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シドの国  作者: ×90
三本腕連合軍
176/285

175話 混乱と殺意を握り潰す掌

〜三本腕連合軍 鳳島輸送 三本腕連合軍官邸〜


 「遅れてもう一つ忠告だ。私は決断が早い」


 ティスタウィンクが振るったハンドアックスは、ヒナイバリの喉笛をゼラチンのように切り裂いた。ヒナイバリの悲鳴よりも早く鮮血が溢れ、絨毯(じゅうたん)の幾何学模様を塗りつぶしていく。一拍遅れて叫び声を上げようとするヒナイバリの喉にも血は流れ込み、絶叫は泡を吐き出す水音にしかならない。


「がぽっ……!!! ごぽぽっ……!!!」

「さて、これで家主も“不在”になったことだし、家探しするか」


 ティスタウィンクがヒナイバリを押し除け、執務室の引き出しを乱暴に漁り始める。開く引き出しは全て引き抜き、無造作に中身を床に撒き散らす。ヒナイバリは床に倒れて藻掻(もが)き苦しみ、絶命間近の身体から必死に回復魔法の波導を放出している。


「ふぅむ。予想はしていたが、碌なものが入っていないな。やはり娘に聞くしか……おや?」


 ティスタウィンクがふとヒナイバリの方へ目を向けると、レシャロワークが回復魔法でヒナイバリを治療しVサインを構えていた。


「貴方に医療技術があったことは驚きだな」

「自分、狂医者目録(くるいしゃもくろく)シリーズは全作やり込んでますんでぇ」

「……ちょっと見せてみろ」


 ティスタウィンクがぐったりとしているヒナイバリを抱え、傷口に指を添える。


「……貴方、人体を粘土細工か何かと勘違いしていないか?」

「失礼な。最近モノホンの手術も経験してるんですよぉ?」

「断面をくっつけて治癒を促しただけでは人体は治らん」

「くっついてるじゃん」

「これは癒着と言うんだ表六玉めが。ゲームを教材にするな」

「ゲームを教材にするな!?」

「ふぅむ。しかし……」


 ティスタウィンクはニヤリと笑い、ヒナイバリの頬を軽く叩いて意識を覚醒させる。


「これはこれで好都合。死に触れた者は心の天秤が狂う。これで少しは利口になるかもな」

「ひっ――――……」


 ただでさえ出血で青い顔をしているヒナイバリが、恐怖でより一層青褪める。


「ヒナイバリ工場長。お前が破滅を望む理由は何だ?」

「あ、あ……」

「答えられないか? 答えられないなら、今一度自身の血で溺死してもらおうか」

「い、嫌っ、い、言うからっ……言うっ……言うから、待って……!!」

「断る」


 ティスタウィンクが塞がったばかりの喉に指を捩じ込み、掻き出すようにして皮膚を抉る。


「いづっ……!!! ああああっ……!!!」

「ふぅむ。これは恐怖か? いや、焦燥に近いな。怒気も恨みも孕まない懇願とは珍しい。自己都合か? ここまで反応が正直だと虐め甲斐があるな。いいぞ、やはり死は人を雄弁にさせる」

「おいやめろティスタウィンク!!!」


  ティスタウィンクの手を、ステインシギルとタリニャが掴んでヒナイバリから引き剥がす。


「幾ら何でもやり過ぎだ!! 本当に死んじまうぞ!!」

「私部外者だけどさ、これは流石に止めるよ……」


 2人の言葉に、ティスタウィンクは渋い顔をして小さく息を吐き、2人の手を振り払う。


「遅れて来たくせに文句を言うな。(もっと)も、貴方が彼女から真実を聞き出せると言うならば話は別だが……良い警官でも演じてみるかね? ステインシギル」

「遅れるも何も、お前と約束なんかしてねーよ!!」

「私の予想通りなら、上手いこと追っ手を撒いてもっと早く到着しているはずだったのだがな」

「は? 何で俺らが追われてたことを知ってるんだ……? お前まさか、俺を”囮“にしたのか……!? その為に死んだフリなんか……!!」


 ステインシギルがティスタウィンクを睨むと、(わざ)とらしく肩をすくめて溜息を吐く。


「やれやれ、察しがいいんだか悪いんだか……。私も貴方も、単独の戦闘力はゼロに等しい。折角そこに レシャロワーク達(頼もしい助っ人)が現れたのだ。利用しない手はないだろう」

「お前がレシャロワーク達をウチに寄越したのは、端から俺の護衛役をさせるつもりだったのか……!? こちとら、タリニャ達真吐き一座が来なけりゃ全滅してたんだぞ!?」

「逃げるだけならどうとでもなっただろう」

「部外者を矢面に立たせられねぇだろうがよ……!!」

「ふぅむ。まあ、仮に戦闘になったとて想定内だ。彼らも決して弱くはない」

「テメェ……!!」

「元より貴方には特別何かしてもらうつもりはない。地位のある説得力を持った生き証人として、ここにいてくれればそれでいい。例えヒナイバリが全てを白状したとしても、私ひとりで三本腕連合軍は動かせんからな」


 2人が言い争っていると、執務室の外から何者かの足音が近づいて来た。小動物が駆けるのにも似たその足音に、その場にいたもの達は思わず廊下の方に顔を向ける。


「っはあ……っはあ……! ママの、ママの邪魔しないで……!」


 そこにいたのは、ぬいぐるみを握りしめた少女。ヒナイバリ工場長の一人娘、ホルカバリだった。そしてその背後から、遅れてもう1人の人影が姿を現す。


「おいおい……オレを置いて行くなよお嬢さん。一応、アンタのお守りで呼ばれてんだからよ」


 百機夜構総長”ピンクリーク“。その衣服や顔には返り血が飛び散っており、右手には真っ赤に染まる”動かぬ人形“が引き摺られている。その人形の服装を見て、ステインシギルとタリニャは目を見開いて声を上げる。


「なっ……!! シ、シスター!!!」

「えっ……嘘っ……!! シスターさん!?」

「うっせぇなぁ……。侵入して来たのはそっちなんだから、こうなって当然だろうがよ。あ、おい、先行くなよホルカバリ」


 混乱に陥る彼女らの間を縫って、ホルカバリがヒナイバリの元へ駆けて行く。


「ママ!!!」

「ホ、ホルカバリ……!! 来ちゃダメ……!! 逃げて……!!」


 ヒナイバリの言葉には耳も貸さず、ホルカバリは母親を背に隠すように立ちはだかってティスタウィンク達を睨みつける。


「ママのこと虐めないで……!! ママ、お仕事いっぱい頑張ってるだけだもん!! 邪魔しないでよぉ!!」


 しかし、ティスタウィンクはホルカバリを面倒臭そうに一瞥(いちべつ)し、ピンクリークの方に顔を向けて(いぶか)しげに口を開く。


「ふぅむ。契約では、百機夜構内部での暴力行為は禁止していた筈だが? ピンクリーク。何故バッジを貰ったシスターがボロ雑巾になっている?」

「そりゃあ百機夜構との契約だろ? オレ個人が鳳嶋輸送と契約してんだよ」

「二重契約も禁止している。どっちみち契約違反だ」

「じゃあどうする? クビにでもすんのか? あの世からでも解雇通知って出せんのかよ」

「人情に厚い貴方が裏切るとは予想していなかったな……。おい、レシャロワーク」


 出番を求められたレシャロワークは手を眼前で左右に振って強く拒絶を現す。


「無理ですってぇティスタウィンクさん。流石にこの鬼マッスルお化けには勝てませぇん。自分パワータイプじゃないしぃ」

「全く、役に立たん」

「さーせぇん」

「そこの真吐き一座の女優は?」

「も、申し訳ないんだけど、流石に百機夜構の総長相手は厳しいよ……」

「ふぅむ。これは……窮地だな。どれ、ホルカバリでも人質に取ってみるか?」


 ティスタウィンクがホルカバリに目を向けると、ヒナイバリがホルカバリを抱えて背を向け隠す。


「やめてっ!!! この子だけは……この子だけは見逃して……!!!」

「よせティスタウィンク!! 子供に罪はねーだろ!!」

「そ、そーだよティスタウィンクさん!」

「そーだそーだ。大人気ないぞー」


 ステインシギルに続きタリニャとレシャロワークも反対の声を上げる。ティスタウィンクはピンクリークの方を警戒しながらも小さく呻き声をあげ、ハンドアックスで肩を叩き思考を巡らせる。


「ふぅむ。どうしたものか。ピンクリーク、貴方ならどうする?」

「あぁ? オレに聞くのかよ」

「不本意ではあるが、貴方が一番真っ当な意見をくれそうな気がしてな」

「どうでもいい。オレはヒナイバリからゴーサインが出るまで動く気はねぇよ」

「ふぅむ。成程? ……それは、困ったな」

「おう。困れ困れ。ああ、でもあんまり長く困るとシスター(コイツ)が死ぬぜ」

 

 突如として敵に回ったピンクリーク。数少ない戦闘要員であったシスターの敗北と、レシャロワークの棄権。そしてタリニャとピンクリークの圧倒的戦力差。ホルカバリの乱入。未だ手がかりすら掴めぬヒナイバリの目的。


 ティスタウィンクにとっての予想外だったことは、主に3つ。


 1つは、ピンクリークの裏切り。人情深い筈の彼女が契約を反故にし、ヒナイバリ側についたこと。これにより、ヒナイバリを尋問することが困難になってしまった。


 2つめは、シスター達の貢献度の低さ。レシャロワークがピンクリークに敵わないことは予想出来ていたが、聡明そうに見えたシスターが一切の成果なく無力化されたこと。そして、未だハピネスが沈黙を貫いていることに対して、殆ど疑念に近い失望を感じていた。


 3つ目はヒナイバリの口の固さ。見栄っ張りだが苦痛に弱く、目先のことを第一に考える短絡的な彼女であれば、少しの尋問で容易に口を割ると高を括っていた。しかし実際は、ヒナイバリは死の淵を覗き見ても尚口を割らず、必死に何かを隠し通そうとしている。もしヒナイバリの抱える事情が命よりも重いものだった場合、ティスタウィンクにこれを暴くことは困難を極める。


 ティスタウィンクの勘が外れることは良くあることだが、ここまで外れに外れることは彼にとって非日常的であった。彼は自分の勘が(ことごと)く外れることを、“偶然ではない”と再び勘付いていた。しかし、根幹が勘である以上論理的追及は行えず、空しくも足踏みをするしかなかった。


 しかし、そんな混乱と殺意が入り乱れ錯綜する中、ティスタウィンクの勘を裏切ってとうとう”彼女“が口を開いた。


「……ヒナイバリ工場長。私と取引をしろ」


 全員が、部屋の隅に目を向ける。


「お前の”秘密“を黙っててやる。その代わりに、鳳嶋輸送工場長としての全権を、私に引き渡せ」


 ハピネス・レッセンベルクが、落ち着いた声色のまま言い放った。


 ステインシギルが文句を言おうと息を吸うが、口を開く寸前で憤りと共に言葉を飲み込む。今まで沈黙を保っていた彼女の狙いを一片たりとも想像することが出来ず、余計なことを口走ってしまうのではないかという思いが頭を(よぎ)った。それは周囲にいた者達も同じだったようで、ティスタウィンクも、タリニャも、レシャロワークも、ピンクリークでさえも、口を(つぐ)んでヒナイバリ工場長の返答を待っている。


 ヒナイバリ工場長は、今まで見せた表情の中で一番滑稽(こっけい)な顔をしていた。


「……………………は?」


 今度は演技ではない、本物の狼狽(ろうばい)。万引きがバレてしまった子供のような、見るに堪えない間抜け面。


「答えろ。イエスか、ノーか」


 ハピネスの灰色の瞳が、ヒナイバリの間抜け面を覗き込む。この、全てを見透かしているかのような奇怪な瞳に、思わずヒナイバリは精一杯強がって見せた。


「な、何を言ってるの? ふざけないで。工場長の全権を引き渡す? それに私の秘密だなんて――――」

「それは”ノー“ということでいいんだな?」

「いやちょっと待ってよ……! まだ私は何も――――」

「もう一度はぐらかすなら、答えは”ノー“とする。異議は認めん」

「話を聞い――――」

「聞いたな? 皆の者。聞いたな? 今、ヒナイバリは、私の、申し出を、断った」

「ちょ、ちょっと待ってってば! そもそも――――」

「この、”先導(せんどう)審神者(さにわ)“である私の申し出を」

「は?」


 時が止まったかのように空気が凍り、ハピネスだけがニヤリと笑う。


「笑顔による文明保安教会国王、”先導(せんどう)審神者(さにわ)“ハピネス・レッセンベルクの申し出を、ヒナイバリ工場長は、断ったのだ!!!」














「あ?」


 ヒナイバリの全身から、滝のように汗が噴き出る。目を開いているにも関わらず視界は真っ黒に染まり、四肢の感覚が消失する。


「ああ、悲しいよヒナイバリ工場長。私は君を助けたかっただけなのに」

「い、いやいや……ま、待ってよ。あ、いや、ま、待って下さい……!」


 ある者は言葉を失い、ある者は思案し、ある者は焦燥し、ヒナイバリだけではなく、その場にいた者全員が呼吸をも忘れて動けない。


「まあ人間というものは自由だ。自由であるべきだ。如何なる権力も、行為も、君を縛るには値しないのだろう。私はそれを肯定しよう」

「待ってよ……!! 待ってってば……!!!」


 今、ハピネスが先導(せんどう)審神者(さにわ)であることを証明するものは何も無い。ないもないからこそ、ヒナイバリは肯定も否定も出来ない。大ほら吹きにみすみす国の全権を明け渡してしまうのか、それとも世界で最も恐ろしい帝国に単独刃向かうのか。惨めな死か、防衛か。隷属か、拷問死か。この土壇場で命を二分する(さい)を振るなど、小心者のヒナイバリには到底出来ることではない。


「さあ皆の者よく聞け。この女のしでかした大罪を――――!! その狭く澱んだ胸の内に秘めたる悪行を、今!! 私が(つまび)らかに語ってやろう――――!!」

「待ってってばぁ!!!」


 しかし、その葛藤すらも、ハピネスの掌の上である。

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[良い点] 来たぞハピネスのターン!
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