176話 元凶
”要人詐称罪“。
笑顔による文明保安教会に於ける経歴詐称の一種であり、笑顔の七人衆や先導の審神者の名を騙った場合に適用される刑法である。当然、笑顔の国の権力者の名を騙ろうとする命知らずなど存在する訳がないのだが、その希少性もあってか要人詐称罪には一風変わった特性がある。
それは、この罪は国内外を問わず適用されると言うことである。世界ギルドも認めていない勝手な法律ではあるが、その効力は事実上有効である。何せ、笑顔の七人衆の名を騙ることは世界ギルドに取っても看過し難い悪辣な行為であり、抑止力となるならば多少の勝手も致し方ないと黙認している状況である。
その背景もあってか、笑顔による文明保安教会は要人詐称罪に更なる条項を設けた。
“要人詐称罪に該当する者を、権利者以外が害してはならない”。
笑顔の国を愚弄する不届者を、他国の刑罰や私刑によって裁かせぬようにする為。そして、笑顔の七人衆が直々に手を下す為の条項。大いなる愚行には、大いなる苦痛を。大罪人を生半可な刑罰であの世へ逃さぬ為の、只管に苦しめる為だけの条項。
故に、仮に“先導の審神者”の名を騙る愚か者が現れたとしても、何人たりともその者を害することは出来ない。もしその場に居合わせてしまった時に取れる最善の行動は、共犯や妨害を疑われぬよう全力で逃げるか、自決するかの2択であろう。
〜三本腕連合軍 鳳島輸送 三本腕連合軍官邸〜
「度重なる増税!! 援助制度の改悪!! 数多くの権利者を恐喝し、土地も人も二束三文で買い叩き!! 貴重な資源と技術は、棚田の奴隷工場で腐敗し垂れ流された!! 無能の一言では説明の付かない、自殺と同義のヒナイバリ政権!! その真意とは!!」
手を広げて歌うように語るハピネスの言葉を、皆固唾を飲んで見守っている。当のヒナイバリ本人は頭を抱えて顔を伏せ、その場に力無く座り込んでいる。誰ひとりとして介入することの出来ない演説に、ひとりの無邪気で無鉄砲な無知蒙昧が、無謀にも刃を突き立てる。
「ママをいじめないで!!!」
「おっと!」
ハピネスに向かって突進してきたホルカバリを、ハピネスは軽々抱き上げ首を締め上げる。
「はっはっはっは! 元気で大変宜しい!! 無邪気で無遠慮で、いやいや何とも可愛いもんだ!!」
「うっ……!!!」
ホルカバリが必死に足をばたつかせ拘束から脱しようと藻掻く。
「お前の母親がイカれたのは、お前のせいだと言うのに……。いい気なもんだね」
ハピネスの呟きに、ホルカバリは目を見開いて脱力する。傍観していたステインシギル達も思わず息を止め、ティスタウィンクだけが静かに溜息をついた。ハピネスは抵抗しなくなったホルカバリを静かに床に落ろし、ティスタウィンクに尋ねる。
「ティスタウィンク工場長、貴方の予想では、ヒナイバリは何かの証拠隠滅の為に自滅を計った……。そうだね?」
「ふぅむ……まあ、そうだ」
「だが、その隠滅したい何かが、今でも分かっていない…‥と言うよりは、結論に辿り着いたはいいものの、道理が通らず納得が行っていない」
「そうだ。ヒナイバリが隠したかった“何か”とは、恐らく“横領”だ。こいつは国の金を勝手に何かに使い、その事実を隠蔽する為に国諸共証拠を消し飛ばそうとしている」
ヒナイバリが手で覆っている顔の隙間から漏れ出る嗚咽に、過呼吸が混じり始める。
「だが、国庫の現金や権利書は確実に減少しているものの、こいつがそれらを使ったという記録がない。こいつが一体いつ、何に、どれだけ使ったのか。そしてその購入した資産は今どこにあるのか。一切が不明だ。権利書の行方を追いかけようにも、既に幾人もの手を流れていて元が掴めん。しかし、国を傾けさせる程の大金ともなると、兵器や土地といった物品というよりは……権利や情報といった形無いものに費やした可能性が高い……。だが、それを命以上に優先する理由も分からん」
ティスタウィンクが一頻り憶測を述べると、ハピネスは堪えきれないといった様子で笑う。
「ふふふ……いやあティスタウィンク。君は優秀だね。けど、真面目過ぎるよ。それじゃあ結論には辿り着けない」
「……ふぅむ。では、どうしたら真実に辿り着けるのだ? ご教授頂ければ幸いだ」
「君は、少しばかり人間を高く評価し過ぎている。愚か者って言うのはね、本当にどうしようもなく愚かなんだよ」
ハピネスが部屋の大窓を背に、高らかに笑う。
「馬鹿な女が金を注ぎ込む形無いものっつったらさあ!!! そんなもん、男とギャンブルに決まってんじゃん!!! あーっはっはっはっはっは!!!」
呆然――――――――
ハピネスの高笑いだけが、混乱による沈黙の中を無邪気に駆け回る。嘘のような大暴露を認めまいと、皆がヒナイバリの方を見る。しかし、泡を吹いて絶望に染まる彼女の姿が、これが真実であることの何よりの証明になった。
ティスタウィンクは余りに想像とかけ離れた答えに、珍しく反射的に稚拙な反論を口にする。
「……いや、ヒナイバリには賭博や男遊びに興じる余暇などない。工場長の座に着いてから、1日たりとも休日など取ったことはない」
ハピネスが待ってましたと言わんばかりに怪しく笑い反論を被せる。
「だぁから言ってるでしょうよ。君は人間を高く評価し過ぎだって! こいつが国の金チョロまかして遊んでたのは、工場長就任よりも前だよ!」
「……補佐官時代か? 確かにその頃なら時間はあるだろうが……そんな大金を使えば、前工場長のミルザガッファが気付く筈だ」
「気付いてどうすんの?」
「……? …………まさか。ああ、愚か者め」
ティスタウィンクは中折れ帽の鍔で、顰めっ面を隠してぼやく。
「まさか責任逃れの為に、被害を隠し通したのか……?」
「お、いいねえ! 愚か者への理解がグッと深まったね!」
「何と言うことだ……では、ミルザガッファ前工場長がヒナイバリを愛人にし、恋人を捨ててまで求婚して工場長に任命したのは……」
「いいねえいいねえ! もっと踏み込んで行こう!」
「……束の間の玉の輿に喜んでいたヒナイバリは、真実を知って逃げられなくなった。総裁の愛人という甘い蜜を啜る間も無く子を孕まされ、ミルザガッファは恋人を捨てヒナイバリに求婚。身重のヒナイバリは実に不条理な2択を迫られた……」
大罪人として子を宿したまま惨めな裁きを受けるか。
工場長として責任者の席に着き、一か八か全ての隠蔽を計るか。
「……逃げるも死。進むも死。ならば、僅かにでも可能性のある死を。少しでも見てくれの良い死を望んだ……。奴が死を眼前にしても口を割らなかったのは、愚か者の烙印を背負って死ぬことを恐れていたからか……」
ティスタウィンクは帽子の鍔を軽く持ち上げ、跪くヒナイバリを見る。彼女はガチガチと歯を鳴らして涎を垂らし、絨毯の幾何学模様を無意味に視線でなぞっている。
そこへハピネスが悠々と歩み寄り、しゃがみこんでヒナイバリの髪を掴み顔を上げさせる。
「痛っ……!!」
「情けないねぇ。恥ずかしいねぇ。企みは阻止されて、恥ずかしい過去もぜーんぶバレちゃって。お前はこの後どんな刑に処されるのかなぁ? そういやさっき、ティスタウィンクが延命装置の試作品ができたとか言ってたね。生きたまま生首にだけにして市中引き回しにでもする? 多分人類史上初だよ!」
「ううっ……!! あああああっ…………!!!」
ヒナイバリはボロボロと涙を流し、震える手で身を抱く。そして、小さな体を震わせ力一杯に声を吐き出した。
「ピンクリーク!!! コイツらを皆殺しにしろ!!!」
絶叫に近い怒号が、部屋中に響き渡る。集団の最後方で待機していたピンクリークが、血塗れのシスターから手を離し徐に歩き始める。ティスタウィンク達の間に緊張が走り、タリニャが慌てて臨戦体勢を取る。ピンクリークはタリニャには目もくれず前を素通りし、ティスタウィンクの目の前に立つ。
「……やっぱりお前だったのか」
そして、ティスタウィンクを押し除け、膝をついているヒナイバリを冷たく見下ろす。
「お前っ、何を――――!!!」
「百機夜構の新人。8割がリストラ組なんだよ」
「……は?」
ピンクリークはヒナイバリの口の中に指を突き入れ、下顎を持ち手のように握り持ち上げ無理矢理立たせる。
「あがっ……!!! ががががっ……!!!」
「会社を失い、金を失い、家を失い、家族を失った。不況とか言う姿形の無いもんに、恨みこそすれ復讐しようなんざ思わねーが……」
ピンクリークが手に力を込め、ヒナイバリの下前歯を圧し折る。
「あがああああああああああああっ!!!」
「元凶がいるなら、話は別だよな」
そのまま勢いよく地面に叩きつけ、ヒナイバリを昏倒させる。そしてティスタウィンクの方に振り返り、小さく頭を下げた。
「お前とヒナイバリ、どっちが嘘吐いてんのか分からなかったから二股かけさせてもらった。疑って悪かったな」
「こんなのと同じ天秤に乗せられるのは癪だが、貴方の疑心と決断力を兼ね備える優秀さは最初から評価している。これからもよろしく頼むぞ」
「……こっちが味方で良かったぜ」
「同感だ」
〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル会議室〜
翌朝、ティスタウィンク達は状況を整理するために百機夜構の本部ビルの会議室に集まっていた。ホルカバリだけはビル1階の別室に一時的に軟禁し、ヒナイバリは封魔手錠で両手を壁際に固定されている。
「全く、君はどうしてそう死にたがるかね。診堂クリニックで無茶し過ぎてマゾヒズムにでも目覚めちゃったのかい?」
「そんなつもりではないのですが……」
ハピネスは瀕死から回復したばかりのシスターに向かって悪態をつく。
「あ、それはそうとハピネスさん。ホルカバリさんの前でアレはあんまりじゃないですか!」
「アレってドレよ」
「ヒナイバリの悪事を、ああも露骨に嘲笑しなくても……! あの子にとってはたった1人の大事なお母さんなんですよ!?」
「あの子はそんな弱くないだろうよ。変に母親への愛情持ったまま大人になるより、しっかり被害者にしておいた方が後々生きるの楽だよ」
「そうじゃないでしょう……!」
「じゃあどうだって言うのよ」
2人の口論の隣では、シスターを瀕死に追い込んだ張本人であるピンクリークが、悪びれもせずパエリアをかき込んでいる。
「……シスター。必死に真面ぶっちゃいるが、アンタも人のこと言えないぜ。ぶっちゃけ、先導の審神者よりもよっぽどおっかねぇ」
「そ、そこまで言われますか!?」
昨晩、シスターは出会い頭にピンクリークに殴り飛ばされた時に、彼女が本気でないことを察した。そこで彼はピンクリーク相手に分かりやすい挑発を仕掛け、“ハピネス達を追いかけないで欲しい”と交渉を持ちかけていた。不況を引き起こした犯人を知りたかったピンクリークはこれに応じ、ホルカバリに怪しまれぬよう戦う演技をして見せた。
「お前の防壁魔法、もっと弱く張ってもよかっただろ」
「ホルカバリさんは幼いながらも洞察力に長けた方です。ピンクリークさんほどの猛者ならまだしも、私のような戦いの素人が手を抜いたらすぐバレますよ」
「そのガチガチの防壁砕いた所為でお前はこんなに死にかけてんだが。せめて避けろよ」
「下手に避けてうっかり致命傷にでもなったら最悪ですから。それに、手加減は貴方の方が上手でしょう?」
「限度があるだろ。やっぱイカれてるぜ」
ピンクリークがパエリアを完食し、酒を呷ってから煙草に火をつける。
「それはそうと、そこの先導の審神者様は本当に安全なのか? アンタが平気だっつーから触れちゃいねぇが、仮に偽物だった時はここにいる全員処刑じゃすまねーぜ。本物でもそれはそれで困るんだが」
「ああ、それに関しては大丈夫です。ムカついたら殴っていただいても結構ですよ」
「そうか」
ピンクリークは大欠伸をして床に寝転び、ペットボトルを枕代わりに居眠りを始める。しかし、ステインシギルもタリニャも本気にはせず、未だ笑顔の国の王を警戒して口を噤んでいる。そこへ、席を外していたティスタウィンクが戻ってきた。
「何故このビルにはエレベーターが無いんだ? 貴方達は毎回馬鹿正直に階段を7階分も上り下りすることを、一度も面倒だとは思わないのか?」
彼に続いて部屋に入ってきた小柄な金髪の女性、百機夜構の前総長であり現副長“マルグレット”が、ティスタウィンクを宥めて笑う。
「じゃあティスタウィンクさん付けてよ、エレベーター」
「いいだろう」
「ホント!? メンテも込みだよね!?」
「馬鹿を言え」
「なあんだ。嘘吐き」
マルグレットは全員に飲み物を配って歩き、嬉しそうにケラケラと笑う。
「いやあ皆お疲れ様! 総長もね! これで不況が終わってくれれば嬉しいなぁ〜! 次の総裁ってやっぱティスタウィンクさん? ステインシギルさん? どっちでもいいから税金は下げてよぉ〜? もう真面目に働くよりも泥棒やった方が遥かにコスパ良いんだからさぁ〜!」
ティスタウィンクは半ば奪い取るように飲み物を受け取り、一気に飲み干して唸り声を溢す。
「全く……。杞憂も杞憂、まさかこんな結末とはな。国の金を男と賭博でスるなど……一体どんな遊び方をすれば国家予算を使い切れるんだ? もはや才能だな。こんなことなら、もっと早く襲撃していればよかった」
隅で放置されているヒナイバリの嗚咽と、呆れ腑抜けの溜息が部屋を転がって行く。巨悪に幻影に翻弄され、踊らされ、苦しめられ。いざ元凶を暴いてみれば、出て来たのは見窄らしい卑小な害虫が一匹。今まで支払ってきた代償、徒労に終わったあれやこれやが、空を泳ぐ綿雲のように頭に浮かんでは消えて行く。消化されなかった恨み痛みのやり場を探す気力も失せ、脱力し切った体を起こす口実をぼんやりと考えている。
「全く、暢気なものだな」
気怠い空気が充満していた会議室に、ハピネスの呟きが罅を入れる。
「この国どころか、世界が終わる寸前だったってのに」




