19話 不運なタイムトラベラー
イチルギが深刻そうに顔を伏せてため息をつく。
「ラデック……ひょっとしてアナタ相当な世間知らず?」
「生まれてからはずっと使奴研究所の保育施設で過ごした。研究所の外はフィクションの本でしか知らない」
「そう……ちょっと残酷な話になるかもしれないけど……」
深呼吸をしてラデックに向き直る。
「アナタのいう“事故”……まだ実験カプセルの中で眠っていたラルバが目覚めるきっかけになった事故からは……大体200年が経過してるわ」
「200年……!?」
ラデックが体を硬直させる。
「そう200年」
「………………研究所を出る時に警報が鳴ったんだ。“隔離プロトコル浮島”あれは研究所の外で何かトラブルがあった時の最終防衛装置。時間壁で研究所を囲って、外の時間と研究所内部の時間を切り離す。時間は川のように流れ続け、研究所は“浮島”のように流れに取り残される……トラブルを時間が解決するまで研究所を防護する装置だ」
イチルギが少しだけ酒を口に含む。
「私もそれを聞いて納得した。なんで使奴研究員なんて太古の人種が最近になってチラホラ現れ始めたのか。私や他の使奴は事故が起きた時、その“隔離プロトコル”前に逃げ出した。でもって、隔離された後の研究員が最近になって現れ始めた。でも、アナタ達随分後になって脱出したのね?魔工研究所の連中がウチに来たの2年前よ?」
「ラルバが装置をぶっ壊したせいだろう。恐らく、正常な終了プログラムが作動しなかったんだ」
「うーわ人のせいかー?」
「2年も3年も大して変わらない。俺たちはどうせ外の世界を知らなかったんだ」
ラデックが椅子に大きく寄りかかって天井を見上げる。
「使奴が世間に受け入れられている理由。ラルバの格好が世間に浸透している理由。合点がいった」
ハピネスが手を挙げて会話に入る。
「すまない……私はまだ理解していないんだが、わかりやすく説明してもらえるか?」
イチルギが酒を大きく呷り、溜息を漏らす。
「いいわ。どうせラルバもあんまり理解できてないでしょうし」
「理解できないんじゃない。聞いてなかっただけだ。もっかい話してー」
「……最初から説明するから、ちょっと長くなるわよ」
イチルギが大きく深呼吸をする。
「事の始まりは今から200年近く前。正確な時間は覚えていないんだけど、私達が使奴研究所から脱走した時、世界は戦争状態だったの。大きな戦争だったわ。空は常に戦闘機が飛び交ってて、爆発音を聞かない時間はなかった。歩けど歩けど死体の山、山、山。たまに生きてる人間を見かければ問答無用で撃たれた。後から知ったんだけど、大戦の発端は使奴研究所の顧客同士の諍いみたい」
ラデックが天井を見つめたまま口を開く。
「使奴同士を争わせようとすれば、使奴研究所からの停止命令が飛んでくる。使奴なんて怪物、軍事兵器に利用しない理由は皆無だからな。使奴研究所は顧客同士の争いを避けるために停止装置を仕込んでいたが……バリアが研究所でサンドバッグにされていたところを見ると、停止装置が故障したんだろうな」
「ええ、恐らくね。その世界を巻き込む大戦争は1年も経たずに終息したんだけど、その時世界は破滅寸前まで崩壊したわ。それこそ文明が殆ど滅んで石器時代に逆戻りするんじゃないかってほどに。でも使奴は丈夫だったから無事だった。それからは、流石に目の前で怯えてる難民を放っておくわけにもいかなくてね、人助けを始めたの。使奴は食べ物も睡眠も必要なかったから、みんなのために全力を尽くせた。我ながら理想のリーダーになれたと思う。それから十数年ほど経つと、他の集落と連絡がつくようになってきた。大体どこの集落も使奴が率いていたわ」
ラルバが机に顎を乗せたまま話を遮る。
「揃いも揃って脱走直後に人助けとは……よっぽど暇だったんだな」
イチルギが少し笑いながら話を続ける。
「ええ……きっとみんな同じ気持ちだったのよ。もちろん人間に協力しない使奴もいたけど、使奴は特に利権とか資源とかを必要としなかったから無闇にこっちを襲ってくることもなかった。今でもいるわよ?秘境で誰とも合わずにぼーっとしてるだけの使奴は」
ハピネスが思い出すように中空を見つめ呟いた。
「私も何人か見たことはある。何をするわけでもなく茫然としているだけの使奴を。偶にではあるが、何を思ったのか知らないが賞金稼ぎやら何やらが門を叩いては使奴の怒りを買い、鬱陶しそうに返り討ちに遭っていた」
「彼女達はただ誰かに囚われてるのが嫌だっただけみたい。ラルバみたいに積極的に人を害そうとしてくるのは希少個体よ」
「希少個体か、悪くない響きだ」
「人間同士の諍いも使奴がいれば簡単に仲裁できたし、反乱程度で敵うわけもないから誰もそんなことを画策しなかった。そもそも私達は人間と平穏に過ごすことを目的としていたしね。あの頃は平和だったわ…………また数十年経つと、使奴と人間のハーフも増えてきて、女性は使奴の遺伝子の馴染みがいいのか、男性よりも圧倒的な力を持つようになった」
ラデックが小さく手を挙げる。
「確かに使奴の妊娠可能モデルは少なくないが、その子供まではまだ実験の対象外だった。実験で生まれた赤ん坊に使奴細胞が組み込まれていることは少なくなかったが、その子供同士で交配させたことはなかった。きっと世代を経るごとに使奴細胞に馴染む個体に変化していったんだろう」
「そこからは女性中心の社会になっていって、今までの世界とは違う人種が幅を利かせるようになった。今の文明レベルは200年前と比べるとかなり低いけど、私達使奴が尽力して0から一気に経済を成長させたにしては高い方だと思わない?結構頑張ったんだから。それと……周りの人達、随分きわどい格好してるでしょう?ここだけの話……私達使奴が逃げた時の衣装って……使奴研究所にあった物なのよね。今ラルバが着てるような、イメクラみたいなやつ」
「イメクラ言うな」
ラデックが顎に手を当てて考える。
「なるほど……強さの象徴といえば使奴。その使奴の特徴で真似できるものといえば、黒い痣とセクシーなコスチューム……あれは彼女らにとって正当なファッションなんだろうな」
「これが、私が200年見てきた世界の仕組みよ」
ハピネスが手羽先を齧りながら微笑む。
「私の能力を以ってしても研究所が覗けなかったのも合点がいく。あの時はまだ隔離プロトコルとやらが実行中だったのか……流石に時間の流れは跨げん」
ラデックが新聞を取り出してイチルギに渡す。
「だとすると、このハザクラという男は十中八九使奴研究所の研究員で決まりだろう。だから会いに行きたかったのか」
「ええ。けど人道主義自己防衛軍は永年鎖国の軍事大国。どうやって幹部にまで漕ぎ着けたのか……」
しかめっ面をしていたラルバが、我慢が解かれたように両腕を振り上げて喚く。
「んあー!今はグルメの国だろう!そんな研究所があーだとか人道主義がどうとか!後でいい!!今はグルメの国!!」
ラルバがイチルギの手元の砂肝を、箸で全て摘み口に放り込む。
「あっ私のお肉!」
「わらひはひゃくえんごらろーがあんがろーがあんがっけいいああ、えおはいらひ」
「0歳が人の肉とるなぁ!」
「200歳がケチケチするな!」
「26歳の手羽先やるから落ち着け200歳」
「えっ?ラデックって26歳なの!?もっと若いかと思ってたわ……」
「因みに私は27歳だ。ラデック君一個下だったんだね。ハピネスお姉さんって呼んでくれるかな?君みたいな弟が欲しかったんだ」
ラルバがハピネスをキッと睨み付ける。
「今なら身長190の0歳児もついてくるぞ……」
「それは脅迫?それともセールス?妹ならバリアちゃん見たいな大人しい子がいいんだが」
「んがー!セールスじゃない!おばあちゃんに言いつけるぞ!!」
「ラルバ……もしかしておばあちゃんって私のこと……?」
「200歳は十分過ぎるくらいおばあちゃんだろう。なあラデック」
「それで言うと俺はお父さんか?」
「一個上の私はお母さんか。ラルバの母親やれる自信はないな……」
「私だってお前のようなお母さんは要らん!保護者はイチルギおばあちゃんだけで十分!」
「誰がおばあちゃんよっっっ!!!」
酒場はいつも通りの喧騒を路地裏へ響かせ、隣のボロ宿の宿泊客は今日も安眠を妨げられる。
しかし、今日の宿泊客は酒場の明かりを見つめながら、ボロ宿には不釣り合いな質のいい毛皮で口元を隠す。燃え盛るような紅い髪を掻き上げる使奴特有の真っ白な手に彫られた”盗賊の国の紋章”が、酒場の明かりを艶やかに反射した。
〜高級ホテル「大樹の根」 VIPルーム〜
「……………………起きれれれない」
昼過ぎになっても、ラルバは高級ベッドから起き上がれずにいた。いつもは誰よりも早く目覚め朝に弱いラデック達を叩き起こしていたが、今日に限っては皆が目を覚ました今も布団に潜り込んでいる。それを見かねたイチルギが溜息混じりに声をかける。
「ラルバー?もうみんな行っちゃったわよー?いつまで寝てるのー?」
「……おばあちゃんは早起き」
「誰がおばあちゃんだっっっ!!!」
イチルギがベッドにかかと落としを浴びせると、小さく「うっ」と呻き声が漏れた。
「もうお昼回ってるのよ!チェックアウトが15時だから、いい加減起きてくれないともう1日分料金嵩むわよ!」
「それもいいかもしれん……」
ラデックがベッドに近寄り布団を剥ぎ取る。
「あーもうちょっとだけー!」
「……ラルバ。笑顔の国に行く前に俺に言ったこと、忘れたのか?」
「…………………………お前を殺す?」
「無駄遣いをするな、だ」
「ラデック、ラルバよろしくね。先行ってるから」
ラルバは大きく伸びをした後、ラデックに手を引かれ渋々歩き出した。
「布団ってのはグレード上がるだけで寝心地全然違うんだな……笑顔の国のホテルとも比べ物にならん……あれはダメだ。使奴を殺す」
「イチルギもバリアも普通に起きてたぞ」
「あの2人は使奴じゃなかったのか……」
ホテルを出ようとすると、受付の人間が総出で見送りに来た。ラデックは小さく会釈を返し、ラルバを引き摺って外へ出る。
「ハッ……!ラデック!」
「どうした。忘れ物か?」
「どうせイチルギのコネで泊まれたなら、別にもう一泊くらいどうってことなかったんじゃないか……?」
「馬車の予約がある」
皆が待つ馬車乗り場に行くまで、ラルバは眉間にシワを寄せたままラデックに引き摺られていった。
〜高級馬車「天使の揺り籠」〜
ラルバが馬車の受付でもらったパンフレットを読み上げる。
「美しいメタリックボディにまるで一軒家のリビングのような荷台は、浮遊魔法により一切の揺れを感じさせず快適な旅をサポートします。当社独自の運搬用セキュリティ・ゴーレムと、三本腕連合軍に特注したハイエンド防衛魔工がお客様の安全をお守りします……本当か?」
パンフレットを置いて、怪訝そうな顔でイチルギを睨む。
「襲われた事がないから何とも言えないけど、そうね。はぐれ盗賊ぐらいにはまず襲われないわ」
「てかわざわざこんな豪華な馬車要らなくないか?泊まっておいて何だが、あのホテルも高級すぎる。税金の無駄遣いだ」
「安い馬車とホテルは一般人が使うわよ。こういう高い買い物は私ら金持ってる人が使わないと、ただでさえ富裕層は少ないんだからあっという間に潰れちゃう。高級品が廃れたら富裕層の支出も減るし、高級品を扱う業者も減る。生活の質の上限が下がれば、そのシワ寄せは貧乏人にも響く。お金持ちにどれだけ沢山お金を使ってもらえるかが大事なの」
「ほえ〜」
「自分から聞いたんだから真面目に聞きなさいな……!」
ハピネスが窓の外を指差して会話に割り込む。
「そのハイエンド防衛魔工っての、故障しているぞ」
「うそぉ!?」
イチルギが慌てて窓から身を乗り出すと、美しいメタリックボディに備え付けられたマシンガンからは黒煙が上がり、十数人の盗賊が馬に乗ってラルバ達を取り囲んでいた。
イチルギは窓から頭を引っ込めて項垂れる。
「どうしたイチルギ。お腹痛いのか?お前いっつもお腹痛そうだな」
ラルバがイチルギの背中を摩るが、鬱陶しそうに振り払われる。
「痛いのはお腹じゃなくて頭。ああ〜これで境界運送の評判が落ちたら私の責任になるんだろうなぁ……」
イチルギは呻き声を上げながら頭を掻き毟る。そこへジャックされたスピーカーから女の声が響いた。
「死にたくなければ西の森へ進路を変更しろ。我々についてこい。もしどこかへ連絡しようとしたり、逃げ出したり反撃すれば馬車ごと爆破する」
ラルバがイチルギの背中をポンと叩いて、顔を覗き込む。
「いい考えがあるぞイチルギ。我が儘を言って申し訳ないが……2時間ほど森林浴がしたい。到着時間には間に合わなくなるだろうが……せっかくの高級馬車だ。旅はより質の良いものにしたいと思わんか?日程にない身勝手な行動に会社は怒るだろうが、元総帥イチルギ様のご友人の勝手な我が儘ならば、そう邪険にもできまい。勿論チップだって弾むし、アンケートには全員満点を記載するだろう。“誰にも邪魔されることのない快適な旅だった”と」
したり顔で不敵に笑うラルバに、イチルギは同じく不敵な笑みで返す。
「いい考えねラルバ」
「初めて意見が合致したな。うっひょーワクワクするっ!」
馬車は急遽進路を変え、西の森へ走り出した。
次回20話【豚にでも食わせておけ】




