168話 暗雲立ち込める快晴
〜三本腕連合軍 東薊農園 黒雪崩騎士団行き列車〜
真っ黒な煤煙を上げる汽車が、甲高い金切音を上げてホームに停車する。しかし、その車内からは幾つかの人影が降りてきただけで、乗る人もほんの僅かしかいない。この駅に来るまでの間、家路に着くであろう人と多くすれ違ったが、ここだけは寂しいほどに閑散としている。
シスター、ハピネス、レシャロワークの3人が駅員に会釈をすると、駅員はハッとしたような顔で敬礼し一歩下がる。運賃を支払おうと差し出したシスターの手が行き先を失うと、駅員は静かに首を横に振った。
「……どうも、ありがとうございます」
シスター達はそのまま切符を受け取ることなく入り口を素通りし、ガラガラの車内を見回し角の空席に腰をかける。
「このバッジのお陰でしょうか」
マルグレット副長から拝借した百機夜構のバッジを、シスターが指先で撫でる。
「そうっぽいですねぇ。列車乗り放題はありがたいですねぇ。診堂クリニックじゃあ定期券買ったって1割も引かれないのにぃ」
隣に座るレシャロワークは車内が空いているのをいいことに、長い座席に寝そべってゲーム機を取り出す。乗り物酔いの激しいハピネスはというと、珍しくシスター達から少し離れたところに立ち車内広告を眺めている。シスターが隣に立って広告を覗くと、そこには真っ白な歯を輝かせる胡散臭そうな色白の男が、「デキる人はみんなやってる! ”鳳島輸送“式ヒューマニズムトーク法!!」という見出しと共に掲示されている。
「ハピネスさん? この方がどうかしましたか?」
「…………」
「ハピネスさん?」
「ふぅむ。成程?」
突然背後から発せられた声に、シスターは思わず身を強張らせて振り向く。そこには、青白いウェーブ髪に中折れ帽を被った背の高い細身の男が首を傾げていた。灰色のスーツに臙脂色のネクタイという、少し風変わりなスーツ。男は帽子のツバから吊り下げた片眼鏡を調整し、車内広告をまじまじと見つめる。
「何の変哲もない、ぽっと出のインフルエンサーだな。特別気にするような代物ではない。私であれば、この窓に反射しているあの広告……。来週公演の演劇、“哀れなドブネズミに捧ぐ僅かな光”の方を見るがね。脚本家は全くの無名ながらも異質の実力者と評判だ。……しかし、だとすると、そこの金髪の方は私の存在に気が付いて、椅子に座るよりも比較的逃げ場を確保しやすい乗降口近くに移動したという訳だろうか?」
男は立板に水を流す勢いで捲し立てるが、ハピネスは顔を逸らしたまま何も反応を見せない。男はその様子を不思議そうに眺めた後、シスターの方に向き直る。
「成程。彼女は相当に疑り深い性格のようだ。ではご友人にお伺いしよう」
「え、あ、はい……」
シスターはほんの少し助けを求める気持ちでレシャロワークの方を見るが、彼女はこちらには一瞥もくれずゲームに夢中になっている。
「ふぅむ。ではまず自己紹介をば。私は東薊農園工場長、名を“ティスタウィンク”。お見知り置きを」
「ティ、ティスタウィンク……!?」
「ふぅむ。やはり知っていたか。初対面の人間に名前だけが知られているというのは……、何度経験しても慣れない」
“ティスタウィンク”。東薊農園の県知事的存在“工場長”にして、テレビゲーム制作を主とする合名会社“ストライクゾーン”の開発部長。そして、世界中にありとあらゆる精密機械をタダ同然でばら撒き、デジタル文化促進に大きく貢献した功績で広く知られている。
その名前を聞いたレシャロワークが、寝そべっていた身体を勢いよく起こしてゲーム機を手に駆け寄る。
「ティスタウィンクさん!? マジ!? 自分、鬼ファンです」
「ん? 誰だ貴方は」
「キャンディ・ボックス所属、レシャロワークと言います! ケモ牧シリーズは全作鬼やってます! これ、自分の愛機“ストライクプレイヤー3、ケモ牧2モデル”です! ティスタウィンクさんがこのゲーム機ひとつで最新ゲームも遊べるようにしてくれてるお陰で、6年経った今でも現役バリバリです!」
「一番好きなゲームは?」
「ケモ牧2です!!」
「総プレイ時間は?」
「5000時間です!!」
「やり過ぎ。真面目に働いて勉強をしなさい」
興奮するレシャロワークにティスタウィンクは冷たく言い放ち、近くの座席に腰をかける。そして、窓の外を眺めながらシスターに向けて話しかける。
「我が東薊農園では、既に殆どの交通機関が電車に切り替わっていて、一部都心では地下鉄も普及している。去年開通したばかりではあるが」
「は、はい?」
「この汽車も早々に電車と入れ替えてしまいたいのだが……、パンタグラフ敷設の工事が黒雪崩騎士団側の地域住民の反対でストップしている。「強い電気は人体に悪影響」だとか……。電磁波の“で”の字も知らぬ黒雪崩騎士団の無学徒が、一丁前に科学を語っている。誰かの入れ知恵なのは目に見えているが、実に不愉快だ」
「そうですか……頑張ってください」
「そんな折、貴方達が入国してきた。黒雪崩騎士団の工場長“ステインシギル”に会いたいのだろう? 私が口利きをしてやる」
「…………私達に何をさせる気でしょうか」
「話が早くて助かる」
訝しげなシスターの眼差しに、ティスタウィンクは朗らかに笑う。
「ステインシギル工場長に会ってきてほしい」
「……会って、何をするんですか?」
「別に何も。後は貴方達の用事を済ませればいい。おっと! 奇遇にも貴方達と目的が同じだ! 実に都合がいい!」
上機嫌で手を叩くティスタウィンクを、依然として訝しげに睨むシスター。しかし、その顔の皺はより深く、より忌避感の強いものになっていく。すると、ティスタウィンクは再び嬉しそうに笑った。
「話が早くて助かる」
〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 “反霊式大魔導炉”〜
絶えず辺りに響き渡る重低音。黒雲のように夕暮れ空を埋め尽くす濁った赤と緑の波導煙。鉄と、油と、炎。そして少しの薬品臭。橙色の西陽が照らす鉄の建造物群の隙間を、宛ら雑草の隙間を歩く蟻のようにシスター達は歩いて行く。
「自分は前にも来たはずなんですけど、全然覚えてないもんですねぇ〜。あのデッカいドームが大魔導炉ってやつですかね? 上からめっちゃ出てる緑と赤の煙ってキモいですねぇ〜。エイリアンの体液みたい。体に悪そぉ〜」
壊れたオモチャのように絶えず喋り続けるレシャロワークを無視して、先頭を歩くティスタウィンクは上着を手に持って暑そうに団扇で顔を仰ぎ続けている。
「ふぅむ。ここはいつ来ても暑い。臭いし。どうしてこんな鉄のスパゲッティジャングルなんかが文化遺産になるんだ? まだ“鳳島輸送”の棚田の方が価値がある」
そんな悪態を溢すと、近くで作業していた半裸の作業員達がムッとした顔でこちらを見る。ティスタウィンクは視線に気がつくと、柔かな笑顔で近寄り名刺を差し出した。
「こんな汗臭い油溜まりより、空調の効いた我が東薊農園で働かないか? 決断の早いエンジニアはいつでも歓迎だ」
名刺を差し出された女性労働者は首からかけていた布で汗を拭うと、ティスタウィンクから名刺を奪い取って足元の深穴に放り投げてしまった。
「帰れよ“モグラ”野郎。誰がテメーらの工場建ててると思ってる」
労働者達に睨まれティスタウィンクは足早に遠ざかるが、去り際に手を振って捨て台詞を吐く。
「螺子も家も装飾も、全ては近い将来機械だけで作れるようになる。氷河期はすぐそこだ! 失業したら我が東薊農園へ! ……決断が遅いノロマはお断りだが」
労働者達の殺意に満ちた視線を背中に感じながらその場を離れる一行。そして、シスターがティスタウィンクの行動に苦言を漏らした。
「誇りを持って働く人を蔑ろにするのが東薊農園のやり方ですか?」
「蔑ろ? 私は彼等に敬意を持っている。敬意を持っているからこそ、彼等が路頭に迷う姿など見たくない。技術者を欲していることは嘘ではないがね」
「彼等だけでなく、彼等の誇りも尊重して下さい」
「どんな美しい花も、要らぬ枝を切り落とすことで価値を持つ。誰かが剪定をしてやらなくてはな」
「……平行線、ですね」
「心配要らない。貴方の忌み枝も、いずれ私が切り落としてやろう。貴方は正しさを理解する価値がある」
シスター達が巨大な鉄のドームの中へ入って行くと、入り口でトラックの搬入出を管理していた作業員が数名立ちはだかった。
「何だぁ? 東薊農園のお偉いさんが、ウチに何の用だよ」
「パソコンばっかしてるもやしっ子にこの熱気はキツイだろ? さっさと帰れ」
作業員の悪態など意にも介さず、ティスタウィンクは柔かに微笑む。
「ステインシギル工場長に会いに来た。彼女等がな」
そう言ってティスタウィンクがシスター達を紹介するが、作業員達の態度は変わらない。
「工場長に? 馬鹿言え。なんで工場長がアポも無しで出てこなきゃなんねーんだ」
「ふぅむ。私の紹介を断ると? では私も今後貴方達の申し出を無碍に扱っていいわけだ。それは実に助かる。今後は“東薊農園”なんて貧弱なもやしっ子なんかより、力と金のある“鳳島輸送”を頼るといい。ま、私はアレに頭を下げるくらいなら喜んでダクラシフ商工会の軍門に下るがな」
「…………クソッ。陰険もやし野郎が」
「簡単には権力に屈しない姿勢は評価に値する。我が東薊農園に転勤しないか?」
作業員はティスタウィンクを無視して、鉄柱に備え付けられていた受話器を手に取る。
「あー……こちら4番ゲート。東薊農園のティスタウィンクが来てると工場長に伝えてくれ。………………あ? うっせー、オレだってやれりゃそうしてるわ。いいから早く」
作業員の問い合わせから間もなく、ゲート奥の関係者用通路のランプが赤から青に点灯する。ティスタウィンクは満足そうに笑い、シスター達の方を向く。
「さて、あの通路を進めばステインシギル工場長に会えるだろう。もし会えなかったらまた私を訪ねるといい。無論、他の用事でも構わない。貴方達のような聡明な人間はいつでも歓迎だ、では、また会う日まで」
〜三本腕連合軍 黒雪崩騎士団 “反霊式大魔導炉” 応接室〜
絶え間なく上下運動を繰り返している資材運搬用エレベーター。その周囲を螺旋状に囲む非常階段。それを数階分登った道中にある小部屋。機械室と刻まれた文字の上に貼られたビニールテープには、油性ペンで“応接室”と書かれている。シスターがその扉を開くと、中には数個のパイプ椅子と、中央に置かれた大きめの長机。そして、丁度反対側の扉から入ってきた1人の女性が出迎えた。
「俺が“ステインシギル”だが……。お前等は誰だ?」
桃色の長髪。色白の肌。作業員達と同じく、サラシと腰巻きだけの薄着。ジャハルと同じ額を覆う黒痣に紅蓮の瞳が浮かんでいるが、その眼光はジャハルとは似ても似つかぬ錆びた槍のような鋭さと敵意を孕んでいた。
シスターがレシャロワークに目配せをすると、レシャロワークは一歩前に出て深く腰を曲げて頭を下げた。
「どうもー。“ヒスイ”さんのお使いで来ましたぁ。キャンディ・ボックス所属のレシャロワークって言いますぅ」
「ヒスイ……?」
ステインシギルが怪訝な目でレシャロワークを睨み、それからシスターとハピネスに視線を移す。
「……俺からは特に話さねぇ。言いたいことがあるなら勝手に言え」
釁神社の一切は口外無用。事情を知りつつも、未だ3人を信用していない素振りのステインシギルに、レシャロワークは一切を気にすることなく話し始める。
「じゃあ遠慮なくぅ。何か工場長が最近連絡くれないって心配してましたよぉ。でぇ、何か力になれることがあったら手伝って来てって言われましたぁ。何もなければ帰りまぁす」
「……ああ、別に変なことはねぇよ。不況でクソ忙しいだけだ。帰れ」
「じゃあ遠慮なくぅ。あざっしたぁ」
立ち去ろうとするレシャロワークの腕を、シスターが掴んで引き留める。そして、ステインシギルに尋ねる。
「それでは、私達からお願いをしてもよろしいでしょうか?」
「あ? お前等、俺の手伝いに来たんじゃねーのかよ。ただでさえ忙しいってのに、何でお前等の頼みなんか……」
「本当に些細なことでいいんです。手伝わせてください」
「不況だっつってんだろ。タダ働きでもしてくれんのか? 育成コストの方が高くついちまうよ」
「そうではありません。その、不況の原因だとか、障害となっていることの調査とか、そういったことでいいんです」
「それが分かったところでどーすんだよ。俺に皇帝にでもなれっつーのか?」
「違います。ただ……もしかしたら、私達の知らないところで”何か“が起こっているかもしれません」
「何か? 何かって何だよ」
「分かりません……でも――――」
シスターは不安そうに目を逸らす。そして、無意識のうちにハピネスに向けようとしていた視線を堪えて足元に向ける。
あのハピネスが、この国に来てから一度も口を開いていない。
「何か恐ろしい事態が、起こっているような気がしてならないんです」
彼女の目に映る暗雲を、シスターは見ることができない。




