102話 優秀なお人形さん
〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜
「――――――――っはあ!! はあっ!! はぁっ!!」
ジャハルは顔面蒼白になりながら大きく息をする。薄暗い遺跡の内部。崩れ落ちた瓦礫が足元に広がり、壁に開いた巨大な風穴からは快晴の砂丘が覗いている。思わず胸に左手を当て、自分が五体満足であることに気が付いた。
「や、やって……しまった。ああ……!! ハピネス……!!!」
目の前には血塗れで倒れるメギドと、恨めしげにこちらを見つめるハイアの姿。近くにいるのはこの2人のみであり、もう肌にハピネスの気配は感じない。ジャハルは後悔と絶望と自己嫌悪の波に揉みくちゃにされながらも、目の前の使奴2人を警戒して身構える。しかし、彼女に最早戦う意志など残っておらず、この戦闘態勢は訓練で染み付いた教えに従っているだけであった。その間にもメギドは回復魔法を発動させ、自らの力で立ち上がれるほどに回復してしまっていた。
「おはようございますメギドちゃん。これで2連敗ですね」
「うっ……せぇ……」
「にしても……“入れ替えた“のですね。ジャハルちゃん。どこで気が付きました?」
ハイアがジャハルを睨みつけながら問い掛ける。
「き、気が……付いた……?」
「……その反応じゃ、教えてもらったのですね。 あのメクラちゃんに」
ハイアの”メクラちゃん“という発言にジャハルは身を強張らせる。ハピネスの存在が知られている。襲ってきた使奴が自分達の面子を把握している。当然と言えば当然なのだが、ジャハルはまさか今このタイミングで共闘していることを見破られるとは思っておらず、更に言えば協力者を特定されることはないと高をくくっていた。
ハイアの能力は“夢“の異能である。対象者に自らが作った幻覚を見せる操作系の異能。一般的な幻覚魔法と違う点は大きく分けて3つ。幻覚の内容を術者が細かく設定できる点。異能による症状のため魔法では太刀打ち出来ない点。そして、内容次第では凶悪な“ノセボ効果”を引き起こす点である。
ハイアの異能が見せる夢は、対象者は疑うことは出来ても確信を持って幻覚であると気付けないという特徴がある。そのため、異能による対抗若しくは幻覚外の他者から何かしらのヒントを貰わない限り、本人にとってその幻覚こそが現実のように思えてしまう。故に、もし幻覚内で死亡してしまった場合。本人はそれが本物の死であると錯覚し、思い込みによって自らの肉体を死に至らしめてしまう。
ハピネスはジャハルが何かしらの術にかかっていると推測し、もしジャハルに異能を使用できる意志があれば自分を捌け口として使えるよう合図を送り続けていた。
「もしかして、本当に誰かを殺してでも生き残りたいなんて思っちゃったりしたのですか?」
「そんなわけ――――!!! わ、私はただ……“おかしい”と思っただけだ……!!」
「おかしい?」
「どうやって私を空に運んだのかは分からない……でも実際私は空にいた……。だが、もしそうなら“ハピネスが異能で私について来れる筈がない”……!!! 彼女は、どうやって私の居場所を特定し、駆けつけて来れたのか……。それを、おかしいと思った……。なら、疑うべきは彼女ではなく……私だ」
「ははぁ……狂ってますね。流石は笑顔による文明保安教会の国王。お飾りとは言え、笑顔の七人衆に囲まれて育っただけありますね」
ハイアは蔑むような視線でジャハルを睨みながら、小さく溜息を吐いた。
「ベルちゃんといいハピネスちゃんといい……。随分と“お人形さんごっこ”がお上手」
「…………お人形さん……ごっこ?」
ジャハルは体の震えを止めて呟く。
「お人形さんじゃないですか。あれこれ着せてもらって持たせてもらって、裏にいる人の思い通りに動く優秀なお人形さん」
そう言って、ハイアはジャハルを殺そうと土魔法を発動する。ハイアの周囲から白い大太刀が4本召喚され、ジャハルへと斬りかかる。
「そうか。お前には”そう“見えるのか。ならば……」
ジャハルは確信した。この勝負――――
「私達の勝ちだ」
ジャハルは胸の前で両手の指を組み合わせる。そこへ大太刀の濡れたように煌めく刃が食い込み、ジャハルの肩から脇腹にかけてを切断した。その直後、景色が”タイルがひっくり返るように“変貌し、薄暗い遺跡と青空の砂丘を”血塗れの医務室“へと塗り替えていく。
「な――――!?」
ハイアは目を見開いて驚く。虚構拡張には予備動作が必要であり、予備動作無しでの拡張を使奴以外が行っているところを、ハイアは見たことがなかった。そして何より、ハイアはジャハルが虚構拡張を使わないと踏んでいた。
虚構拡張とは、異能の支配領域を体内から体外へと放出することによって発生する結界の一種とされている。この結界は物体は疎か電磁波、波導をも遮断する。この内外で通じるのは重力や遠心力などの限られた力だけであり、異能による影響をも遮断することが出来る。つまり、虚構拡張を発動した時点でハピネスのような本体と繋がっている思念体は虚構拡張の外へ追い出されることになる。
これにより、ジャハルはハイアとメギドの2人を同時に単独で相手取ったことになる。幾ら手負いとはいえ、鮫の泳ぐ水槽に自ら飛び込むが如き馬鹿げた自殺行為。ハイアはその理由を推理し、答えに辿り着いた。ジャハルが虚構拡張を発動した狙い。目の前で胴体を両断されて尚、敗北の色すら見せない眼差しの理由。使奴の想定をも掻い潜った、余りにも細過ぎる勝ち筋。
ハイアは初撃でジャハルの頭蓋を両断しなかったことを後悔しながら、指先へと波導を集中させる。放たれた4本の大太刀のうち、2本目の軌道が僅かに逸れてジャハルの頭部へと斬りかかるが、刃は頬骨までしか届かず脳味噌へは達しない。続けて3本目の大太刀がジャハルの頭蓋へ迫る。しかし、この瞬き一つ出来ないほど短い刹那の時間は、ジャハルにとって余りにも十分すぎる時間だった。
3本目の大太刀が触れる寸前、ジャハルが異能を発動させた。
ジャハルの虚構拡張による異能の変化は、発動条件の緩和。肌を直接触れ合わせることなく、遠隔での負荷交換を可能とする。
虚構拡張の広さは、ジャハルを中心にして半径100m前後。
その内側にいるのは、ジャハル。メギド。ハイア。そして――――
ジャハルの致命傷を引き継ぎ、絶命寸前の身体で這いずって来たハピネスの計4人。
「メギドちゃん――――」
ハイアはハピネスと負荷を交換され、左半身から血飛沫を上げて地面へと倒れ込む。メギドもジャハルと負荷を交換され上体が切断される。使奴は如何なる物理的破損を受けても死亡はしない。しかし、問題は魔力と体力。枯れ果てた魔力と、指一本動かすのも難しい疲労感。本来使奴という存在が決して味わうことのない種類の苦痛。これらは幾ら無敵の使奴といえど、すぐに起き上がれるような負荷ではなかった。
やった。やったぞ。ハピネス。私は、今度こそ使奴に勝ったんだ――――
そこでジャハルの意識は途切れた。
〜ピガット・ウロボトリア遺跡 中層〜
「あ、起きた」
暗闇の中からジャハルがハッとして飛び起きると、目の前で5段アイスを食べているバリアと目があった。
「おはよう」
「……バリア?」
ジャハルは混乱しながら周囲を見渡す。静かな遺跡の一室。そこで無造作に敷かれた毛皮の上に寝かされていたことに気がついた。そして、周囲には心配そうにこちらを見つめるイチルギや、シスター、ナハルの姿。そして隣に横たわっているハピネス。自分達があの境地を脱したことに安堵したジャハルは、大きく溜め息を吐いて項垂れる。
「っはぁ〜……!! よかった……。無事だったか……ハピネス……」
「死んでるよ」
「えっ」
「嘘だよ」
「……バリア。そういう嘘は言ってはいけない……」
ジャハルがバリアの肩に手を置くと、バリアは無言でジャハルの口元に食べかけのアイスを押し付ける。
「いや、今はいい……いいってば」
そこへ1人の人影が接近し、ジャハルの真横にどかっと腰掛ける。それは、トレンチコートを着た灰亜種の使奴。メギドだった。
「なっ……貴様っ……!!」
「そう身構えんな。もう戦う気はねーよ」
そう言ってメギドは手を差し出す。
「使奴の失敗作。灰亜種のメギドだ」
「……人道主義自己防衛軍。”クサリ“総指揮官。ジャハル……」
「宜しく。負け惜しみっぽく聞こえるかも知れねーけど、もうああいうことすんなよ」
「ああいうこと?」
「多分恐らくで腕切り刻んだりすんなってことだ。ベルの野郎が折角くれた生き延びる術を、無下に扱うなって言ってやってんだよ。ベルもフラムも、そんなイカれた自己満足の為にお前らを強くしたわけじゃねーんだ」
「フラム様に会ったことがあるのか!?」
「その話はまた今度な。ハイア」
メギドが後ろを向いて手招きをすると、部屋の隅からメイド服を着た灰亜種、ハイアがこちらへと歩いて来た。
「どうも、灰亜種のハイアです。ジャハルちゃん。怪我の具合は如何ですか?」
「……怪我?」
「覚えていないのですね。ジャハルちゃん、異能を使った直後に私の魔法でズタズタにされたのですよ。土魔法の刀は4本あったでしょう?」
ジャハルはハッとして自分の体を見る。服はいつの間にか脱がされていて、全身にはミイラのように包帯が巻かれていた。
「もう治ってますよ。どういう風の吹き回しか知らないのですけど、トールちゃんまで治療に参加してくれましたし。珍しいこともあるものですね」
「……貴方達の目的は何だ?」
「先に私から質問させて下さい。ジャハルちゃん、どうして虚構拡張を張ったのですか?」
「…………生き残るためには、他に手はあるまい」
「質問の仕方が悪かったですね。どうしてハピネスちゃんが虚構拡張の範囲内にいるって分かったのですか? あの時ハピネスちゃんはジャハルちゃんの大怪我を移されたばっかりでしたよね。普通、そんな死にかけの人間が自分の方へ近づいてきてるなんて――――」
「貴方の失言が原因だ」
「……失言?」
「私のことを”お人形さん“と揶揄しただろう」
「…………そうですね」
「あれを悪口として扱うってことは、恐らく貴方は”優秀じゃない“。厳密に言えば、”使奴に匹敵する頭脳を持っていない“と判断した。だから、ハピネスが命懸けで私の方へ近づいてきていると想定しないと踏んだんだ」
「頭のいい使奴だったらどう考えるんですか?」
「私がベル様に言われたことはただ一つ。如何に“言いなり”になれるか。それだけだ。ならば逆も然り。使奴は私を見たら、その後ろにベル様の影を見る筈だ。戦うべきは私ではなく、その背後にいるベル様になる。私が”優秀なお人形“であることは、言うまでもない大前提だ。それを挑発に使った時点で、貴方の発想力は使奴に遠く及ばないと思った」
「……早い話が、舐められたのですね。私」
「ハピネスの件も同じだ。彼女の狂気は確かに人間離れしたものだが、彼女の奇行を使奴が推測出来ないとは言い難い。逆に、使奴程の性能がなければハピネスの策を見破るのは困難を極めるだろう。だから貴方達は策に嵌った。そして未だに疑問が残っているんだ」
「もしハピネスちゃんが虚構拡張の範囲内にいなかった場合は?」
「言っただろう。私は“優秀なお人形さん”だ。ハピネスならば、私が想像する範囲で最良の答えを選んでいる。ハピネスが近くにいなかった場合の選択肢は、どれも最良とは言い難い」
「はぁ……納得出来ませんね。これも使奴なら納得出来たりするのですか?」
「恐らくな……。さて、次は私の番だ。貴方達の目的を聞かせてもらおう」
「その質問には後で全部答えます。歩けるようになったらハピネスちゃんと一緒に外へ来てくださいね」
そう告げるとハイアはメギドと共に部屋を出ていった。
「……おかしな使奴だ。イチルギ、貴方は今回の件について何か知っているか?」
「ええ。知ってるわよ」
イチルギは静かに目を伏せて頷く。
「と、言うより。私が計画したと言っても過言じゃないわ」
「なっ――――なんだと……!? 一体どういう――――」
「ジャハル君」
隣から割り込んで来た声。そこにはハピネスが寝たまま薄目を開けてこちらを見つめていた。
「ハイアが後でって言っていただろう?」
「ハピネス! 気がついたか……!」
「ジャハル君頑張ったねぇ。いやあ九死に一生を得るとはまさにこの事。肝が冷えたよ」
「はっ……何を言うか。あんな窮地ですら“皮算用”をしていた癖に」
「言いがかりだ。そんな余裕あるものかね」
「言いがかりなものか。お前は私を命懸けで助けることで、“私という人間に恩を売りつけた“。私が恩を決して忘れない真人間であるのをいいことに、今後絶対に自分を裏切らない手駒を見事手中に収めた。これが狙いだったのだろう? ま、その企みのお陰で私も“ハピネスの底”を知ることができたわけだが……」
「そんな筈ないじゃないか。人の親切を疑うなんて、良くないよジャハル君」
「お前がタダで命を張るわけがないんだ。人生を種銭としか見ていない奴が、こんなつまらないところで命を捨てたりするものか」
「酷い言われようだ」
「それだけじゃない。私と使奴を戦わせることで、私の異能の性質を探ろうとしたな?」
「まさか」
「誤魔化しても無駄だ……、ご覧の通りだよ。私の負荷交換は“私が負荷と認識している部分しか交換できない”。しかもこれは強制だ。だから幾ら使奴の不具合とは言え、無限の魔力を生み出す使奴細胞を見た目が悪いと言うだけで負荷と見做すことは出来なかったし、黒痣も移ることはなかった。負荷という概念は人それぞれだからな。低身長や高体重を負荷と捉える者もいれば逆もある。顔の作りや髪の色、性別や性格だってその範疇だ。私の負荷交換という異能は、私の寛容さによって大きな弱体化をしている」
ハピネスは少し驚いたような顔で沈黙した後、穏やかに微笑んで目を閉じる。
「……君が浅学非才な変人じゃなくて良かったよ。寿命や頭脳まで入れ替えられちゃあ堪ったもんじゃないからね」
「ああ、安心しろ。私は自分がある程度優秀なことを自覚しているし自負もしている。ただ過信するなよ。お前が非人道的な振る舞いをするならば、命の恩など簡単に忘れてやる」
「上手く騙すに決まってるだろう。君に計られるほど、私も盲目じゃないんでね。さ、もう少し休んだら外へ行こう。バリア、ジャハル君の魔袋からビール出して。ついでに冷やしてくれると嬉しいな」
「ん」
「お前っ……私のバッグに勝手に物を入れるな!!」
「その分盗ってるから問題ない。そんなことより、ほら」
ハピネスはバリアからビール瓶を2本受け取り、1本をジャハルへと差し出す。
「……せめてコップに注いだらどうだ」
ジャハルは苦笑いをして受け取る。
「酒ってのは下品に飲む方が美味しいんだよ。乾杯」
「……乾杯」




