158話 存在しない村
シドの国 158話
〜診堂クリニック 光雨大湿地〜
診堂クリニックで購入した超高級魔工浮遊馬車は、凹凸激しい湿地の上をものともせず、不安定な泥濘も傾斜も難なく走破し突き進んでいく。車内には広いリビングが2部屋、使い勝手のいいキッチンに、大きな浴室とトイレが2つずつ。2階には物置と寝室が、甲板は強化ガラスで覆われたバルコニー風の寛ぎスペースになっている。それとは対照的に外装は近未来的な円錐型で、猪の突進をも軽く弾く霊合金ボディが鋭い突起を黒光りさせている。今までラルバ達が乗ってきた浮遊魔工馬車やホバーハウスに比べれば防衛性能で大きく劣るものの、中での暮らしやすさは間違いなくトップクラスのキャンピングホバーカー。
その車内では、ラルバ、ラデック、ゾウラ、そしてデクスの4名が、円卓を囲んで互いに睨み合い重苦しい沈黙を保っている。それをカーナビの隣に取り付けられた車内モニターで見ていた運転席のジャハルは、静かに溜息を吐きつつ大きな沼を避ける為にハンドルを切った。その遠心力で、ラルバ達が囲んでいた卓の上のジェンガは見事に崩壊した。
「ぬがああああああああっ!!!」
「はいデクスの負け〜! 4連敗〜!!」
「おいまたかよっ!! ジャハル!! テメー、デクスの時にだけ態とやってねーか!?」
車内モニターに通じているマイク付きカメラに向かって怒鳴るデクスに、ジャハルは今日何度目になるか分からない溜息を吐く。
「そう思うなら運転を代われ。スリリングで楽しいぞ」
「これ大型特殊要るだろ? 免許まだ持ってねー」
「……運転出来ないのに買わされたのか」
「綺麗に使えよ!! オークションに出す予定なんだからよ!!」
「ラルバに言ってくれ」
ジャハルはハンドルを握りながら、数日前のラルバの提案を思い返す。
〜診堂クリニック 北区“焔裂町”〜
診堂クリニックを発つ直前。次なる目的地である“存在しない村”を探すための話し合いを開いた途端、ラルバが誰よりも先に結論を提示した。
「“存在しない村”はココだ」
そう言ってラルバが広げた地図の一点を指差す。突拍子もないラルバの断言にナハルが疑問を投げる。
「何故そう言い切れる?」
「200年前からホウゴウとの付き合いがあり、今も取引を続けるほど友好的。イチルギ達や笑顔による文明保安教会の圧力をも跳ね除ける実力。まあ統率者は使奴と見て間違いないだろう。そして、ホウゴウが頑なに存在を秘匿し続ける理由。存在が知られると不都合……ホウゴウ達を超える戦力に脅かされる可能性。つまりは、我々今を生きる使奴にとって無視出来ない存在ってことだ。となると……庇っているのは、“素体のメインギア”だろうな」
「素体のメインギア……。最後のメインギアか」
「使奴を作る要となる存在。作り方が分かれば、その逆も然り。不死身の使奴を殺す唯一の方法かもしれん。となれば、沈黙派の使奴が放っておかないだろうな」
「もしそうだとしても、何故居場所まで分かる?」
「ジャハルが言うには、診堂クリニックは当初小さな集落だったらしい。てことは、ホウゴウは200年前から大きく移動していない……。使奴研究所が近くにあるはずだ。ラデック」
ラルバに名前を呼ばれ、ラデックは口いっぱいに頬張ったモツ煮を飲み込んで説明を引き継ぐ。
「使奴研究所は基本的に人が寄りつかない秘境に建てられる事が多いが……第一研究所は例外だ。使奴の製造と実験、そして廃棄を主な役割としているが、使奴の根幹に関わっているだけあって搬入出の回数と量が極端に多い。秘匿施設ということに間違いはないが、同時に多くの航路を確保したいという二律背反を抱えている」
ラルバが再び地図の上、診堂クリニック北西の海岸を指差す。
「旧文明で言うところの、ドーアッガ・レケウェレ王国領。レケレエ・レッセ。ここら一帯は紛争地域だったが、レケレエ・レッセだけは違った。異なる宗教観や主義を持ちながらも、多くの海洋資源や国際的立場を武器に安寧を勝ち取った寄港地。狭い国土に犇く高層ビル群に、無数の海洋発着場とコンテナ港。木を隠すなら森の中ってとこだろうな。この辺で搬入出自在な秘密研究所を作ろうと思ったら、ここしか有り得ん」
〜診堂クリニック 光雨大湿地〜
ラルバの推測は曖昧で不確かな部分が多くあったが、使奴であるナハルやイチルギが反論しなかったためにジャハルも疑問を呈することはなかった。ジャハルが再び車内モニターの方に目を向けると、甲板のテラスで怪訝そうに地平線を睨むナハルの姿が目に入った。
「心配か?」
マイクチャンネルを切り替えたジャハルが、運転席から甲板のナハルに話しかける。
「……心配と言うよりは、情けない。シスターはハピネスの悪意に気が付いていて、悪夢に引き摺り込まれることを承知でついて行った。でも、そんな悪夢に挑もうというのに、私を頼ることはなかった」
「巻き込みたくなかったんだろう」
「違う。シスターは優しい人だ。でも、助けを求められる人だ。自分の事情に巻き込んで傷つけるより、助けを求めなかったことで心配をかける方が、より深い傷になることを知っている。私達はそんな患者を多く助けてきた。家族に秘密で大病を治しに来る人や、性差別を生き抜く為に性転換を望んで来る人もいた。私達は互いに約束した。苦しみをひとりで背負うことはやめよう。と」
「…………」
「でも、シスターはひとりで背負ったんだ。私を気遣ったんじゃない。私は頼るに値しなかったんだ。バルコス艦隊でも、ラルバに誘われた時も、シスターは私に頼ろうとはしなかった。……それが、情けない。……すまない、ひとりにしてくれ」
そう言って、ナハルはモニターの死角へと歩いていってっしまった。ジャハルは何も言わずにモニターのチャンネルを切り替え運転に集中する。
そして考える。自分はハザクラに頼られているだろうか? 彼の助けになれているだろうか? そんなことが無意味なのは分かっている。しかし、頭では分かっていても、心が合理について行かない。ナハルの独白は他人事ではないように思えた。
リビングを映す車内モニターからは、変わらずラルバ達の楽しそうな話し声が聞こえてきている。
「おい11止めてんの誰だよ!! テメーかラデック!?」
「御名答だ」
「早く出せや!! デクスが上がれねーだろうが!!」
「俺も3を止められてる」
「知るかボケ!!」
そんな喧騒を聞き流しながらジャハルが運転を続けていると、運転席後ろの扉が開いてイチルギが入ってきた。
「そろそろ交代する?」
「もうそんな時間か。じゃあ任せようかな」
「はいはーい」
ジャハルが運転席をイチルギに譲り、自分は助手席に座って水筒の蓋を開ける。
「イチルギはあっち混ざらなくていいのか? デクスとは久し振りの再会なんだろう?」
「あー、私はゲーム苦手だから。それに、デクスは他の子達とちょっと違うから」
「そうなのか? 皆イチルギを信頼していて、ラルバから取り返す為に今回の破条権行使に踏み切ったんだろう?」
「そうだと嬉しいわね。でも、デクスはもっと打算的に考えてるわ。単純に将来安定した生活を送る為使奴を取り戻したいって部分が1番強い筈よ」
「何と言うか……好戦的で野望に忠実って風に見えるが、意外に合理主義なんだな」
「面白い子よ」
リビングでは変わらずラルバ達4人のボードゲーム大会が続いており、連敗中のデクスが顰めっ面でラルバに吼えている。
「おい角女!! さっきからデクスを狙い撃ちしすぎじゃねーか!?」
「だってお前敵じゃん。いいからさっさとチップ払えよ」
「ふざけやがって……次こそ立場ってもんを分からせてやる……!!」
そう言ってデクスはチップ代わりのクッキーをラルバに差し出す。そして次戦を始めようとトランプに手を伸ばそうとした、その時。デクスは異変に気がついて運転席の方に目を向けた。
「――――っ!!! ”歪んだ断罪の剣“!!!」
デクスの発動した防壁魔法によって、浮遊魔工車を覆うようにして鎖で編み込まれた円形の盾が浮かび上がる。紫の光を放つ盾にフロントガラスを覆われ、運転席にいたイチルギとジャハルは一瞬困惑するも、すぐさま事態の急変を察知する。
ガキン!! という凄烈な金属音と共に盾が割れ、跡形もなく消滅していく。しかし、フロントガラスから覗く景色は見渡す限りの大湿地。敵どころか人工物一つ見当たらない。それでもデクスは異能により”対戦相手“を認識して車の外へと飛び出した。
「おうおうおうおう!! 走ってる車にゃ近づいちゃならねーって少年院で習わなかったか!?」
何も無い空間に向かって啖呵を切るデクス。彼は、行為を対象とする異能によって感知したそこにいるであろう攻撃者に向かって魔法を放つ。
「コソコソ隠れてんじゃねぇ!! 暴風の呼び声!!」
中空に浮かび上がる幾つもの魔法陣が突風を巻き起こし、湿地の草木の破片を巻き上げ風の刃となって空間を貫く。すると、風の刃は雷魔法の爆発によって打ち消され、その爆風は威力を増して膨張しデクスに襲いかかる。
それを間一髪のところでイチルギが反魔法で打ち消しデクスを守る。
「おっ! イチルギ、ナイスカバー!!」
「怪我はない?」
「おう!! デクスは無傷だぜ!!」
ラルバ達も車外へ飛び出し、そこにいるであろう敵を警戒して戦闘態勢をとる。すると、巻き上がった水飛沫のカーテンの向こうに、どこから現れたのか1人の使奴がこちらを睨んでいるのが見えた。
淡く発光しているような藍と白のウェーブ髪。黒い白目に第一世代特有の赤い瞳。特筆すべきは、狼のような獣の耳と牙。そして顔の左半分を覆う赤い罅割れ。元より異質な見た目の使奴の中でも特に風変わりな見た目の彼女は、尻を高く持ち上げた四つ足の獣のような姿勢で、今にも飛び掛からんとこちらを睨みつけている。
使奴が現れたことにより、シスター誘拐の実行犯だと早合点したナハルが、他のメンバーよりも早く敵対心を露わにする。
「お前が……シスターを……!!!」
怒り心頭に発したナハルが一歩前に足を踏み出した瞬間、目の前にいた使奴の背後に別の使奴が現れる。
「”ヒスイ“。帰るよ」
「なっ……”コハク“!?」
何の前触れもなく突如現れた琥珀色の髪の使奴。突然の増援にナハルが一瞬怯むと、琥珀色の髪の使奴はナハルにこう告げた。
「詳しくは村で話すよ」
〜釁神社 名もなき草原〜
気が付くと、ラルバ達は草原のど真ん中に立っていた。凸凹だった湿地は、名馬の体毛のように滑らかで美しいイネ科の植物が覆っている。空には燦々と太陽が輝き、先程までの湿気が嘘のように爽やかな風が肌を撫でる。緩やかな下り坂の先、山の麓には人工物が密集した村のようなものが見えており、それ以外には木々の生い茂る山と森しかない。
瞬間移動をさせられたかのような感覚の中、ナハルの隣をバリアが素通りしていく。
「行こう。ホウゴウの知り合いなら、話は通じるでしょ」
それに続き、ラルバとイチルギもナハルの横を通り過ぎていく。
「ちっさい村だねぇ~。悪い奴いるかなぁ?」
「すぐに暴れたりしないでよ?」
「どうかなぁ〜」
ラデックは近くの木を異能で加工し、薄い木の板を2枚作って1枚をゾウラに手渡す。
「これだけデカい坂なら盛大に芝滑りが出来るな。ゾウラもやるか?」
「やります! 芝滑りってなんですか?」
「俺も映画でしか知らない。多分こうやって板に座ればぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!」
「うわあ! 楽しそう!」
2人は勢い良く草原を滑って行き、それにカガチが無言でついていく。その後ろでは、デクスが辺りを見回してぎゃあぎゃあと騒いでいる。
「おい!! デクスの車がねーぞ!? デクスの車!!」
「喧しい」
「幾らしたと思ってんだオイ!!」
「知るか」
「買わせたのお前らなんだがー!?」
得体の知れない能力を味わった直後だと言うのに暢気なメンバーを見て、ナハルは呆れを通り越して若干の怒りが込み上げてくる。そこへ、ハザクラとジャハルが同情して語りかけた。
「俺も多分同じことを思っている。そう苛立つな」
「シスター達を探すのは私達でやろう。イチルギにはラルバを止めておいてもらわなくては」
マトモな思考回路をしているメンバーが残っていたことに、ナハルはほんの少しだけ救われた気持ちになった。
しかし、彼等はどこか楽観視していた。ホウゴウと友好関係にあり、ハザクラと同じメインギアという存在。相手は、戦力も、価値観も、そう遠くかけ離れてはいないだろう。そう予想できるからこそ、この後に待ち受ける困難もその程度だろうと高を括ってしまっていた。
誰もが、言われてから、目の当たりにしてから、手遅れになってから初めて気が付く。
絶望とは、そういう時にこそ足元で口を開けているということに。
〜???〜
薄暗い。湿った森の奥。辺りは霧に覆われ、太陽の方角さえ分からない。その霧の中を彷徨く、ひとりの人影。艶やかな金髪に、灰色の瞳。そして、目元から生え際までを覆う額の火傷痕。杖を突いて歩く女性は、ふと立ち止まって空を見上げる。否、巨大な異形を見上げる。
「……だ、だり、ない。まだ、だっ、だだだっ、だり……ない……」
掠れた呻き声を上げる”何か“が、濃霧の奥から女性に近寄る。そして、大きく口を開け、女性を一息に頬張った。歪な斑模様の異形はゴリゴリと不快な音を立てて噛み潰し、口から涎のように血を滴らせて飲み下した。
「んぐっ……あぐっ……ううっ……まだ……まだ、だ、だっだ、だだ。だり、ない」
【存在しない村】




