205話 滅びゆく幻
〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション〜
ハイアの夢の異能によって作り出された幻想の世界。防衛層こと遊霊園。一行の活躍によって守られた美しくも空虚な街で、ラデックは買い出しを済ませてラルバ達の元へ戻ってきていた。デクスの高級浮遊魔工馬車が次々運び込まれる荷物で溢れていく中、ラデックは隣にいたシスターの肩を叩いた。
「シスター」
「な、何ですか?」
「ナハルとは仲直りしたのか?」
「…………」
ナハルの名を出され、シスターは顔を伏せて押し黙る。
「えっと……その……」
「こういうのは思い切ったほうが後々楽だぞ。主に俺が」
「ラ、ラデックさんが?」
「うん。これから1週間くらいこの車内で過ごすのに、2人がこのままだと居心地が悪い。とても」
「…………ごめんなさい」
「ほら、善は急げだ。善行かは知らないが」
「う……」
ラデックに背中を押され、シスターは重い足取りで数歩進み立ち止まる。その背中に、ラデックが言葉をかける。
「今なら丁度歩けるんじゃないか? 隣」
それを聞いたシスターは唇を固く結び、ゆっくりと前に歩き始めた。
〜狼王堂放送局 中央部 反抗夫詰所〜
「――――で」
反抗夫の長、ノノリカが眉を八の字に曲げシスターを睨み大声を上げる。
「何でオレんとこくんだよ!?」
「ご、ごめんなさい」
恥ずかしそうに俯くシスターの姿に、ノノリカは情けなくなって口を固く結んで目を逸らす。
「……えーと、要するに、互いに隠し事をしていて、互いにそれを知ってて、互いに知られてることは知ってたけど、互いに口には出してなかった。ってことか?」
「は、はい……」
「めんどくさっ!! 知らないよそんなの!! 一言ゴメンて謝りゃいいじゃん!!」
「うっ……」
足蹴にするような態度のノノリカを、そばにいたカヒロが袖を引いて宥める。
「な、なんだよカヒロ。お前アッチ側!?」
「う、うん……」
カヒロは長い前髪の隙間から覗くギョロ目で地面をなぞり、やがてシスターに目を向ける。
「わかってても、改めて口に出すのは……なんか、怖い……。ねえ、ノノリカ」
「ん? 何だよ」
「ちょっと、ちょっと耳貸して……」
「えぇ? 変なこと言うなよ……?」
カヒロの耳打ちを聞いたノノリカは、段々と具合が悪そうに顔を歪ませ、静かに一回だけ頷いた後詰所を出ていく。
「ね、ねえ、シスター」
「何でしょうか」
「シスターはさ、どうして旅を続けているの?」
「どうして……うーん……返答に困りますね……。そもそも私の意思ではないので……」
「シスターは、自分では気付いてないかもだけど、結構頑固だから、本当に嫌なことならどうにか避けてると思う……」
「え、私そんなふうに見えます?」
「うん……」
「…………旅の理由、ですか……。強いて言えば、そうですね……。ご褒美を探している、と言うのが、恐らくは……」
「ご褒美?」
シスターはどこか遠い目をして中空を見つめ、少し言い淀みながら話し始める。
「真面目に生きていれば、誠実に生きていれば、清く、正しく生きていれば、きっとご褒美が貰える。そう信じて生きてきましたから」
「貰えるって、誰から?」
「言うなれば、神様でしょうか。そこはなんでも良いんです。私達の行動を、どこかで誰かが見ていて、頑張っている人にはご褒美をくれる。救いをくれる。だから、より厳しい環境に身を置けば、そこで善行を成せば、きっといつかご褒美が貰えるだろう……と」
「……僕には、多分できない。すごいよ。シスターは」
「ありがとうございます。でも……私は尊敬されるような人物ではありませんよ。こんな綺麗事を宣っておいてその実、中身は醜悪な愚か者です」
「そんなことないよ……」
「すみません。気を遣わせましたね。こんなこと人前で言うべきではありませんでした」
「気なんか遣ってないよ。だって、そんな醜悪な人だったらナハルさんがついて行かないだろうから……」
「…………っ」
シスターは唾を飲んで顔を背ける。
「ナハルさんも凄い人だよ。人を見る目がある。特に、悪い人には敏感……。前にウチのメンバーも、睨まれて泡吹いてたしね……ふふっ。覚えてる? 3年前、ジラヒトゥがシスターを女性だと思って口説いてた時のこと……」
「覚えていますよ。でも、ジラヒトゥさんだって別に悪者ではないでしょう?」
「いや……今は改心して真面目になったけど、一昨年くらいまでは酷かったんだよ。すぐ人の物盗むし、手は出るし……、それを全部嘘で隠してた……。ノノリカに何度も怒られてたんだよ」
「それは……」
「ね? ナハルさんは人を見る目があるよ。だから、そんなナハルさんが気に入ってるシスターが悪い人なはずないよ」
「…………私は……」
「それとも、シスターはナハルさんのこと苦手?」
「そんなっまさか!!」
激しく首を左右に振るシスター。
「……頭では分かっているのです。ナハルは私のことを大切に思ってくれているし、私もナハルが大切です。でも、互いに隠し事をしていた。気付いたことも隠していた。本音を言い合うのが辛くて、何も気付かないフリをしていた……。私が、私達が嫌う部分は、きっとここなんだろうと思います。傷付けないことばかりを気にして、受け入れてもらうことを延期し続けた。私達は、互いに好意は持っているでしょうが、それ以上にお互いを拒絶し合っているのです」
「分かるよ。僕もノノリカと出会ったばかりの頃、ノノリカに嘘ばかりついていたから。受け入れてもらうのって怖いよね。何かをきっかけに嫌われたら……飽きられたら……自分が無価値だってバレてしまったら。知らない間に相手を裏切ることになっちゃう」
「……はい。ナハルならきっと、私の醜いところなど全て見抜いていると知っているんです。でも、もしそうじゃなかったら。もし少しでも嫌われてしまったら……。ほんの少しでも忌避されてしまったら……。幻滅されてしまったら……。私は……」
「……ごめんね、シスター」
「え……?」
「ちょっと、騙した」
カヒロが詰所の外へ合図を送ると、ノノリカが扉を開けて入ってくる。すると、その後ろには唇を固く結んだナハルが立っていた。
「ナハル…………!!!」
「ノノリカに言って探してきてもらったんだ。騙してごめんね。でも、僕は2人には笑っていて欲しいから」
ナハルは涙を堪えて俯いたままシスターの前に立ち、服の裾をギュッと握る。
「シ、シスター……。私は、私は絶対に幻滅なんてしません……!! 私は知っています……! シスターが話してくれなかったことも……! シスターが人助けをする理由、医者になった理由、そして、修道女の真似事をしている理由も……!」
シスターの目が震え、握られた拳に力が入る。
「どうか、どうか……! 信じてもらえませんか……? いや、信じます……!! シスターを……!! 私が――――!!!」
ナハルがシスターの手を取り、強く握る。シスターは反射的に振り払おうと身体を強張らせるが、ナハルは決して離さない。
「ナハル……」
シスターは目を泳がせ、何度も言葉を言いかけては飲み込む。そして、口を固く結んでナハルの手を握り返した。
手を繋いで詰所を去って行くナハルとシスターの後ろ姿を、ノノリカとカヒロは外で見送った。
「手伝っておいてアレだけど、不意打ちは感心しないね。カヒロ」
「うん……。でも、こうでもしないと……」
「分かってるよ。シスターは頑固だからな。あの様子じゃ、キスどころか手ぇ繋いだのも初めてだろーよ。好き同士のくせに……何年も足踏みしやがって」
「もしかして、僕がずっとノノリカに好きって言わなかったの、怒ってる?」
「い、いや、それは別に……。これはこれ、それはそれだ」
「そっか。よかった」
照れくさいのか、ノノリカは背を向けて詰所に戻って行ってしまう。カヒロはその後を追いかけようかと思ったが、もう一度だけシスター達の方を振り返った。手を繋いで並んで歩く2人の姿が、もう見えないほどに遠く小さくなっている。それでもカヒロは、そのまま見えなくなっても2人の去って行った方向を見つめていた。
〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション 西ゲート前〜
「遅〜い!! なぁにをチンタラしてんの!!」
シスターとナハルが戻ると、浮遊魔工馬車の前ではラルバが地団駄を踏んで怒鳴っていた。
「積み込みの手伝いもしないで〜!! 夢の国なら十分堪能したでしょ!!」
「す、すみません」
「置いてってくれればよかったのに」
「仲間を置いて行くはずがないじゃないのぉ〜。ほら、出発するよ!」
ラルバはへらへらと笑って浮遊魔工馬車に乗り込み手招きをする。それに2人が続こうとした時、ふと背後に気配を感じて振り返る。
「やぁ」
「あれ? サノマさん」
そこには、猫の耳を生やした使奴、サノマが立っていた。
「お別れを言いにきたよ。一応ね」
「ご丁寧にどうも。でも、意外ですね」
「もっと薄情だと思った? うん、当たり。別件があるんだ」
「別件?」
シスター達が立ち話をしていると、ハザクラやイチルギ達も車窓から顔を出して話に加わる。サノマはそれを確認してから、悪戯っぽく笑った。
「タコは妄想の異能者で、それを幇助した別の異能者がいて、それは元笑顔の七人衆のひとり、レオライヤかもしれない……。それは良いんだけどさ。じゃあどうして”あのタコは夢の異能にも入り込んできた“のかな?」
「……はい?」
「夢の異能は曇天も快晴に書き換える。軋んだモノレールは空飛ぶ車に、ただのスポンジは美味しい料理に。生き物だって例外じゃない。浮浪者紛いの虚な住民たちは、皆夢の中じゃ心の底からの笑顔に満ちてる。じゃあ、なんであのタコだけは書き換えられなかったのかな?」
シスターは単純に答えが思いつかず思案するが、イチルギはわかりやすく狼狽え、ハピネスは楽しそうに口角を上げる。
そして、サノマも楽しそうに目を細めた。
「一個だけヒント。あのタコは、“消せない”んじゃなくて、“消さなかった”んだ」
サノマの輪郭がぼやけ、分身の異能が解除される。その残像が消え去る寸前、さらに一言だけ言い残す。
「祈りな。運がいい方にね」
〜狼王堂放送局 北西部 枯れ木の森 浮遊魔工馬車内〜
枯れた木と、砂粒だけが無限に続く果てしない砂漠。世界最北の砂漠であり、冬には世にも珍しい豪雪に埋もれた砂漠を見ることができる。
険しい砂地でも揺れを感じさせない浮遊魔工馬車の中で、ラデックはレシャロワークと共に頭を捻る。
「サノマの言うタコを消さなかった理由って、一体何なんだろうな?」
「自分達で対処しちゃうと応援が呼べないから、敢えて被害者面する作戦だったりぃ?」
「タコは景色から消せるだけで存在はあるだろう? 被害者なことに変わりはない」
「え〜。じゃあ異能のリソース的に余裕がなかったとかぁ?」
「それは消さないじゃなくて消せないに入るんじゃないか?」
「そっか〜」
「イチルギとハザクラは何か聞いていないのか?」
しかし、ハザクラは黙って首を左右に振り、イチルギに至っては険悪そうに俯くばかりである。
「……まぁ、イチルギとハピネスは何かに気付いているようだし、無理に考える必要もないか」
「そうしましょぉ。変にフラグ立てて巻き込まれたら嫌ですしぃ。ビッパレやりましょぉよビッパレ。ラデックさん、ピリさんから貰ってたでしょお」
「あれ3面ができなくて貰って以降点けてない」
「はぁ!? ちゃんと武器変えましたぁ!?」
「わからない」
意図せず逆鱗に触れてしまったラデックが、レシャロワークに引き摺られて部屋を出ていく。
それを見届けてから、ハザクラは独り言のようにイチルギに話しかける。
「……あの後メギドから聞いた話では、ラルバは既に一部地域では指名手配扱いだそうだ。写真を撮られていない点は流石は使奴といったところだが、名前だけでも噂になっているのはまずい。ひとまずスケープゴートは用意しておいたが……その場しのぎでしかない。少し暴れ過ぎたな。このままじゃ俺達まで犯罪者扱いだ」
明確に話題を逸らしてもらったことで、イチルギは渋々口を開く。
「どうせ火付け役はどっかの裏ギルドでしょ。ダクラシフ商工会か、愛と正義の平和支援会辺りが関わらなきゃ大事にはならないわ」
「この話題を金の成る木にされたら堪ったもんじゃない。幸いにも、ラルバの賞金はそう高くない。写真も無いしな。大方、いびっていたチンピラ連中のうち何人かが上層部に泣きついたんだろう。小火は早めに消さねば」
「じゃあどうするの? スケープゴートって言ったって、人道主義自己防衛軍が一芝居打ってるだけでしょ?」
「……要するに、小火が燃え広がらなければいいんだろう」
何か含みのある言い方に、イチルギは再び眉を顰めて険悪な顔をする。
「ちょっと、ラルバみたいなこと考えてるんじゃないでしょうね」
「考えているかもな。ちょっと」
苦笑いで答えるハザクラに、イチルギは大きな溜息をついて頭を抱える。
「心配するな。作戦内容は事前に伝えるし、相談もする。バルコス艦隊のようなことはしない」
「約束よ?」
「ああ。それに、動こうにも次の目的地はキュリオの里だ。田舎も田舎……氷精地方じゃ最北端の秘境だろう? ここ最近随分慌ただしかった。少し羽を伸ばそう。どうせ俺達が権力で何かできるような場所じゃない」
「ガルーダ関連のことはどうするの?」
「ラルバ次第だな。正直、第一世代とは言え俺が使奴相手にどうこうできると思っていない。元笑顔の七人衆、レオライヤの件はハピネスに任せる」
「……それもそうね」
2人は珍しく肩の力を抜き、暢気に旅先の光景をぼんやりと空想し始めた。
〜狼王堂放送局 居住区南部 鈍色の街〜
夢の異能の影響外。灰色に染まった街の一角で、激しい土煙が噴き上がる。地を揺らした一撃の渦中には、体の半分が靄となり消滅したサノマが仰向けに倒れ込んでいる。
「八つ当たり? らしくないね。ハイア」
地面ごとサノマを打ち砕いた右腕を摩りながら、ハイアは無表情の眉を僅かに顰めてサノマを見下ろす。
「八つ当たりじゃなくてお仕置きなのです。ハザクラちゃん達に余計なことを言わないでください」
「余計だなんて。僕らは”巻き込んでほしくない“だけだよ」
「…………」
ヘラヘラと笑うサノマを、ハイアはただ黙ってじっと見つめている。
「戦力が欲しいならアビスでも誘いなよ。あの子、なんだか最近イケイケじゃない? 乗ってくれるかもよ」
「少し黙っていてもらえますか」
「じゃあ他をあたってよ。僕らは子供の遊び相手とか犬の散歩なら喜んでやるけど、悪党の尻追っかけ回すのは趣味じゃない。ましてや、”人類の命運を賭けた大戦“なんて、まっぴらゴメンだね」
「…………」
ハイアは無言でサノマの頭を鷲掴み、親指で頭蓋を貫く。傷口は靄となって血を噴き出すことはないが、サノマは攻撃されたことに顔を顰めて悪態をつく。
「こんなことしてる暇があるなら狼の群れにでも行ってきなよ。そろそろ”エグアドラ“もその気になってくれるんじゃない?」
するとハイアはパッと手を離して背を向ける。
「そうですね。じゃあサノマちゃん、留守番お願いします」
「は? ちょっと待ってよ。そこまでやるなんて言ってないよ」
「夢の異能は半自動モードにしておくので、遊霊園の子達とか管理とかその他諸々。お願いしますね。子供の遊び相手なら喜んでやってくれるのでしょう?」
「それのどこが子供の遊び――――」
サノマが言い終わらないうちに、世界はカラフルな未来都市の風景に切り替わる。ハイアは鈍色の街と共に姿を消し、夢の異能に取り込まれたサノマの目には映らない。
「…………はあ。面倒臭いし、逃げちゃおっかな」
取り残されたサノマはブツブツと文句を言いながら歩き出す。憂鬱そうな彼女の頭上には、タコひとつない青空がどこまでも広がっていた。




