、大量の血が吹き出しチャシュパの前面を濡らす。しかし彼女は一切怯むことなく、大小様々な刃物を使って手早く牛を解体していく。
「待っててねぇ。待っててねぇ」
「チャ、チャシュパさん、何を……」
「らぁ〜? いんやお出しできるもの今なぁんも無いから、お料理でもと思ってねぇ」
「え、ええ……」
「肉!? めっちゃ食べる!!」
突拍子もないチャシュパの行動にハザクラは唖然とし、ラルバは大喜びで解体を手伝い始めた。それから程なくして、ラルバとイチルギの手伝いもあり牛の刺身やスープ類がテーブルに並べられる。
「らぁ〜。お客さんの口に合うといんだけど、ねぇ〜。行商さんまだ来てないから、あんま調味料もないんだよねぇ〜」
「調味料? これ上げるよ。三本腕連合軍で買ったの。いっぱいあるよ」
「らぁ〜。いんのぉ〜?」
「いいよいいよ。おいしくなかったから」
「らぁ〜」
チャシュパは返り血をタオルで拭いながら、ラルバに貰った調味料の瓶を珍しそうに眺める。
目の前の牛一頭分の料理に、ジャハルは申し訳なさと衛生面での心配に頭を悩ませつつ、遠慮がちにスプーンと煮込みを手に取る。
「……しかし、いいんだろうか。牛一頭なんて、相当な財産だろうに……」
半ば独り言のような呟きに、隣にいたシスターはスープを引き寄せつつ答える。
「その分何か協力してあげましょう。私達なら充分に対価を払えるはずですよ」
「ま、まあ、そうだな……」
ジャハルはスプーンで肉を掬うが、目の前で両断された牛の首を思い出して一瞬思案する。
「食べないんですか?」
「いや、その、なんだ」
「……あの斧で、人も捌いたんじゃないか。とかですか?」
シスターの囁きに、ジャハルは顔を顰めて小さく頷く。
「いや、チャシュパを疑うわけじゃないんだが……その…やっぱり、な」
「大丈夫ですよ。キブチは北方からの訪問者だって話じゃないですか。ここから北の山までは相当距離があります。仮にキブチを捌くにしても、ここではやらないでしょう」
「あ、ああ……」
「そこは調理に参加したイチルギさん達を信用しましょうよ。ラルバさんだけならともかく、イチルギさんなら全て気がつく筈です」
「そ、そうか、そうだな。うん」
それを聞いてジャハルは安心して煮込みを頬張る。実に1週間ぶりのまともな食事が舌の上で踊り、飲み下す快感が喉と胃に沁み渡る。
「……でも、私は別のことが気になるんです」
その快感を遮るように、シスターが再び小声で囁く。
「サラミさんはこう言っていました。キュリオの里は最北の秘境。旅人も滅多に来ない……と」
「あ、ああ。そうだな?」
「確かにキュリオの里はこの大陸では最北端。それより北に人が暮らす場所はなく、仮に北へ直進し続けてそのまま北極点を通過して南下しても……辿り着くのはヒトシズク・レストランか世界ギルドでしょう。だけど、だとしたら……」
シスターはスープに口をつけることなく皿を置き、目を伏せる。
「“北方からの訪問者”って、一体何者なんでしょうか」




