134話 今ならもう手が届く
〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (ラデック・ナハル・ゾウラサイド)〜
巨大な水門に塞がれた行き止まりの壁を下敷きに、説明を交えながらヒヴァロバが紙に手順を記している。
「〜で、中に調整用バルブがあるから、赤いヤツを時計回りに締めろ。いいか? 緩めるんじゃなくて締めるんだぞ。そうすりゃ非常用水門のとこだけ水圧が下がるから、そっから出られる。この動作を全部水中で5分以内に終わらせろ。でないと、耐圧魔法が切れて水圧で即死だ。分かったか?」
「あんまり」
真面目な顔で即答したラデックの後ろで、ゾウラとナハルが代わりに返事をする。
「バッチリです! 頑張ります!」
「大丈夫だヒヴァロバ。ラデックは最悪高水圧の配管に放置しても死なない」
「そうか、それを聞いて安心したよ。知り合いの死体が溶け込んだ温泉なんざ絶対に入りたくないからね」
ヒヴァロバは手順書をナハルに渡すと、元来た道へと歩き始める。
「じゃ、頑張れよ」
あまりにも素気なく別れを告げるヒヴァロバ。その清々しくもある態度に、3人は一瞬呆気に取られて顔を見合わせた。そしてすぐさまラデックがヒヴァロバに向かって声をかける。
「あっ、ヒヴァロバ!!」
「あ〜?」
呼び止められたヒヴァロバは歩みを止め振り返るが、何の考えもなく呼び止めたラデックは次の言葉を探して目を泳がせた。
「あ、えっと……。その、なんだ。あれだ」
「どれだよ」
「げ、元気でな」
「…………」
苦虫を噛み潰したような顔をするヒヴァロバ。ラデックが困ってナハルの方を見ると、彼女も全く同じ表情でラデックを見下ろしていた。
「な、何だ。別にいいだろ。この挨拶でも」
気まずい沈黙が数秒経過すると、ヒヴァロバは大きく溜息をついて3人の方へ戻って来た。
「っか〜!! 締まらねぇなぁもう!!」
「す、すまない」
「おいマヌケ!! 手ぇ出せ!!」
「こ、こうか?」
「なにハイタッチしようとしてんだよ!! 手のひら上に向けてこっち向けろ!!」
ヒヴァロバは半ば強引にラデックの手を取り、自身の指を絡めてから、絡めた指同士を横切るように爪で軽く引っ掻き痕をつけた。
「本当は刃物でやるんだがな。どうせ40年以上前に廃れた文化だ。今はこんなもんでいいだろう」
そして手を離した。指には、軽く引っ掻かれた痕が若干白く残っている。
「また同じように指を絡ませれば、この痕は一本の線になる。これは、アタシとラデックが“一つの命”になったことを表す。昔、邪の道の蛇がやってた家族の契りの真似だ。」
「そ、それは、結婚という意味か?」
「ちげぇよマヌケ! 安心しろ。性欲なんざとうの昔に枯れ果てたし、何よりアタシは馬鹿を異性として意識出来ない」
「そうか……それはそれで何か……」
「憶えちゃいないが、多分アタシも生まれた時にやってもらったんだろうな。アタシが自分からこれをやったのは、旦那と、息子と、オマエの3人だけだ。何の意味もないただのお呪いだが、邪の道の蛇は何よりも“家族”を尊んだらしい。ま、家族の無事を祈る儀式みたいなもんだ。おママごとの延長だとでも思っとけ」
「家族の……無事を……」
「ほら、ガキンチョとデカネーチャンも手ぇ出せ」
「わ、私もやるのか!?」
「このマヌケだけやったら変だろうが! ほらさっさと出せっつの!」
ヒヴァロバはナハルの手を無理矢理とって指を絡ませる。次にゾウラとも指を絡ませ、2人と同じように痕をつけた。
「ヒヴァロバさんヒヴァロバさん! もう一回指組んで下さい! 一本の線になったところ見たいです!」
「また今度な」
興奮するゾウラの頭を撫でるように抑えると、ヒヴァロバは再び背を向けて元来た道へと歩き出した。
「じゃあな」
3人分の引っ掻き痕がついた手を振りながら、別れを惜しむ様子など微塵もなく暗闇へと溶け込んでいく。そして、上着のポケットから折り畳まれた紙を取り出すと、そこに描かれていた隠蔽魔法の陣を発動して蒸発するようにラデック達の視界から消え去った。
ラデックは指の引っ掻き痕を指先でなぞり、ヒヴァロバの言葉を頭の中に思い浮かべる。
「家族……か」
ラデックの出自を思い出し、言いかけた言葉を飲み込んだナハル。しかし、ゾウラがいつもと変わらぬ朗らかな表情でラデックの顔を覗き込んだ。
「ラデックさんは、ご家族の方はいらっしゃらないんですか?」
「お、おいゾウラ!」
「ああ。居ないな。多分」
しかし、ラデックは悲哀や寂しさといった感情を一切纏わぬまま淡々と言葉を続ける。
「別に気にしたことはない。施設で同年代の人間と何年も暮らしていた俺にとって、家族は不要なものだったからな」
「そうなんですか?」
「ちょっと憧れていた部分はあるだろうが、青空の下を歩きたいとか、凍った湖の上で寝てみたいとか、そんな沢山ある小さなもしも話の一部に過ぎなかった」
「どれも素敵な夢です!」
「今ならもう、手が届くんだな。この夢にも」
ラデックは暫く自分の掌を見つめた後、固く拳を握って水門へと歩き出した。
「すまない。もう大丈夫だ。行こう」
「まずはお前の夢の前に、この国の悪夢からだ。ラデック」
「私、なんだかワクワクしてきました!」
ヒヴァロバの足音が、真っ暗な配管の中に響き渡る。どこか遠くからパジラッカの泣き叫ぶ声と爆発音が聞こえてはいるが、それでも自分の足音の方が大きく聞こえており、それはヒヴァロバの孤独を喚いて脈動しているようだった。しかし、その孤独感も、今のヒヴァロバには無視できる痒み程度にしか感じられなかった。未だ指に残る3本の爪痕のヒリヒリとした感覚が、20年振りにヒヴァロバを人の生きる世界へと連れ戻した。今まで全く気にしていなかった、濡れた足元の不快感。鼻をつく異臭の嫌悪感。そして、幾ら眠っても取れることのなかった全身の疲労感と絶望感。それらを彼女は漸く思い出した。そして、この不愉快な感覚のどれもが、今自分が生きていることの証明。生を望んでいる証明。そう思うだけで、この感覚の全てを少しだけ受け入れることが出来た。
「……ま、不愉快なことに変わりはないな。あークッサ!! さっさと帰ろう!!」
少し小走りになって先を急ぐヒヴァロバ。しかし、ふと足を止めて後ろを振り返る。
「…………しっかし、どうも気になるな」
再び耳を澄ませると、パジラッカの声と爆発音が聞こえぬほどに遠ざかっていた。
「……うん。前に来た時より、明らかにクソ広くなってるな」
違和感を拭えないまま、ヒヴァロバは再び歩き出す。
ヒヴァロバのいる配管よりも少し離れた別の配管内。そこには、彼女と同じ違和感を必死に辿り続ける者が、この迷路の深部を目指していた。
〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (イチルギ・ハザクラサイド)〜
「やっぱり、やっぱりおかしい……!! こんなの、明らかな超常技術じゃない……!!」
ハザクラと共に配管内を走り続けるイチルギは、配管の内壁を見て険しい表情に一層皺を寄せる。
「温泉用に改造した銅合金の水道管……!? しかも継ぎ目が殆どない……!!」
疾走するイチルギを追いかけながら、ハザクラも配管の内壁に目を向ける。
「しかもこの広さ……。直径3m以上はあるな。それをこの距離全て銅合金で作るとなると……確かに超常技術だ」
「作れるわけがないわ!! 旧文明の大国だって無理よ!! 高価な金属で、巨大で、精密な水道管を、国中の地下に、秘密裏に、埋め込むだなんて!!」
「確かに、理由をつけるなら異能の仕業としか思えない。だが、こんなことが可能な異能なんてあるのか……?」
「分からない……。もし仮に“どんな素材も無限に生み出せて好きな形に変形できる異能”なんて便利なものがあったとしても、それで態々水道管を作る理由も、地盤沈下を起こさず地下を掘削出来る理由も、それでこんな小さな従属国に貢献する理由も……!! これだけの事実があるのに、何一つ繋がらないわ……!!」
イチルギは只管に配管の先へと走り続ける。この迷路が、暗闇が、一体どこへ続いているのか。それを想像することが、彼女を酷く苦しめた。
問いを解き明かすというのは、ある意味では問題の制作者を観察することに近しい。逆に言えば、問題の制作者をよく知ることが出来たなら、解明の糸口も見つけやすくなるだろう。今回のケースで言えば――――
爆弾牧場皇帝にして、笑顔による文明保安協会笑顔の七人衆がひとり。“収集家ポポロ”
丸々と太った背の低い老人で、笑顔の七人衆では最も高齢であり1番の古株。実年齢は不明だが噂では100をとっくに超えているとも言われている。毒魔法と幻覚魔法の扱いに長けており、主に人間の収集を趣味とする。自分は決して危険が及ぶ場所には行かず、傀儡状態の部下を遠隔操作し戦闘と捕虜の収集を行なっており、部下の体から人間を傀儡化させる毒ガスを死ぬまで撒き散らし、絶えず操り人形を増やし続ける戦法を主としている。そんな“人間の耐久限界”をも知り尽くした彼に魅入られてしまった女性は、如何なる自決さえも間に合わないと言われている。男は傀儡、女は捕虜。笑顔の七人衆の中では珍しく“遭遇時の生存率が極めて高い“人物とされるが、当然この評価の持つ意味などありはしない。
この醜悪極まりない大逆無道の権化を“理解”すること。ポポロは何のためにこんなことをするのか。何をしようとしてこうなったのか。何が目的なのか。それを想像することが、この爆弾牧場に蔓延る謎を紐解く手がかりになる。しかし、それを使奴の優秀な頭脳で行うことは、あまりに残酷で悲惨なことであった。特に、イチルギという真っ当な道徳を重んじる人格者にとっては。
脂汗を浮かべるイチルギの苦悶の表情に、ハザクラは言葉を飲み込んで少し速度を落とす。が、少し思い留まってから少し加速し、再び彼女と肩を並べる。
「イチルギ」
ハザクラに名前を呼ばれ、イチルギが視界の端でハザクラを見る。
「イチルギは、ポポロとヴァルガン。どっちの役に立ちたいんだ?」
ハザクラはイチルギとは目を合わせず、前だけを真っ直ぐに見つめて走っている。
「イチルギは今、ヴァルガンのために進んでいるんだろう? なら、ヴァルガンの邪魔をする奴のことなんか考えるな」
「……でもハザクラ。これはこの国のために必要なこと――――」
「これはお前のために必要なことだ。イチルギ」
ハザクラはイチルギの腕を掴んで足を止める。
「どうせお前は“自分を大切にしろ”と言ったって聞かないだろう。だがな、イチルギは俺にとっての大切な人でもある」
ハザクラは腕を強く握り締める。使奴にとっては容易く振り解けるほど弱い力だったが、イチルギがどんなにその手を振り解こうとしても腕はピクリとも動かなかった。
「俺の悲願を、その一歩を、俺の声を聞き使奴を解放してくれた。大切な恩人だ。俺の大切な恩人を、これ以上傷付けないでくれ」
イチルギがハザクラと目を合わせる。ハザクラの瞳に映った自分の顔は、眼は、とてもこの世のものとは思えない化け物の目玉であったが、その化け物の目玉を、ハザクラは力強く見つめ続けている。
イチルギがゆっくり腕を下ろすと、ハザクラも手を離す。
「…………ごめんなさい。ハザクラ」
イチルギが、聞き取れないほど小さく呟いた。
「次からは、気を付けてくれ」
「……貴方もね」
「ああ。そうだな」
2人は再び暗闇へと走り出した。覚悟の代わりに臆病さを背負った2人の背中が、この国の地獄へと混じっていく。
〜爆弾牧場 まほらまタウン北区 旧温泉街 地下配管内部 (ジャハル・ラプー・シスターサイド)〜
「地下にこんな空間が……。2人はここから進んでいったのか……? あ、壁に傷がつけてある」
配管の中へと降りていったジャハルは、壁の印に気づいて指でなぞる。それを後ろからシスターが覗き込むと、彼女は暗闇を指差して答えた。
「人道主義自己防衛軍で習う印だ。ハザクラがつけて行ってくれたんだろう。これで大まかな方角と距離が分かるぞ」
「助かりました。私達も急ぎましょうジャハルさん」
「今から走ったところであの2人には追いつける気がしないが……」
ジャハルが配管を進もうと振り返った時、ふと足元にいたラプーと目があった。
「ん?」
ラプーが黙ったままこちらを見上げている姿に違和感を覚え、ジャハルは不思議そうに尋ねる。
「どうしたラプー。じっと私の顔なんか見て」
「急ぐだ」
ジャハルの言葉に被せるようにラプーが声を発する。普段の彼とは少し異なった行動に、ジャハルは思わず眉を顰めた。
「い、急ぐって。何故?」
「間に合わなくなるかもしれねぇだ」




