174話 煉瓦の家
〜三本腕連合軍 鳳島輸送 三本腕連合軍官邸〜
「ぐっ――――……!!」
「おら、どうしたよ。秘策があんなら早く出さねーと死んじまうぞ?」
ピンクリークの右フックが、シスターの側頭部を弾き飛ばして血飛沫を散らす。怯んだところへ腹部への膝蹴り、浮き上がった胴への肘打ち。シスターは呼吸もままならぬ状態で床に倒れ込み、必死で息を吸おうと藻搔く。
薄手のタンクトップを持ち上げる猛牛のような筋肉から熱気を上げ、ピンクリークは顔を半分覆う前髪から怪しげな眼差しを覗かせる。拳を大きく振りかぶったピンクリークの一撃を防ごうと、シスターが防壁魔法を重ね掛けして身を守る。するとピンクリークは態と踏み込みを大きくして攻撃を遅らせ、シスターの防壁魔法が万端の状態になるのを待った。そして、車の衝突をも弾く防壁が完成した直後、それを薄ベニヤのように撃ち抜きシスターの肩を砕く。
「あああああああああっ!!!」
「柔い、柔い。知ってるか? 狼は吐息一つで藁の家を吹き飛ばすんだぜ」
痛みに怯んだシスターを蹴飛ばし、壁へと叩きつける。シスターは全身血まみれになりながらも、なんとか防壁魔法を構え次の一撃に備える。ピンクリークは呆れたように笑い、ポケットからスキットルを取り出して酒を呷り、またしても防壁の完成を待つ。
「頑張って丈夫な煉瓦の家を建てろよ。お前が子豚より賢いならよ」
「シスターさん大丈夫ですかねぇ。ピンクリークさんて怖いんですよねぇ。顔が」
「…………」
ハピネスはレシャロワークを連れ、無言のまま足早に非常階段を登っていく。4階の廊下を抜け、最奥の扉まで一直線に歩いて行き躊躇なくその扉を開いた。
広大な執務室を彩る絵画骨董の数々。それらが門番のように部屋を囲んでいる。足元に広がる緻密な幾何学模様が描かれた絨毯を数歩進むと、真正面の執務机の向こう側から声が発せられる。
「ノックぐらいしたら?」
大きな椅子は部屋の奥にある大きな窓の方を向いており、背もたれに隠れて座っている人物の顔は窺えない。レシャロワークは暢気に後ろを振り返り、ハピネスが開けっぱなしにした扉を拳の裏で数回叩く。
「コンコン、入ってまーす」
「キャンディ・ボックスが関わるような事は起きてないから、さっさと帰って」
「帰っていいなら本当に早く帰りたいんですけどねぇ」
レシャロワークは腕を組んでウンウンと唸り、横目でチラリとハピネスを見やる。彼女は依然として口を開く様子はなく、既に執務机の奥の人物には欠片も興味を持っていない。レシャロワークは大きく溜息を吐いてから「やれやれ」と手を上げて不貞腐れて見せる。そして今度はビシッと指を点高く突き上げ、それを執務机の向こうに突き付けた。
「三本腕連合軍大不況の仕掛け人は……お前だっ!!! 鳳島輸送工場長、ヒナイバリ!!」
机の向こうの椅子が緩やかに回転し、座っていた人物が姿を現す。淡い紫色の長髪をセンターで分け、こちらを険な顔で睨む女性、“ヒナイバリ工場長”。苛立ちのせいか伸ばしたもみあげを指先に何度も巻き付け、酷く気怠そうに敵意と共に言葉を吐く。
「馬鹿とは話したくない。その、自分達が苦しいのは政治家が悪巧みしてる所為ってすぐこじつけるの、どうにかならないの?」
「さっき娘さんと会ってきましたぁ」
ヒナイバリの目元が微かに震える。
「めっちゃいいテレビですねぇ、アレ。ゲーム機も、こないだ出たばっかのストライクプレイヤー3の再々改良版。ゲームソフトも診堂クリニック全土が涙するような名作から半泣きになるようなクソゲーまで……。ヒナイバリさんって、お店で「こっからここまで全部」って買い方する人? わかってないネェ。ゲームのワクワクってのはね、お店でソフト選ぶ瞬間から始まってるんですよ!!」
「何の話?」
「こっちの話。ええと、何が言いたかったんだっけ……。あっ! そう!」
レシャロワークがポンと手を打つ。
「愛娘のヒナイバリちゃんを甘やかすために!! 国のお金ジャブジャブ使ってるんでしょぉ!! 名推理!!」
「……個人にかけられるお金なんて、高が知れてるでしょ」
「なんかこう、世界的な有名人いっぱい呼んで誕生日パーティーさせるとか。ダクラシフ商工会のキールビースさんとか、真吐き一座のタリニャさんとか」
「そんな有名人が、いつウチの国に来たの?」
「えっとぉ……お忍びでくるから報道はされないんだよ」
「世界的な有名人が最近長期で休んだこと、あるの?」
「あるんじゃない? 知らないけど」
「出て行って」
ヒナイバリ工場長は怒りを露わにレシャロワークを睨みつける。しかし、レシャロワークは全く動じずに頬を掻く。
「……自分達のこと追い出したいのに、警備の人は呼ばないんですねぇ」
「貴方が馬鹿なのは分かるけど、雑魚ってわけじゃない。どうせ呼んだって返り討ちにするんでしょう」
「じゃあ尚更早く呼ばないとぉ。今から自分がヒナイバリさんを殺すかも知れないじゃあないですかぁ。怖くないんですかぁ?」
「貴方は馬鹿は馬鹿でも狂人じゃない。三本腕連合軍のトップの暗殺なんて馬鹿な真似、貴方がする意味はないでしょう?」
「あー……? あー……。……話変わるんですけどぉ、ヒナイバリさん”ファスファン“ってやったことありますぅ? “ファスト・ファンタジア”。RPGの金字塔にして最高傑作。尚個人の感想」
「何の話?」
「こっちの話。ファスファンの序盤でぇ、お城に忍び込むミッションがあるんですけどぉ、道中に負けイベがあってぇ、強制的に処刑台までシーンが進むんですよぉ」
「ゲームしたいなら帰りなさいよ」
「まあまあ。で、その処刑台で主人公が殺される寸前に仲間が助けに来るんですけどぉ、これって結構”出来過ぎ“ですよねぇ? ずっと待ってたの? みたいな」
「はぁ? 物語なんだから当然じゃない」
「いやそうなんですよぉ仰るとぉーり。「え? タイミング良すぎじゃない?」ってな感じでぇ。だからぁ、もし何かの間違いでタイミングが遅かったりしたらぁ、多少不自然でも時間を引き延ばすしかないじゃないですかぁ。それっぽい演説かまし続けるとかぁ、悪足掻きを余裕ぶって見守ってあげるとかぁ」
「もういいわ。望み通り警備員を呼んであげる」
「今のヒナイバリさんみたいに、無駄に相手の話を聞いてあげるとかぁ」
執務机の電話に手を伸ばしかけたヒナイバリの手がピタリと止まる。
「……何ですって?」
「あ、違うんならどうぞぉ。気にしないで電話してくださぁい。別に警備員やっつけたりしませんってぇ」
「私が、時間を稼いでるって?」
「だってさぁ、下で娘さん1人で待たせてたり、こんな夜遅くまで1人で仕事してたり、なーんか自分達に取って都合が良過ぎる気がするんですよねぇ。そう言えば警備も手薄だったなぁ〜。いや、ピンクリークさんいたからそうでもないかぁ?」
「知ってるんなら早く言ってよ。無駄に猿芝居しちゃったじゃない」
ヒナイバリが、先程までのを引っ込めて、どこか嬉しそうに優しく微笑む。
「お、認める感じ? 潔いねぇ。悪者みたい」
「ええ。だって、悪者だもの」
ヒナイバリは徐に席を立ち、部屋の隅に置かれていた背の高い旗立まで歩き、その旗の端を摘んで大きく広げて見せる。そこには、黒雪崩騎士団でも見た三本腕連合軍の国旗が描かれていた。
「この国旗にまつわる話、聞いたことある?」
「聞いたけど忘れましたぁ」
「……かつてこの地には“東薊農園”という小さな農園があった。そこへやってきた2つの勢力。陸からは、北方の王国を守っていた“黒雪崩騎士団”。海からは、遥か遠くの島国からやってきた“鳳島輸送”。彼等は決して仲は良くなかったけど、大戦争を生き延びるために手を組んだ……」
国旗にはバツを描くように黒と青の腕が交差し、その中心を跨ぐように黄色の腕が重ねられている。
「田畑の黄色が東薊農園。岩山の黒が黒雪崩騎士団。海原の青が鳳島輸送。彼等は腕を重ね合った“写真”を和睦の印とし、この三本腕連合軍を建国した……」
「畑なら緑じゃね?」
「けど、この“写真”は、私達の先祖が捏造したものだった」
ヒナイバリが旗を強く握り締め、毒魔法を発動させて腐食させる。国旗は真っ黒に炭化して泡を吹き、ボロボロと崩れながら絨毯に落ちていく。
「和睦は上手くいかなかった。しかし、互いに睨み合ったままでは生き残れない。そこで鳳島輸送の代表者は、黒雪崩騎士団の代表者と、東薊農園の代表者を殺した。その死体の腕を重ね、和睦の証である写真を撮った」
絨毯に毒魔法が伝播し、激しく泡を噴き上げて溶けていく。白煙が怪しく揺らめき、絨毯の上を蛇のように這っていく。
「国民たちは写真を和睦の証と信じ、互いに手を取り合った。手を握った相手の指導者が、自分達の仲間を殺したとも知らずに」
「……そりゃぁ悪者ですねぇ」
「平和には必要な犠牲だったの。皆仲良く死を選ぶくらいなら、無理矢理にでも和睦をでっち上げる。わかるでしょう?」
「あんまり」
「ねえ、貴方も私に協力してくれない? 元はと言えばステインシギルの手伝いに来たんでしょう? 国を救いたいって気持ちは同じな訳じゃない?」
「いや、自分の気持ちはずっと「帰りたい」の一択なんで……」
「じゃあ鳳島輸送に住めばいいじゃない」
「帰宅の概念捻じ曲げないで?」
「改革には大きな力が必要なの。キャンディ・ボックスの協力があれば、きっと成し遂げられる。大丈夫よ、私は昔の指導者とは違う。貴方の仲間を殺したりなんかしない」
レシャロワークは眉を八の字に曲げ絶え間なく首を振る。すると、ヒナイバリの背後、大きな窓の向こうからこちらを覗く一つの目玉に気が付いた。
「あれ、ヒナイバリさん、後ろ――――」
レシャロワークが言い終わる間もなく、爆発したかのように勢いよくガラス窓が弾け飛び、破片が室内に飛び散る。
「ふぅむ。防魔加工の精度が甘い。やはりリサイクル品は廉価版にすべきか?」
窓の奥から姿を現したのは、”東薊農園農園“工場長。死んだ筈の”ティスタウィンク“であった。
「あら、東薊農園の人間はもう少し礼儀正しいと思ってたのだけれど……。デジタルテクノロジーの先駆者は、一体いつから原始人になっちゃったの? ティスタウィンク」
「ソーシャルエンジニアリングは如何なるセキュリティソフトにも防げない最も質の高いクラッキングだ。原始人だなんてとんでもない。極めて先進的な犯罪と言えるだろう」
ティスタウィンクはスーツについたガラス片をハンカチで叩き落とし、何かを探すように辺りを見回してレシャロワークに尋ねる。
「ふぅむ。ステインシギルはどこだ? まさか置いてきたんじゃないだろうな」
「置いてきましたぁ」
「愚か者。それと、死体だった私が蘇ったのだぞ? 少しぐらい驚いてもいいと思うがね」
「っどわああああああああ!? ティスタウィンクさん〜〜〜〜!?」
「ふぅむ。40点」
「思ってたより高得点」
ティスタウィンクはハピネスの方をチラリと流し見てから、ヒナイバリに指を突きつける。
「して、一体どういうつもりかな? ヒナイバリ」
「どういうつもり……って?」
「三本腕連合軍創立の昔話……。あんなものが嘘だということは、とっくに分かっていただろう」
ティスタウィンクの指摘に、レシャロワークが素頓狂なポーズで反応を返す。
「え。アレ嘘だったんですかぁ」
「真っ当に考えれば、幾ら大昔とは言え指導者の暗殺など容易いものではない。ましてや、その事実を隠し続けようとするのなら特にな」
「それはそう」
「尤も、我々は“互いに信じていた昔話が食い違っていた”だけなのだが」
「はぁ?」
ティスタウィンクはヒナイバリをじっと見つめ、徐に語り始める。
「……かつてこの地には東薊農園という小さな農園があった」
レシャロワークが首を傾げ、「はて」と呟く。
「そこへやってきた2つの勢力。陸からは黒雪崩騎士団。海からは鳳島輸送。彼等は決して仲は良くなかったが、大戦争を生き延びるために手を組んだ……」
「それってぇ、さっきヒナイバリさんが言ったやつと一緒じゃない?」
「いいや。この話は“捏造された”ものだ」
「それもさっき聞きましたぁ。和睦は上手くいかなかったからぁ、鳳島輸送の代表者が――――」
「そこで、“東薊農園”の代表は、他の代表らを殺害した」
「……あれ?」
「食い違っているのだ。東薊農園、鳳島輸送、黒雪崩騎士団。それぞれの地に伝わる門外不出の昔話。三本腕連合軍の和睦を捏造したという”話そのものが捏造されている“」
「えっとぉー……つまり?」
「我々、県の代表者は皆”先祖による代表者殺しの罪と責任を背負っている“と思わされ続けて来た。正義心溢れる黒雪崩騎士団は指導者としての責務を果たそうと奮い立ち、気高い自尊心を持つ鳳嶋輸送は支配者という地位に見合う振る舞いを心掛け、疑心に満ちた東薊農園は不安の種を摘み取るため善良な国作りに躍起になった。全ては我々の先祖が描いた、子供騙しの稚拙な企みだ」
ヒナイバリは目に見えて狼狽え、目を白黒させる。しかし、ティスタウィンクは眉間に皺を寄せ声を張る。
「その下手くそな芝居をやめろヒナイバリ!! 反吐が出る!!」
「……あら、驚いて欲しかったんじゃなくて?」
「お前のような堕落した自惚れ屋を弄んでも何も面白くはない」
再び落ち着いた微笑みを浮かべるヒナイバリ。
「そんなことを今更長々と聞かせてくれるもんだから、てっきり子供扱いされてるのかと思って可愛い子供を演じてあげたのに」
「お前は子供以下だ暗愚魯鈍め。私が知りたいのは、お前が何を以って”破滅“を望んでいるのか、だ」
ヒナイバリの表情が途端に曇り、顎の奥から歯を擦る鈍い音が零れ落ちる。
「三本腕連合軍の要である技術品の粗製濫造。働き手や不動産の買い叩き。国外への情報漏洩……。私が百機夜構と契約していなければ、この国はとっくに襲撃され焼野原だ。お前の悪政は最早馬鹿の範疇をとっくに超えている。これは比喩でも嘲笑でもない。お前はこの国を破滅させる気だろう」
「……人のことを――――」
口を開きかけたヒナイバリの首筋に、ティスタウィンクの取り出したハンドアックスの刃が突きつけられる。
「次につまらん言い訳を口にしたら生首のまま尋問してやる。つい最近延命装置の試作品が完成したところだ。税金対策に出資した遊び半分のガラクタではあるがね」
そこへ、廊下の奥から2人分の駆ける足音が聞こえてくる。
「っはあ! っはあ! なんとか間に合ったか――――な、ティスタウィンク!?」
「工場長! そんな走っちゃ傷開くよ!」
姿を現したのは、黒雪崩騎士団工場長ステインシギルと、真吐き一座の花形タリニャの2名であった。ティスタウィンクは2人の登場に一切反応することなく、ハンドアックスを握りしめたままヒナイバリに向かって言い放つ。
「更に警告しておくが……私は子供にも大人にも平等に接することを心掛けている。お前が死んだら娘のホルカバリに聞くまでだ」
「……ま、待って、話を――――」
手斧が振われ、ヒナイバリの頸動脈が喉笛ごと引き裂かれる。
「遅れてもう一つ忠告だ。私は決断が早い」




