113話 極秘資料
〜薄暗い鉄の部屋〜
「ん……う……」
暗闇の中、ロゼは目を覚ました。目が光に慣れるよりも早く、身体の違和感が覚醒を促す。両手足が縛られている――――。恐らくは椅子に座らされ、手を後ろで組んで指を一本一本複雑に縛られている。ロゼは周囲にいるであろう何者かに覚醒を悟られないよう寝たフリをしながら、ソナーの代わりに波導を薄く広げて放った。
「おはよう。ロゼ最高司令官」
聞き覚えのある声。ロゼは“彼女”に寝たフリは通用しないと気付き、小さく舌打ちをして顔を上げる。
「ラルバ――――!!!」
「あれ? 今は指揮官補佐だっけ? 天下りとは随分厚かまし……いやはや逞しいですなぁ!」
「テメェ……これは何のつもりだ?」
「んー?」
ラルバは唯一の光源である古びたランプを壁から外して、錆の匂いが充満する部屋をうろうろと歩き回る。
「何のつもり――――って言われてもねぇ」
そして、反対側の壁にもたれ掛かって、同じく椅子に拘束されている人物の姿を照らし出す。
「君を拷問するつもりですけど」
「シスター!!!」
椅子に拘束されていたのはシスターであった。彼は怯えることなく、近づいてきたラルバを怪訝そうに睨みつける。
「ナハルが呼んでいると言うのは嘘ですか。ラルバさん」
「うん。それどころか、今頃ハピネス達に諭されて嫌々ピクニックに出かけているんじゃないかな。助けは来ないよー」
「そうですか。では、反撃も自由ってことですよね」
「ひゃーおっかない! くわばらくわばら〜」
ラルバは大きくおどけてシスターから離れる。そして片足でぴょんぴょんと跳ね回りながら笑い出す。
「怖いねぇ怖いねぇ。でもでも、私の方がもぉ〜っと怖いんだなぁ」
奇妙な姿勢で踊りながら北叟笑むラルバに、ロゼは若干軽蔑の篭った疑念の目を向ける。
「テメェ……何が目的だ」
「目的? そりゃあ正義の名の下に悪人をギッタンギッタンのケチョンケチョンに懲らしめるのが目的だけど」
「クソっ……聞くだけ無駄か……」
ロゼが拘束を解こうと異能の発動を試みる。しかし――――
「ぎっ――――!?」
「あー、やめた方がいいよ」
異能を発動させた瞬間、ロゼの手首に激痛が走った。異能を発動したロゼ本人からはそれが何かは見えなかったが、凄まじい高温による痛みだと言うことは理解できた。
「ここは廃棄された大溶鉱炉の中だよ。大戦争以前から最近までずーっと使われてたから、ロゼの異能で何かを置換しようとするならドロッドロに溶けた鉄くらいしか呼び出せないんじゃない? やめた方がいいと思うなぁ」
「テメェ……!!」
「あーははは。怒ってる怒ってる」
ロゼが鬼の形相でラルバを睨みつける。その様子を、シスターは静観しながらゆっくりと口を開いた。
「ラルバさん。一つお聞きしてもいいでしょうか」
「んあ? なぁにシスターちゃん」
「先程悪人と仰っていましたが……それはロゼのことですか?」
「そうですよ? シスターちゃんは舞台装置なんでご心配なく」
「もしロゼの行っていた悪党の統治のことを悪行と言っているなら、それは間違いです。彼女は悪を統括することで新たな悪の発生と拡大を未然に防いで――――」
「あーそうじゃないそうじゃない」
ラルバはしたり顔で手を振り否定のジェスチャーをする。
「そんなの私だって分かってるよ。私が言いたいのはー……これ!!」
ラルバはどこからともなく手帳を取り出し、2人の前に見せびらかす。
「……? なんですか? それは」
シスターは訝しげに首を捻るが、ロゼは目を大きく見開いて硬直した。彼女は、その手帳に見覚えがあった。
「そ、それ……まさか……」
ロゼが顔を青くしながら無意識に呟くと、ラルバはにぃっと笑ってロゼを睨む。
「内戦の火事で燃え尽きたと思った? そんなまっさかー。私がこーんなオモシロ放っておくわけないじゃーん」
「やめろ!! それを開くな!!」
「どうしよっかなー? どうしよっかねー?」
「頼む……やめろ!!!」
顔面蒼白で椅子を揺らすロゼに、それを楽しげに眺めて戯けるラルバ。シスターは何が起きたのか全く分からず目を泳がせるが、ロゼの反応からそれが恐ろしいものであると予感していた。
「読んじゃおっかなー? チラ? チラ?」
「やめろ!!! 読むな!!!」
「ああ〜指が勝手に〜」
「やめろぉぉぉぉおおおおおお!!!」
ロゼの絶叫が響く中、ラルバはなぜか照れ臭そうに手帳を捲った。そして、その中の一文をミュージカルの台本のように読み上げた。
「今日はシスターに着替えを見られた。すごい恥ずかしかったけど、少し嬉しい」
「あああああああああああああああああああああああ!!!」
その内容は、ロゼの少々歪んだ“片想い日記”であった。
「顔を真っ赤にして謝るシスターの姿に罪悪感を覚えたけれど――――」
「ああああああああああああああああ殺すっ!!! 殺す殺す殺す!!!」
片想いしているシスターの前で日記を読み上げられたロゼは、先程の青褪めた表情から一変して顔から火を出し、拘束を解こうと縄が指に食い込むのも躊躇わずに身を捩る。しかし大蛇のように太く強靭な荒縄はびくともせず、暴れた反動で椅子ごと地面に倒れ込んでしまった。それでもラルバは日記を読むのをやめず、シスターの隣で明瞭な発音と心の籠った演技で朗読を続ける。
「診察の時に胸元からシスターの服の中が見え――――」
「死ねっ!!! 死ねっ!!! 死ね死ね死ね死ねっ――――!!!」
「マスクを忘れて行ったようで……え? ロゼちゃんマスクなんかパクっちゃったの? 流石に引くわ」
「ぎゃあああああああああっ!!!」
「ばっちよぉもう。あ、でも日付が2年前だから当時ロゼちゃん17歳か。17? いやいやいやいやダメでしょ。どっちみちアウトじゃん。倫理観大事にしろよ倫理観をよぉ」
「死ね……!!! 死ね……!!!」
「使奴は死にませーん」
ラルバの朗読と解説、それを掻き消そうとロゼが絶叫を上げる中。シスターは一切の思考を止めることに専念し、マネキンのような無表情のまま出来るだけ時間が早く過ぎることを祈った。
朗読会が始まって1時間以上が経過し、ラルバが手帳をパタンと閉じて大きく背伸びをした。
「と、言うわけで。第一部、完!! いやあキモかったですねえ。続編の発表が待ち遠しいですなぁ」
「殺す……殺す……」
ロゼは椅子に縛られたまま地面に倒れ込み、鼻水と涙を垂れ流しながら歯を食い縛っている。ラルバはその情けない様を見つめて満足そうに頷くと、折れそうなほど大きく腰を曲げてロゼの顔を覗き込んだ。
「ひひひひ。片想いの相手に陰湿なセクハラ紛いの変態行為をするような“悪党”が苦しむ様はいいもんだねぇ。何回見ても飽きないよ」
「殺す……」
「いいのかなぁそんな口利いちゃって」
ラルバの言葉に、ロゼがびくっと身体を震わせる。するとラルバはニィっと笑って、どこからともなく紙の束を取り出した。
「おま、おま、え……それ……」
「こっちが本命に決まってるじゃな〜い。君の素敵なコ・レ・ク・ショ・ン」
ラルバがシスターに見えぬようロゼだけに紙を見せる。そこには、ロゼが魔法で撮影したシスターの隠し撮り写真が大量に貼ってあった。
「あ……あ…………」
「片想いド変態クズ日記はシャレで済んでも……こっちはちょっと、ねえ?」
ロゼは怒りを通り越して絶望に顔を歪め、世界の終わりを見届けるような眼差しでラルバを見つめる。それにラルバはにっこりと笑って応え、紙の束を懐へと仕舞う。
「脅しは実行の意思と説得力を示さなきゃ意味がない。さあロゼちゃん。私のお願い、聞いてくれるね?」
「………………」
ロゼは小さく頷いた。
「10年前の“神鳴通り大量殺人事件”のことを調べたい。バルコス艦隊に口利きして頂戴な?」
「…………それだけ、か?」
「え? うん」
ロゼは唇を噛んで瞳を震わせる。
「おまっ……そんなの……お前一人で勝手に出来るだろ……!!!」
「えー。今はあっちハザクラ達がなんかやってるから邪魔できないじゃーん」
「お前がそんなこと気にするかよ!! テメェまさか……!!!」
「うん。このオモシロ日記読み上げたかっただけだよ」
「――――――――――――っ!!!」
ロゼは涙を流しながら力なく倒れ込んだ。
〜バルコス艦隊 中央陸軍金庫室〜
「で、何で私なんだ」
「え、暇そうにしてたから」
ラルバはカガチと2人で中央陸軍の金庫室に来ていた。2人は目ぼしい資料を引っ張り出してはパラパラと捲り、無造作に足元へ積み上げている。カガチは不満を漏らしながらも、ラルバに指示された通り“神鳴通り大量殺人事件”に関する情報収集を手伝っている。
「こういう時のためにイチルギがいるんじゃないのか」
「バルコス艦隊は平和協定非加盟国。世界ギルドと仲が悪い」
「それの何が問題なんだ」
「嫌がらせされるの可哀想じゃん?」
「お前の旅に同行させる方が可哀想だ」
「同行させたのは実質ヴァルガンらしいからノーカンで」
「じゃあバリアでも連れてくればよかっただろう」
「寝てた」
「じゃあ私も寝る」
「起きて」
カガチは呆れて溜息を吐きながらも、淡々と資料を読み続け重要度順に並べ替えている。ラルバは重要度が高いと思われる方から資料を手に取り、ニコニコと笑い楽しそうに頭を振る。
「悪態吐きながらもちゃーんと手伝ってくれるのねぇ。カガっちゃんやっさしーい」
「やる意味もないが、やらない意味もないからな」
「なになに? こないだの遊園地よっぽど楽しかったからそのお礼ってわけ?」
「私が手を貸すことに好感度は関係ない。お前への好意は出会った時と変わらずゼロのままだ」
「それはそれで気持ち悪いね……。自分には全く利益ないのに手伝ってくれるんだ。ゾウラから徳でも積むように言われたの?」
「善行だったらとっくにお前を殺してる」
「それもそうだねぇ」
ラルバは資料を無造作に放り投げて、何かを睨むように頬を掻く。
「ところでカガチん」
「何だ」
「これさ……馬鹿にされてる?」
「ああ、されているだろうな」
「…………ムカつくねぇ」
「短気だな」
放り投げられた資料から、元は黒塗りで埋め尽くされたページがバラバラと雪崩落ちていく。使奴の精密な色彩魔法によって黒塗りを剥がされた機密文書は、カガチに蹴飛ばされ金庫室の廊下にヒラヒラと舞い上がった。
“今回の神鳴通り大量殺人事件による死亡者数は、計32名。唯一の生存者であるファジット少年8歳は、取り調べが行われた2時間後に控室から脱走。その後行方が分からなくなっている。また、世界ギルドより任命された使奴の調査により、足跡から導き出した歩き方や現場に残されていた波導パターンによる個人特定が行われた。その結果、犯人は過去の海呼街大量殺人事件や金床街連続殺人事件の犯人と同一人物である可能性が極めて高いとされている“。
「不運の奴……捜査を撹乱するために無駄に殺しやがったな。これも不運ってか〜?」




