104話 使奴の国
ラプーに真実を聞いてからは、私は泥のような日々を過ごしていた。その間にも我が一匹狼の群れは当初の正義を忘れ、歪曲した勧善の精神は腐った懲悪を言い訳に暴走していった。行き過ぎた懲悪の思想は悪の概念そのものを拡大し、己の曲がった正しさを盲信する理由になった。悪党の処刑という手段は士気を上げる目的へとすり替わり、闘争心は支配欲へと変貌した。私は、その変遷を見届けながらも意見ひとつ言うことはなかった。心のどこかで裁きを待っていたんだ。堕ちて腐ってしまった私を、世界を台無しにした私を、イチルギ達が裁きに来てくれるのを。200年もの間こんな愚か者の我儘に付き合わされて、最後には全てを放り投げられたイチルギ達が恨みを晴らしに来てくれるのを。私は本当に馬鹿だ。イチルギ達がそんなことをする筈はないのに……。
〜一匹狼の群れ〜
そんな中、波導が不自然に揺らぐのを感じた。第二使奴研究の時間壁が解除されたことによるものだった。そこで愚かな私は、第二使奴研究所から脱走してくるであろう使奴をここへ誘い込み、一匹狼の群れを壊滅させる作戦を考えた。イチルギ達に手を汚させないために、名も知らぬ使奴に全ての汚名を被ってもらおうと。
一匹狼の群れの連中はもう誰も私の顔など憶えていなかったから、溶け込むのに苦労はしなかった。ラプーを処刑の予定に組み込み、1人で逃げられるよう国民から除外した。けど、ここでひとつ予想外の出来事があった。
ラルバ。君が、自分から襲撃に来たことだ。
それも使奴研究員の男を連れて。攻撃的な使奴は少なくないが、その殆どは高すぎる戦闘力に物を言わせただけの動物的な暴走に近い。君のように悪意ある謀をする使奴は200年生きてきて初めて見た。そんな君に私はほんの少しだけ君に興味が湧いて、同行者の男であるラデックに話を聞いてみることにした。
「やあ。どうも」
「待った。降参する」
「まだ何も言ってないよ。別に不法侵入を咎めるつもりはない」
「……俺に何か?」
「あの赤い角の使奴の女。彼女は何者だ? 彼女の目的はなんだ?」
「使奴? 使奴を知っているのか?」
「私は使奴の関係者だ」
「……目的か。悪人を虐めたいということ以外は知らない」
「……悪人を虐めたい?」
「最初は使奴として生み出されたことへの復讐だったそうだが、使奴研究員の惨殺が思いの外楽しかったらしい」
「悪人をねぇ……善人も殺すのかい?」
「今のところそれは無い。興味が無いそうだ。俺を生かしておいている理由も、俺には悪人の要素がないかららしい。目的を邪魔されたら殺すのかも知れないが、使奴の行動を邪魔できる存在などそう多くはないだろう。善人にとっては無害だと思う。……彼女を止めたいなら好きにすればいいが、あまりいい結果を期待しないことだ」
ずっと、思っていたことがある。
“ダークヒーローがいればいいのに”と。
名誉を望まず、汚名をものともせず、悪を滅ぼす為なら手段を問わない無秩序の支配者。民衆から崇められる正義のヒーローでは手の届かない闇を、闇の中から正す地獄の番人。私達表の英雄が英雄気取りで終わってしまったのは、この“表からでは手の届かない闇”が問題だった。
外面だけは見栄えのいい偽善の革命者。貧困街の義賊を自称する市民権を得た強盗団。己が創り出した幻想を真実と言い張る陰謀論者。非道徳で非合法、且つ国民の一部に溶け込んでいる反乱分子。これを正義側から道徳的制裁で以って改心させるのは不可能だ。
私達使奴は人類の叡智才知が詰め込まれた、机上の空論を実現する化け物だ。が、あくまで机上に描ける空論しか再現できない。僅かな可能性がないと実現出来ない。イチルギや、メギドや、キザンや、ベルが提案した改善案はどれも“徹底的な排除”一択だった。誰一人として“更生”を選択肢には挙げなかった。馬鹿は死んでも治らない。秩序を乱す馬鹿を切り捨て生み出さないことが唯一の解決策だった。しかし、そんなの英雄が出来ることではない。恵まれた人間は弱者と呼ばれる人間に対して庇護欲を抱く。国民の中にいる“弱者”を切り捨てた日には、国民からの信頼は水泡に帰すことになる。そして再び信頼を得るには、途方もない代償を支払うことになるだろう。だから、その罪と役目を一手に担ってくれるダークヒーローがいればいいと思っていた。
そんな我儘が今、再び私の心で目を覚ました。ラルバなら、やってくれるかも知れない。私が思い描いた都合のいいダークヒーローを演じ切ってくれるかも知れない。
「君の名前は?」
「……ラデック」
「そう、ラデック。君に2つお願いがある」
「何だ?」
「一つは、ここで私と話したことを内緒にしておいて欲しい。そうだな、彼女に尋問された時のためにひとつ真実を作っておこう。君は侵入が見つかったが、目的を諦めれば宝をやると言われて情けなく立ち去った……と言うことにしよう。あの通路を右に行けば宝物庫があるから、この魔袋に入るだけ詰め込んで持っていくといい。罠は全て解除しておくよ」
「もう一つは?」
「彼女を殺さないで欲しい」
「殺す? 俺がラルバをか?」
「君、一撃必殺レベルの異能を持ってるだろう」
「うっ……」
「私と出会った直後の姿勢が”逃げ“じゃなくて”避け“の姿勢だ。咄嗟に首元に手をやったのも、急所を守るためじゃなくて手を伸ばすために肘を曲げたかったんだろう。てことは皮膚の化学的接触が発動条件だ」
「……分かった。だが約束は出来ない。自分の身を守る為の反撃程度は容認して欲しい」
「断る。この約束を反故にしたら、私が必ず君を殺す」
「そんな無茶な……」
「と言うより、これは君の命を守る為でもあるんだよ」
「俺の?」
「使奴は自分に対する殺意、特に実行の意思を持った確実なものなら容易に見抜ける。君がもし彼女を殺そうとすれば、確実にそれより早く返り討ちに遭うだろう。でもこの約束があれば君はどんなことがあっても確実に殺意を抱けない。だって、ラルバを殺したところで結局は私に殺されるんだから。てことは、君がうっかり彼女を殺そうとしてしまうことはなくなるわけだ。彼女の殺害をコソコソ企むなんて魔が差す心配もないし。悪くない約束だと思うけどね」
「……そうか?」
「どっちみち君に決定権はないよ。ほら、分かったらさっさと宝盗んで帰りな。他の連中が来るよ」
そして、ラルバを処刑台に連れて行き、君の殺戮劇を特等席で見守ることにした。君が独善的な勧善懲悪に酔い痴れる英雄気取りなのか。悪の崩壊のみを望む秩序ある反英雄なのかを。
「さーてさて、あのまま糞尿垂れ流しにするのもいいが、せっかくの美形だ。剥製にしようか装飾にしようか……」
「御丁寧にどうも」
君の私を見る眼差しは、間違いなく独善の欠片もない無正義なものだったよ。
「「「殺せ!!!」」」
確かに君のやり口は、とてもじゃないが褒められるものではなかった。けど、私はそんな行儀のいい戦士を求めているわけじゃない。私が欲しいのは……。
「ありがとう! ありがとう救世主様!」
「鬱陶しいから離せ」
「ありがとう! ありがとう!」
「あなたは神様だ!」
「救世主様! 救世主様!」
「私にどうしろと言うのだ……」
善人を犠牲にしない、真っ当な価値観と常識を持ち、悪の破滅のみを望む。法と秩序にとって都合のいい、安全な殺人鬼。
私はすぐさまラプーの元へ走って行き、彼に頼み事をした。
「ラプー……すまないが……本当に申し訳ないが……私の我儘を、聞いてはくれないか……? 今まで数え切れないほどの迷惑をかけてきて、終いには足蹴にするような別れを強いておいて、本当に自分勝手な話だと言うのは分かってる……!! でも、でも私は――――」
「ええだよ」
「…………ラプー。本当に、本当にこれで最後にする。イチルギと2人で、ラルバと共に歩んでやって欲しい。そして、イチルギを……支えてやってくれ……。こんな馬鹿な私について来てくれた、信じてくれた彼女の望みを……どうか、叶えてやって欲しい」
一度は枯れて腐った私の夢が、他人の舞台で再び芽吹き始めた。
〜世界ギルド【境界の門】〜
それからすぐにイチルギの元へ向かった。先にラプーを説得するなんて、我ながら情けないズルをしたと思う。
「数十年ぶりに顔を見せにきたと思ったら……殺人鬼の世話なんて無理に決まってるでしょ!」
「頼むイチルギ。彼女について行ってくれ」
「無理だし嫌よ。それに、そんな得体の知れない輩に裏の掃除屋をやらせるなら私がやるわ。私でなくとも、アンタの頼みならキザンが喜んでやるでしょ」
「あの子には絶対に任せられない!! そんな汚れ役……頼める筈がない」
「そんな汚れ役を見ず知らずの使奴に押し付ける方を恥じなさい。第一、上手くいかなかったらゴメンじゃ済まないのよ」
「きっと上手く行く。上手く行かせて見せる。ラプーも承諾してくれた」
「アンタ……ラプーを巻き込んだの!?」
「これで本当に最後だ」
「ふざけないでヴァルガン!!! アンタ……彼になんて馬鹿なことを……!!!」
「だからイチルギ。君がラプーの側で手伝ってやってくれ。そして、彼を守ってやってくれ」
「ヴァルガン……!!!」
「頼む」
「…………もし、もし今回の判断でラプーが苦しむことになったら、一生アンタを恨むわよ」
「分かってる」
〜クザン村〜
ハピネスという人物が君達の仲間になったのは、私としても少し予想外だった。そこで私の尾行を明かされないように、彼女には少し黙っていてもらう必要があった。
「では私はお夕飯を持ってきますね……。主人が作っておいてくれたそうです……。少し待っていてください……」
「おかえり」
「あっれぇルギルギいつ帰ってたの?」
「ハピネス。ちょっと」
「えっ? イチルギ? ちょ、ちょっと待ってくれ」
「別に何もしないわよ」
イチルギにハピネスを外へ連れ出してもらい、彼女を脅した。
「どうも、ハピネス・レッセンベルク」
「ど……どうも……? えーと……貴方は……」
「私を知らないのも無理はない。君の異能は“私の異能の対象外”だ。だから、君はこのまま何も知らないでいてくれ」
「それは……一体どういう――――」
「私の存在をラルバに喋らないと約束をして欲しい」
「はぁ……約束?」
「破ったら……それはその時に考えよう。君は明確な脅しを単なる対価と割り切ってしまうだろうから」
「……はぁ」
「じゃ、頼んだよ。くれぐれも賢い選択を」
こんな忠告、彼女にとっては何の意味もないだろうが、幸いにも彼女の好奇心が邪魔することはなかった。
〜人道主義自己防衛軍〜
「やあ、ベル。久しぶりだね」
「ヴァルガン……。イチルギがトチ狂った事をしていると思ったら……やはりお前の仕業か」
「そんな怖い顔しないでよ。まだそんなに悪いこと言ってないだろう?」
「これから言うだろう」
「まあ、それは、そうだね。今度“ウォーリアーズ”のみんなを集めて少し話し合いをしようと思って。そこに参加して欲しいんだ」
「……その名前を聞くのは久しぶりだな」
“ウォーリアーズ”。私がイチルギ達と旅をしていた時の団体名だ。我ながら恥ずかしい名前をつけたもんだ。
それから程なくして、全員ではないが嘗てのメンバーが集まった。そこで私は皆に“ラルバを都合のいいダークヒーローとして運用する”案を皆に提示した。しかし、それに強く反発したのがキザンとメギドだ。
「何スか。何なんスか。意味分かんないっス。そんな嫌われ役、ウチが十二分にこなして見せますよ。ウチの何が不満なんスか、ヴァルガンさん」
「全くの同感だ、ヴァルガン。ここに居る全員、アンタについて来ただけであって、世界平和を望んでるんじゃない。何より、先頭を歩くのがアンタじゃないのなら、私らがついて行く理由はない」
2人の言うことは最もだ。そして、2人が意を唱えることは分かっていた。だから、私は更に提案をした。
「なら、ラルバを殺せばいい。私の信じるダークヒーロー候補がいなくなれば、君達に代役をお願いしよう」
「え? 殺していいんスか?」
「まあ、それなりの代償は背負ってもらうが」
「気にしないっス。そんなら話が早いっス」
意外にも、これにキザンはあっさりと承諾した。しかし、メギドからは別の文句が出てきた。
「ヴァルガン。アンタの目的ってのは本当にそれだけか? ラルバとかいう使奴を抜擢したのはまだしも、そのお供にそこら辺の有象無象をくっつける理由が分からねぇ。何度でも言うが、私はアンタらと違って“未洗脳個体”だ。記憶のメインギアによる知識の植え付けも、洗脳のメインギアによる強化もされていない。何か考えがあるならちゃんと言葉にしてくれ」
この“有象無象”という言葉が、ベルの逆鱗に触れた。
「聞き捨てならないなメギド。今、私の部下を有象無象に含めたか?」
「有象無象だろうが、ベル。どんだけ伸ばしても人間は人間。私ら使奴には遠く及ばない」
「ジャハルは人道主義自己防衛軍の中でも極めて優れた軍人だ。ヴァルガンの期待に応えられるだけの力が、彼女にはある。それを知った口で失敗作如きが語るな」
「子煩悩も大概にしろよ親鼠。人間がどうやって使奴を超えるってんだ」
「使奴は超えられんでも、お前のような失敗作であれば充分匹敵するだろうな」
「だったら私はそのガキを殺してやろうか」
「出来もしないことを声高に囀るな」
「後で“愛しい我が子を殺された”って泣くんじゃねぇぞ」
意外にも、皆は私を支持しているからこその反論を提示してくれた。それはとても嬉しかったが、まさかここまでの大合戦になるとは思っていなかった。そうして、私達の物語が再び回り出したんだ。今度こそ、秩序ある正義の国を創り上げてみせると――――
〜ピガット・ウロボトリア遺跡入り口〜
「これが……私の知る全て。【使奴の国】の全貌だ。ラルバ。君達の旅は“自由気儘な悪党惨殺ツアー”なんかじゃなくて、私達落ちぶれた英雄気取りによる“後釜オーディション”だったんだよ」
ラルバは黙ったままヴァルガンを睨み続けている。しかし、その眼差しには既に怒りの色は見られない。代わりにあるのは、ヴァルガンに対する軽蔑の念だった。
「……怒らせてしまったかな?」
「怒る? 私が? 今の話で?」
「それとも退屈だったかな? 何だか眠たそうにしているが……」
「眠たい話ではあったな。結局、私には何の関係もない話だ。お前らが勝手に私に期待して、あーだこーだ勝手に議論して揉め合って。そんなの知ったことではない」
ヴァルガンは目を閉じて溜息を吐く。
「それはすまないことをしたね……。でも良かった。君が仲間を害されて怒りに支配されていたとしたら、もっと大変なことになっていただろうし」
「当然苛つきはしている。が、それ以上に呆れている。よくもまあ正常な価値観を持っておきながらここまで狂えたもんだ。狂人の真似とて何とやら……お前は立派な気狂いだよ。一生海の底で寝ていろ」
ラルバはヴァルガンに首を切るジェスチャーをして背を向けて歩き出す。
「時間を無駄にした……。何とつまらない話だ。お前らの過去も今も希望も諍も、私には何の関係もない。そんな与太話を長々と聞かされる身にもなれ」
「どうこうして欲しいということはない。ただ……そうだね。今まで通りでいてくれれば」
「黙れ。もうこれ以上話しかけるな。バリア、全てが終わったら呼びに来い。それまで暇を潰してる」
「わかった」
この上なく不機嫌なままその場を立ち去るラルバに、ヴァルガンはどこか虚なままの笑顔で呼びかける」
「君が自由気儘に振る舞えば、この世は私の望む世界に近づいていく。もし君が正義に仇なす悪党に成り下がった時は、またその時に考えよう」
一人集団から離れていくラルバの背中を見送ると、ヴァルガンは空気を切り替えるように大きく手を打ち鳴らす。
「まっ、結局のところ今はまだどうするもこうするも無いわけだ! 辛気臭い話は終わり! 折角嘗ての仲間と未来を担う仲間が集まったんだ。仲直りの意味も含めて、宴会でもしようじゃないか。ラプー! イチルギ! 手伝ってくれ!」
今までの物悲しさを吹き飛ばすかの如く、ヴァルガンは明るく振る舞って見せた。イチルギは一回だけラプーに目を合わせた後、大きく溜息を吐いてラデック達の方を向く。
「……まあ、みんなお腹が減ってるのは確かでしょ。食欲ないかもしれないけど、形だけでも付き合って頂戴」
殆どの人間が重苦しい表情を保ったままイチルギについていく中、ヴァルガンはラデックに顔を寄せて微笑みかける。
「さて、取り敢えず……約束を守ってくれてありがとう。お陰でラルバという人物をよく知ることが出来た」
「出来ていないぞ」
「ほう?」
ラデックは若干不機嫌そうにヴァルガンを睨む。
「ラルバはダークヒーローにはならない。他を当たれ」
「……ははぁ。そう言うことか。わかった。もし君の言う通り、彼女が私の望まぬ未来を歩んだならば潔く諦めるとしよう。だが……」
ヴァルガンはラデックに耳打ちをする。
「もし何か気が変わったならば”狼の群れ“を訪ねてくれ。そこで、ラルバ諸共君達を試してやる」
「試す?」
「まだキザン達以外にも、君達の参戦を快く思わない連中がいる。彼女達との戦いを、最後の試練としよう」
「結構だ」
「気が変わったらでいいさ。この物語の結末で待ってるよ」




