167話 人生最悪の誕生日
〜三本腕連合軍 ダクラシフ街道〜
雲一つない快晴。灼熱の岩砂漠を真っ二つに裂くハイウェイを、一台の改造車が疾走していく。運転手の女性の名は“リクラジック”。今年で35、いや、今日で35歳。走り屋“百機夜構”の殿を務める老兵レーサーである。
元々落魄れたチンピラの集まりだった百機夜構を今の統率の取れた武力集団にしたのは、数年前突如総長の称号を勝ち取った、元“空腹の墓守”のNo.2“ピンクリーク”であるが、それより以前の秩序を保っていたのは彼女による功績が大きい。
入隊当時12歳だったリクラジックは、雑用という雑用全てを押し付けられ、半分奴隷のような役回りであった。そして、集団で違法走行をする際の殿も押し付けられ、後方から追いかけてくる国家権力や敵対勢力による圧力を、幼いその体に幾度となく浴びてきた。しかし、劣悪な環境で生まれたリクラジックにとって、誰かの役に立つ、誰かを助けるという役はこの上なく光栄なことだった。
そんな愚直なまでに健気なリクラジックを見て、百機夜構は次第に態度を変えていった。リクラジックに押し付けていた雑用を自分達も進んで手伝うようになり、感謝し、尊敬し、褒め称え、家族以上に深い繋がりを持った仲間として受け入れるようになった。その善心は落魄れたチンピラであった彼等同士の心をも繋ぎ止め、素行にも影響し始めた。
それからというもの、彼女の担っていた殿という役目は別の意味を持つようになった。百機夜構の門番にして逆鱗。もし彼女に擦り傷の一つでも負わせようものなら、百機夜構に属する者全てが踵を返して復讐しにくる。鉄壁と急所という相反する性質を兼ね備えた最強の殿として、23年経った今も百機夜構全構成員から全幅の信頼を置かれている。
本日はそんな彼女の誕生日。前日から、隣国の“ダクラシフ商工会”にて盛大なパーティが催され、今は車の後部座席いっぱいに積んだ誕生日プレゼントと共に三本腕連合軍に帰国する途中である。リクラジックは35にもなって誕生日会を催されることへの気恥ずかしさと、仲間達からの祝福への感動で、ほんの少しだけ上の空だった。まだまだ引退は出来そうにないな、などとぼんやりと考えていた折、目の前を走る一台の乗用車が目についた。パステルブルーの診堂クリニック製コンパクトカー。最近フルモデルチェンジした流行モデル。の、旧型車。
三本腕連合軍に於ける車というのは、言わばステータス。最もわかりやすい身分を誇示する方法である。機能性やこだわりが重視され、上司より良い車に乗ることは常識的にタブーとされている程。それに対し診堂クリニックでは、車は単なる移動の手段に過ぎず、無難でわかりやすい操作性の車が重視される。そんな三本腕連合軍で診堂クリニック製のコンパクトカーなど乗っていたら、後ろ指を指されることは間違いない。
しかし、リクラジックには別のところに少し違和感があった。連休や週末でもないのに、如何にも個人所有らしき車が、不況真っ只中の三本腕連合軍に向けて、のんびりと急ぐ様子もなく走っている。別に三本腕連合軍にも診堂クリニック製の車が走っていないことはないが、三本腕連合軍的に言えば、目の前を走る車はあまりにも“ダサ過ぎる”。それが少し気になって、車両を追い越すのと同時に流し目で車内を窺った。
金髪の女運転手と、白髪の同乗者。後部座席には、車酔いなのか横になっている者がひとり。一見すれば、ただの暢気な観光客。しかし、リクラジックには運転手の女性の顔をどこかで見たような気がしていた。
追い越すと同時に、リクラジックはコーヒーを片手に何となく思い返す。どこで見た顔だっただろうか。あの、気迫も凄みも一切感じられない間抜け顔。確かどこかの集団に属していたような。そして、ああ、と小さく呟いた。
そうだ。あの女は”キャンディ・ボックス“との会合にいた女だ。名前は確か”レシャロワーク“。何年か前に、三本腕連合軍と診堂クリニックとの首脳会談があった時に警備関連の会議で見た気がする。仕事の話中も、隅でずっとゲームしている変な女だった。
――――――――キャンディ・ボックス?
フロントガラスの光景を塗り潰す勢いで、嫌な想像が目まぐるしくリクラジックの脳内を掻き乱していく。
キャンディ・ボックス。診堂クリニック所属の警備隊でありながら、笑顔の七人衆“元先導の審神者シュガルバ”の直属隊。三本腕連合軍は“世界ギルド”寄りではないが、“笑顔の国”寄りでもない。“グリディアン神殿”や“崇高で偉大なるブランハット帝国”と同じく、完全に中立の立場。キャンディ・ボックスに下手なことをするわけにはいかない。しかし、“百機夜構”は思春期真っ只中の未成年や、学のないなんちゃって自由主義のチンピラも多く構成員に抱えている。もし奴らが遊び半分で彼らを襲おうものなら、“笑顔による文明保安教会”が“三本腕連合軍”を侵攻するきっかけになってしまう。そうなれば、全面戦争は避けられない。もしかしたら戦争どころか、波風一つ立てず静かに滅ぼされてしまうかもしれない。当然百機夜構は壊滅。三本腕連合軍の支配者層は、軒並み笑顔による文明保安教会の人間に入れ替えられてしまうだろう。
身内のたった一回の些細な過ちで、国が滅ぶ。
リクラジックの背筋を、燃えるように熱い冷や汗が伝う。視界を覆っていた妄想がほんの僅か途切れると、彼女は大慌てで車に搭載されている専用無線機を手に取る。
「こちらリクラジック!! 誰かダクラシフ街道にいないか!?」
すぐさまスピーカーが応答を返す。
「こちらミノンラフル! さっき姐さんの誕生日パーティーの片付け終わって、皆とダクラシフ街道真ん中らへんまで来たとこです! どうしたんですか!?」
「アタシの少し後方に、キャンディ・ボックスの車が一台走ってる! 多分三本腕連合軍まで来るつもりだ!」
「うえええ!? マジですか!? 確かそこの元締めって、笑顔の七人衆ですよね!?」
「 百機夜構のキッズが馬鹿やる前に護衛しろ!! 奴らになんかあったら国が終わるぞ!!」
「ラ、ラジャー!! こっち8台いるんで、全員トばします!」
無線を切り、リクラジックは傍に停車してキャンディ・ボックスの車を待ち伏せる。
「こっちまで来てくれりゃミノンラフルと挟める……一旦無理にでも止めて話聞いてもらうしかないな……」
額の汗を拭いつつ、少しでも冷静さを取り戻そうと煙草を一度に2本咥える。火をつけようとライターを手にしたところで、ルームミラーに映る緩いカーブの先からコンパクトカーが顔を出した。しかし、先程までの安全運転とは打って変わって、まるでタイヤがバーストしたかのように蛇行を繰り返して白煙を噴き上げている。
「えっ、はぁ!?」
思わず煙草を口から落として振り返るリクラジック。レシャロワークの乗った車は、何を思ったのか荒く拙いハンドル捌きで出鱈目なドリフトを繰り返した後、エンジンを唸らせて岩砂漠へと盛大に飛び出していった。
「おいおいおいおい何何何何なんなんだよっ!!」
リクラジックが慌ててUターンを始めると、堰を切ったように無線から阿鼻叫喚が流れ出す。
「ぎゃあ!! なんか分かんないけど奴ら逃げてます!!」
「追ってくださいノンちゃん!! 修理費のことは考えないで!!」
「げげげげぇ〜!!」
「まぁじぃ!? 俺新装したばっかなんだよぉ〜!!」
「テツ兄オフロードだろ先陣切れよ!!」
「馬鹿言うなよ!! 俺だってメンテしたばっかだよ!!」
「自分タイヤ圧下げました! 行きます!!」
「勘弁してよもぉ〜!!」
次々に砂漠へと飛び出していく改造車群。リクラジックもすかさず後に続き、ハンドルを握り締めて前方を睨む。
「なんで逃げてんだアイツら……!? おい誰か! 運転手について何か知ってるやつはいないか!? レシャロワークっつー金髪の女だ!」
「レシャロワーク? えーと誰だっけ……。聞いたことあるような……」
「あれじゃない!? 前の打ち合わせの時、端っこでずっとゲームしてた人!」
「えっ!? あれってシャロちゃん!? マジ!? 僕知り合いだよ!!」
「ジンダローほんと!?」
隊列の最も左に構えていた巨大なタイヤの四輪駆動車の運転手。“ジンダローガード”がアクセルを踏み込み前に出る。
「確かあんとき丁度おんなじゲームハマってて、それからシャロちゃん帰るまでずっと一緒に遊んでたんだよね〜。懐かしいなぁ〜」
「よしジンダロー!! お前ちょっと前出て止めてこい!!」
「オッケー!!」
ジンダローガードはギアを入れ替えて加速してレシャロワーク達を抜き去り、アクセルを踏みつけたまま窓から身を乗り出す。
「お〜いシャロちゃ〜ん!!」
しかし、ジンダローガードが手を振る直前、レシャロワークの乗るコンパクトカーはレーシングカー顔負けの超加速を見せ、小さな上り坂をジャンプ台代わりに空へと飛び出した。
「ええええええええええ!? シャロちゃんなんでぇ〜!?」
友人の素頓狂な行動に、ジンダローガードは思わず段差を避けるのを忘れ目を丸くする。
「ぎゃっ」
そして段差に乗り上げて大きく揺れた車体から振り落とされ、顔面から岩肌に落下する。なんとか咄嗟に防御魔法を展開して一命を取り留めるも、首はあらぬ方向に曲がり腕は折れ、自慢の四輪駆動車は勢いのまま大岩に衝突してしまった。
「痛ぁ〜い……うぅ……シャロちゃんなんでぇ〜……?」
そして当のレシャロワークはと言うと、無茶をしすぎたせいでコンパクトカーの車軸が折れ、そのまま勢い余って横転しひっくり返った。
「と、止まった……」
「……マジで何だったんだ……?」
「これさ、私らが追い詰めたせいとかじゃないよね?」
「いや流石にこれ俺らのせいにされても……」
「だ、誰かに見られたら面倒だ! さっさと本部連れて行こう!」
「どうする? 念の為顔隠す?」
「念の為、念の為な……」
「うわぁ〜頼むよマジでぇ〜……笑顔の国と喧嘩とかホントやめてくれよぉ〜……」
百機夜構の構成員達は、互いに不安そうに顔を見合わせる。その表情は単なる心情だけでなく、無理に悪路を走ったせいで腰やら首やらを痛めたせいでもある。ジンダローガードに至っては未だ落車した地点で激痛に身を悶えさせており、仲間が数人で必死に介抱をしている。自慢の車両群は無理な走行で損傷し、数台はパンクで走行不能。幾ら強国との軋轢を避けるためとは言え、高過ぎる代償を支払った百機夜構。それでも未だ祖国滅亡の妄想は頭から離れず、暫くは笑顔の七人衆の幻影に怯えるしかない。
リクラジックの人生最悪の誕生日は、えずくほどに饐えた苦味の中で幕を閉じることとなった。
後に百機夜構を引退し、三本腕連合軍屈指の人気ブロガーとなるリクラジックだが、晩年に執筆した自伝の一節にこう綴っている。
「アタシが人生で最も多くされた質問。それは、“1番手強かった車はなんですか?”。というものだ。誰もが、世界最強は自分の好きな車種なんじゃないかと目を輝かせ尋ねてくるが、その誰もが次の瞬間には不満そうな渋い顔をして首を傾げる。コイツ、ふざけてるのか? ってね。でもアタシは大真面目さ。毎回大真面目に、「診堂クリニック製の、5年落ちのコンパクトカー」って答えるのさ」
〜三本腕連合軍 東薊農園 百機夜構本部ビル〜
地上7階コンクリート造のビル、その最上階。厳かな会議室の奥の椅子に深く腰掛ける、1人の女性。顔半分を覆う深い青の髪に、ジャケットの下に見える大木のように盛り上がった筋肉。百機夜構総長“ピンクリーク”が、酷く苛ついた表情で煙草を深く吸い込む。
「ふぅ〜……。で、レシャロワーク」
「あい」
子供も泣き出すような眼光が、対面に座るレシャロワークに突き刺さる。しかし、当の彼女はどこ吹く風で鞄の中から水筒を取り出し飲んでいる。
「3年前の会議の時に、オレが言ったことを憶えているか?」
「先週の朝ごはんなら思い出せるんですけどねぇ」
「三本腕連合軍に用があるときは、一報よこせ。お前ら、笑顔の七人衆の一派だっつー自覚あんのか?」
「ないんだなぁコレが」
「第一、何で逃げんだよ……! お前らの車じゃ、どうやっても逃げ切れねーだろうが……! せめて応戦だろ……!」
「すんませぇん。なんか楽しくなっちゃってぇ」
「お前らに何かあれば、笑顔の国の連中がウチを攻める口実になる。そのくらい察しがつかねーのか……!?」
「え、自分らなんかされるんですか?」
「もしもの話だ……!!」
「もしもかぁ」
全く以って危機感のないレシャロワークの態度に、ピンクリークは頭を抱えてぼやく。
「クソ……。何でキャンディ・ボックスの連中はどいつもこいつも話が通じねーんだ……!」
「現代っ子なんで……」
「そうじゃねぇだろ……!」
「違うかぁ」
そこへ、ノックと共に扉を開いて2人の人物が現れる。
「おうリクラジック、散々な誕生日になっちまったな。ジンダロー。首は大丈夫か?」
「お疲れ様です総長、全くですよ……。折角の誕生日プレゼントも、揺れで何個かダメになりました」
「お疲れ様です総長……。まあ、大丈夫じゃなくはないです」
ジンダローガードの姿を見ると、レシャロワークは片手を上げて「あら」と声をかける。
「ジンダローさんお久ですぅ。首どうしたんですかぁ?」
「…………シャロちゃん。僕、前走ってたのわからなかったの……?」
「え、全然。そうなんですかぁ?」
「そうなんですよぉ」
「あらまあ」
「シャロちゃんが逃げるから……、勢い余ってこの様なんですよぉ」
「あらまあ」
今度はレシャロワーク以外の3人が頭を抱えた。
その会話を隣の部屋で聞いていたシスターは、目の前に座る濃い金髪の人物、百機夜構の前総長、現副長”マルグレット“に深く頭を下げる。
「申し訳ありません……。私がもっと強く止めていれば……」
「いや、あの馬鹿は止まんないよ。気にしないで」
マルグレットは長い揉み上げを手遊びに弄りながら、目の前に座るシスターとハピネスに提案をする。
「要するに、シスター達は東薊農園じゃなくて、黒雪崩騎士団に行きたかったんだよね?」
「はい。そこの、“ステインシギル”工場長にお会いしたいんです」
「それはちょっと難しそうだねぇ〜。ま、ウチからは何もしてあげられないけど頑張りなよ。代わりにコレあげるね」
そう言って、マルグレットは歯車を模した髪飾りを3つ差し出す。
「百機夜構のバッジ。これはお客さん用ね。コレつけてればウチの若いのも絡んで来ないよ。結構大事なやつだから無くさないでね」
「ありがとうございます、マルグレットさん」
「いいよいいよ。ただ、笑顔の国になんか言うのはナシね? それだけは本当にヤバいからさ。お互いに」
「ご安心下さい。今回のことでレシャロワークさんの危うさはよく分かりました。次はブン殴ってでも止めます」
「うん…‥頼むね」
マルグレットは未だ不安そうに指先を何度も組み直して視線を落としている。笑顔の七人衆の死を知らない彼女らにとっては当然の反応だろう。いつどのタイミングで、笑顔による文明保安教会が因縁をふっかけてくるのか、それとも見逃してもらえているのか、彼女らに知る術はない。人は隕石に怯えても、空を見上げることしかできない。
シスターもマルグレットと同じく不安そうに視線を落とす。彼もまた、不安に怯えるもののひとりなのだ。しかし、シスターがマルグレットと違う点は、“自分こそが隕石になってしまうのではないか”という不安だった。今までは、ナハルが隣を歩いてくれていた。使奴が見守ってくれていた。今は、ひとりで歩いて行かなければならない。ひとりで善行を成さなくてはならない。
今になって、ニクジマに言われた言葉が胸を刺す。
「お前ら正義人は、いつだってそうだ……!! お前の正義が世界の正義と信じ、それに仇為す正義を悪と罵り貶る……!! 願望と真実を混同して語るっ……!!」
「……願望を真実にすれば、文句はありませんよね」
「ん? 何か言った?」
「あ、すみません。何でもありません」




