178話 無自覚な共犯者
「レシャロワークも、お前も、ピンクリークも! マルグレットも!! ティスタウィンクも!!! 名を聞いたにも拘らず!!! 存在を認知したにも拘らず!!! “ヤツ”から目を逸らした!!! なのに!!! 何故疑わない!!! 何故受け入れた!!! これが!!! “エンファやグドラ”でも同じように受け入れたのか!!!」
ハピネスは徐々に語気を強め、そして怒声を張り上げる。
「キャンディ・ボックスの後ろ盾は!!! 笑顔の七人衆の元頭領は!!! この私の先代!!! “元先導の審神者”!!! ”シュガルバ“だろうが!!!」
ハピネスは怒声を張り上げ、間髪を容れずシスターを突き飛ばす。
「お前はどれだけ私と一緒にいた? 私という人間がどんなヤツかは、嫌というほど理解していた筈だ。 それなのに、何故私の先代であるシュガルバの名を聞いた直後にヤツの影から目を逸らした? その上、何故ヤツを疑わない? レシャロワークの言う“普通のおじさん”なんて評価を何故鵜呑みにした?」
一通り説教を終えると、大きく息をして怒りを落ち着け、壁際の椅子に倒れ込むように凭れかかる。
「普通だなんてとんでもない……。ヤツは、私が出会った中で最も恐ろしい男だ。そして、その恐ろしさを、私でさえ測り違えていた。この国に来てから気付いた。ヤツの本当の恐ろしさを」
ハピネスは頭を指先で突きながら、膨大な情報を束ねて一つの論に紡ぎ上げていく。
「嘗て、邪の道の蛇という国があった。そこでは、笑顔の七人衆”収集家ポポロ“が難破船の乗組員を演じ、それを邪の道の蛇が救出することで侵略を許してしまった。レシャロワーク、診堂クリニックでお前らとシュガルバが出会ったきっかけは何だった?」
「……ぼったくりバーで泣いてるおっさん助けたら、それがシュガルバでした……」
「タリニャ。お前らは座長の指示で襲う悪党を選別していたようだが、助ける奴も選別していたのか?」
「え、い、いや……。座長が危険を感じてなければ、助けられる人は皆助けてたよ……」
「被害者を演じて合法的に侵略の一手を捩じ込む。笑顔の国の常套手段だ。そして……マルグレット。お前はドラゴンスレイヤーを命の恩人だと言っていたな」
「……うん」
「それは、笑顔の七人衆“残飯喰らいのガンマ”に殺されそうになったところを助け出してもらった恩だな? だとしたら、少し勘違いをしているな。お前の身代わりを用意したのも、ドラゴンスレイヤーにお前を助けるよう指示したのもシュガルバだ」
「……え?」
「でなければ、ガンマの残飯を横取りしたドラゴンスレイヤーが無傷で済んでいる筈がない。気付いていないだけで、タリニャもシュガルバの手先と出会っているだろうな。恐らくはティスタウィンクも、ステインシギルも、ピンクリークも、ヒナイバリも……」
それから、物語を読み上げるように己の推測を語り始めた。
【工場の国】
これは、私が三本腕連合軍に来なかった場合の話だ。
男遊びに溺れたヒナイバリは、国庫に手をつけ国を傾ける。それを知った元鳳島輸送工場長ミルザガッファはヒナイバリを工場長に任命し、ヒナイバリは一か八か三本腕連合軍ごと心中を計る。
不況に追い詰められた黒雪崩騎士団を守るため、ステインシギルは不況の先頭に立っているヒナイバリの元を訪ねる。同時に、ティスタウィンクも別ルートでヒナイバリ邸に忍び込む。ここまでは今回と同じだ。
しかし、道中でステインシギルはドラゴンスレイヤーに殺され、互いに決め手のないヒナイバリとティスタウィンクの言い争いは水掛け論に終わり、ピンクリークは事実を知ることが出来ないまま手ぶらで帰ることとなる。
後日、ドラゴンスレイヤーが犯行声明を出し、密入国を手引きしたマルグレットは共犯者に仕立て上げられる。当然、マルグレットの所属する百機夜構も、百機夜構を雇っていた東薊農園も再起不能な重罪を背負うことになる。
そして、ドラゴンスレイヤーは元凶であるヒナイバリに取引を持ちかける。提供するのはドラゴンスレイヤー逮捕の手柄と罪の隠蔽。求めるのは三本腕連合軍の実権。
こうして、三本腕連合軍は秘密裏に笑顔による文明保安教会の支配下に置かれる。笑顔の国による裏工作によって大不況から脱し、嘘のような経済成長を見せるだろう。良質な工場製品を安価で大量に生産することが可能になり、ティスタウィンクがやっていたように試供品と称して世界に流通させる。盗聴器入りの良品が、世界各国にばら撒かれることになる。
名実共に、工場の国が出来上がる。
「使奴による情報統制が敷かれた今の時代、ローカルな盗聴器は強力な武器だ。それが、生活を支える家電、車両、情報媒体、電力で稼働する全ての機械に仕込まれる。この世界の全ては、笑顔による文明保安教会に筒抜けになる」
ハピネスが語り終えても、すぐに言葉を発する者はいなかった。彼女の話は徹頭徹尾与太話であり、もしもの範疇を出ない憶測に過ぎない。しかし、先導の審神者という肩書きが、シュガルバへの畏怖が、この与太話を未来予知に近い現実だと物語っている。
その中でも、レシャロワーク、ステインシギル、シスターの3名には、もう少し具体的なこの世の終わりが見えていた。
秘密裏に機械に盗聴器が仕込まれている。やろうと思えば発信機をつけることも可能だろう。
果たして、“コハク”の異能はどこまで防げるだろうか。
コハクの“創世”の異能によって作られた隠れ蓑、“釁神社”。そこには、素体のメインギア、ノーマが暮らしている。使奴細胞の基となる異能者であり、使奴を殺す現在唯一の可能性。
レシャロワークは頻繁にではないものの釁神社に出入りしていた。他のキャンディ・ボックスメンバーも同様である。もしもコハク達と対面する瞬間を盗聴されてしまったら? 発信機で場所を特定されてしまったら? 現に、レシャロワークは盗聴器の仕込まれたゲーム機を肌身離さず持ち歩き、あまつさえ彼女達の前で何度も起動していた。
シュガルバは、ノーマを、素体のメインギアの存在を知っていたかもしれない。
世界の凡ゆる犯罪の抑止力となっている使奴を殺す手掛かりに。
「……まさか」
漸く、自分達が無為に争っていたことに気が付いたティスタウィンクが、らしくもなく現実逃避じみた文句を溢し始める。
「シュガルバは、未来予知の異能者だったというのか? いや、少し違うか。計画の異能、幸運の異能、ラグはあるものの、自分の思い描いた未来を実現させる異能者……」
「いいや、違う。ヤツは異能保持者じゃない」
ハピネスの即答を訝しんだティスタウィンクが、恐らくは愚問であるという予感をひしひしと感じながらも、それを口にする。
「仲間とは言え、笑顔の七人衆が互いの異能を明かす必要はない。異能を秘匿にしている可能性は?」
「ないね。仮にあったとしても、今回の計画に利用できるような異能じゃない」
「何故言い切れる」
「そう思うのも無理はない。私も、ヤツの手品に気が付くのに随分時間がかかってしまった」
「手品?」
「そう。シュガルバの異能とも思えるほどの精巧な未来予測は、種と仕掛けで構成された手品だ。それも古典的な使い古しのな……。ティスタウィンク。君は、本当に、本当に勘がいい、が。折角目の付け所がいいのに、碌に咀嚼せず素通りしがちだ」
ハピネスは腰の袋から一枚のビラを取り出す。
「それは……」
「来週公演の演劇、“哀れなドブネズミに捧ぐ、僅かな光”のポスターだ。君は汽車の中で、私に向かってこう言ったね。“自分だったらこのポスターの方を見る”と。正解だよ。私が見ていたのはこのポスターだ。おい、タリニャ」
突然話を振られたタリニャがビクッと体を震わせる。
「この演劇の脚本家、元真吐き一座の劇団員だな?」
「え、ええと、まあ、うん。そう。と言っても、ウチにいた期間なんて半年なかったけど。元は笑顔の国から亡命してきた――――あっ」
そこまで言いかけて、タリニャは言葉を止める。
「そう。笑顔の国の人間だ。そして、この演劇のタイトル、“ 哀れなドブネズミに捧ぐ、僅かな光”は、私が笑顔の塔で祈祷をしていた時に呪いとして呟いていた詠唱だ」
ハピネスはティスタウィンクに視線を戻す。
「そして、この詠唱は私が勝手に考えた気休めの術で、世間には出回っていない。この文言を知っている者は笑顔の七人衆と、私の世話係の数人のみだ」
ティスタウィンクが意味を理解して目の色を変えると、ハピネスは険な表情で威圧するように呟く。
「これは、私への警告なんだよ。もし万が一私が脱走し、三本腕連合軍に辿り着いた場合を想定した、シュガルバからの“見ているぞ”という警告。事実、私は笑顔の七人衆にとって都合のいい傀儡の王。脱走の妄想をしたことも少なくない。そして、もし私が逃げ出していたとしたら、先程語ったもしも話に私が加わることになる。プランBだ」
男遊びに溺れたヒナイバリは、国庫に手をつけ国を傾ける。それを知った元鳳島輸送工場長ミルザガッファはヒナイバリを工場長に任命し、ヒナイバリは一か八か三本腕連合軍ごと心中を計る。
その時、笑顔の国から脱走した私が三本腕連合軍に辿り着き、シュガルバからのメッセージに気付く。恐らく私は追手を退ける武器を得る為に、三本腕連合軍の実権を奪おうとするだろう。
同時に、不況に追い詰められた黒雪崩騎士団を守るため、ステインシギルは不況の先頭に立っているヒナイバリの元を訪ね、ティスタウィンクも別ルートでヒナイバリ邸に忍び込む。
私はドラゴンスレイヤーを姑息な嘘で足止めし、ヒナイバリを脅迫して、ピンクリークとティスタウィンクを言いくるめ、笑顔の国と敵対させる。
そしてドラゴンスレイヤーが嘘に気付いて三本腕連合軍の中心で暴れ始める頃、私は国を捨てて逃亡する。三本腕連合軍は一晩にして壊滅し、私は再び自覚せず他の国を陥れに行くだろう。
「もしヤツが異能で計画を立てているなら、万が一を考えたプランBなんか用意しない。ヤツには計画が上手く行く保証なんてなかった。これが、ヤツが幸運の異能者や計画の異能者でないことの証明だ」
ティスタウィンクは疑問の袋小路に呑まれ口元を手で覆う。反論なら山程あった。「そう思わせることさえ計画の一部なんじゃないか?」「人は不安を拭うためだけに無意味な策を練ることもある」「こんな不安定なものを計画とは呼べない、偶然だろう」そんな言葉が頭に浮かんでは萎んでいく。どうしても、心の奥底にへばりついた一番の疑問が全てを曇らせる。
私の疑問は、どこまでがシュガルバの想定内だ?
「私も同じだった」
心の声に返事をされたティスタウィンクは、僅かに体を痙攣させてハピネスを見る。
「私の思考は、どこまでがシュガルバの描いた未来なのだろうか。私がどこまで気付くのが想定内なんだろうか。私の一挙手一投足一言一呼吸どこまでがヤツの意思だろうか。そんなことを考えていたら、一言も喋れなくなっていた。だが、それすらもヤツの想定内……。いや、この場合は想定外と言うべきかもな」
ハピネスがポスターを腰袋に仕舞いつつ、色とりどりの小さな箱を取り出してティスタウィンクに見せる。
「シュガルバの手品の種を教えてやる。青、黄、赤。どれでも好きな箱を選べ」
「……青だ」
「ああ、そうだろうな。私には分かっていた」
ハピネスはしたり顔で青い箱を開けて、中に入っていた紙を取り出す。そこには、「お前はこの箱を選ぶ」と書かれていた。
「……なんて子供騙しを」
ティスタウィンクが他の箱を乱暴にこじ開け、中に入っていた同じ文言が書かれた紙を取り出すと、ハピネスはにっこりと笑った。
「そう。君がどれを選ぼうと、私の予言通りに行動したように見える。子供騙しに見えるだろう? 滑稽だろう? だが、これがシュガルバの手品の正体だ」
シュガルバのやったことは決して難しいことではない。
残飯喰らいのガンマに囚われていたマルグレットが百機夜構の総長だと分かると、恩を売っておけば役に立つかもしれないと思い助けた。謎多きキャンディ・ボックスに助けて貰えれば彼等の内情を知れる思い、彼等の縄張りで態と情けない姿を見せた。ヒナイバリを追い詰めれば三本腕連合軍の侵略に役立つと思い、地元のホストやヤクザにヒナイバリの金を巻き上げるよう唆した。
「ひとつひとつは小さな気まぐれの一手。それを、何千、何万と繰り返す。ただ、それだけだ。後は偶然の出来事に便乗して、蒔いた種をそっと被せてやるだけ。偶然に、見せかけの偶然を重ねるだけで、恰も未来を予知したかのような神の一手が出来上がる」
ハピネスが複製魔法で手品に使った箱を増やし、中に紙を詰めていく。
「選べる未来が10個あったとして、その全てにシュガルバの意思が垣間見えれば、そこを辿る者はまるでシュガルバに全てを見透かされているような錯覚に陥る。実際は選ばなかった未来全てに伏線が用意されていたとしても、過ぎてしまった選択肢を選び直すことは出来ない。そして、殆どの人間はシュガルバの意思さえ感じることは出来ない。この未来に誰が何を詰めていたのか。知ろうともしないだろう」
ハピネスが紙を詰めたばかりの箱をシスターに放り投げると、シスターがキャッチしたと同時に蓋が開き、中から1匹の蜘蛛が這い出てくる。シスターは思わず短く悲鳴を上げて箱を放り投げた。
「ここにいる誰ひとりとして、自分がシュガルバの描いた未来をなぞっていると自覚していた者はいないだろう。シュガルバはそういうヤツだ。自分は種を蒔くだけ。あとは勝手に育った花々が、ヤツの思い描いた光景を……いや、ヤツ自身も驚くような理想の光景を咲かせる。誰もが無自覚な共犯者となる。もしヤツに二つ名をつけるとしたら……、“気紛れシュガルバ”ってとこか」
ハピネスが全ての話を終えても、ティスタウィンクは何も言わずに口元を抑えたままだった。ピンクリークも、マルグレットも、ステインシギルも、タリニャも、レシャロワークも、そしてシスターも。自分が知らぬ間にこの地獄を作る一因になっていたことに、言葉に出来ぬ悔しさと恐怖を覚えていた。
「……さて、反省会はここまでだ」
ハピネスが大きく手を打って音を鳴らす。ステインシギルがヒナイバリの方をチラと見てぼそりと呟く。
「……アイツの処分をどうするか、か?」
「ああ、そうだ。もし順当にいくなら彼女を裁くのは君達だが……」
「……それも、シュガルバの気紛れの一つかも知れない……っつーことか」
「その通り。そこで提案だ」
ハピネスは打って変わって怪しく笑い、胸の前で手を合わせる。
「その女の処分。私に任せてくれないかい? 腕のいい専門家を知ってるんだ」




