180話 また会う日まで
〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル会議室〜
「チル助さぁ〜ん。いい加減機嫌直して下さいよぉ〜。謝ってるじゃないですかぁ〜。ねえラデック君?」
「俺は謝らないが」
「謝れよ!! 共犯だろ!!」
廊下まで響いてくる聞き慣れたやり取りを聞きながら、シスターは会議室の扉に手をかける。中に入ると、そこにはティスタウィンク達と一緒に見知ったメンバーが揃っていた。
「お、やっと起きたか寝坊助! 遅いぞ!」
入るなりラルバに指を差されたシスターは、壁掛け時計をチラと見上げる。
「……まだ6時ですが」
「私が待たされたと感じたなら、それは遅いのだ」
「はあ、そうですか」
ラルバの理不尽に生返事をしつつ、空いている席に腰掛ける。隣に座っていたナハルが何か言いたそうにシスターの顔を見て口を開きかけるが、シスターは一瞬だけ目をやっただけで、再び視線を前に戻してしまう。
結局、再会してからの一週間。2人は真面に会話ができていなかった。シスターの常軌を逸した狂行の数々。診堂クリニックではハピネスによる素人手術で臓器を幾つも抜かれ、釁神社ではヒスイに首を裂かれ、三本腕連合軍ではピンクリークに立てなくなるまで殴られ続けた。今までずっと一緒に過ごしてきた筈のシスターの変貌に、ナハルは言葉にし難い恐怖を覚えていた。その気になれば、ナハルの中にインプットされた旧文明の技術でシスターの真意は測れるかもしれない。しかし、ナハルにはその技術をシスターに向ける勇気がなかった。
知ってしまえば、忘れられない。ナハルはシスターのことを誰よりも信頼していたが、それと同時に誰よりも疑っていた。そして、その事実を強く忌み、深い自己嫌悪に陥らずにはいられなかった。
そんなナハルの葛藤などお構いなしに、ラルバは意気揚々と声を上げる。
「さぁて! 悪いやつもやっつけたことだし! 迷子も回収したし! 次どこ行こっかなー! 候補ある人ー?」
呼びかけにハザクラが手を挙げる。
「はい! ハザクラ君!」
「“狼王堂放送局”へ寄りたい」
「はい却下〜べろべろべろばばばばばばぁ〜」
ラルバが舌を振り回してハザクラを馬鹿にするが、ハザクラはラルバ以外の人間に向けて話を続ける。
「皆知っての通り、使奴による情報統制の中枢は狼王堂放送局だ。“狼の群れ”から派生した比較的文明の進んだ親使奴派の国で、この三本腕連合軍とも交流が多い。そして、狼王堂放送局は情報統制を行う都合上、世界中の情報を網羅している。本来は検閲されるであろう所謂ディープウェブ的に扱われているモノもだ。俺達は少し目立ちすぎた。ここらで一度、各国の反応を窺っておくのがいいだろう」
それでもラルバは長い舌を鞭のように振り回して抗議する。
「知るかそんなもん〜! 行きたきゃ1人で行けよぉ〜!」
「主にお前のために行くようなもんなんだが。ラルバの本性が世間に広まると、同行している俺達も無事では済まない」
「なぁんのために人道なんちゃらかんちゃら軍が私達の後ついて来てんのさぁ! 証拠消してるんじゃなかったのぉ〜!?」
「限界がある。主にお前のせいで。唾を飛ばすな」
「悪い奴がしこたまいるなら行ってやらなくもないけどぉ〜? どーせ治安いいんだろぉ〜?」
「まあ、“夢の国”と噂されるくらいにはな。舌を振り回すな」
「っかぁ〜!! 夢の国だってよぉ〜!! ハザクラちゃんはバルコス艦隊の遊園地じゃ遊び足りないってさぁ〜!!」
「俺は遊園地には行ってないが……。それどうやって喋ってるんだ?」
いつもと変わらぬ稚拙な反論を繰り返すラルバ。2人の少し奥では、ラデックがタリニャとの再会を喜び、初対面のゾウラを交えて談笑をしている。
「2人とも元気そうで何よりだよ! ゾウラ君だっけ? 旅が落ち着いたら演劇観に来てね!」
「是非! 今から楽しみです!」
「いやあ良い子だね〜。顔も良いし、今からでも劇団員に欲しいよ」
「やめておけ。保護者が恐ろしく恐ろしいぞ」
「保護者? 保護者はラデックじゃないの?」
「俺は保護される側だ」
「どうみてもする側でしょ……」
「されたいんだ」
別のところではジャハルが、ティスタウィンク、ステインシギル、ピンクリークの3人を相手に同盟を持ちかけており、ハピネスの件も後押しになっているのか大きな問題は窺えない。
「はい」
隣に腰掛けたバリアが、両手に持ったアイスキャンディーのうち片方をシスターに差し出した。
「え、私に?」
「ゾウラに貰ったけど2本も要らない」
「は、はあ。どうも」
シスターは訳も分からず薄黄色のアイスキャンディーを受け取る。バリアは自分のアイスキャンディーを咥えて、パキンと小気味よい音を立てて齧る。
「で、探し物は見つかったの?」
「探し物……? 私に聞いてますか?」
「うん。シスター、爆弾牧場からずっと浮かない顔だよ。ま、浮かない顔はいつものことだけど」
バリアの指摘に、シスターは少し胸の奥を突かれたような気がした。それから少し不安そうにナハルの方を見る。ナハルは心配そうに、そしてどこか怖がるようにしてシスターを見つめている。思い返してみれば、ナハルはこの旅の最中ずっとこんな表情をしていたような気がした。シスターは少しの間目を伏せ、観念したように呟く。
「……見つかりませんでした。多分」
「ふーん」
「バリアさん。バリアさんは……その、ないんですか?」
「何が?」
「探し物、とか」
「うーん。あるだろうね」
「探さないんですか?」
「することがなくなって、気が向いたらね」
シスターは1人荒野に放り出されたような疎外感を覚えつつ、自らの口を塞ぐためにアイスキャンディーを齧った。
「……うっ。こ、これ何味ですか?」
「数の子」
「……私を元気付けるための悪戯……ではないですよね」
「うん」
〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル駐車場〜
「見せモンじゃねーぞ!! 散れ散れ!!」
ラルバ達がビルを出て駐車場に向かうと、一際異彩を放つ黒塗りの超高級魔工浮遊馬車が一台、駐車スペースを封鎖するように鎮座している。辺りは野次馬が何人も集っており、馬車の横でデクスが罵詈雑言を捲し立てて威嚇している。
「うわぁ……これ持ってる奴初めて見た……」
「でっけぇー……。コレ幾らすんだっけ……?」
「確か個人所有できる車両の中じゃ一番だった気が……」
「うっせーぞテメーら!! 触るな見るな近寄るな!! 羨ましけりゃ自分で買え!!!」
「いや、欲しくはないけど……」
「コレ広告用の展示品だろ? マジで買ったのかよ」
「純金製のディルド買ったヤツなら知ってるけど、コレ買うヤツがいるとは思わなかった」
「テメーら全員消えろボケェー!!!」
ぎゃあぎゃあと喚き散らすデクスを遠巻きに見つめながら、ラルバは渋い顔で一歩後退する。
「……歩いて行こっか。アレと知り合いと思われたくない」
「あ!! おいラルバ!! おっせーぞオイ!!」
「やべっ。見つかった」
デクスに指を差されたラルバは、渋々苦い顔のまま超高級魔工浮遊馬車の方へ歩いて行く。人集りは一瞬で道を譲り、珍獣でも見るかのような好奇の目でラルバ達を眺める。慣れない視線の種類に縮こまるジャハルの横を、ハピネスは上機嫌に杖を回しながら闊歩していく。
「ふふん。いやあいい気分だね。王様にでもなったみたいだ!」
「もしかして、今の笑いどころか?」
「崇めどころだよ。ジャハル君レッドカーペット敷いて!」
「ケチャップでいいか?」
一行は痛いほどの好奇の目に囲まれながら馬車に乗り込む。そして、シスターだけは車外にひとり残り、見送りに来たステインシギル達と別れの挨拶を交わす。
「ティスタウィンクさん。ピンクリークさん。マルグレットさん。お世話になりました」
「世話してやったのは事実だが、こちらが世話になったことも多い。いずれ借りを返しに行こう」
「じゃあな。ちったあ自分を大事にしろよ。あのデカ女泣くぞ」
「バイバイ! お礼と言っちゃあアレだけど、バッジは持ってていいからね! 変なことには使わないでね〜!」
続けて、タリニャがシスターの手を握る。
「またねシスターさん! 境界の門で待ってるから!」
「はい。必ずまた会いに行きます。座長さんにも、それと……ライラさんにも、よろしくお伝えください」
最後に、ステインシギルがシスターに握手を求めて手を差し出す。
「来てくれて助かったよ。シスター。ありがとう」
シスターは恐る恐る握手を交わし、申し訳なさそうに微笑む。
「そんな……殆どハピネスさんがやったことです」
「アイツに礼を言うのは癪だからな。その分まで受け取っておいてくれ」
「はい。……レシャロワークさんは、やっぱり来てないんですね」
「ああ。あの後ティスタウィンクからゲーム機弁償してもらったその足で診堂クリニックに帰って行ったよ。ゲームソフトの発売日なんだと。ったくあのゲーム馬鹿は」
「レシャロワークさんらしいですね……」
「まあ、あの馬鹿ともどっかで会うだろ。良い奴じゃあないが、別に悪過ぎる奴でもない。それなりに相手してやってくれ」
「はい。ステインシギルさんもお元気で。“お友達”によろしく」
「ああ。じゃあな、また会う日まで」
シスターが馬車に乗り込むと、すぐさま浮遊機構が起動して車体が宙に浮く。野次馬がなんとも言えない濁った歓声を上げる中、一行は三本腕連合軍の北門を目指して旅を再開した。
緊張で乾いた喉を潤そうと、シスターはリビングに置いてあった自分の鞄を開けて水筒を取り出す。その時、鞄に見覚えのない小包が入っていることに気がついた。その小包には小さな折り畳まれた紙片が挟まっており、中には一言だけ文章が綴られていた。
“報酬だ よく考えて使え”
そのぶっきらぼうな文面、そしてハピネスやラルバ達の目を掻い潜って鞄に物を入れることができる人物。それらのことから、シスターは容易に犯人を推測して微笑んだ。
「……折角来てたなら、直接渡してくれればよかったのに」
「あれ? シスター?」
ふと背後から声をかけられ、シスターは小包を隠して振り向く。そこには、不思議そうな顔をしたラデックがこちらを見下ろしていた。
「シスターじゃないのか? じゃあ誰が……」
「どうしたんですか? ラデックさん」
「いや、向こうのクローゼットに物を仕舞おうと思ったんだが、開かないんだ」
「開かない?」
「誰かが中で虚構拡張をしているようだ。だが、ラルバとゾウラとカガチは上にいたし、ジャハルとハザクラは運転席、バリアとハピネスとデクスはデッキにいたし……残る異能者はラプーくらいなもんだが」
「……行ってみましょうか」
シスターはラデックと共にクローゼットの前まで来て、ノックと共に声をかける。
「ラプーさん? 開けていただけますか?」
「シスター。虚構拡張中は聞こえないぞ」
「全知の異能者なら聞こえるでしょう」
「あ、そうかも」
シスターが扉に手をかけると、クローゼットは極めて滑らかに開いた。そこには――――
「えっ」
「うお」
「んあ」
「んむ――――――――――――!!!」
簀巻きにされた芋虫状態のレシャロワークが、ラプーと共に収納されていた。
「あ、サプライズだったのにー。もう開けちゃったの?」
いつの間にかラルバが真後ろに立っており、シスターとラデックの間から顔を覗かせている。
「ラルバさん!? え、な、なんで!?」
「ラルバ……お前……誘拐したのか……?」
ラルバはヘラヘラと笑ってVサインを掲げる。
「うん。面白そうだから持っていこうと思って。記念すべき13人目の仲間だよ!」
「…………はい?」
「んむ――――――――――――!!!」
【キャンディ・ボックス レシャロワークが加入】
〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル屋上〜
「……さて、これからどうするか」
ステインシギルは、屋上の手すりに寄りかかって街を見下ろし、持っていたカフェラテをちびちびと啜り始める。シスター達を乗せたヘンテコな大型車が、目立ちに目立って大通りを北へと進んで行くのが見える。迷う自分の心とは裏腹に、確かな目的地を目指して。その真っ直ぐな道筋が、余計に心の迷いを浮き彫りにさせる。
不況の元凶は潰えたものの、問題は山積み。経済が回復するまでに多くの者が飢えるだろう。困窮者への援助と功労者への報酬の両立。最早一般職扱いの窃盗団への対処。背に腹を変え続けた結果常習化した違法労働。ホルカバリの扱いも検討しなければ。しかし、改善の第一歩を思案し始めたところで、頭痛に苛まれ思考を中断せざるを得ない。
隣にいたティスタウィンクは黙って上を向き、澱んだ下町とは対照的に澄んだ雲ひとつない青空を眺めて口を開く。
「ホルカバリのことならば気にするな。俺が養子として雇うことにした」
「養子として雇うって何だよ」
「彼女は歳の割に利口だ。親の仇である私の申し出を、二つ返事で飲み込んだ。私の寝首を掻くために立派に育つだろう」
「……………………」
「何だその目は」
「分かるだろ」
「分かるが不愉快だ。それとも何か? 全国民の仇の娘を里親募集の看板にぶら下げるつもりか?」
「いや、そうじゃねぇが……。チッ、あーもう面倒臭ぇ! ちったあ見栄えよく飾れねーのかよ!」
「貴方相手に聞こえのいい詭弁を設えろと? まさか、未だに粉薬をホットココアで流し込んでいるんじゃないだろうな」
「それ今関係ないだろ!! はぁ〜……全く、お前と話してると緊張の糸が伸び縮みして疲れるよ……」
「人の上に立とうという者が安息など求めるな。そんなことだからドラゴンスレイヤーなどに待ち伏せをされるんだぞ」
「それは気ぃ張ってても避けられねぇだろ……。お前だって――――あ!!」
ステインシギルはふとあることを思い出して振り返り、ティスタウィンクに詰め寄る。
「そうだ忘れてた! お前! どうやって生き返ったんだ!?」
「ふぅむ。聞くのが遅い」
「まぁ……お前の死が掠れるようなことが立て続けに起こったからな……。いやそこはもうどうでもいい!! 俺がお前の体に触った時! 確かに脈もなかったし冷たくなってたぞ!」
「それはそうだ。死んでいたんだからな」
「はぁ!?」
「生命維持装置の試作品が出来たと言っただろう。アレは、正確には瀕死を引き延ばす延命装置だ」
「……はぁ?」
ティスタウィンクが中折れ帽を取り、後頭部についた小さな白い箱を見せる。
「超小型の魔導心臓だ。心肺が停止した際、この魔導心臓が必要最低限の血液の浄化と脳への酸素供給を補う。正しく蘇生処置をすれば、6時間は死体に成りすますことが可能だ」
「お、お前……それ、自分の体で実験したのか……!? こんな、土壇場で……!? あ、遊び半分のガラクタなんじゃなかったのかよ!?」
「あれは儲ける気も流通させる気もないという意味だ。採算が取れぬ貴重な品など何の価値もない。だが、作るからにはマトモなものを拵えねばな」
「だからって……いきなりぶっつけ本番て……」
「試運転ならとっくにしている。何年も前にな」
「はぁ? お前まさか、自分の部下使って……!」
ステインシギルが訝しげに睨むと、ティスタウィンクは深い溜息と共に首を振った。
「はぁ……貴方は本当に勘が悪いな。この先が思いやられる」
「何の話だよ」
「私が未来ある者の可能性を奪うことなどするものか。逆に、未来がなければ有り難くいただくがな」
「……何が言いたい」
「いただろう? 私と同じ“一酸化炭素中毒で死亡した”未来のない人間が」
ステインシギルの脳裏に、セピア色の風景が浮かぶ。
「――――婆さん」
そう言い終わらないうちに、ステインシギルは無意識にティスタウィンクの首を締め上げた。しかし、彼はそれを見越してなお無抵抗のまま微笑んでステインシギルを見下ろす。
「殺す……!!! 殺してやる……!!! この……!!!」
「く、くくく。ほ、ほんと、うに、勘、が。悪い、な」
「ちょっと何してんの!?」
丁度休憩のため屋上を訪れたマルグレットが、ステインシギルの狂行を止めようと間に入って引き剥がす。
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと!! 多分ティスタウィンクが悪いんだろうとは思うけどさ!! 流石に怨恨殺人はマズいよ! せめて事故死にしなきゃ!」
「どけ!! マルグレット!!」
「いいから落ち着いてって! この国ひとりで仕切れるの!? 今ティスタウィンクさんに死なれたら困るのは私もステインさんも同じでしょ!」
ステインシギルは歯をギリギリと力一杯に擦り合わせ、今にも飛びかかりそうな勢いでティスタウィンクを睨みつけている。しかし、当のティスタウィンクは数回咳き込んだだけで、再び小馬鹿にするように北叟笑んだ。
「私を恨むのは構わないが、私の所為にするのはやめていただこうか。貴方の母親。ミンディスは実に快く仕事を引き受けてくれた。貴方も死亡保険と遺産で随分楽が出来ただろう」
「………………何だと?」
「貴方も知っていただろう。ミンディスは大疫病のひとつ、“博愛譫妄”を発症していた。彼女は病に侵されながらも賢明だった。流石、魔法屋ミンディスと謳われただけある」
〜数年前 三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 アパート“すこやか”106号室〜
「どうだ、ミンディス。床に伏したままの貴方でも充分に熟せる仕事だ。その上、報酬とは別に死亡保険もきっちり払おう。役不足とは言うまい。病魔に蝕まれた貴方に出来る、最高の置き土産だと思うが」
「……ああ、そうだね」
「ふぅむ。私に笑顔を見せるなど、前の貴方では考えられん。博愛譫妄の症状か? 老体で助かったなミンディス。手足が自由に動く年齢であれば、今頃貴方は号哭と歓呼を繰り返す気の触れた殺人鬼になっていただろう。さ、手がマトモに動く内に契約書にサインを」
「……なあ、ティスタウィンク。ひとつだけ、聞いてもいいかい?」
「ひとつと言わず幾らでも。聞くかどうかは別だが」
「私は、良い、親だったと、思うかい?」
「……? ボロ雑巾以下の孤児を拾いあそこまで育てあげたなら、充分に役目を果たしたと言えるだろう」
「……わた、私は、あの子を何度も見捨てた……。路地で蹲るあの子の前を、見えないフリして、何度も、すっ、素通りした……」
「では何故拾った?」
「つ、罪っ滅ぼし……だっ……。わた、私は……息子を、孫を見捨ててっ……この国まで逃げてきたっ……。だから……」
「嘘をつけ。貴方はそんなに誠実な馬鹿じゃないだろう」
「っ……!! あ、ああ……!! そうだ……!!! 私は、愛されたかった……!!! じ、実の子供を、見捨てておいてっ……愛されたいなど……出過ぎた、わが、まま、だった……!!! でもっ……!!! あの子を、あの子を……あの子を……!!!」
「ま、昨日まで生きていた子供が、翌日死体になっていたら気分は悪いだろうな」
「あの子は、本当に良い子だ……!!! こんな、こんな老ぼれの、手を、引いて………!!! きっと分かってた……!!! あの子は、頭の、頭のいい子だから……!!! 私の、見え透いた欲に、気付いてた……!!! 悪いことをした……!!! こんな老ぼれのわがままに、付き合わせて……!!! ごめんね……!!! ステイン、シギル……!!! お前の人生を、奪ってしまった……!!!」
「違うっ!!!」
ステインシギルは、昔話を語るティスタウィンクの両肩を鷲掴みにして吼える。コンクリートの屋上に大きな染みを作りながら、ティスタウィンクに向かって、追憶の中の母親に向かって怒鳴りつける。
「違うっ……!!! 婆さんは悪くなんかねぇよ……!!! 悪いはず、あるもんか……!!! アンタの息子だって、孫だって……!!! アンタに幸せになって欲しかったに決まってる……!!! 俺が、俺がもっと頑張ってやれれば……!!! 俺が普通の人間だったら……!!! あんな思いもさせずに済んだんだ……!!!」
泣き崩れるステインシギルの肩を、マルグレットが何も言わずに摩る。ティスタウィンクは目の前で跪くステインシギルを憐れむ様子もなく一瞥し、涼しい顔でよれたスーツの襟を正す。
「そんな泣き言、私に言ってどうする。本人に言え、本人に」
ステインシギルは恨めしげにティスタウィンクを睨みつける。そばにいたマルグレットも同じく眉間に皺を寄せ、ティスタウィンクに唾を吐いた。
「ティスタウィンクさんがお別れさせなかったんでしょ……!! 何で最期に会わせてあげなかったのさ!!」
「延命装置の試作品の試運転など、ステインシギルは絶対に許可しないからな。ましてや事故を装った保険金詐欺で、受取人が自分ならば尚更だ」
「じゃあもっといい方法を考えてあげれば良かったじゃん!!」
「何か勘違いしていないか? マルグレット。私は試運転がしたかっただけで、ミンディスやステインシギルを助けたかった訳ではない。まあ、博愛譫妄の感染源を早々に断ちたかったという理由も無くは無いがな」
「この……!!!」
「それはそれとして」
ティスタウィンクは不機嫌そうな顔から一変して、ニヤリと楽しそうに笑う。
「ミンディスを殺したなんて、誰が言った?」
先程まで聞こえていた車の音や電車の音、風の音、鳥の鳴く声が、突然途絶える。無音の中に、ティスタウィンクの声だけが鮮明に響き渡る。
「言っただろう? 延命装置の試運転だと。そして、作るからにはマトモなものを拵える。とな」
懐から一枚の地図を取り出し、ペンで印をつけてステインシギルに差し出す。
「ミンディスは生きている。去年、診堂クリニックでのリハビリが終わったとの連絡が来た」
「え……ば、婆さん、が……?」
「そうだステインシギル。確か診堂クリニックに移住したがっていたな? 実に丁度いい。ミンディスに与えている貸家に旦那と3人で住め。おっと! そうなるとこの国の最高指導者は私ということになってしまうが……仕方がない! ここは私に全て任せて、貴方は数年越しの親孝行にでも励め。後で部下に車を手配させよう。さあ、忙しくなるぞ!」
パン! と手を叩き、一方的に話を切り上げて屋上から立ち去るティスタウィンク。マルグレットは何が起きたのか事態を把握しきれず、ティスタウィンクの後ろ姿と呆然と立ち尽くすステインシギルを交互に見て、慌ててティスタウィンクの後を追いかけた。
「ちょ、ちょっとティスタウィンクさん!? まさか、全部計画通り……ってわけ!?」
「そんなわけないだろう。私は商売人であって医者じゃない。ミンディスが死ぬ可能性は大いにあった。上手いこといった部分を上手いこと活用しただけだ」
「え、じゃあもし延命装置が上手くいかなかったらどうしてたのさ!」
「知らん。その時はその時だ」
「え〜……ちょっと見直したのにすごく見損なった……」
「私は見損なったままだぞマルグレット。この外患誘致女め」
「それはもう許してよ……」
「何言ってるんだ。死罪だぞ」
「それはそうなんだけどさ……、あ! 首相になるからって裁かないでね?」
「貴方達の態度次第だ」
「えぇ〜ズルい〜……」




