106話 さらば英雄
〜ピガット遺跡 瓦斯引州 検問所〜
ピガット遺跡最西端にある、主に輸出入を管理する瓦斯引州。乱雑に建てられた巨大倉庫が岩山のように聳え、その間をトラックや牽引車が蟻の群れの如く縦横無尽に駆け抜けている。
その一角で、ハザクラはイチルギと共に出国の手続きのため検問所へと立ち寄っていた。しかし、2人はここへ来る途中も手続の間も、必要最低限の事務的な内容以外は一言も言葉を交わすことはなかった。
「ハザクラ」
「ああ」
ハザクラはトールによって消し炭にされてしまった、パスポートを始めとした持ち物をイチルギから受け取る。そしてイチルギの横顔をチラリと覗くと、思い浮かべていた疑問と共に目を伏せた。
ラプーとはどういう関係だ?
その一言が、いつまで経っても言い出せなかった。今までイチルギが口を噤んでいたということは、恐らく尋ねても答えは返ってこない。それでも、ハザクラにはどうしても尋ねたい欲求があった。恐らくは特別な事情。他人に話すのは憚られる、心の奥底に仕舞い込んだ秘密。その力になってあげたいという自己満足。仲間を助けたいという自分勝手な願い。そんな気持ちが、ハザクラの中で膨らんでは萎んでを繰り返した。
シスター達の待つ空港へと向かう途中、イチルギはそっぽを向きながら吐き捨てるように呟いた。
「……ありがとう。聞かないでくれて」
ハザクラは自分が情けなくなった。今の今まで、自分はそんなにも“助けられたがっていたのか”と。疑問を堪えている私を認めて欲しい。欲求に抗う私を助けて欲しい。そんな甘えたがりの浅ましい心は、きっとイチルギには余りにも見苦しく耐えられなかったのだろうと。そんな意地汚い自分のせいで、苦しんでいるはずのイチルギに厚かましくも感謝の言葉を吐かせてしまった。
「……申し訳ない。いや、違うな……。待っていてくれ」
ハザクラは俯きながら、割れそうなほどに歯を食い縛る。
「もう、もう二度とこんな思いはさせない。俺は、貴方に並んで見せる」
イチルギは少しだけ哀しそうに微笑む。それ以降、2人が口を開くことはなかった。
〜ピガット遺跡 瓦斯引州国際空港〜
ハザクラとイチルギが空港へ到着すると、いつの間にかラルバが合流しておりハピネスの髪をもしゃもしゃと掻き乱して遊んでいた。
「ハピネっちゃーん! 今回随分頑張ったんだってぇ? 偉いじゃなーい!」
「ふふふ。そうだろうそうだろう。私は偉いんだ。そんな偉い私には高級飛行船のファーストクラスが相応しいと思わないかい?」
「いや、この広大で偉大で壮大な大地を踏み締め味わうことこそ相応しいと思う」
「ラルバ? 竜の国まで何日かかると思ってるの? 流石にもう耐えられないよ?」
「毒飲んで目ぇ繰り抜いて耳ブッ刺して何言ってんのさ。それより辛いことなんか人生にそうそうないよ」
「痛いのは向こうから来てくれるけど、苦しいのは自分から向かわなきゃならないだろう!!」
「違いがよくわかんない。一緒だよ一緒」
ラルバが戻ってきたハザクラに気がつくと、子供のように喚くハピネスから目を離してハザクラの方へと駆け寄ってくる。
「クララちゃーん元気!? 炭団子になった割には意外と元気そうだね。おしっこちゃんと出る?」
「ラルバこそ、随分元気そうだな。機嫌が直ったのは結構なことだが……」
「子供じゃあるまいし、そんないつまでもうじうじしてらんないよ。何てったって次は実力主義の“バルコス艦隊”! 純粋な戦闘力で人間の優劣が決まるなんて、こりゃあ香ばしいゴミクソ野郎がうじゃうじゃいるだろうよ!」
「一つ頼みがある」
「“狼の群れ”には行かないよ」
上機嫌だったラルバは、途端に顔を顰めてハザクラを睨む。
「ラデックとハピネスから聞いた。私達の物語は狼の群れで結末を迎えると。私はこの旅を終わらせるつもりはないし、あのヴァルガンとかいう英雄気取りの取り巻きが統治してる国なんか微塵も興味がない」
「お前はラプーが全知の異能を持っていると知って尚、その能力を利用することなく彼を連れてきた。目的がラプーの素性を知るためでなかったら、一体彼に何を求めていたんだ」
「困った時の攻略本。取り敢えず一回エンディング見た後に、取り逃がしたイベントを回収するための便利グッズ」
「……その為だけに、今までラプーを同行させていたのか?」
「うん。別に攻略本って買ったらすぐ読まないといけないわけじゃないじゃん。ゲームと一緒に買ってクリアしてから読んだってよくない?」
「……何か隠しているな」
「何も隠してないよ。嘘だと思うならチルチルちゃんに聞いてみな」
ラルバはハザクラの隣にいたイチルギを、一度も見ることなく背を向けて立ち去る。ハザクラが窺うようにイチルギを見上げるが、彼女は静かに首を左右に振った。
「ラルバの言葉は本当よ。あの子がラプーに興味を持たなかったのは不幸中の幸いってとこね」
ハザクラは納得行かないといった表情で顔を伏せ、遠ざかっていくラルバの背中を見送る。
「まあ、何も企んでいないならそれでいいんだが……」
〜ピガット遺跡 瓦斯引州国際空港 発着場〜
「よっしゃぁぁぁぁぁぁああああああああ!!!」
広々とした発着場にハピネスの雄叫びが響き渡る。腰の下で両拳を握った淑女らしさの欠片もない下品な勝利のポーズを取るハピネスの目の前には、客室の約半分以上のスペースをファーストクラスが占めるVIP専用航空機が鎮座していた。
「うおあああああああああああっ!!!」
ハピネスは乗降口から緩やかに伸びる階段を勢いよく駆け上がって行き、最後の段差を勢いよく踏み外して勢いよく滑り落ちた。そこへ呆れながら歩み寄るシスターを見送りながら、ラデックは瓶ジュースを片手に航空機を眺め、隣に腕を組んで立っているラルバに尋ねた。
「これ、運賃は相場よりどれくらい高いんだ?」
「30倍かな」
「30……? えっと、俺達全員で12人だから……宝くじの一等レベルか……。何でまた許可したんだ?」
「んー? まあ今回頑張ったらしいし、ご褒美にね」
「妥当……なの……か?」
「ぶっちゃけると、あの青肌痴女ゾンビがくれた」
「青肌痴女……キザンか?」
「そうっスよー」
2人の会話に、背後から飛んできた声が割り込んだ。ラルバ達が振り向くと、そこにはピガット遺跡で出会った面々、キザン、トール、メギド、ハイア、そしてヴァルガンとアビスが立っていた。
「今回クソ迷惑かけたのは事実なんで、MVPのハピネスさんを中心にお詫びの品を贈呈することにしたんス」
「あざすっ!!!」
航空機の方から飛んできたハピネスの声にキザンはピースサインで応える。しかし、ラルバはキザンには目もくれずアビスの方へ歩き出す。
「おひさーアビス。取り敢えずグッジョブ」
「お役に立てたようで何よりです」
「まさかアビスがこんな所までついてきて助けてくれるなんてね。もしかして、また仲間になりたいとか言うつもり?」
「言ったら入れてくれますか?」
「んふふ〜どうしよっかなぁ〜」
「まあ言いませんけど」
「ええっ。今の私の優越感と悪戯心を返してよ」
「私、どうやら実際に冒険するよりも、その様子を外から見ている方が好きみたいです。これからもその奇天烈な行動で私を楽しませて下さいね。ラルバさん」
「……アビス、なんか怒ってる?」
「いえ? 特に怒っていませんよ?」
「嘘だ!!」
「ん〜……どちらかと言うと、自己嫌悪に近い感情でしょうか」
「お腹痛いの?」
「今回、ラルバさんを助ける為にキザンさんを殺してしまいましたし、その動機も極めて不純で不誠実なものです。我ながら随分と道を違えたなぁと思いまして」
「いいじゃん別に、殺したって死ぬわけじゃないし」
「いえ、死にます」
真剣な表情でアビスがラルバを睨むと、キザンは周囲に自分達以外の人影がいないのを確認してから仰々しく咳払いをする。
「そんじゃ、“紅蓮の青鬼”キザン。約束通り、潔く逝かせて頂きます」
短い前口上の直後、キザンの全身から朱色の炎が煌めき始める。使奴に搭載された自死のシステム。死の魔法の波導炎が。
あまりにも突然始まった現象に、ラルバ達は驚いて絶句する。そして、その中でもラデックだけは別の事情で愕然としていた。
「なっ――――! 死の魔法を能動的に発動できるのか!? それは使奴の設計上不可能じゃ――――」
「出来るんスよーラデックさん。だってウチは使奴の実験体であって、正確には性奴隷用の人造人間じゃないんスからねー」
「なんだと……?」
「使奴にも色々いるんスよ。市販品って耐久実験とか、環境適応実験とか色々するじゃないスか。ウチはその中の、“色彩実験“用に造られた使奴っス」
「色彩……実験……」
「使奴特有の真っ白な肌。これをどうにか普通の人っぽい色に出来ないかと、試行錯誤された結果がこの青肌っス。この状態が実験途中なのか失敗したのかはわかんないスけど、どっちみちウチは廃棄前提の使奴だったっつー訳なんスよ。だから、基礎スキルの中に任意発動可能な死の魔法があるんス」
「だ、だからって、何故今死ぬんだ!! 貴方はピガット遺跡で沈黙派と隠遁派の使奴を纏め上げて来た指導者なんだろう!?」
「これがラルバさんに挑む条件だったんスよ」
「何……!?」
キザンがヴァルガンを見やると、ヴァルガンは静かに頷いて口を開く。
「意見を否定するには代価が要る。キザンは使奴の中でも珍しく生を望んでいる使奴だった。だから彼女は、ラルバの殺害という目的の代償に自らの死を提示したんだ」
「メギドさんは色々目的が違ったからまあ良しとして、殺したいけど死にたくないなんてクソ我儘っスからねー。このくらいは当然っスよ」
「私はその提案を飲んだ。そして、過程はどうあれキザンはラルバを殺せなかった」
キザンは目を閉じてウンウンと頷く。しかし、ラデックは狼狽えながら首を振る。
「アビスの乱入があったなら成立していないだろう!!」
「してるんスよ。第一、何か想定外のことがあって「やっぱ今のナシー」なんて、都合良過ぎないスか?」
「だからって……貴方が死んだらピガット遺跡はどうなる!? 貴方が他の使奴達を率いていたんだろう!?」
「その辺は全部トールさんに任せました。まあピガット遺跡がどうなるかはウチも割と心配っスねー。そこらの文句はアビスさんに言ってください。悪いのはこの人なんで」
「そこまで、そこまで約束が大切か……!?」
「大切っスねー」
まるで他人事のように腕を組んで答えるキザンに、ラデックは言葉を詰まらせて目を泳がせる。ふと振り返ると、キザンの嘗ての仲間であったイチルギも全てに納得したように見守っているだけだった。
キザンはラデックが言葉を失い背を向けたのを見届けると、辺りを見回して少し不満げに首を傾げる。
「つーか皆さん静か過ぎません? ウチ死ぬんスよ? 分かってます?」
キザンの問いには誰一人として返事をせず、キザンの全身から噴き上がる朱色の炎だけがパチパチと音を立てている。
「いやいやいや……。200年前の終末戦争から人類を救った英雄の1人がこの世を去るんすよ? “狼王国物語”だったらサクリファーが死ぬ回レベルの泣き所なんスけど。アニメなら間違いなく視聴率は30%超え、古参もニワカも泣血漣如で勝手に葬式開く超絶感動シーンっスよ? ファンの涙雨で水力発電が出来ますよ。それを嗚咽どころか涙一滴流さないなんて――――」
「キザン」
キザンの長ったらしい苦言を、ヴァルガンが名前を呼んで中断させる。
「ヴァルガンさん」
「私は、君のことを一生忘れない」
「……色々我儘言ってすんませんでした、でも満足っス。先にあの世で待ってますね」
「心配するな。私が、世界に君を忘れさせない。君の名前を、功績を、勇姿を、私がこの命続く限り語り続けよう」
「……ヴァルガンさん」
「さらばだ、英雄」
ヴァルガンがキザンに敬礼をすると、それに合わせてアビスやトール達、そしてイチルギとラプーも同じく敬礼の姿勢でキザンを見つめる。それをキザンは茫然と見回してから、再びヴァルガンへと視線を戻す。そして、同じように敬礼をして口を開く。
「……さらば、我が戦友よ。未来を逝く者達に幸あれ」
朱色の炎が一際大きく揺らめく。そして、彼女は風に吹き消されるようにいなくなった。
〜上空5000km 航空機“ホワイトガー”〜
「キザンは何故死を選んだんだろうか」
王様が座るようなふかふかの1人掛けソファに身を埋めながらラデックが呟く。航空機の客室はまるで高級ホテルのリビングのように広く、冷蔵庫やビールサーバーなど様々な設備が整った機能性と優雅さを兼ね備えた造りになっていた。ラデックの隣では、同じように1人掛けソファにもたれかかるラルバがビール片手に燻製ナッツを頬張っている。
「んー? 約束だったからじゃないのー?」
「それにしたって、他にも提示できる条件は幾らでもあった筈だ。何故態々自らの命を……」
「200年も生きてれば色々あるんでしょーよ。きっと」
「ふむ……そういう物なのか……あ、ラルバ。俺のタバコは?」
「大丈夫大丈夫、ラプーに預けてあるよ」
「よかった……まさか2人揃って全身粉々にされると思わなかったからな」
「全くだよ……お陰で一張羅が台無しだ!」
「なんでラルバが文句言うんだ。それに、俺が泣きべそかきながら直してやっただろう」
「あざまーす」
ラルバ達の隣の部屋では、ゾウラが窓に張り付いて外の景色に感嘆の声を漏らしている。
「うわあ〜! こんな高い所の景色、私初めて見ました!! ラプーさん! あれなんですか!?」
「花咲村」
「あれは!?」
「風車」
「その奥のは!?」
「コウテイラクダ」
「じゃあその――――」
ラプーを質問攻めにするゾウラを、カガチが少し離れたところで見守っている。そのすぐそばでは、ハピネスがナハルとボードゲームで遊んでいた。
「はい詰み」
「ふぅむ……もう一回やろうナハル」
「何度やっても変わらないぞ……。使奴相手に二人零和有限確定完全情報ゲームで勝てると思っているのか?」
「いや? ただ、使奴の頭脳がどう動いているのかを知りたい。私の策がどう看破されるのか、使奴は一般人相手にどう策を練るのか」
「……ただ最善手を選んでいるだけだ。傾向はないよ」
「でも感情はある。不完全な心が。それが最善手にどう影響するのかを見たい」
「変な奴」
「悪口言うと色々シスターにチクるよ」
「嫌な奴……」
そんな2人をカガチは一度だけ視線を向け、再びゾウラの方を向きながらナハルに話しかける。
「ナハル。シスターと同じ部屋じゃなくて良かったのか?」
ナハルは聞こえないほど小さな声で呻くと、バツが悪そうに目を逸らした。
「わ、私にばっかり構ってないで、他の方との親交を深めてきなさい……だそうだ……」
「ふぅん。ご愁傷様」
「うっ……」
ナハルが再び顔を顰めると、そこへゾウラが駆け寄ってきて楽しそうに手を合わせる。
「それ、面白そうですね! カガチ!」
今度はカガチが顔を顰めた。
「私とずっと一緒にいてくれるのも嬉しいですけど、これを機に他の皆さんともたくさんお話ししてみて下さい!」
「………………はい」
「ご、ご愁傷様……」
「と、言うわけだ……」
カガチはそう言ってシスターの座っているベッドの隣に腰掛ける。
「はぁ……で、何故私のところに?」
「消去法」
「…………はぁ」
航空機の客室は全部で4部屋。ラルバ、ラデックのいるA室。ハピネス、ラプー、ナハル、ゾウラのいるB室。ハザクラ、ジャハルのいるC室。そしてシスター、バリア、イチルギのいるD室。
「ジャハルとハザクラの間に入るのは居心地が悪い」
「……ラルバさんのところに行ってみては?」
「お前、馬鹿か?」
「……言ってみただけです」
「そんなことより……イチルギ」
カガチに名前を呼ばれ、イチルギが顔を上げる。
「なに? カガチ」
「お前、ラルバから何か聞いているか?」
「いや、まだ特には」
「じゃあアイツを止めろ。あのクソ野郎、次の国でゾウラ様を工作員にするつもりだ」
「……はぁ?」
「お前が止めなきゃ私が止める。アイツの息の根をな。ピガット遺跡で拾った命を豚のクソと一緒に土塊にしてやる」
「はぁ……。でもまあ、いんじゃない? 別に」
カガチがイチルギの喉元に短剣を突き刺そうとするが、イチルギは咄嗟に腕と肩を掴んで防御する。
「殺す」
「聞きなさいよ話を……!!」
イチルギはカガチを突き飛ばし、苛立った様子で大きく溜息を吐く。
「工作員にするってことは、身分を詐称するってことでしょ? スヴァルタスフォードの名前を隠す良い機会じゃない。危険が及ぶようなことなら私がさせないし、ラルバの性格からして美味しいトコは自分で処理するでしょ」
「結果や過程の話じゃない。ゾウラ様に己の悪趣味を押し付けるなと言っている」
「ゾウラ君がその悪趣味に惹かれてラルバについて来たんじゃないのよ……。説得するならラルバや私よりも本人でしょ」
「無理だ」
「じゃあ諦めなさいよ」
「殺す」
「もう聞き分けのない子!!」
〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア正面入り口〜
遺跡の入り口のすぐ隣、遺跡に出入りする者は必ず視界に入れるであろう場所で、トールが石像を彫っている。そこへハイアを連れたメギドが近寄り、小さく声を漏らした。
「へぇ……上手いもんだな。トール個人のセンスか?」
トールは黙って首を振る。本物と見紛う程に精巧なキザンの彫刻、死に際と同じく凛々しくも精悍な表情をしていた。メギドは石像をじっと見つめ、語りかけるように呟く。
「……最初会った時からおかしな奴だったが、今思えばそうでもなかったな」
トールが石像を彫り終え、徐に立ち上がって遺跡の中へと入って行く。メギドはその後ろ姿を見送り、自分も立ち去ろうと踵を返す。
「じゃあな、キザン」
無人になった遺跡の前で、英雄の石像が夕日を反射して勇ましく輝いていた。




