122話 真の過ちとは、省みないことである
こうして、バルコス艦隊は人道主義自己防衛軍の従属国となった。しかし、祖国の従属化を忌避する国民は少なく、大半の人間が「まあ、ファーゴよりはマシか」と半ば諦めた様子で受け入れていた。僅かな反対勢力はロゼとザルバスによって鎮められ、偽ファーゴの処刑が行われた直後も、バルコス艦隊はまるで何事もなかったかのようにいつもと変わらぬ平凡な様相を保っていた。
〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 805号室〜
「……今、戻った」
「ただいま戻りました!」
偽ファーゴの見せかけの処刑が行われた数時間後、ハザクラとゾウラがラルバ達のいるホテルの一室へと戻ってきた。扉を開けると、そこには今にも殴りかかってきそうな程に敵意を剥き出しにするカガチが立っており、ハザクラを一瞥するとすぐさまゾウラに跪いた。
「お帰りなさいませ。ゾウラ様」
「お留守番ご苦労様でした。カガチ」
いつもと変わらぬ優しい微笑みを向けるゾウラ。その姿に安心したのか、カガチはゾウラの手をとり部屋の中へと戻っていく。その寸前、一度だけハザクラの方に向かって聞き取れないほどに小さな声で呟いた。
「次は無いぞ」
2人が部屋の奥に入っていくのを見届けると、ハザクラは目を伏せたまま暫く立ち尽くし、徐に部屋の中へと足を踏み入れた。そこにはラルバを始めとしたメンバーが全員揃っており、皆がハザクラを労った。ジャハルがハザクラの前に立ち、心配そうに彼の顔を覗き込む。
「だ、大丈夫か……? ハザクラ」
「……ああ。大丈……いや、そうでもないな」
ハザクラは乾いた笑いを零し、ジャハルの傍を素通りしてバリアの方へと歩いて行く。
「……先生」
「ん。どうだった?」
バリアが煎餅を齧りながら問いかけると、ハザクラは目を伏せて頬の内側を噛んだ。
「…………ご迷惑、お掛けしました。少し思い上がっていました」
「20点」
「え?」
「その感想じゃあ及第点もあげられないよ」
「……」
「ハザクラなら、満点の回答ができるって思ってるけど。もしかして私の勘違い?」
「………………いえ」
突き放すようなバリアの物言いに、ハザクラは僅かに眉を顰めて目を泳がせる。そして、目を瞑ってから意を決して口を開いた。
「ラルバ。少しだけ時間あるか?」
「むむっ」
ラルバはホットケーキを口一杯に頬張ったままハザクラの方を向き、ハムスターのように口を小刻みに動かして見せた。しかしハザクラは態度を変えず、窓から外を見下ろしてから部屋を出て行く。
「2人で話したい。二丁目の黒い屋根の喫茶店に来てくれ」
「ひあほっほへへーひはへへんほひあははんへほ!」
「待ってる」
ラルバがホットケーキを飲み込む前にハザクラは部屋を後にした。ラルバは不機嫌そうにホットケーキを飲み込み、ホットココアをぐびぐびと呷る。
「んぐっ。んぐっ。んもう自分勝手なんだからあの坊やは」
その場にいた誰もが「お前が言うな」と言わんばかりの視線をラルバに向けた。
〜バルコス艦隊 喫茶“木漏れ日”〜
小さな木造の個人経営の喫茶店。その小さなテラスの一角に、ハザクラが1人ぽつんと座っている。
彼が3杯目のコーヒーを丁度飲み切ると同時に、目の前の席にラルバがどかっと腰をかけた。
「ケーキとカフェラテ。砂糖たっぷりで」
彼女は近くにいた従業員に注文をすると、ハザクラの方へ視線を戻した。ハザクラは静かにコーヒーカップを机に置き、ラルバに深く頭を下げた。
「……つむじに銃口でもついてんの?」
「ありがとう。ラルバ」
ハザクラの感謝の言葉に、ラルバは小馬鹿にするように笑って見せた。
「はっ。ハザクラが私に感謝をする日が来るなんて、明日は槍が降るね」
「その点は心配ない。ラルバが俺に気を遣っても、槍は降らなかった」
ラルバが訝しげに目を細める。
「……私が? お前を? いつ?」
「今考えればおかしな話だ。お前がファーゴのことを調べ出してから追い詰めるまで僅か2日。せっかちなお前なら、さっさと吊し上げて次の目的地を目指すのがいつもの流れだ。だが、今回は俺の計画に1ヶ月もの猶予を与えた。計画内容も碌に伝えず、お前にとってなんのメリットもない、にも拘らずだ」
「ハピネスに休暇あげたかっただけだよ」
「それも、今思えば変な話だ。ハピネスはグリディアン神殿でも相当雑な扱いを受けただろう。それをお前は微塵も労わらなかった」
「やらなきゃやらないで文句言って、なぁんで労ったら労ったで疑うのさ。嫌ーなかーんじー」
「疑ってない」
「はぁ?」
「俺は単純に、ラルバの“優しさ”だと思っている」
真面目に答えるハザクラを、ラルバがゲテモノ料理を見るような目で睨む。
「何さ急に。きっしょ」
「今回、人道主義自己防衛軍……ないし、ベルが俺の作戦に協力してくれたこと。そして、バリア先生が俺の作戦に賛同してくれたこと。俺はその理由を、自分の作戦が正しいものだからだと思い込んでいた。でも、それは違った。真実は、俺にゾウラという人物をぶつけ、己の矮小さに気付かせるためだった。子供の挑戦を見守る大人のように、失敗を経験させるためだったんだ。だが、その失敗に模範解答を示したのは……ラルバ。お前の意見だそうだな」
「ああ、ごめん聞いてなかった。なんか言った?」
「ファジット少年1人の希望と引き換えに、バルコス艦隊軍の信用を失わせる……俺の竜討伐計画に対し、お前は偽のファーゴ元帥に全ての罪を着せ処刑したかのように見せることで、実質一切の善を傷付けずにバルコス艦隊を支配して見せた。これは正しく、俺が望んでいた“模範解答”だ」
「やぁ〜い能無し〜」
「ああ、俺じゃあファーゴ元帥の悪事には到底気付けなかった。お前のお陰で無様な鼻っ柱が圧し折れたよ」
ラルバの悪態に、涼しげな笑顔で応え続けるハザクラ。ラルバはこれ以上の煽りは無意味だと思い、丁度運ばれてきたカフェラテを啜ってそっぽを向いた。
「フン。バリアは私の仲間だからな。そのバリアがお前のことを気にかけていると言うのであれば、手を貸さん訳にはいかんだろう」
「ならば、ハピネスを甘やかした理由は?」
「私は物臭なだけで良心が無い訳じゃない。頑張った者にはその分報酬を与えるさ。忘れてる時もあるがな」
「ふ……そうか」
依然として全てを見透かしたかのように微笑むハザクラ。ラルバは居心地が悪くなり、ケーキをふた口で平らげ席を立った。
「ごっそさん! ま、少しでも私に恩義を感じてるなら、もう私の邪魔しないでね」
「それとこれとは話が別だ。俺の正義に反するなら目一杯邪魔してやる」
「ふん! 寝てる間に鼻に朝顔の種詰めてやる!」
「それは本当に怒るぞ」
露骨に機嫌悪そうに大股で立ち去るラルバ。その背中を見送り、ハザクラはラルバの残していったカフェラテを飲み干した。
「……ピガット遺跡でキザンに何を言われたんだか。触れないでおくか」
〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 805号室〜
「ただいま! あーつまんなかった!」
ハザクラを喫茶店に置いて、皆の元へ戻ってきたラルバ。目に見えて不機嫌を露わにする彼女に、ラデックが少し申し訳なさそうに近づいた。
「おかえり。帰ってきたばかりのところ悪いんだが……一つ相談がある」
「何? お小遣いならハピネスに遊興費全額預けてあるから、そっから貰って」
「残念!! 賭場でぜ〜んぶスちゃったよ〜!」
両手をひらひらと振って戯けるハピネスには目もくれず、ラデックは神妙な面持ちのまま口を開く。
「もう1ヶ月……いや、2週間でいい。バルコス艦隊に滞在できないか?」
「んえ〜!? これ以上〜!? 流石のラルバちゃんも我慢できませんよ?」
「ファジット君を人間に戻してやりたい」
「あー……」
聞き覚えのある名前に、ラルバは下唇を突き出して不満そうに眉を顰めた。そこへ、シスターもラデックに賛同し頭を下げる。
「私からもお願いします。ファジットさんは、恐らくラデックさんと同じ生命改造の異能者……。自分と同じ異能者と出会えるなんて奇跡、これを逃せばもう2度と訪れません。それに、彼はバルコス艦隊の文化から10年も離れている……。事情を知り、共に町を歩いてくれる人物が必要なはずです」
2人に頭を下げられて困惑するラルバは、暫く唸り声を上げた後に大きく両手を上げてぼやいた。
「あーもうわかったよぉ!! これじゃあどっちが我儘か分からん!!」
ラルバの承諾に、ラデックはシスターと顔を見合わせて喜んだ。
「ありがとう。ラルバ」
「ありがとうございます。ラルバさん」
「ありがとうラルバ!!」
2人と並んで頭を下げて、両手のひらをラルバに差し出すハピネス。
「…………何よ、ハピネス」
「お金ないなった。おこづかいをください」
「全部ギャンブルに突っ込むのが悪いんでしょうよ……。てか千里眼なのになんで負けてんのさ」
「レースに千里眼使って何になると?」
「何でポーカーとかにしないの……」
「ギャンブルはヒリついてこそギャンブル! じゃない?」
「…………ちゃんと返してよ」
ラルバが懐から数枚の紙幣を渡すと、ハピネスはひったくるように受け取り走り出す。
「ひゃっほうサンキュー!! 倍にして返す!! 来いラプー!! 賭場ぶっ潰すぞ!!」
「んあ」
ラプーの手を引いて部屋を飛び出していったハピネスを、すぐさまイチルギが追いかけていく。
「ちょっと待てクソガキぁー!!」
イチルギが出ていった扉を呆然と見つめる一行。ラルバは1人不機嫌をアピールしながら鼻を鳴らし、冷蔵庫から酒瓶を取り出してグラスに注ぎ始めた。
「あーあーみんな好き勝手してくれちゃってぇ。いいもんねー。ご飯前にお酒飲んじゃうもん」
こうして、ラルバ達は予定を大幅に変更し、バルコス艦隊にもう1ヶ月滞在することになった。
ラデックによるファジットの教育には、シスターやジャハル、ハザクラ、ゾウラ、そしてたまにではあるがラルバも手を貸した。ファジットの吸収力は凄まじく、元々優秀な少年だったこともあって、社会で生きる上で必要な知識は自分で調べられるほどに成長した。
バリアやイチルギ達使奴は悪魔差別の激しいバルコス艦隊都市部を気軽に出歩くわけにも行かなかったが、その分被差別民が身を寄せ合って暮らしている地域には積極的に顔を出し、少しでも悪魔差別を和らげるための努力をした。その際、イチルギは隠遁派の使奴ガレンシャにさんざ文句を言われたという。
相変わらずハピネスはラプーやゾウラを連れて遊び回り、どこかしらで怪しげな企みをする度にイチルギにしょっぴかれていった。それでも、ハピネスの暇潰しに巻き込まれて潰された違法賭博場は十件近くにも及んだ。
そして、ラルバ達より少し遅れて探索をしていた人道主義自己防衛軍の後続隊も追いつき、じきに約束の1ヶ月が経とうとしていた。
〜バルコス艦隊 繰闇中央広場〜
「じゃあな。ファジット」
ラデックの目の前には、明るい緑色の長髪に群青色の瞳をした褐色の青年が立っている。彼はラデックの目を見てから、その後ろにいるラルバ達の顔を1人ずつ見て、深く頭を下げた。
「皆さん。本当にお世話になりました。この御恩は決して忘れません」
ハザクラが一歩前に出て頭を下げる。
「感謝など必要ない。もう聞き飽きたかもしれないが……改めて謝罪する。本当に申し訳ないことをした」
「い、いえ。結局は何もされていませんし、ハザクラさんの竜討伐計画も尤もだと思います」
「いいや。世界平和を望む人間として、決して違えてはならない道だった」
「バス来たわよー!!」
ラルバ達から少し離れたところでイチルギが手を振っている。ラデックはファジットの手を握り、力強く彼の目を見つめた。
「また会いに来る。その時は、きっとハザクラが世界平和を成し遂げた後だ」
「はい。ありがとうございます。お気をつけて」
シスターとゾウラもファジットに手を差し出し、強く握手をした。
「お元気で。貴方なら、きっとどこでもやっていけます」
「さようならファジットさん! また会いましょうね!」
「シスターさん。ゾウラさん。僕を助けてくれて、本当にありがとう。お元気で」
手を振るファジットに別れを告げ、一行はバスに乗り込もうと荷物を担ぐ。そこへ、1人の人物が大声でラルバ達を呼び止めた。
「待ってくれ!!」
ラルバ達が荷物を一旦地面に置いて声の方を見ると、そこには額に脂汗を浮かべたミシュラが立っていた。
「その、あ、ハ、ハザクラ!!」
「ん? 俺か?」
名前を呼ばれたハザクラがキョトンとして首を傾げると、ミシュラは大きく息を吸い込んで頭を下げた。
「も、申し訳なかった!!」
ミシュラの謝罪に、ハザクラは少し驚いて目を丸くした。
「ラデック!! ゾウラ!! シスター!! 君達にも、本当に申し訳ないことをした!! 軍を代表して……謝罪させてくれ……!!」
ミシュラは腰を大きく曲げたまま動かない。ラデックとシスターが顔を見合わせていると、ハザクラがミシュラに向かって歩き始めた。
「顔を上げてくれ。ミシュラ」
ミシュラは恐る恐る顔を上げ、ハザクラの目を見た。
「今回の一件は、俺の悪意ある侵略作戦だ。何も謝る必要はない」
「だ、だが……ハザクラ達を差別し冒涜した事実は変わらない……! そして、私は……変わらなきゃ……ならないんだ」
「……ファーゴのことか?」
「私は、ファーゴと共に努力をして今の地位を手に入れた。そして、それは本来の実力ではなかった。愚図な私は、本来こんな地位にいていい人間じゃない……でも、それは飽くまで“狂った殺人鬼“が言ったことだ。私は今でも”ファーゴ“を親友だと思っている」
「……ファーゴ元帥の異能は、人格を操るものだったと聞いている」
「使奴が言うには、人格が違えばそれは別人であるそうだ。ならば、私の信じた親友は、真の善人であることは間違いない。親友も、あの殺人鬼に殺された被害者の1人だ……! だから、私は親友の信じた真に優秀な人間にならなきゃいけない……! 彼女に顔向けできるように……! 私は、今までずっと道を間違え続けてきた……もう、二度と間違えない……! 私が、親友の生きた証にならなければ……!」
力強く語るミシュラに、ハザクラは静かに頷く。
「俺も、今回道を踏み外した。もう二度と同じ過ちは犯さない」
「ハザクラ……」
「バルコス艦隊の独立宣言ならいつでも受けよう。それまで、人道主義自己防衛軍の仲間がこの国を守ってくれる。立ち上がって見せろ。ミシュラ」
「――――っ。ああ……必ず……!!」
ラルバ一行はバスへと乗り込み、北西を目指して出発した。その場に残されたミシュラは、踵を返して中央陸軍へと歩き出した。
「さて……ザルバス総指揮官に会いに行かなければ」
「ミシュラさん」
「ん?」
ファジットがミシュラを呼び止める。
「誰だ? お前は」
「…………ファジット、です」
「ファジット……ファジット……か……!?」
ミシュラは全身を震わせてファジットの肩に手をかける。
「はい……その……10年前は、お世話になりました」
10年前の神鳴通り大量殺人事件。その時にファジットの取り調べを担当したのは、当時大将であったミシュラだった。
「ファジット……生きて、いたのか……!!」
「はい。……あの時、勝手に留置所を抜け出して、申し訳ありませんでした」
「そんなことはどうでもいい! よかった……生きていてよかった……!!」
ミシュラは、両目から大粒の涙を流してファジットを抱きしめる。
「すまなかった……! 愚図の私のせいで、君に要らない情報を、絶望を与えた……!! もっと伝え方があった筈なのに……!! 私は、子供だった君のことを気遣えなかった……!!」
「いいえ。ミシュラさんだけが、僕に真実を教えてくれたんです。あの時の僕には、それが必要でした」
「ああ……すまなかった……!! 本当に、本当に……すまなかった……!!」
「……10年も隠れていてごめんなさい。ミシュラさん。ずっと、ずっと辛い思いをさせてしまいました……」
この日を境に、巨竜の姿は一切目撃されなくなった。巷では、人道主義自己防衛軍に討伐されたとか、あれもファーゴによって作り出されていた幻だったとか、怪しげな憶測ばかりが飛び交っている。だが、この国にはもう悪を退ける巨竜の加護は必要ないだろう。
だって、竜が、ここにいる。




