161話 ッダァ=ラャム
〜釁神社 社務所〜
社下町より、坂を登った先の一際大きな建物。瓦屋根に、白塗りの土壁。鮮やかな朱色に塗られた、柱やアーチ状のモニュメント。大社ほどでは無いにせよ、厳かで趣のある古風な建物。だが、庭先に設置された空調の室外機や、風呂を沸かすための給湯器があることから、下町とはかけ離れた文明を有していることが分かる。部屋の中も比較的モダンな作りで、旧文明に於ける新しめのマンションの一室を模しているように見える。古風な社下町と比べれば場違いだが、旧文明の人間が暮らしていると考えれば比較的妥当な内装。それでも、瑣末な疑問が数多に浮かぶチグハグさは拭きれなかった。
「カガチが居ない?」
社務所でメンバーの集合を待っていたハザクラが、怪訝な顔をして入口の方を見る。そこには、今し方捜索から戻ってきたナハルとバリアの姿があった。
「ああ、町だけでなく山の方にも検索魔法を飛ばしてみたんだが……、どこにも見当たらない」
「空も地中も異常なし。いや、”異常が無いかって言われると、異常ではあるんだけど“。カガチは見当たらなかったよ」
そこへ、遅れて戻ってきたゾウラ、デクス、ラデックの3人も合流する。
「カガチ、どこ行っちゃったんでしょう? 呼んでも来ないことなんて、今までなかったんですけどねぇ」
「デクスの異能にも引っかからねぇ! 攻撃判定さえありゃ見つかる筈なんだがなぁ? こりゃもう死んだんじゃねーの?」
「やはり、”コハク“の言う通り“下層”に引き摺り込まれてしまったんじゃぁ……」
そう言ってラデックがハザクラの向かいにいる使奴を見る。
琥珀色の長髪。黒と赤を基調とした巫女のような服装に、使奴特有の黒い白目。額から頬まで伸びた稲妻のような黒痣が貫く眼には、バリアやカガチと同じく赤い瞳孔が輝いている。
「困ったね……。カガチとやらは、大社で人形を作らなかったのかな? 町民には必ず作らせるように言ってある筈なんだけど」
顎を引っ掻きながら目を伏せるコハクに、ラデックが当時の状況を説明する。
「いや、作ってはいた。ただ、少し納得が行かない様子ではあったが」
「納得がいかない?」
「ああ。俺やゾウラが人形を作っている間、俺達の手元をずっと見ていた。何か……疑うような感じで」
「……まあ、それはそうだね。人形、勝手にそっくりになっただろう? あれは、そうなるように出来てるんだ」
「すまないが、話が色々突飛すぎてこんがらがってきた。もう一度“さっきの説明”を頼めるか?」
「ああ、いいよ。確かに、全部一度に理解しろってのも酷な話だよね」
コハクは態と咳払いを挟み、ラデック達に向けて話し始めた。
「君達がいるこの場所は、ボク、コハクが“創世の異能”で創った別次元。便宜上、“中層”と読んでいる世界だ」
ざっくりと要点だけ話させてもらうよ。この地には元より、別の世界が重なっている異常現象があった。重なっているって表現もあまり正確では無いんだけど……、厳密に話すとややこしくなるから、便宜上、元の世界を“上層”。重なっている世界を“下層”と表現させてもらうよ。
この下層には恐ろしい怪物が住んでいて、上層にいる人間を下層へ引き摺り込んでしまう能力を持っていた。
そこでボク達は、下層にいる人間を上層へ逃がそうとしたんだ。だけど、どうやら怪物は上層にもある程度干渉できるらしく、上層へ逃げた人間が遠くへ離れられなくなる能力も持っていた。ボクのような使奴であれば力任せに抜け出せるんだが、脆い生身の人間達はそうもいかない。
そこでボク達は、人間を“逃す”よりも“生かす”ことを考えた。
まずは怪物の影響をある程度制御できるように、ボクの“創世の異能”でこの釁神社を作り上げた。ここが、所謂上層と下層の中間。“中層”として機能する。怪物が上層に干渉出来なくなったわけではないけど、少なくともボクの管理する中層への影響は緩和できた。
さらに、特殊な細工をした“身代わりとなる人形”を作り、怪物の下層へ引き摺り込む能力の対象が人形に向かうよう仕向けた。これで、怪物からの被害は実質ゼロになったわけだ。
最後に、この地へ他の人間が迷い込むのを避けるため、他の仲間の異能を使って“部外者がここへは辿り着けないよう”細工をした。
釁神社は、大戦争の生き残りの保護施設。怪物に呪われた一族の隠れ蓑なんだ。
「ボクの異能の練度が上がっていくにつれ、ほんの少しづつだけど安全に町民を逃がせるようにもなってきたんだよ。最近じゃあ、年に一度は“盲目の村”と交流もしてるしね」
そう自慢げに語るコハクに、ラデックが疑心に満ちた眼差しを向ける。
「だとしたら、何故カガチだけが飲み込まれてしまったんだ?」
「そこはボクも分からないんだよね。人形が誤作動を起こしたのかな? いや、でも今までそんなことはなかったしね……」
「第一、あの人形はなんなんだ? “いつのまにか無くなっているが”……。これが身代わりになったと言うことか? ラルバ達でも構造を把握出来ないなんて、相当強力な呪物なんだろう?」
「ああ、あれ? 使奴が構造を把握出来ないのも無理はないよ。あれの雛形を作ったのは、天下の“三日月ホビーテクノ”だからね」
「三日月……? なんだそれは」
首を傾げるラデックとは反対に、バリアは納得して「ああ」と声を漏らした。
「三日月製なんだ。成程、それじゃあ使奴が解けないわけだ」
「何か知っているのか? バリア」
「知ってるも何も、三日月ホビーテクノは旧文明じゃ言わずと知れた世界一のおもちゃ会社だよ」
「お、おもちゃ会社?」
「ぬいぐるみからコンピューターゲーム、果てには遊園地設計まで手掛けるトップ企業。バルコス艦隊の遊園地、覚えてる? あそこにあったアトラクションの9割は三日月ホビーテクノの特許技術で作られてるよ」
「俺はそのとき軍隊で絞られてたから知らない」
「私達が作らされた人形は、多分三日月ホビーテクノの主力商品。“真似っこパペット”の改造品だね。子供でも精巧な造形ができる造形補助システムに、人間や動物を模倣出来る半ペルソナプログラム。どっちも三日月ホビーテクノの特許技術。セキュリティが厳重なのも頷けるよ」
「セキュリティって、めちゃめちゃでかい素数使うやつか?」
「まあ、そう」
コハクは少し得意げに首を縦に振る。
「使奴の知識は旧文明の総集編。けど、三日月ホビーテクノはその旧文明でもトップクラスのセキュリティ技術を持ってる。まあ敵う筈もないよ」
「でも、改造してあるってことは“それを解除した人物”がいるってことだよね?」
「知り合いに腕のいいエンジニアがいてね」
「しかも、そんな高等技術を駆使して対処しなきゃいけないほど、その“下層の怪物”は強いわけだ」
「そういうこと」
そこへ、半ば会話に割り込むようにして、カガチ捜索から戻ってきたばかりのラルバがコハクに尋ねる。
「その“怪物”とやら、まさかとは思うが名前があったりしないか?」
「おや」
突拍子もないラルバの指摘。戯けつつも若干の敵意を含んだ奇異な眼光は、コハクの心拍数を緩やかに加速させた。
「……勘が良い。と言うより、良過ぎる。誰かから聞いた?」
「お前達が封じ込めている怪物の名はーーーー」
コハクの回答を待たずにラルバが口を開く。
「ッダァ=ラャム」
聞き慣れない言語圏の発音に、ゾウラとデクスとジャハルは首を捻る。しかし、この名前に使奴一同は、そして、ラデックまでもが目を見開いて息を呑んだ。
「何……!? ラルバ……!! 今何て……!?」
「ッダァ=ラャム。だ。流石にラデックも聞いたことはあるか」
「す、少し……だけ……だが」
ラデックと違い、依然として理解が出来ていないジャハル達”旧文明を知らぬ者達“のために、ラルバが説明を始める。
「嘗て旧文明に存在した宗教。その中でも、最も長い歴史と人口を誇っていたのが、最高神”ウァルディアカ=レッセ“を主神とするウァルデ教。その聖書に登場する”忌まわしき者“の名だ。忌まわしき”ッダァ=ラャム“は、最初は神の最も忠実な僕として登場する。しかし、神に与えられた全なる力に溺れ、終焉を司る魔物を生み出してしまう。忌まわしき”ッダァ=ラャム“はその罰として、神の誕生した聖なる地に未来永劫封印されることとなった……。旧文明では老若男女地域貧富問わず、それこそ宗教の壁すら超えて知られている悪者の代名詞だ」
その言葉に付け足すように、ナハルがジャハル達に向けて言う。
「今はあまり使われていないが、老人が相手を貶すときに“ダム野郎”とかって言っているのを聞いたことがないか? それは、旧文明でも使われていた悪口の“ダラム”が変化したものだ。そして、そのダラムの語源が“ッダァ=ラャム”だ」
未だ訝しげな顔で沈黙しているコハク。そこへラルバが追い討ちをかけるようにラデックに話題を振る。
「そんな神話生物が実在していることにも驚きだが……、ラデック。使奴研究所が使奴を作る上で、必須となる技術があったな?」
「メインギアのことか?」
「ああ、そうだ。使奴の根幹を造る“素体”のメインギア。その性質を魔導ゴーレムに移植する“複製”のメインギア。それらに人間としての知識を植え付ける“記憶”のメインギア。そして、それらを奴隷として服従させる“命令”のメインギア。だが、もう一つ必要だな?」
「もう一つ……?」
「量産を視野に入れなければ、使奴の製造は素体と命令だけで事足りる。だが、仮にその場合でも“もう一つ”が必要だ。“廃棄”のメインギアがな」
「廃棄……」
「今は死の魔法で代用している工程だが、その死の魔法。発見経緯についての詳細は知っているか?」
「歴史は苦手だ」
「死の魔法は次元魔法や複製魔法、転送魔法と同じく、長い間禁忌として触れられることのなかった技術だ。それらの技術が研究されるようになったのは、インターネット文化が盛んになった時代あたりからだが……。死の魔法は、歴史上では”存在しないもの“として扱われている」
「存在しない? 何故そんな嘘を?」
「最も有力な説は、そもそも死の魔法なんか存在しないという説。次に、複雑すぎて誰も解明できないないという説。そして最後に、”解明されているものの誰もが見なかったことにしている“説だ」
「見なかったことにした? 何でまた」
「忌まわしきッダァ=ラャムが封印された理由は、神に与えられた善なる力に溺れたから……。しかし、地方によっては全く異なる伝承が残っている。それは、”ッダァ=ラャムは禁忌の魔法を作った罪で、その禁忌の魔法によって封印された“と……。一説では、このッダァ=ラャムが作った禁忌の魔法こそが”死の魔法“なのではないか。と言われている。使奴研究所はその技術を欲した……。或いは、“逆”か」
「逆?」
ラルバはラデックの問いには答えず、部屋を徐に彷徨いて説明を続ける。
「こんなところで使奴が200年もの間怪物の問題を先送りにしていると言うことは、使奴ではッダァ=ラャムに勝てないのだろう。何せ、聖書に書かれていることが事実ならば、相手は4000年以上生き永らえた稀代の魔術師だ。そして何より、我々使奴を葬る“廃棄のメインギア“。人智を越える技術を持っていたとしても不思議ではない」
コハクは申し訳なさそうに目を伏せ、絞り出すように謝罪を口にする。
「…………申し訳ない。でも、下層から抜け出す方法は無いわけじゃない。カガチさんが“出口”の存在に気がつければ……」
「カガチなら大丈夫だよ」
「え?」
コハクの不安そうな呟きを遮って、バリアが口を開いた。
「カガチは、”使奴研究所を出てから一度も本気を出した事がないから“。伝説級程度の魔術師には負けない」
その確信的な物言いに疑問を感じたジャハルが、半分縋るような気持ちで聞き返す。
「バリア……? 何か知っているのか?」
すると、バリアは少し悩んだ後「ま、いっか」と呟いて続けた。
「私が使奴部隊イチの防御力なら、カガチは“使奴部隊イチの殲滅力”を持ってる」
“使奴部隊”。何らかの理由で使奴として扱えなくなった、所謂不良品で構成された5つの部隊。しかしその内情の殆どは、構成員であるバリアが頑なに口を閉ざしていたために闇に包まれていた。その不透明なヴェールが今、ほんの少しだけ捲られる。
「カガチは使奴部隊“雨雲と盗人”所属、ガルーダ被験体4番。“魔法”の異能者だよ」




