194話 電波の国、夢の国
〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” 団長室 (ハザクラサイド)〜
隻腕無足の女傑、“傀君ドロド”が、虚な笑みのまま転がっている。短剣がこめかみに深々と突き刺さっており、反対側から僅かに刀身を覗かせている。
ハザクラは己の掌を見つめ、それから何度か交互にドロドを見下ろす。
実感が湧かない。人の命を、それも一国の顔となる重鎮を殺害したというのに、心が微塵にも揺らがない。違和感と言うよりは、困惑。失望に近い不可解。ドロドの降参、宣戦布告。何もかもが噛み合わない。
頭の奥に、イチルギの残した言葉が浮かぶ。
「気にしなくていいから……か。無茶を言う」
念の為ハザクラは膝を突いてドロドの首筋に手を触れる。脈動どころか、一切の緊張もない緩んだ筋肉の感触だけが指に伝わる。最早これが生命ではなく、ただの物体であることの証拠。
ハザクラは静かに立ち上がり、イチルギに蘇生を頼もうと踵を返す。と、その時。
「……何だ?」
どこからか、キッ、キッ、という音が聞こえる。どこか遠くで何かが割れるような、鈍く乾いた音。そして次の瞬間、大きな破砕音と共に真後ろの柱に巨大な亀裂が走った。
「まあ……そうなるの、か……!?」
ドロドの無駄に暴れ回る戦闘により限界を迎えていた壁が吹き飛ぶように崩れ、柱は爆ぜて圧し折れ、頭上から分厚い石材が幾つも降ってくる。床は傾き地震のように揺れ始め、あちこちから電線が千切れてショートする音が聞こえる。
「まずいっ……!!」
ハザクラは慌ててドロドの死体を背負い、まだ無事な壁や柱を蹴って脱出を試みる。幸いにも団長室から離れたところはまだ歩ける程度に床は残っており、そのままイチルギがいるであろう国王の部屋を目指す。
長い廊下を進み、螺旋階段を登り、壁にかけられた絵画を踏まないよう走り抜け、上へと落下していく本棚を足場に空を跨ぐ。廃ビルの屋上は思ったより広く、砂浜を滑り降りる頃には雨は止んでいた。何度目になるかわからない牧場の門を潜り、地平線から生える鉄扉に手をかける。
「イチルギ!!」
勢いよく扉を開けると、その先の部屋でティータイムを楽しんでいたイチルギがポカンとした顔をする。
「どうしたの? そんな慌てて」
息を切らしたハザクラが辿り着いたのは、無機質なコンクリート造りのサーバールームだった。大小様々な機械がイソギンチャクの様に配線を伸ばし、モニターの黒い画面には夥しい量の文字が絶え間なく流れている。部屋の中央には簡素なテーブルと椅子が置いてあり、そこに座ったイチルギがどら焼きとコーヒーカップを手に呆然とこちらを見つめている。
「……な、何だ、ここは……?」
「……? 分かってて来たんじゃないの?」
「い、いや……?」
「それより私も聞きたいんだけど、何で“そんなところ”から出て来たの?」
「え?」
ハザクラが振り向くと、自分が入って来たであろう入り口は、入り口ではなく大きめの換気ダクトであった。足元には自分がこじ開けたであろう金蓋が、ぐにゃりと歪んだ状態で転がっている。
「……何故、俺は確かに……いや、何だこれは? 記憶があやふやだ……」
するとそこへ、今度は別の入り口からジャハルとデクスが駆け込んできた。
「うわっ、何だこの部屋は!?」
「おいイチルギ!! この国どーなってんだ!」
ハザクラもジャハルもデクスも、皆おかしな“夢”でも見たかのように狼狽え脂汗をかいている。3人の困惑した姿を見て、イチルギは眉間に皺を寄せて部屋の奥に声を飛ばす。
「ちょっとー! やり過ぎじゃないのー!?」
すると、部屋の奥で機器の隙間に蹲っていた1人の人物が頭を擡げる。
「私に言うなよ。管轄外だ」
見覚えのある“灰色の肌”にハザクラとジャハルは目を丸くし、デクスは訝しげに目を細めた。
「久しぶりだな、ボンクラ共。……っと、デクスは初めましてだったかな?」
そこにいたのは、ピガット遺跡で出会った灰亜種の使奴、メギドであった。
「お前は……ピガット遺跡にいた……」
「その節はどーも。まあ座れよ、甘味は好きか?」
メギドは椅子を4席用意し、机の上にコーヒーカップと焼き菓子を数種類並べる。ハザクラは少し訝しんで顔を顰め、ジャハルとデクスも同じく警戒して椅子には近づかず、黙ってメギドを睨んでいる。3人がそのまま数秒立ち尽くしていると、ハザクラに背負われていた“ドロド”が耳元で叫んだ。
「おい早く座れよ!! マフィン食いたいマフィン!!」
「うおっ!?」
死体であったはずのドロドは元気よくハザクラの背中から飛び降り、左腕だけで器用に歩いて椅子に這い上がる。そしてフォークを手に、マフィンを串刺しにして頬張り始めた。
「ん〜うめ〜! 脂と糖、最っ高〜!」
「おいドロド、もうちょい美味そうな表現方法あるだろうよ」
「生活習慣病味」
無邪気に舌鼓を打つドロドの顔には、短剣の裂傷どころか血一滴付いていない。不可思議な甦りにハザクラが狼狽えていると、メギドが悪戯っぽく笑い、それから虚空に向かって話しかけた。
「いいねぇ、その顔。ネタバラシのしがいがあるってもんだ。なあ? “ハイア”」
「そうですかね?」
何もなかったはずの場所に、突如として1人の使奴が現れる。それは、メギドと同じくピガット遺跡で出会った灰亜種の使奴、ハイアの姿であった。メギドは視線をハザクラ達に移し、失笑を溢しながら手招きをする。
「まー言いたいことは色々あるだろうけどよ、取り敢えずは甘いモンでも食って落ち着こうぜ」
〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” サーバーフロア (ハザクラ・ジャハル・デクス・イチルギサイド)〜
「そんじゃま改めまして、ようこそ我が【電波の国】へ。完璧人造人間の失敗作であり、“通信”の異能者メギドが、知りたいこと知りたくないこと何でも教えてやるよ」
「さらに改めまして、ようこそ我が【夢の国】へ。完璧人造人間の失敗作であり、“夢”の異能者ハイアちゃんが、儚くも美しい理想の夢を見せてあげますよ」
「……成程。そういう事か……」
揶揄うような笑みのメギドと、真顔でありながらもどこか誇らしげに歓迎の言葉を述べるハイア。ハザクラは溜息を漏らして頭をガリガリと掻きむしりながら、ハイアに向け文句の様に問いかけた。
「どこからだ?」
「何がですか?」
「俺達が見せられていた幻覚だ」
「幻覚じゃなくて夢ですよ」
「どっちだっていいが……」
「よくありません。夢だからこそ、矛盾した光景を違和感なく落とし込めるのです。幻覚じゃこうはいきませんよ。えっへん」
「…………」
ハザクラがイチルギに「彼女はいつもこうなのか?」と言わんばかりに目を向けると、イチルギは下顎にグッと力を込めたまま重く頷いた。
「ごめんね、事前に教えてあげても良かったんだけど、結構大きめの機密情報だったから後回しにしちゃったの」
「いや、それは気にしていない。確かにこれは見たほうが早い」
ハザクラが渋い顔でフィナンシェを一口齧り、不満げにメギドを睨む。メギドは全く気にする素振りなど見せず、依然として楽しそうに国のことを語り始めた。
「まー実際複雑だしな。さて、どこから話したもんか……」
狼王堂放送局。ヴァルガンの建国した“狼の群れ”より少し前に、メギド、ハイアの2名によって造られた“電波”の国。メギドの“通信の異能”によって造られた電波塔を用いて、通信を目的とした世界中の電波の傍受や妨害することを目的とした施設。
しかし、時が経つにつれ情報の中枢である狼王堂放送局は世界中から狙われるようになり、度々大規模な侵略戦争が勃発するようになった。これを受け、狼王堂放送局は大幅に国土を広げ“防衛層”なるエリアを造り上げた。中央施設“狼王堂”を囲むように設けられた防衛層はハイアの“夢の異能”の範囲内であり、侵入者に悪夢を見せ駆逐する半自動的な迎撃装置として機能する。恒常的な防衛兵器。
防衛層は侵略者に対して絶大な力を発揮し、その威力は極稀に敵対する隠遁派の使奴をも跳ね除けるほどであった。やがて侵略頻度も薄れ、この防衛装置も不要になったころ。ハイアが気紛れに、防衛層を満たしていた悪夢を幻想的な享楽の世界に作り変えた。切掛は少年兵として送り込まれた敵兵への情けであったが、どこからか情報が漏れ“夢の国”と噂されるようになった。
それからというもの、狼王堂へではなく防衛層そのものを目指して訪れる者が急増した。単に甘い蜜を吸いにきたゴロツキや面白半分の自称冒険者から、迫害に遭い微かな希望を背負い命からがら辿りやって来た被差別民まで。荒野のど真ん中という辺境の地であるにも拘らず、狼王堂放送局の門を叩く者は後を絶たなかった。
そこで狼王堂放送局は防衛層を噂通りの“夢の国”へと造り変え、興味本位で訪れた者は追い返し、現実という地獄から逃げ延びて来た避難民に向け“最期の砦”として開放した。
帰る家もない。故郷もない。生まれながらにして外れくじを引かされた、快楽も、幸福も知らず、人間に数えられなかった者達。この世に疲れ果てた彼等のために用意された、寝台であり棺桶。辻褄合わせの享楽。決して覚めぬ永遠の夢。
「ここは出口の無い甘美な墓場。今や防衛層は“遊霊園”っつータグで管理してるよ。勿論、あそこに住んでる奴らにゃ伝えてないがね」
まるで本のあらすじを語るように、メギドは淡々と説明した。しかし、ハザクラはこれを薄情だとは微塵にも思わなかった。
この結論に辿り着くまでに、数多くの葛藤があっただろう。終わりを与える不甲斐なさ。偽りの夢を見せる苦しさ。刹那の幸福を味わう姿を見る無力感。戦い続ける孤独感。神の真似事への嫌悪感。それらを一手に引き受け、今日まで続けてきた。その苦労、重圧に、ハザクラは相槌の一つさえ発さなかった。
「あー……色々思い計ってくれんのは嬉しーんだが、実際には私は何もしてない。夢の国の管理は全部ハイアがやってくれてる」
「元は私の気紛れですし、別に今も今までも苦しんでませんよ。面倒臭くはありますけど」
思い詰めたかのようなハザクラをメギドが気遣うが、ハザクラは小さく首を左右に振り、黙って深々と頭を下げた。
その様子を見かねたドロドが、口にフィナンシェを詰めたままフォークを向ける。
「で! 結局何が聞きたいんだよ! 一応賭けに負けたから聞いてやるけど、アタシこれ食べたら帰るからな?」
「あ、ああ。そうだった……すまない。俺が聞きたいのは――――」
「わかんない!! 知らん!!」
「まだ何も言ってないんだが……」
ドロドはテーブルの上の菓子を数個掴んで袋に詰め、首にかけた魔袋に入れて椅子から飛び降りる。
「ごちそーさま! じゃ、アタシはシャワー浴びに行くんで帰るよん」
「あっおい! 教えてくれるんじゃなかったのか!?」
「いや、そもそもアタシ何も知らんし。答えられることは言うけど、知らないこと聞かれてもなー」
「……ドロド、お前元からそう言うつもりだったのか……」
「クククク、お陰でアンタのことが少し分かったよ。手の内明かしてくれてありがとよー」
ドロドは左腕を振り、そのまま立ち去ろうと再び部屋の外へ進んで行く。
「あ、そうそう! さっき見せた“陳腐な小細工”の話だが……、ありゃ即興でやったマジの小細工だ。アテにすんなよ」
「なっ、ええっ?」
「生きるか死ぬかっつー訳でもないのに、誰が手の内見せるもんかよ。今日初めてやったわマヌケめ。クククク」
それだけ吐き捨てると、ドロドは“手早”に部屋を出て行った。
面食らった顔をしているハザクラを慰めるように、メギドが徐に口を開く。
「あー……ドロド相手じゃ無理だ。うん。アイツのやり口は相当捻じ曲がってるからな」
「……身をもって痛感した。武力を持ったハピネスって感じか……。あれ、そう言えばハピネスはどうした? デクス?」
「あ? 知らねー。さっきの幻覚の中で瓦礫に押し潰されてたのは覚えてる」
「置いてきたのか……」
「助ける必要あるか?」
「厄介ではあるが一応は便利だ」
「じゃあヤダ」
デクスはテーブルのマカロンを一口で平らげ、メギドの方を睨みつける。
「つーか、デクスもお前に聞きてえことがある」
「ほう、何だ?」
「イチルギの旧友だっつーんなら、デクスが“大河の氾濫”所属なのは知ってるよな? 世界ギルドの秘密組織だ。だが、どーも最近どっからか情報が漏れてるクセー」
「ああ、確かに、ここ最近“大河の氾濫”だの“太陽蜘蛛”だのというワードは何度か耳にしてるな」
「知ってること全部教えろ」
「勿論。勿論いい……んだけど……」
「あ?」
メギドがニヤリと笑ってデクスとハザクラを見やる。
「私からも交換条件だ。ひとつ、手伝って欲しいことがある」
「ぜってーヤダ」
「……本当にひとつだろうな?」
2人が警戒して眉を顰めると、メギドは軽く笑い手を左右に振って否定のジェスチャーをする。
「あっはっは。私とドロドを一緒にするな。と言うより、これが片付かないと2人の質問にも答えづらい」
「嘘クセー」
「何だ」
するとメギドは、打って変わって真剣な眼差しで眉を顰め、少し前のめりになって顔を寄せる。
「……タコを追い払ってもらいたい」




