116話 竜なんかいない
「ファジット! あんまり遅くなっちゃダメよー!」
「分かってまーす!」
あの日は確か、パルクァル先生の誕生日だったっけ。学校の友達と何日もプレゼント何にするか考えて、みんなで驚かせようって約束してた。本当は夕飯もみんなで作ろうって話だったけど、お母さんが夕暮れには帰ってきなさいって言うから諦めたんだ。
集合場所はいつもの秘密基地。バンじいさんの畑の裏の林の奥の小屋。みんなでプレゼントを持ち寄って、キレイにラッピングして、手紙も入れて。先生の住んでる隣町まで自転車こぎまくって。何回も道に迷って。
パルクァル先生、驚いてたな。玄関で大泣きするもんだから、ご近所さんがわらわら集まってきちゃってさ。大人でもあんな風に泣くんだって、ちょっとびっくりしたな。お父さんもお母さんもお婆ちゃんも、絶対に泣いたりしない人だったから。
楽しかったなぁ。パルクァル先生の家で皆でケーキ食べて、勉強して、ゲームもして。パルクァル先生が夕飯ごちそうしてくれるって言ったけど、すごく楽しそうだったけど、僕は行かなかった。お母さんが夕暮れには帰ってきなさいって言ってたから。最近ぶっそうだからって言ってたから。それに、夕飯は多分エビフライだ。お母さんと買い物行った時に買ったエビがまだおかずに出てきてないし、今朝のお母さんはちょっぴり楽しそうだったから。エビフライを作るのは大変だ。エビは高いし、カラをむくのも大変だし、ゴミは臭うし、あげものは掃除が大変だし、油は跳ねて危ないし。だから僕も手伝わなきゃ。だから早く帰ったんだ。門限よりも早く。言われてた夕暮れよりもちょっぴり早く。
僕は、エビフライを食べれなかった。
半開きの玄関ドアから、真っ赤な汁が流れてた。すっごい臭くて、すぐに気分が悪くなった。僕が帰ってきたことに気付いた隣の家のおばちゃんが、挨拶するより早く悲鳴を上げた。おばちゃんは物知りだったから、あの汁を見ただけで何が起きたのか分かったんだと思う。僕はすぐには分からなかった。おばちゃんは僕を抱きしめて自分の家に連れ込んだ。何度も「大丈夫よ」って言ってくれたけど、それがウソだってことはずっと分かってた。すぐに軍隊が来て、僕の家にぞろぞろ入って行った。そのあと僕も軍隊のとこに行くことになった。
一回だけ学校の校外学習で来たことのある刑務所。まさか僕が中に入るとは思わなかったけど、僕が悪人だから入れられたわけじゃないってことは分かった。軍人さんは皆優しかったから。今日どこに行ったかとか、変な人を見なかったかとか色々聞かれたけど、頭がうまく動かなくて何も言えなかった。その代わり、僕は質問から何が起こったのかが分かった。僕が軍人さんに「みんな死んじゃったの?」って聞くと、軍人さんは凄く辛そうな顔でちょっぴり首をたてに振った。僕は「殺されちゃったの?」って聞いた。うまく言葉にはならなかった。のどが震えて、鼻がつまって、息が苦しくて、舌がうまく回らなかった。でも、軍人さんは小さくうなずいてくれた。大人の人には、大人みたいに話すのが礼儀だっておばあちゃんに教わった。でも、もう限界だった。だって、僕は子供だもん。悲しくて、悲しくなりすぎて、もう何が何なのか分からなかった。見えるものと感じるもの全部がウソだと思えたけど、胸がぎゅーって痛むたびにウソじゃないって思った。
お兄ちゃん、ゴメンね。実はお皿割ったの僕なんだ。お兄ちゃんは気付いてたのに、お母さんにもゴメンなさいって言ってくれたね。僕、ずっとあのこと謝りたかったんだ。お婆ちゃん、僕、今年の成績すごく良かったんだよ。国語も算数も、全部Aだったんだ。体育には先生が花丸つけてくれたんだよ。お婆ちゃんが言ったから。強い男になりなさいって言ったから、勉強も運動もいっぱい頑張ったんだよ。お父さん、こないだのお父さんの試合すごかったよ。友達もみんな見に来てくれてたみたいで、みんなすっごいほめてた。僕も自分のことみたいに、すっごく嬉しかったんだよ。お母さん、いつもお弁当作ってくれてありがとう。僕の嫌いな野菜も、食べれるように小さく切ってくれてありがとう。毎日家の外まで出てきて行ってらっしゃいって言ってくれてありがとう。学校の行事に全部出てくれてありがとう。お父さんとケンカした時、自分の方からごめんなさいって言ってくれてありがとう。僕を叱った後に、いっつも抱きしめてくれてありがとう。
エビフライ、食べたかったな。
あの後、僕はこっそり刑務所から逃げた。みんなに内緒にしていた“異能”で体をいじれば簡単だった。あのままじっとしていたら絶対に元の家には帰れない気がしたから、どうしても、どうしても一度だけ家に帰りたかった。
玄関は鍵がかかってたから、2階の僕の部屋からこっそり入った。門限を破った時のために、僕の部屋は外から鍵が開けられるようにしておいた。部屋に入ると、またあの時と同じ臭いがぶわってした。お兄ちゃんの部屋、学校のない日に朝まで遊んで2人でお母さんに怒られた。お母さんとお父さんの部屋、いろんなところに家族の写真が貼ってある。階段を降りると、床に大きな黒いシミができてた。臭いもすごく強くなって、僕はリビングの冷蔵庫の中だけ見に行った。冷蔵庫の中には、キレイにカラをむいたエビと、僕の大好きな“イエローベーカリー”のチーズケーキが入ってた。僕はチーズケーキを手に取って2階に戻った。お兄ちゃんの部屋でケーキを食べたあと、お父さんのベッドの毛布を取ってお母さんのベッドで眠ることにした。2人の匂いがいっぱいして、とっても心地よくって、お父さんとお母さんがすぐそばにいるみたいだった。そこで僕はようやく気がついた。ずっとわかってたつもりだったけど、全然わかってなかったのがわかった。もう、二度とみんなには会えないんだ。みんな死んだ。みんな死んだ。また胸がぎゅーっとして痛くなった。そんなことを考えているうちに、いつのまにか眠っちゃった。
夢を見た。お母さんと、お父さんと、お兄ちゃんと、おばあちゃん。みんなでリビングにいて、エビフライを食べた。僕がお腹いっぱいって言ったら、お母さんがチーズケーキを持ってきてくれた。それを見たらなんだか急にお腹がすいた気がして、大喜びで食べた。そしたら、お父さんが僕をぎゅーっと抱きしめてから部屋の外に行っちゃって、お兄ちゃんも、お婆ちゃんも僕をぎゅーってしてから部屋を出て行った。最後にお母さんが僕をぎゅーって抱きしめた時、僕もお母さんを抱きしめ返して泣いたんだ。「行かないで」って、大声で泣いた。勉強ももっと頑張るから、お兄ちゃんとケンカしないから、お手伝いももっとするし、門限も絶対守るから。って。そしたら、お母さんも泣いてた。泣きながら「ゴメンね」って言って僕を抱きしめてくれた。お母さんもつらかったんだ。何度も何度も「ゴメンね」って言うから、僕は「いいよ」って言ったんだ。
目が覚めた。外はまだ真っ暗で、全然時間は経ってなかった。僕はもう一度だけ一階に下りて、お婆ちゃんの部屋に行った。ものすごい臭いにおいがする中、お婆ちゃんのベッドのわきに置いてある木像を見に行った。お婆ちゃんが毎日拝んでた、四つ足の竜の置物。いつも言われてた。悪いことをしてはいけない、竜はそれを見ているから。善いことをしなさい、竜はそれを見ているから。誰も見ていなくても、竜は見ている。竜は善い人を守り、悪い人を見捨てる。だから、善くありなさいって。
でも、そんなのウソだ。だって竜は、みんなを守ってくれなかった。善い人を守ってくれなかった。竜なんて、この世にいない。
だから決めたんだ。僕が竜になろうって。もう誰も傷つかないように、友達も、学校の先生も、軍の人たちも、この国のみんなも、もう誰も悲しまないように。僕がみんなを守るんだ。僕は、守ってもらえなかったから。
国を出て、人の来ない森まで逃げた。疲れても、お腹が空いても、眠くても、人に見つかりそうになっても、この異能のおかげで生き延びることができた。それから、竜の置物をマネして形を作った。強そうな角に、カッコいい牙。鋭い爪。大きな体。翼を作ったら上手く飛べなくて、飛べるまで大きくしたらすごく大きくなっちゃった。頭を大きくしようとしたら、目の大きさを間違えて左と右で形が違くなっちゃった。でも、これで誰がどう見ても僕は竜になれた。もう大丈夫、怖い人はもう来ない。だって、竜が、ここにいる。
〜バルコス艦隊 竜宮山〜
「開きっぱなしの翼……爬虫類の顔に哺乳類の皮膚……左右で大きさの違う目玉……。体の作りが生物の基本に従っていないのは、君が生物学に詳しくないからだ……! 君は、人間だろう……!? 俺と同じ、生物改造の異能を持った、人間だ……!!!」
ラデックの言葉に、ファジットは昔のことを思い出した。まだ自分が人間として生きていた、10年前のことを。何者かに家族を殺され、竜として一人で生きていく決意をしたあの日を。
遠い目で中空を見つめているファジットに、シスターが恐る恐る問いかけた。
「も、もしかして、あなたは……ファ、ファジットさん……ですか……!?」
突然名前を呼ばれたファジットは、正体がバレたことに驚いてシスターの方に顔を向ける。異能で改造しすぎた体ではもう人間の声を出すことはままならなかったが、10年ぶりに名前を呼ばれ心臓が脈動するのを感じた。そして、2人が敵でないことも理解した。ファジットが目を細めて警戒を解くと、ラデックがシスターに尋ねる。
「シスター? 誰だ、そのファジットと言うのは」
「10年前に起きた、神鳴通り大量殺人事件の唯一の生き残りです……!」
「何? だとしたら彼は……10年もの間一人きりで……竜の真似を……!?」
「竜はバルコス艦隊の守り神……。この国を、一人で守ろうとしたんですか……?」
「大正解だ」
暗闇からの返答。2人と1頭、ないし3人が声の方に顔を向けると、闇の中からハザクラが姿を現した。
「彼は10年前の神鳴通り大量殺人事件の生き残りであり、当時7歳だったファジット少年だ」
ハザクラがファジットに近寄ると、彼は一瞬だけ怯むもすぐに姿勢を屈めて低い唸り声を上げ威嚇した。
「家族を失ったファジットは、この国の竜信仰に強い不信感を抱いた。そして、愛する家族を殺した悪から友人を守るために、この国を守るために、人間を辞めて竜として生きていくことを決めた」
ハザクラの確信めいた物言いに、シスターが血相を変える。
「き、気づいていたん、ですか」
「……ベルの推測だ。まさかラデックと同じ異能だとは思わなかったが、今の竜騒動が十中八九彼の仕業だということは分かっていた。それに、正体不明の巨大生物を復興派の使奴が放っておくはずないからな。彼女らが真実を知っても尚知らぬふりを最善とするのであれば……結末は限られてくる」
「それで、彼をどうするつもりなんですか……?」
「ふむ」
ハザクラは何かを推し量るようにファジットを見つめる。その無機質で不気味な眼差しに、ファジットは気圧され怯む。そして、直後にその不気味さが明確な敵意であることに気付いた。ハザクラが口を開こうとする前に、シスターがファジットを庇うように前へ出てハザクラを睨みつける。
「漸く……漸く解りました。ハザクラさん。どうして、今回の目的を竜の調査任務なんてあやふやなものにしたのか」
「ほう?」
「どうして使奴の力を借りなかったのか。どうして人道主義自己防衛軍が編入生なんて大嘘を吐いたのか。そんなあやふやな目的に1ヶ月など悠長な時間を設けたのか。ファジットさんを、どうするつもりなのか……!! あなたの目的は、バルコス艦隊の支配――――!!! 信仰対象の竜の殺害、そして、竜の調査任務を命じたのが最高権力者であるファーゴ元帥という事実!! この二つで、バルコス艦隊軍の信用を地に落とし征服すること――――……!! これは、あなたの最終目的である世界征服の腕試し――――……!!!」
ハザクラの手に魔力が集中し始める。
「ファジットさん逃げて!!!」
シスターの叫び声が、真夜中の竜宮山に響き渡った。




