196話 鈍色の街
「あははっ! やだも〜!」
「いやマジ何だって! そんでさぁ〜」
賑やかな歓楽街の大通りを、楽しそうに談笑しながら散歩をする男女。その手にはカラフルな3段アイスが、爽やかな陽の光を浴びて輝いている。華やかな繁華街はいつも通り活気に包まれており、皆思い思いの幸福な日々を送っている。そこへ唐突に、日光を遮り一塊の影が現れる。
「――――とか言っててよ〜。だから俺はアっ」
巨大な頭足類の触腕に男の頭上から振り下ろされる。列車のように太い触腕は石のタイルを踏み割り、その隙間から真っ赤な液体を小さく吹き溢した。大通りを横切る大蛸は続けて建物を踏み潰し、戯れに鉄塔を圧し折って放り捨てる。ひとり残された女は、赤い液体になった男の残骸に一瞬だけ目を向けた後、笑顔でアイスをひと舐めして踵を返す。
「ん〜美味し〜! やっぱバニラも買っておけばよかったかな〜」
女は暢気に感想を漏らすと、そのまま何事もなかったかのように立ち去る。地面の染みはいつの間にか消え去り、圧壊したはずの建物があった場所には幾何学的なオブジェクトが乱立している。その場にいた誰も先の惨事を気にすることなく、皆思い思いの日常を楽しんでいる。
「……全く、コレばっかしは嫌になるね」
どこからともなくコンテナボックスを引き摺って現れたサノマは、地面から”見えない何かを拾い上げ“コンテナボックスに放り入れる。するとそこへ1人の子供が駆け寄り、しゃがんでいるサノマに抱きついた。
「猫のおねーさんだー! 何してるのー?」
「こらこら、お姉さん達は今お仕事中だよ」
「遊ぼー! サッカーしよーよー!」
「……分かった。じゃあ、お友達も誘って行こうか」
「友達? おねーさんの友達?」
「…………そうだよ。じゃ、一緒に行こうか」
「うん!!」
元気よく走り出す子供に手を引かれ、サノマはその場を後にした。
〜狼王堂放送局 居住区西部 鈍色の街 (ラデックサイド)〜
「覚悟しろ!! 我ら“忌憚なき爆弾魔”!! 喧嘩を売る相手を間違えたな!!」
「やっちまえリーダー!!」
「ぶっ倒せーっ!!」
マスクとマントで装備を隠した小柄な男が、仲間の声援を背にラデックに向かって突進を繰り出す。それをラデックはひょいと躱し、すれ違いざまに手を掴んで腕を捻り上げた。
「あでででででででえっ!!!」
「リーダー!!!」
ラデックは眉ひとつ動かさず淡々と縛り上げ、小柄な男からナイフを奪い取り突きつけて見せる。
「よし、正直に答えろ。あのタコはお前達が呼んだものか?」
「タ、タコぉ!? オレらな訳あるかそんなの!! 縄解け!!」
「分かった。解く」
「へっ?」
すぐさま縄が解かれ、小柄な男は飛び退いてラデックを睨みつける。
「……テメー、なんのつもりだよ」
「俺はあのタコを呼び出した奴らを探してる。密入国者を捕まえにきた訳じゃない」
「タコって……アレのことだよな?」
「ああ。アレだ」
小柄な男とラデックは、遥か遠くで蠢く巨大な軟体動物に目を向ける。タコは鈍色の街を踏み潰して進み、歩いた後にもうもうと土煙を上げている。
「……オレ達は何も知らん。それどころか、こっちだって困ってんだ。あのタコが出てきてから、安心して寝られる場所が無くなっちまった」
「タコはどこから現れているか、知っているか?」
「さあな。気が付いたらいるし、気が付いたらいない。すげー速さで動いてるのか、本当に消えてるのか、それもわからん」
小柄な男は溜息をついてマスクを外し、その下にある大きな裂傷を見せる。唇が剥がれて横に大きく裂けており、耳に至っては跡形もなく千切られている。
「あのタコの振り回した腕に掠って出来た傷だ。あと数ミリ間違えば頭が吹き飛んでた」
「……それは大変だったな」
「アンタ、アレを何とかしてくれんのか?」
「その予定ではある」
「そりゃあありがたいが……気を付けろよ。アイツ、何かを襲う素振りは見せねーが、その分動きが気紛れ過ぎて避け辛い――――」
男が喋っている途中でラデックは男の顔に手を伸ばし、粘土を捏ねるように撫で回す。
「なっ、何すんだっ、お、おいっ、やめっ、やめろ!!」
男がラデックを引き剥がすと、顔の痛みが治まっていることに気が付いた。男がハッとして仲間の方を向く。
「リ、リーダー……!!」
「顔が……!!」
男が自分の顔を触る。傷は消え、失ったはずの耳が元通り生えている。
「邪魔をして悪かった」
ラデックが立ち去ろうとするのを、男は意図もないまま咄嗟に引き留める。
「あっ、おい! お前何者なんだよ! 大明陽消の手先じゃないのか!?」
「よく分からんが、王の勅命で動いているのは確かだ。多分」
「はぁ……? 多分って……」
「じゃあな、もう悪さするなよ。でないと、世にも恐ろしい拷問好きの悪魔がやってくるからな」
唖然として立ち尽くす男を置いて、ラデックはレシャロワークとの集合場所に向かうため大きく飛び跳ねる。異能で伸ばした腕の筋肉を薄く広げ、翼のように羽ばたいて空を飛んで行く。空の彼方へと飛んでいく異形の男の後ろ姿を見つめながら、取り残された男は生えてきたばかりの耳を触ってボソリと呟いた。
「喧嘩買う相手……間違えたかな……」
「む……あれは、バリアか?」
建物から建物へと飛び移るラデックの視界に、見覚えのある小柄な後ろ姿が映る。
「おーい、バリア」
「ん」
ラデックが隣へ着地し改造を解くと、バリアは少しだけ足を止めて目を向ける。
「改造、上手くなったね。もう立派な人外だよ」
「それは困る……。こっちは収穫無しだ。3団体ほど遭遇はできたが、皆タコについては知らないそうだ。分かったことといえば、タコは神出鬼没で何処から来て何処へ行くのかもわからないということと、最近現れたらしいということだけ」
「多分、メギドとハイアがピガット遺跡に出かけた隙に現れたんだろうね。さっきちょっと建物の残骸を見てきたけど、どれも最近壊されたようなものばかり。修復も間に合ってない」
「あ、それとタコは特に自分から誰かを攻撃することはないそうだ。その代わり、動きが気紛れ過ぎて相手をし辛いとも言っていた」
「意識を持った生命体なのかもね」
「やはり侵略目的だろうか」
「防衛層を打ち破る新型生物兵器……とかだったら楽なんだけどね。現代人の知恵じゃ使奴を越えることはできないし」
「じゃあ何だと困るんだ?」
「前例の無い異能による事故か、脈絡のない馬鹿異能者の暴走」
暫く歩くと、前方からレシャロワークがやってきた。一心不乱に携帯ゲーム機を操作しながら摺り足気味に歩き、緊張感のある眼差しで忙しく指先を動かしている。
「レシャロワーク、そっちの成果はどうだ?」
「あーちょっと待ってくださいねぇ……。もうちょいでハイスコア狙えるんでぇ……あ……………っスゥー…………はい。大丈夫です」
「……そっちの成果は?」
「やたら盗電に勤しんでるグループがいましたぁ。それ以外はシロかなぁ」
「盗電?」
「なんか地下からいっぱいケーブルとか伸びててぇ、多分下にわんさかいるんじゃないですかねぇ」
「地下か……。しかし、灰亜種とは言え使奴が統治する国で電気など盗んでいたらバレそうなものだが……」
ラデックが首を傾げると、バリアが先陣を切って歩き出す。
「レシャロワーク、それってどの辺?」
「西南西でぇす」
「行くよ」
とある高層建築物の一階フロア。柱だけの吹き抜けたフロアには大小様々な謎の直方体群が犇き、その合間を虚な笑顔の人々が魚群のように流れている。
「多分ですけどぉ、夢の方じゃ美術館的なステージなんじゃないですかねぇ。人の流れ的にぃ」
「なるほど……。人が行き来していないところは、壁があるってことなんだろうか」
「わかんないですよぉ。クソデカオブジェが置いてあるだけかもぉ」
「ああ、そういう可能性もあるのか……。気を付けて進まないと、人にぶつかりそうだ」
人混みを掻き分け建物の中心へ進んで行くと、途端にひらけた場所に出た。建造物の最上階まで突き抜けた吹き抜けからは何本ものケーブルが滝のようにぶら下がっており、それらは床に空いた大穴の底まで伸びている。大穴は家一軒を軽く飲み込めるほどの幅があり、内壁やケーブルに疎に付けられた小さなランプが黄色に淡く発光している。
先に到着していたバリアはラデック達の方へ振り向き手招きをした。
「落ちないでね」
「これは……凄いな。うっ、熱気も凄い……」
「排気口かな。中で結構な数の機械が動いてるんだと思う」
「ラデックさん見てくださいよぉ。この線カテゴリ7ですよぉ。凄いですねぇ」
「何がどう凄いのか分からない」
「は?」
「2人とも、行くよ」
バリアが大穴へ飛び込むと、ラデックもそれに続いて飛び降りた。
「いやいや普通階段とか探すでしょぉ……。もう……」
レシャロワークも浮遊魔法詠唱して足を踏み入れるが、魔法は数秒と保たず霧散し足を滑らせ大穴へと落下していった。
穴は広さに比べて深さはあまりなく、着地に失敗したレシャロワークは頭部と背中に強めの打撲を負う程度で済んだ。ラデックは少し呆れながらもレシャロワークの手を引いて、体についた埃を手ではたき落とす。
「何で足から降りないんだ……」
「思ったより浅かったぁ〜」
「深かったら死んでるぞ。傷は……致命傷ではないな。骨に罅が入っているかもしれないが、臓器は無事だろう」
「痛ぁ〜い。バリアさん治してぇ〜」
「今治すと放っておくより痛いよ。もう少し我慢」
「血が出てるよぉ」
「そりゃ血くらい出るでしょ。生きてるんだから」
「痛ぁ〜い。ラデックさん治してぇ〜」
「俺がやるとバリアより痛いぞ」
「あぁ〜ん」
バリアはレシャロワークを置いて歩き出し、ケーブルが伸びるトンネルの先へと進んで行く。
中では小さなLEDが夜空の星々のように輝いているが、それは足元を照らす明かりとしては全く役に立たず、熱波を吐き出すケーブルのトンネルはどこまでも暗闇を伸ばしている。奥へ進むごとに温度は上昇していき、風圧も強くなっていく。やがて四方を覆っていたケーブルも壁の隙間から別の場所へ伸びて行き、LEDの明かりも消え失せ真の暗闇と熱波だけが容赦なく吹き付ける石の通路へと変わっていく。
遠くからラデックのバリアを呼ぶ声が聞こえる。敵に気付かれぬためか、使奴にしか聞き取れないような小声で。それでもバリアは速度を落とさず黙々と歩き続け、ある程度進んだところで不意に立ち止まる。
しばらくするとラデックが追いつき、若干息を荒らげながら口を開く。
「おい、バリア。レシャロワークが死にそうだ。少し休もう」
「ここで?」
「……もう少し進んだら」
「熱いぃ〜……苦しいぃ〜……」
レシャロワークを背負ってきたラデックも、容赦なく吹き付ける排気の熱波に目を細める。暗闇を見通すため改造した目で奥を睨むが、トンネルの先は未だ見通せない。ふと壁を見ると、暗くてよくわからないが絵のようなものが描かれているのが分かった。書き殴ったような謎の記号で綴られた文章。その隣には、抽象化した人間のようなイラストの上に、丸で囲まれた三つの点。見方にもよるだろうが、ラデックにはそれが首の取れた人間のイラストに見えた。
不気味極まりないが、それでも進む他ないと一歩足を踏み出した時、どこからか金属を弾いたような音が響いた。
「ラデック」
バリアの呼びかけで、ラデックは姿勢を低くして背負ったレシャロワークごと前方に身を転がす。それと同時に、トンネルの壁や天井から巨大な丸鋸が現れた。けたたましい金属音を響かせ回転する円盤はトンネルを輪切りにするように飛び出し、あろうことか背後からも2枚、ラデック達を追いかけるように接近してくる。
「うおっ!? うおおおおおおおおっ!!!」
ラデックは訳も分からず奥へと猛ダッシュし、次々に行手を阻む丸鋸の隔壁の隙間を滑り抜けて行く。その途中で壁際に設けられた小さな非常口を見つけ、ドアノブを引き千切りこじ開け中へと滑り込んだ。
「っはあ!! っはあ!! あ、危なかった……!!!」
「痛いよぉ〜」
激しく揺さぶられ激痛を訴えるレシャロワークを尻目に、ラデックは背中に身を預けて呼吸を整える。そこで初めて、薄暗いものの部屋に明かりが灯っていることに気がついた。
埃を被った備品倉庫。蛍光灯は消えているものの、電灯のスイッチ付近に設けられた豆電球が僅かに光源として機能している。錆びた鉄のラックにはダンボールに詰め込まれたプラスチックボトルやスプレー缶が並んでおり、乱雑に工具が詰め込まれたバケツやコード類が部屋の隅に積み上げられている。
ラデックはレシャロワークを背負ってゆっくりと立ち上がり、部屋の外に出るため正面の扉に手をかける。鍵はかかっていないようで、ドアノブは微かに音を立てて緩やかに開いた。
「ててててっ、手ェ上げろゴラァ!!」
扉の先で待ち伏せをしていたガスマスクをつけた女性達が、槍と弓矢を突きつけて吼える。ラデックは言われずとも両手がふさがっているため動けず、背負ったレシャロワークがラデックの代わりに両手を上げる。
「ア、アンタらどこの団体だ!?」
「どこのって言われても……強いて言うなら、ラルバ一家?」
「ホントにどこ!?」
「さぁ……」
ラデックが困惑していると、背負っていたレシャロワークが部屋の奥、リビングのような造りのフロアの壁に設置してあるモニターの画面を見て口を開いた。
「ん〜? アレはもしや、“ビッパレ”ですかねぇ?」
レシャロワークの呟きに、女性達の緊張に亀裂が入る。
「……え?」
「それも、レベル13ミッションの恋する星空トキメキミュージアムのプラチナランクに挑戦中? いけませんねぇそんな編成じゃぁ……。ひょっとしてぇ、裏ステータスをご存知でない?」
ガスマスクの女性達が互いに顔を見合わせた。




