192話 大明陽消
〜狼王堂放送局 居住区西部 ミラクルコナーベーション リゾートホテル“新月”〜
穏やかなBGMが流れる中、竹材を中心に自然を基調とした薄暗い部屋で、ラルバ、ラデック、シスターの3人はアロマオイルの香りに包まれながらマッサージを堪能していた。竜の国、バルコス艦隊から爆弾牧場へ、診堂クリニックから釁神社、三本腕連合軍を経由して天邪終・闇喰達。波乱万丈な旅路で溜まった疲れが、汗と溜息となって流れ落ちていく。
特にラデックは、バルコス艦隊では軍事訓練にファジットの教育、その前のピガット遺跡ではウォーリアーズの一角トールとの死闘、さらに遡れば神の庭でラルバの遊びに付き合わされ、スヴァルタスフォード自治区では悪魔郷の精鋭ヤクルゥとの戦いがあった。幾ら釁神社と三本腕連合軍でも碌に休めておらず、そこに来てこの物見遊山はリフレッシュと言うより痩せ馬に鞭であった。
「おお……これは……眠くなるな……」
ラデックは微睡に半分意識を飲まれつつ、この快楽を手放さんと虚な恍惚の表情のまま意識を必死に繋ぎ止める。そんなラデックの様子を見て、鏡に写したかのように同じ姿をしたマッサージ師の女性達が口々に感謝を述べる。
「ふふ、ありがとう」
「そんなに楽しんでもらえると、僕らも嬉しいよ」
「旅人かい? 疲労の溜まり方が尋常じゃないね」
「長い旅だったんだろう」
「しかし……これは酷いもんだ」
「肩に首……それと下半身が随分凝ってるね……特に、白髪の君」
「えっ? いだだだだだだだっ!!」
シスターは腰を指圧された途端、涙を目に浮かべて仰け反る。
「そんなに強く触ってないよ」
「でっ、でもっ、あっ、うっ」
「相当だね……。ここはどう?」
「ぎゃっ!! ぎっ! かっ、がっ」
「……これは酷い。二十歳そこらでこれは深刻だよ」
「うっ……あっ……」
マッサージ師は半分呆れたような顔をして、仕方なく痛みを感じにくい箇所を優しく指圧する。それをラルバはケラケラ笑って馬鹿にし、楽しそうに悪態をつく。
「ひひひひっ。だぁから道中私の言うことを聞いていればよかったんだ。何度もほぐしてやろうか聞いただろう」
「嫌に決まってるでしょう。人の痛みで喜びを感じる人に誰が頼みますか」
「仲間にはそんなことしないよ〜」
「じゃあダメですね。私はラルバさんの仲間じゃないので」
「嘘だぁ〜……。ところで――――」
ラルバは頬を緩めたまま、陰湿な眼差しをシスターからマッサージ師に向ける。
「隠遁派の使奴が、何でこんなところに?」
マッサージ師の女性達がピタリと動きを止め、徐にラルバに目を向ける。
「……どこかで会ったっけ?」
「うんにゃ、カマかけただけ。半分以上勘だよ」
「…………ふぅん。いい度胸してるよ」
マッサージ師のうち2人が煙のように揺らいで消え去り、残った1人が恨めしげに、それでいて楽しそうにラルバを睨む。
深い紫の髪からは猫科のような耳が生えており、同じく猫科の尻尾が不機嫌を表すようにゆらゆらと揺れている。使奴らしい白肌と額の黒痣の間には、黒い角膜に嵌め込まれたように藍色の瞳が浮かんでいる。
「初めまして、で合ってるんだよね? お察しの通り、僕らは隠遁派の使奴“サノマ”。分身の異能者だよ」
サノマはすっかり業務を放棄し、部屋の照明を明るくしてから空いているベッドに腰掛ける。
「て言うか、僕らが使奴だって分かってるなら最初に言ってくれないかな。じゃなきゃ使奴をマッサージするなんて無意味なことしなくて済んだのに」
「それはゴメン。言い出すタイミング無くなっちゃって」
「で、僕らに何を聞きたいの? 答える義理はないけど」
「ゴメン、それも特にない。言い当てたかっただけなの」
「………………」
サノマは分かりやすく顔を顰めてラルバを睨む。シスターがラルバの代わりに深く頭を下げるが、当の本人は悪びれもせずわざとらしく笑って誤魔化している。
「あっはっはっは。あ、そうだ。マジで今思い出したんだけどさ、サノマちゃんってピガット遺跡にいた子?」
「やっぱり覚えてるんじゃないか」
「ゴメン、カマかけた。へー」
「殴っていいかい?」
豪華なリゾートホテルの中を、サノマはラルバ達を案内しながら面倒くさそうに身の上話を語った。
「狼王堂放送局は常に働き手が不足してる。そこで、各国でひっそりと暮らしている使奴からボランティアを募ってるんだ。主にピガット遺跡の異能互助会を中心に。あそこには僕らのように暇を持て余してる使奴が多いからね」
「ふーん。無賃金なんだ。望んで滅私奉公たぁ、筋金入りの使い捨て性奴隷だね」
「かもね。人生は死ぬまでの暇潰し、でも僕らには終わりがない。闇を見つめ過ぎると気が滅入る……。そんな時、よくここへ来るんだ」
「どうせなら遊べばいいのに」
「所詮は滅私奉公も他者を思い遣りたいというエゴに過ぎない。僕らにとっては奉公も娯楽の一環さ。別に人間が好きで面倒見てるわけじゃない。何かの世話をしてると気が紛れるんだよ」
「……浮浪者が野良猫に餌やってる感じ?」
「あはは。そうだね。でも、もうちょっと酷いかも。僕らは猫がどっかで轢死してても気にしないし、駆除されてても何も思わない。本当にただの暇潰しだよ」
「馬鹿にして言ったんだけどな……」
サノマは展望台まで来るとラルバ達をデッキチェアに座らせ、分身で作られたであろう別のサノマがカラフルなトロピカルジュースをラルバ達に配る。
「そこで、君らに頼みがある」
「え、やだ」
ラルバが即答すると、サノマは分かっていたかのように微笑む。
「別に聞いてくれなくたっていいよ。元より、僕らが狼王堂放送局から頼まれてたボランティアだし、僕らもあんまりやる気がない」
「じゃあほっときゃいいじゃん」
「全くの無視というのも気が引ける。それに……」
サノマがニヤリと北叟笑んでラルバを見る。
「君、悪者退治が趣味なんだろう?」
「ひひひ……まあね」
一方その頃――――――――
〜狼王堂放送局 中央施設 “狼王堂” (ハザクラ・ジャハル・イチルギ・ハピネス・デクスサイド)〜
薄く黄色がかった石の建材。ちらほらと精巧な彫刻画が刻まれたり、紋章入りの威圧的な旗が掲げられているが、通りすがる衛兵達は皆穏やかな表情でその厳格さは見て取れない。
「じゃ、私はここで」
一際大きなホールまで来ると、イチルギはハザクラに手を振った。
「ああ、また後で」
「うん。あ、それと……」
イチルギは小声で全員に呟く。
「気にしなくていいから」
それだけ言うと、イチルギは「じゃあね」と別の階段の方へ去っていった。ハザクラはジャハルやデクスの方を見るが、誰もイチルギの意図には気付いていないようで首を横に振った。が、それは不可解を示す懐疑的な否定などではなく、そのうちわかることなのだろうという信頼故の納得であった。それから、ハザクラはハピネスの方をチラとだけ見てから再び前を向く。
ハピネスは依然として沈黙したまま黙ってハザクラ達について来ている。しかし、その表情はどこか楽しそうで、それがハザクラには不気味で仕方なかった。
「ハピネス、何を考えている? 何が見えている」
ハザクラが何度目かわからない問いかけをするが、彼女は黙って微笑むだけで口を開くことはなかった。
「……また碌でもないことを考えているな。邪魔だけはするなよ」
衛兵2人が警備する重厚な巨大な扉、団長室前まで来ると、ハザクラはジャハル達の方へ振り返る。
「じゃあ、俺は先に“ドロド”に挨拶をしてくる。その辺で待っていてくれ」
「本当に1人でいいのか? 幾ら世界ギルドの同盟国とは言え、相手は“国刀”だろう? やはり同じ“国刀”である私も同席した方が……」
「いや、寧ろその方が無礼に当たるだろう。国刀は国の顔だ。あまり交渉の場では顔を合わせない方がいい。それに、ベルからも単独でドロドに会うように言われている」
「う〜ん……。まあ……、それも……そうだな。うん」
「じゃ、また後で」
ハザクラが僅かに開いた扉の間を通り抜けると、すぐに衛兵が扉を閉めてしまった。ジャハルは少し心配そうに扉を見つめた後、デクスとハピネスの方に振り返る。
「さて、ここでただ待っていても仕方ない。私は資料室に行くが、2人はどうする?」
「デクスは飯の時間だ。さっき食堂があったから、そこで待たせてもらうぜ」
そう言うとデクスは踵を返してさっさと食堂の方へ歩いて行ってしまった。何故かハピネスもそれについて行き、1人残されたジャハルも資料室に向かって歩き出した。
「さて、資料室……資料室は、と……。あっちか」
壁に設置された見取り図や案内板を頼りに、ジャハルは階段を下って資料室へと向かう。と、その時。ふと視線を感じて振り向いた。
誰もいない階段。見上げても、誰の足音も聞こえない。ジャハルは違和感を覚えつつも、再び歩みを進める。しかし、廊下を過ぎた後にもう一度気配を察知する。
「………………」
今度は気付かないフリをして立ち止まらず歩き続ける。何者かの波導が、微風のようにジャハルの神経に触れる。もし尾行されているならば、恐ろしく練度の高い隠密。果たしてこれは実力そのものか、それともわざと気付かせているのか。
何事もなく資料室まで来たジャハルは、極めて自然体のまま中に入り中を散策する。背の高い本棚が整然と立ち並ぶ室内は面積そのものは広大だが通路は狭く、すれ違うのがやっとの細い通路がマス目状に伸びている。
ジャハルが何の気なしに一冊の本へ手を伸ばすと、突如後ろの本棚の隙間から長槍が襲いかかって来た。
「ほう、ここで来るか」
一切の前触れ無く繰り出された奇襲を、ジャハルは涼しい顔で身を捩って躱す。そして、槍に切り裂かれた本を空中でキャッチし、本棚の向こうにいる白髪青眼の女に軽口を叩いた。
「おいおい、本を切っちゃあダメだろう。資料室出禁になるぞ?」
「……平気。こないだ、全部、電子化した」
大明陽消所属。キユキスク。異能、有無不明。
デクスは広々とした食堂ホールを定食を手に見渡し、空いていた端の席に座る。その内にハピネスも定食を持って来てデクスの隣に腰掛けた。周囲の衛兵達はデクス達の方をチラチラと見ながら何かを噂しており、そのうちのひとりがデクスに話しかける。
「あ、あの」
「んだよ」
デクスは羊肉のハンバーグを頬張りながら、不機嫌そうに衛兵を睨む。
「あっ、す、すみませんお食事中に……。あの、ひょっとして、今日来られた世界ギルドの方ですか……?」
「ん」
「あっ、あっ、や、やっぱり! あの、私イチルギさんの大ファンで! あの、サインとかってお願い出来たり……」
「自分で言え」
「えっ……えぇ……。あ、あの、そちらの、方は……」
ハピネスは衛兵になど目もくれず、牛レバーのシチューをはふはふ言いながら満足げに食べ耽っている
「あの、あ、あ……あ…………」
衛兵が分かりやすく肩を落とし、しかし諦め切れないのか立ち去れずにいると、その後ろから別の衛兵が肩を叩いた。
「ちょっと、いいスか?」
「えっ、あっ! す、すみませんっ!」
小柄な薄緑の髪の女性に肩を引かれ、衛兵は条件反射的に後退ってその場を離れる。小柄な女性はデクス達の方へ目を向け、軽く頭を下げる。
「自分、大明陽消の“キギマル”って言います。デクスさんとハピネスさんっスよね?」
「……ここの連中は人が飯食ってるとこに話しかけるのが好きなのか?」
「すんません。時間が押してるもんで」
キギマルは腰に差していたショートソードを抜き、目にも留まらぬ速さでデクスに斬りかかる。それと同時に背後から接近して来た別の女が、ハンドアックスをハピネスの首に向け薙ぎ払った。周囲の衛兵達は突然の戦闘に悲鳴を上げるが、デクスは防壁を張って両者の攻撃を防ぎつつ、フォークに刺したハンバーグをのうのうと口に運ぶ。
「自分の右ポッケに財布が入ってます。定食代の弁償くらいは出来るかもっス。勝てたらの話っスけど」
「食い終わるまで待てよクソが……」
大明陽消所属。キギマル。異能、有無不明。
大明陽消所属。ゴースティー。異能、有無不明。
どこか遠くで鳴り響く凄烈な金属音を聞きながら、ハザクラは対面に座る女性に目を向け直す。
「アンタがハザクラか。思ってたより小さいね」
後ろで縛ったワインレッドの長髪、ジャハルと似た赤褐色の肌、碧く澱んだ瞳。狼王堂放送局の戦闘部隊、大明陽消の団長“ドロド”が、自嘲気味に笑い声を溢す。
「お前の方が小さいだろって? クククク」
「何も言っていないが」
ドロドは左腕で、左脚が“あったであろう部分”を手で軽く叩く。彼女の体は両足と右腕が根元から切断されており、豪華な石の椅子に腰掛けていても踏ん張りが利かず、だらしなく凭れ掛かるような姿勢になってしまっている。それでも彼女は楽しそうに笑い、残った左腕で顎を撫でる。
「フィズリースは元気かい? ほら、アンタのとこの医者だよ。アタシの身体をこんなにした」
「現在は各国を転々としているらしい。……フィズリースは瀕死だったアナタを命懸けで助けたと聞いているが……」
「そうそう。いやー素晴らしい身体だよ。なんとね、食費が半分で済むんだ。クククク」
「……そうか」
ドロドの不謹慎な冗談に、ハザクラは眉を顰めて相槌を打つ。だが、ドロドは変わらず嘲るように笑う。
「アンタ笑わないねぇ。ま、アタシの冗談で笑うヤツなんかいないけど」
「本題に入りたい。狼王堂放送局の持っている情報を閲覧させて欲しい。今後旅を続けるにあたり、ラルバに関する情報を確認しておきたい」
「あー、はいはい。そう言うことね」
ドロドは少し考える素振りをしてから口を開く。
「やだね。何が何でも見せない」
「……条件か?」
「まだ何も言ってないだろう? あー、でもそうだね。うん、そうしようか。アタシの頼みを聞いてくれたら、アタシの知る限りの情報を教えよう」
「頼みは何だ」
「簡単さ」
ドロドが「よっこいしょ」と言って“立ち上がる”。
波導が実体を持って練り上げられ、本来足があるはずの場所に半透明の義足が揺らめくようにして現れる。続けて右腕にも義手のような物体が現れ、ドロドの肉体を支えた。しかしそれは常人の代替物とは大きく異なり、樹の幹のように太く鬼のように禍々しい腕と脚になった。これにより身の丈が3m近くなったドロドが、残った左腕に波導で練り上げた巨大な刃を構えると、その余波で床に罅が入り天井が崩れ落ちる。
ドロドは瓦礫を小石のように足で掃き捨て、轟音と土埃を上げながらハザクラを見下ろし笑う。
「リハビリに付き合ってくれよ。あ、怪我人相手なんだから、当然手加減してくれるよな?」
「……努力はしよう」
大明陽消所属。ドロド。異能、詳細不明。




