190話 自由の采配
〜浮遊魔工馬車 1階リビング〜
「だーかーらー!! ろー何ちゃらには行かないってばー!!」
「“ 狼王堂放送局”だ! お前の為でもあるんだぞ!」
「いーやー!!」
荒野を直走る浮遊魔工馬車内では、ラルバとハザクラが取っ組み合って言い争いをしている。その様子をのんびりと眺めていたラデックが、暢気にあんぱんを齧りながらデクスに尋ねる。
「その“狼王堂放送局”と言うのはどういう国なんだ? “夢の国“と呼ばれていると聞いたが……」
「はぁ? オメー、この世界のことなんも知らねーのか?」
「ああ。殆ど外来人のようなモノだからな」
「時間壁が解けてからもうすぐ1年は経つだろ。その間何やってたんだよ」
「……勉強は苦手だ」
「そう言うのは苦手って言わねー。だらしがないっつーんだよ」
「面目ない」
デクスは大きく溜息を吐いて、ソファに寝転んで怠そうに説明を始める。
「世界中の情報統制を一手に担う役割を持ち、迫害や悪行で棲家を追われた根無草共の受け皿としての側面も持つ。人を従え、人を救う。そんな神紛いの立ち位置にいるのが“狼王堂放送局”だ」
「夢の国、と言うのは?」
「さあな。所詮噂だ。あそこは国とか都市っつーよりは、殆ど施設みたいなもんだ。住民はそんなに多くねーはずだし、貿易も碌にしてねーし、部外者がおいそれと立ち入れる場所じゃねー。デクスも行ったことねーしな」
「部外者が入れないのに“夢の国”なのか?」
「秘密にされてるっつー神秘性のせいでもあるだろうな。詳しいことはイチルギが知ってんじゃねーの? 何度か行ってるみてーだしよ」
「そうなのか?」
ラデックはリビングの隅で窓の外を眺めているイチルギの方を向く。イチルギは少し遅れて視線に気付き、ハッとして微笑む。
「ごめん、聞いてなかった。呼んだ?」
「イチルギがボーッとするなんて珍しいな……。狼王堂放送局について聞きたいんだが……」
「あ、あー。狼王堂放送局ね。説明するよりも、行って自分で見たほうが早いわよ。どうせ行くんでしょ?」
「行きませんーっ!!!」
まだハザクラと取っ組み合っていたラルバが声を張り上げてこちらを睨む。
「もう狼王堂って名前からしてキモい!! どうせ狼の群れから派生した国だろー?」
「あら、よく分かってるじゃない」
「げろげろげーっ!! ばっちい!! えんがちょえんがちょ!!」
イチルギはラルバを無視してハザクラの方を向く。
「私も狼王堂放送局にはちょっと寄っておきたかったの。滞在期間は?」
「人道主義自己防衛軍とも通信しておきたいことがあるから……大体1週間前後を予定している」
「ゼロだよゼロ!!」
「そう。じゃあ私の用事が終わったらそっち手伝うわね」
「助かる」
「寄らないって言ってんでしょぉ〜!!!」
子供のように駄々を捏ね続けるラルバ。そこへ、どこからともなくカガチが現れて通りすがりにハザクラの背中を軽く叩いた。
「…………」
ハザクラは気付かないフリをして暫くラルバと言い争いを続け、不貞腐れるようにしてその場を離れた。
カガチの後を追いかけて甲板に向かうと、強化ガラスに囲まれたバルコニーの窓辺にカガチが腰掛けていた。辺りはすっかり暗くなっており、星空の下に佇む使奴の姿は神々しささえ感じられた。ぼうっと外を見ている彼女の隣にハザクラが同じように腰掛けると、カガチは指先でハザクラの手の甲を撫で、文字を書き始めた。
“ゾウラ様のことで頼みがある。”
ハザクラはカガチに相談されたことに一瞬戸惑った。そして同時に疑問にも思った。話し合いを気取られたくないなら、使奴とハピネスにバレなければいいだけの話。それならば、声を発さず口の動きのみでやり取りを行えばいい。ハピネスが読唇術を会得している可能性も無くはないが、今この場を見ているのならばカガチの指の動きでも充分内容が分かってしまいそうなものである。
カガチは続けて文章を綴る。
“もし私がダメになったら、彼の面倒を見てくれ。”
ハザクラの中の戸惑いが、強い不信感に変わった。カガチが他者にモノを頼むこと自体が稀なことだが、それがゾウラの保護となれば疑わざるを得ない。誰よりも何よりもゾウラのことを案ずるカガチが、人間の自分にわざわざ頭を下げに来た。それも、突拍子もない自身の死を予見して。
頭を悩ませるハザクラを置き去りに、カガチは軽蔑するような眼差しを向け立ち上がる。去って行こうとする彼女に、ハザクラは慌てて声をかけた。
「や、約束はできない」
するとカガチは振り向き、より眉間の皺を深めて捨て台詞を吐いた。
「死ね」
「は、はぁ?」
助けを求めたり、罵詈雑言を投げつけたり、脈絡のないカガチの行動にハザクラの混乱はより深まっていく。暫く考え込んでから2階に降りると、そこには風呂上がりと思しき全裸のハピネスが牛乳片手に仁王立ちしていた。
「やっ。元気?」
「……服を着ろ。あと髪も拭いてこい」
「牛乳飲んだらね。ところで……」
ハピネスはハザクラの肩に手を回し、眉を顰めて笑いかける。
「ねえねえ。“答え”、教えてくんない? 多分私じゃわかんないやつでしょ?」
「答え……?」
「えっ。まさか君、何にも分かってないの?」
ハピネスは渋い顔をして数歩離れ、牛乳を一息に呷ってゲップを溢す。
「けぷ。じゃあお前に興味はないよ。歯ぁ磨いて寝な」
そう言って、「しっしっ」と手の甲を振って脱衣所に戻っていってしまった。
恐らくハピネスは、先ほどのカガチの問いの意味がわかっている。恐らくは、何かをヒントにして解き明かす暗号文。ハザクラもそこまでは分かっているが、その先がどうにも理解出来ない。しかし、カガチが相手に伝わらないほど難しい暗号を考えるとも思えなかった。
『……俺はこの暗号を解ける』
ダメ元で呟いた異能による自己暗示も当然機能せず、ハザクラは肩を落としてその場を後にした。
その夜。
「で、まだ解ってないんだ」
辺り一面、乳白色のベールに包まれているかのようなバリアの虚構拡張内で、ハザクラは珍しく落ち込んだ様子で頷く。
「ハピネスにも使奴にもバレないような伝え方をしたところを見るに、恐らくは俺以外の誰にも伝えたくない内容だったとは思うのですが……、恥ずかしながらこの様です」
「ラプーに聞いちゃえばいいのに」
「別にラルバの命令に従っているわけではないのですが、全知の異能者をこんなことで利用するのは気が引けます。それに、俺は最終手段以外でラプーに手伝ってもらう気はありません」
「ふーん」
バリアは興味無さそうに寝転がったまま、目だけをハザクラの方に向ける。
「で、それ私が聞いちゃってもいいの?」
「カガチの態度からして、これは暫くしてから意味が分かるような問いじゃないと思っています。多分、閃き一発勝負の簡単な暗号……。ですが、アナグラムや作品からの引用や慣用句も、思いつくものは殆ど試しましたが……解き方がまるで分かりません……」
「最後の捨て台詞がヒントになってるとかは?」
「それも考えましたが、どうにも思いつかなくて……」
「ふーん。……ところで、ポケットに何か入ってる?」
「え?」
ハザクラがポケットの中を探ると、恐らくはカガチが入れたであろう身に覚えのない一枚の紙切れが出てきた。
「何それ」
「……分かりません。これは……ただの数字?」
そこには、十数桁の数字の羅列が書かれていた。それを見てバリアはボソリと呟く。
「……シフト暗号じゃない?」
シフト暗号。文字を別の文字や記号に置き換える、換字式暗号の一種。シフト暗号はその中でも最も古い歴史を持つ単純換字式暗号である。早い話しが、暗号の原文を鍵の数字通り前後にずらして解読するだけの、種さえ分かれば未就学児でも解ける実に簡素な暗号である。
ハザクラは頭を抱えて項垂れ、苦しそうな低い唸り声をあげる。
「うううううう……っ!!! こんな、こんな簡単なヒントに気が付かないなんて……!!!」
「そりゃあカガチも怒るよ。……にしてもシフト暗号って……、手加減とか効率化って言うより、シンプルに罵倒されてるね。何か嫌われるようなことした?」
「……バルコス艦隊でゾウラを巻き込んだことを、まだ恨んでいるのかも知れません……」
「意外とみみっちいね、あの子。使奴部隊にいた頃からは随分マシになってると思ってたんだけどなぁ」
「ショックだ……」
「それより、暗号の内容の方も結構ショックだよ」
ハザクラは頭の中で番号通りに文字を入れ替え、暗号を解読する。
“ラルバはなぜお前の洗脳を受けていないのだ。”
出来上がった文章を読み取った時、ハザクラの首筋に冷たいものが伝う。
「私も初耳なんだけど。コレ、どういうこと?」
バリアが珍しく眉間に皺を寄せてハザクラを睨む。
「こ、これは……」
「ハザクラがラルバに異能で命令をしないのは、ハザクラが使奴を尊重してるからだと思ってたんだけど」
ハザクラは顔を青くさせて目を伏せる。隠していたわけではないが、言うタイミングを計っているのを言い訳に説明を後回しにしていたのも事実。バリアもそのことは察している。彼に悪意があったわけではないことも、事を軽んじていた訳ではないことも。しかし、使奴であるバリアにとってこの事実は重過ぎた。
「ハザクラが私達使奴の洗脳を未だに解いていないのは、何かしらの事情があるからだっていうのは察してる。体系立った命令の破棄は全個体に影響してしまうのか、解く順番によっては暴走してしまうのか、私達は命令無しじゃ意識を保てないのか、そもそも破棄ができないのか。それを探ることすら、他の悪意ある使奴には明かしたくない情報。口を噤んでるのも仕方ない。でも、ハザクラの存在無しで自由を得ている使奴がいるってのは、もっと早く言ってくれても良かったんじゃないの?」
バリアの寄り添いながらも逃げ場を無くすような叱責に、ハザクラは何も言えず申し訳なさそうに頭を下げる。
「も、申し訳ありません……。本当に……」
「…………ごめん。私も言い過ぎた」
「俺の方からラルバの状態は把握できても、ラルバからは俺の命令の支配下にあることを偽装させたかった……。これが、一片の悪意もないと言ったら嘘になります……」
「分かってる。多分ラルバはその事に気が付いてない。きっとカガチも」
「カガチも?」
「今日、ラルバと狼王堂放送局に行くかどうかで、結構騒いでたでしょ? もしかしたらって思ってカマをかけたんじゃないかな。それで、ハザクラがメモに気付かなかったから苛立ってた。って事なんじゃない?」
バリアは数字の書かれたメモをハザクラのポケットに戻す。
「メモは見なかった事にして、演技する自己暗示をかけておいた方がいいよ。私も内緒にしておく」
「……申し訳ありません」
「いいよ。どうせカガチだって、本気で知りたいならラプーに聞くはず。それをわざわざ尋ねてきたってことは、一応こっちを思い計ってくれてるって事でしょ」
「……だといいのですが」
「大丈夫。カガチはゾウラと出会って随分丸くなった。最悪腕一本くらいで許してくれるよ」
翌朝。朝食の準備をするために食事当番のハザクラがリビングに降りてくると、珍しく朝に弱いはずのラデックがサンドイッチを食べていた。
「おはようラデック。珍しいな」
「おはよう。昨晩遅くまでラルバの散歩に付き合わされて、寝てないんだ」
「散歩?」
するとそこへ、エプロン姿のラルバがフライ返し片手に現れ、サンドイッチをご機嫌にハザクラに放り投げつける。
「うおっ」
「グッモーニンベイビー!! それ食べたら荷物まとめときな!! 今日中には狼王堂放送局に着くよ!!」
「はあ? 昨日はあれだけ反対していたのにか?」
「昨日は昨日、今日は今日!!」
鼻歌を歌ってキッチンに戻っていくラルバ。ハザクラはサンドイッチを一口齧り、咀嚼しながらラデックを睨む。
「……散歩って、どこに行ってた?」
「いや……その辺をぶらぶらと……ひたすらにただの荒野だったが……」
「何を見た?」
「特に……」
「本当にか?」
「本当に……」
「本当の本当に何も見ていないのか?」
「本当だが……」
『ほんっとうに何も見ていないんだな?』
「今異能使ったか?」




