107話 竜の国
〜バルコス艦隊 高級ホテル“絢爛龍堂“ 屋外浴場“星空の湯”〜
「うわっほ〜!!」
勢いよく水飛沫を上げながら、ハピネスが露天風呂にダイブする。本来であれば限定された人数しか入場出来ない予約必須の露天風呂。それを貸切にして好きなだけ堪能出来るという事実に、ハピネスは子供のように燥いで泳ぎ回る。
「あんまり浮かれるとまた転ぶぞ!」
「これが浮かれずにいられるかね!!」
遅れて入ってきたジャハルが声をかけるが、ハピネスはどこ吹く風で高らかに笑う。そして一頻り泳ぎ終えると、まだ見ぬ設備に心を躍らせて打たせ湯の方へと走っていった。
「全く……まあ、今回ばかりは甘やかすか」
「珍しいねぇ。ジャハルがハピネスに甘い顔するなんて」
ジャハルが掛け湯をしていると、その背後からバリアと髪を縛ったラルバがニヤニヤと笑いながら近づいてきた。
「まあな。あれだけの死線を潜り抜けてきたんだ。これぐらいのご褒美、あって然るべきだろう」
「ふぅん」
ジャハルが静かに湯に体を沈めると、バリアとラルバもその隣に腰掛ける。
「ふぅ……いい湯だ。ラルバこそ珍しいじゃないか。ハピネスを甘やかすことに文句を言わないなんて」
「まあ、そりゃあ今回頑張ったわけだしぃ? 私だって鬼じゃあないんでねぇ」
「……じゃあ何でラデックも甘やかしてやらなかったんだ」
「いや、私はそうさせたかったんだけどハザクラが連れて行きたいって言うから……」
「そうか……。あ、そう言えば今回の作戦、私は詳細を聞かされていないんだがどうなっているんだ?」
「んー? 私らは特にすることないよ。頑張るのはハザクラ、シスター、ゾウラ、ラデックの4人だけー」
「人道主義自己防衛軍からの編入を騙っての潜入……。ベル様が上手いこと口裏合わせるだろうからバレる心配はないが……随分悠長だな?」
「悠長?」
「いつもはサクッと悪党を探し出して倒してお終いじゃないか。それを人任せに、オマケに潜入までさせるなんて、一体どれくらいの期間ここに居るつもりだ?」
「んー、取り敢えず1ヶ月くらいかなぁ」
「……思ったよりも相当長いな。何か目的が?」
「え、ハピネス甘やかしてるだけだけど?」
「‥‥本当に?」
「まあついでではあるけど……水面下で“こっそり絶体絶命”作戦を進行中」
「はぁ?」
「いやさ、時間かけて悪党の仲間を親玉以外全員支配下に置いちゃおうと思って。面白くない? お前らやっちまえ! って言ったら仲間が全員自分に銃口向けるの」
「…………軍関係者に標的がいるという話は今度また聞くとして、そのためにハザクラ達を軍送りにしたのか?」
「ついでだよついで。ハザクラとの利害の一致。なんかあの子はあの子で“竜”に興味あるみたいよ? 私はどうでもいいけど」
「“竜”……ここ最近目撃されている謎の巨大竜か」
「ま、どうせ私らは何も出来ないんだし、パァーっと遊びましょうや! 晩御飯は“青空牛のステーキ”が出るらしいよ?」
「はぁ……暢気なものだな」
「そう言やさジャハルちゃん。このホテルもドスケベゾンビの奢り?」
「え? ああ、ピガット遺跡での宴会の時に、キザンがメギドと一緒に我々襲われた者達の所に謝罪に来たんだ。そして、迷惑をかけたお詫びに何か望みを叶えたいと。そこでハピネスは殆どの交通機関で使える無制限のVIP券を、私は助けてくれたハピネスに権利を譲渡したんだが、その結果がコレだ」
「なんでキザンにちゃんと服着ろって願わなかったのさ」
「まさかハピネスが私の願いの分も高級施設に注ぎ込むと思わなかったが、一度譲渡した権利に文句を言うのも見っともないしな……」
「私の分はないの? 一応被害者代表なんだけど」
「ラルバとラデックはその場の居なかったから、ハザクラが代わりに3人分の願いを注文をしていた。一つはハザクラ自身の願い。今後大きな障害にぶつかった時に、ピガット遺跡からの後援の約束を。二つ目はラデックの為の願い。ラデック自身は知らないだろうが、彼の肩書きは今キザンによって“境界の門大帝“に設定されている」
「大帝? 世界ギルドって帝政なの?」
「忘れ去られた憲法上ではな。今は何の意味も持たないが、ラデックが命を賭して信念を貫こうとした時、この称号は初めて意味を持つ」
「それ、私が悪用するとか考えてないわけがないよね?」
「勿論だ。境界の門の帝王に関する書物は、とうの昔にイチルギが隠している。仮に見つけられたとしても、誰かしらの権力者が正式に効力の正当性を謳わない限り、道化の戯言と一蹴されるだろうな」
「だよねぇ。そんで、私の分の願い事は?」
「保留してある。ハザクラが「叶えるに値する信念のある願い事に限り聞き入れてやって欲しい」とキザンに頼んでいた」
「……何か腹立つ言い方だな」
「妥当だろう」
「腹立つ」
拗ねたラルバが鼻まで湯に浸かりボコボコと息を噴き出していると、露天風呂の入り口からイチルギとナハルが近づいてきた。
「ん、イっちゃん、ナハルんお疲れ……ナハルんおっぱいデカくない? 化け物じゃん」
ラルバが掛け湯をしているナハルに近づき胸を鷲掴みにすると、ナハルは反射的にラルバの腕をへし折った。
「触るな」
「うわあ。おててがタコになっちゃった」
ラルバは骨が複雑に砕けた腕を猫じゃらしのように振り回してナハルを叩く。
「ていっ! ていっ! おらっ! 参ったか!」
「………………鬱陶しい以上に痛ましいな。一体どこに頭のネジを置いてきてしまったんだ?」
ナハルはラルバを憐れみの目で一瞥すると、何かを探す素振りで辺りを見回す。
「あれ、ラルバ。カガチはどうした? 私達より先を歩いていたと思ったんだが」
「んー? 来てないよ?」
「ここにいる」
カガチの声と共に、露天風呂の景色の一角が歪みカガチが姿を現す。しかし、彼女は普段通り服を着た状態で岩に腰掛けており、いつも以上に不機嫌そうな顔でラルバを睨みつけていた。
「おわっ。カガチっちゃーんなんで服着てんのさー。折角の露天風呂を楽しみなさいヨォ」
「黙れ」
カガチが指先で中空をなぞると、カガチの影から湧き出るようにして真っ黒な百足が現れラルバに襲いかかる。するとラルバのすぐ隣にいたバリアが百足を鷲掴み、自らの腕に巻き付けるようにして絡め取って湯に沈める。
「おー、バリアちゃんナイス防衛。腕大丈夫?」
「うん」
湯に沈められた百足が再び動くことはなく、カガチは大きく舌打ちをしてバリアから目を逸らした。
「なんかカガチさん、今日不機嫌ですねぇ。更年期障害かな?」
「お前がゾウラ様にクソみたいな頼みをするからだ」
「えぇーなんでよぉー。本人楽しそうだったじゃん」
「ゾウラ様は大抵の物事を快くこなしてしまうのだ。それが例え、人殺しであったとしてもな……!」
「別に人殺しまでは頼んでないけど……好き嫌いしないのは良いことだよ。カガチも見習え」
「今回はまだ“バルコス艦隊中央陸軍への潜入“という生温いものだったから強くは言わなかったが……、内容によってはお前ら全員を殺してでもゾウラ様をお守りする。そのことを忘れるな」
「魔王様の仰せのままにー」
カガチの舌打ちと共に、影から再び黒い百足が現れラルバに襲いかかる。しかし今度はバリアは微動だにせず、百足はそのままラルバに絡みついて首を噛み千切った。
「ぎゃぁー! えっち!!」
ラルバは湯船に落ちた首をすぐさま拾い上げて切断面同士を押し付け治療する。そして百足を引き剥がしてから恨めし気にバリアを見やる。
「……何で助けてくんなかったのさ」
「今のはラルバが悪かったから……」
そのやり取りを遠巻きに眺めていたジャハルは、隣で風呂の縁に腰掛けているナハルにボソリと呟いた。
「心配か?」
「え?」
「シスターのことが、だ」
ナハルは少しだけ歯軋りを鳴らして顔を伏せる。
「シスターの体つきは軍の訓練に耐えられる程強くない。当然心配だ」
「ハザクラもラデックもいる。ゾウラも信頼に値する人物だろう。心配ない」
「……でも、幾ら彼らが優秀とは言っても、どうせ皆人間だ。私達使奴からしたら、吊り橋を3歳児に一人で渡らせるのと何ら変わりない。この悩みは、使奴じゃないジャハルには分からないよ」
「……本当にそうか?」
「…………」
「私が思うに……ナハルのそれは心配じゃなくて、寂しさ。って言うんじゃないのか?」
ナハルが僅かに瞼をピクリと動かすと、ジャハルはこれ以上ナハルの顔を見るのは良くないと思い、空を仰ぎながら話を続ける。
「確かにシスターのことが心配だろうとは思うが……、ナハルがグリディアン神殿で見せた心配の表情と、今の表情はまるで別物だ。心配なのは、シスターの身を案じているんじゃなくて、シスターが自分を頼りにしなくとも平気でいられることなんじゃないのか?」
「そんなこと思ってない」
「本当だろうか」
「何でそう思うんだ」
「私が、今そうだからだ」
ナハルが少し驚いた表情でジャハルを見る。
「ハザクラは私よりずっと優秀だ。私より3歳も歳が下なのに、私よりも力があるし頭も回る。心の強さなんかは特に。でも、私は今ハザクラの側にいてやりたい気持ちでいっぱいだ。私なんかより、ゾウラやラデックが側にいてくれた方がずっと戦力になるだろうし、シスターもハザクラに無茶をさせないよう見張ってくれるだろう。でも、私が支えてやりたいんだ。これはきっと、私の身勝手な寂しさによるものだと思う」
ジャハルは、少し気恥ずかしそうにナハルを一瞥する。
「だから、ナハルも同じ気持ちだったら少しは安心できると思っただけだ」
「……そうか」
ナハルがジャハルから目を離して正面を向く。目に映るのは、珍しく大人しくして湯に浸かるラルバ、その横で微動だにしないバリア。岩に腰掛け腕を組んだままラルバを睨み続けるカガチ。タオル片手に走り回るハピネス。そして、自分と同じように風呂の縁に腰掛けているイチルギ。ナハルはもう一度ジャハルに目を向けてから、少しだけ笑って口を開いた。
「うん。私も、多分同じ気持ちだ」
「……そうか」
ナハルは空を見上げて、この空をシスターも見ているんだろうかと思い目を細める。そう思うだけで、彼女は心から少しだけ寂しさが薄れるような気がした。
〜バルコス艦隊 中央陸軍宿舎屋上〜
「……今頃ラルバ達は、あの高級ホテルで寛いでいるのだろうか」
ラデックが膝を抱えながら空を見上げ、譫言のように呟く。その隣では同じように座り込むシスターが気の毒そうにラデックの横顔を見つめ、かける言葉が見当たらずに目を逸らす。その逸らした視線の先では、満天の星を見上げるゾウラとハザクラが立っている。
「綺麗ですねぇ〜ハザクラさん! スヴァルタスフォード自治区では森に囲まれた夜空しか見ることができなかったので、なんだか初めて見る空に見えます!」
「ピガット遺跡は夜でも活気のある街だったから尚更だろうな」
「はい! あの賑わいも楽しそうで好きですけど、この静かな夜も幻想的で好きです!」
「……噂以上のポジティブ思考だな。辛い時は正直に言ってくれ、ゾウラ」
「はい! お気遣いありがとうございます!」
シスターは徐に腰を上げ、ハザクラの隣に立って欄干に手をかける。
「ハザクラさんは、今回の作戦について……どう考えていますか?」
シスターの問いに、ハザクラは少し眉間に皺を寄せて考え込む。
「“竜”に関する情報はこの国の最高機密だ。最低でも3週間は潜入しないと情報を得られないとは思うが……まさかラルバが長期滞在を認めるとはな」
「今回ラルバさん自身からは、期限の指定はありませんでしたよね」
「今までは全て1週間以内にコトを済ませていたのに……、あのせっかちなラルバがこんなところでのんびりする筈がない。何か狙いがあるとは思うが……いかんせん俺は人間だ。その辺の推理はイチルギに任せて、俺は俺の出来ることに専念しようと思う」
「そうですか……。すみません、気分を悪くされたなら申し訳ないのですが、ラプーさんや使奴を頼りはしないのですか? 善行であれば相談した方が良いのではと思うのですが……」
「……イチルギから聞くに、ラプーは俺達の想像を絶する事情を抱えている。それを知らない以上、そして知らされない以上、彼に力を貸させたくない。あとは、俺の個人的な決意によるものだ」
「そうですか……。お話しして下さってありがとうございました」
「いや、話さなかった俺も悪かった。そして何より、俺の我儘に付き合ってくれて感謝している」
「構いませんよ」
「シスター。恐らく軍の訓練は、貴方にとって相当に辛いものとなる。無理はさせないように目を光らせておくつもりだが……何か少しでも辛いことがあればすぐに言ってくれ」
「ハザクラさん。私だって、多少の地獄は覚悟してついてきたんです」
『……違う。これは”お願い“ではなく”命令“だ。シスター。俺達に心配かけるような無茶をしないと約束をしてくれ』
「……はい。ハザクラさん」
シスターが少し悲しそうに目を伏せると、ハザクラは溜息を吐いて肩の力を抜いた。
「……これで、少なくともナハルにどやされることはなくなったな。次はゾウラだが……」
「呼びましたか?」
「……まあ、君は大丈夫だろう。苦しみを隠すような性格でもないし、与えられた不条理をそのまま飲み下すこともないだろうし」
「……? 頑張ります!」
「ああ、頑張ってくれ。これで残すはラデックか……」
ハザクラは続いてラデックへと目を向ける。ラデックは未だ膝を抱いたまま呆然と空を見上げており、哀愁よりも情けなさが漂っていた。
「ラデック」
ハザクラが名前を呼ぶと、ラデックは懐からホテルのパンフレットを取り出して眺め始める。
「ハザクラ、俺達だって相当な死地を生き延びた筈だ。なのに、何で俺達だけこんな辛い思いをさせられるんだ? あの高級ホテル、夕食にステーキが出るらしいぞ」
「ラデック。諦めろ。もうここまで来てしまったんだから腹を括れ」
「牛煮込み、羊肉のハンバーグ、馬刺しもあるのか……」
「ラデック」
「露天風呂は抽選時間制……でも貸し切れるってハピネスが言ってたな。朝食バイキングは焼き立て牛乳トースト食べ放題……」
「ラデック!」
「専用のシャトルバスで博物館にも行けるのか……遊園地に水族館……」
「ラデック!!!」
ハザクラはラデックからパンフレットを取り上げ、それをビリビリに破く。
「いつまでもハピネスみたいな泣き言を言うな!! トールと戦った時の威勢はどうしたんだ!!」
「俺だってステーキ食べて昼まで寝たい!!」
「もう戻れやしないんだから諦めろ!!」
「俺だって牛乳トースト食べ放題したい……!!」
ラデックが目を強く瞑って涙を一粒流すと、ハザクラは原因不明の罪悪感と鬱陶しい情けなさを感じて下唇を噛んだ。
「…………ついて来させたのは謝るが、お前しかいないんだ。人道主義自己防衛軍からの編入という建前上、総指揮官クラスは新人の俺1人で限界だ。ジャハルには頼めない。ラプーはそっとしておいてやりたいし、ハピネスは単純に戦力外」
「バリアを呼べばよかっただろう……」
「バルコス艦隊はスヴァルタスフォード自治区と同じく悪魔差別主義だ。白い肌の者は軍隊に入れない」
「…………俺が今から異能で真っ白な肌になったら行かなくていいか?」
「俺がなんとかする」
「じゃあバリアを何とかして入れろ……!!」
『頼りにしてる。頑張れ』
「今ひょっとして異能使ったか? 絶対返事しないぞ」
『頑張れ』
鬼の形相のラデックに睨まれながらハザクラが懐中時計を取り出し、シスターとゾウラの方へ顔を向ける。
「そろそろ消灯時間だ。今夜はまだ俺達は人道主義自己防衛軍所属ということになっているから平気だが、明日からはバルコス艦隊陸軍所属だ。こうして集まって話すことも難しくなる。短くとも一ヶ月は厳しい生活になるだろうが、頑張ってくれ。頼りにしてる」
「はい!!」
「はい」
「嫌だ」
ハザクラ達は仮の班室に戻り、硬いベッドに潜り込んで眠りにつく。同時刻、ラルバ達もまたホテルの自室に戻っており、明日朝イチで水族館に行くためフカフカの高級ベッドに身を埋めて寝息を立て始めた。天国と地獄、それぞれの夜が更けていく。
〜???〜
「ウ、ウヴヴォォォォォォオオオオオオオオオオ!!!」
とても生物のそれとは思えない咆哮が、山を揺らし天に波紋を打つ。暗闇の中で、左右大きさの違う群青色の双眸が月の光を反射して人魂のように浮かび上がり、遥か遠くのバルコス艦隊の街明かりを眺めている。
「ウ、ウ、ウヴォァ……ウヴォアアアアアアアアアアアアア!!!」
低い風切り音にも似た咆哮が再び夜を揺らす。誰に向けられたわけでもない雄叫びは、決してバルコス艦隊に届くことなく空へと消えていった。しかし、群青の双眸は夜明け近くまでバルコス艦隊から視線を外すことはなかった。
【竜の国】




