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シドの国  作者: ×90
ピガット遺跡

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99話 灰亜種

 トールが虚構拡張を展開する数分前――――


〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡入り口〜


 遺跡の出口付近でジャハルは1人の使奴に引き留められていた。


「私に何か御用ですか……?」

「……………………」

「……?」


 低めの背丈に白髪と真っ黒な白目に赤い瞳。扇状に広がる短い癖っ毛に額の黒痣と小さな身体に不釣り合いな大きな胸。黒を基調にしたメイド服に身を包んだ彼女は、“ある一部分”を除いて他の使奴と大きな違いは無いように見えた。


 彼女の外見で最も目を引いたのは、その“灰色の肌”だった。


 丁度黒と白の間、人間では、そして使奴でもあり得ない色。その異質な姿でジャハルの袖を掴み微動だにせず、猫を見る赤ん坊のように真顔のままジャハルの顔をじっと見つめている。


「あの……、離していただけますか?」

「……………………」

「えっと……」


 ジャハルの問い掛けにも一切の反応がない。置物のような彼女の振る舞いに、ジャハルはどこかバリアの面影を重ねながら困惑していた。


「どうしたものか……」


 しかし、ジャハルには特に急ぐ用事もなく、ラルバ達が暢気(のんき)に観光を続けイチルギ達もこちらへ向かっているという安堵感からか、ただただ無為に時間を過ごしてしまった。すると、無作為に景色をなぞっていた視界の端にもう1人の人物を捉えた。


 灰色の肌に白い長髪。気怠そうな目には黒い白目と赤い瞳。右目の上には黒く歪な角が一本生えている。赤みがかった黒いトレンチコートに身を包んだ使奴は、不機嫌そうにジャハルの方へと歩いてきていた。


 珍しい灰色の肌を持つ使奴が立て続けに現れたことに、ジャハルが反応しようと手を上げかけた瞬間。


「え――――――――」


 一瞬で間合いを詰めたトレンチコーオの使奴が、ジャハルの腹部に貫手(ぬきて)を突き刺した。


「まず1人……あ?」


 トレンチコートの使奴は指先の違和感に眉を(ひそ)める。それと同時にジャハルは懐から“スモークグレネード“を取り出し、足元へと転がした。噴き出した煙は灰色の肌の使奴2人とジャハルを(たちま)ち覆い隠し、煙幕は”突風にも揺らぐことなく“その場に広がった。何も見えなくなった煙幕の中で、トレンチコートの使奴は舌打ちをして目を細める。


「クソッ。”ベル“の異能か。メンドクセー……」


 隣の背の低いメイド服の使奴がトレンチコートの使奴を見上げる。


「メギドちゃん。追いかけなくていいのですか?」


 メギドと呼ばれた使奴は、メイド服の使奴に目を向ける。


「出来たらやってる。メンドクセーけど、“後半戦”に備えて変なミスはしたくない」

「メギドちゃん。いっつもそんなこんなで何も出来ないのですよね」

「うっせ。手伝って貰って悪かったな”ハイア“。こっからは1人でいい。どっか行ってろ」

「見学します」

「はぁ……。手は出すなよ」

「恐らく」


〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜


「はぁっ!! はぁっ!! はぁっ!! はぁっ!!」


 煙幕の中を全力で走り抜けたジャハルは、遺跡の小部屋に身を隠して必死に呼吸を落ち着かせる。“ベル”の道具強化の異能が施されたチェインメイルとスモークグレネードは辛うじてジャハルの命を繋いだが、それでも貫手の衝撃までは緩和出来ず内臓に大きなダメージを負っていた。ジャハルはそれを回復魔法で必死に治癒をしつつ、自分の置かれた状況の理解を(なか)ば放棄しつつあった。


 使奴2人に襲撃されたこと。今すぐ連絡の取れる使奴がいないこと。襲撃の瞬間に聞こえた「まずは1人」という言葉から、ハザクラ達も標的に入っているということ。逃亡は失敗に終わるだろう。戦って勝つなど(もっ)ての(ほか)。時間稼ぎも姑息な悪足掻(わるあが)きに過ぎない。膨大に与えられている筈の選択肢が、全て行き止まりである恐怖。視界は筒を覗いているかのように狭まり、甲高い耳鳴りだけが頭に響いている。ジャハルはこの絶望の中、静かに発狂して天を仰ぐ。


「……我らは、人道主義自己防衛軍」


 そして、訓練生時代に幾度となく言わされた言葉を呟く。


「敗北を恐れよ。死を恐れよ。正義心を飼い慣らし、人道主義から己を守れ」


 全身から(おぞ)ましい熱が引いていく。視界が開け、風の音が再び鼓膜を揺らし始める。


 人道主義自己防衛軍の国民は皆、正義感が強く利他的である。しかし、その際限ない善性は暴走しやすく、自己犠牲を手段の一つと割り切る傾向にある。死を受け入れ、逃亡を悪と見做し、次第に自分達の思想と善を混同し始める。そして、もし自分の守るべきものに避けられない不幸が訪れた時、為すべきことを奪われた正義心は最も容易く壊れてしまう。絶望の淵で己を呪い、僅かな可能性さえ見えなくなってしまう。国民の行く末を危惧した人道主義自己防衛軍創始者“フラム・バルキュリアス”が遺した言葉は、半世紀もの時を超えて、ジャハルの崩壊しかけた心を強く繋ぎ止めた。


 ジャハルは透き通った瞳を前に向け、大きく深呼吸をする。


 敵は2人。それも使奴。手元にあるのは、ベル総統の異能で強化された物品が少し。生き延びるには、戦うしかない。結果と可能性は考えない。今自分が出来ることに、全力を尽くすのみ。


 彼女は震えの止まった足で堂々と一歩を踏み出す。そんなジャハルの指先に不思議な感覚が纏わりついた。


「……? これは……」


 ジャハルの異能は自分と他者を対象にした”負荷の交換“である。そして自分と誰かを対象に取る以上、自分と”誰か“の存在を把握することが出来る。これは、ジャハル自身も知らない能力だった。何せ、接触が発動条件の異能で”肌が誰かに触れているかどうか分からない“なんて事態は、今まで一度たりとも起こらなかった。今、この瞬間を除いて。




〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡中層〜


「さて……トールさん。失礼を承知でお聞きしますが、もしかして貴方は……研究所で“トールクロス被験体”として扱われていませんでしたか?」


 トールは微笑んだまま動かない。


 ハザクラがトールと話している間、ハピネスは何も映らない目玉をぎょろぎょろと動かして辺りを眺める素振りをする。キザンについて行ったラルバを異能で尾行しつつ、耳だけを半分ハザクラの言葉に傾けている。


「しかし……貴方は今こうして生きている。200年前の俺の解放宣言を聞いていた……当時使奴研究施設にいた……」


 ハザクラの話が不穏な方向に進んで行くと、ハピネスはトールを警戒してその場から離れる。外の景色が見える迫り出した出窓に近づき、その身を窓の淵へと預ける。その際に外へ転がった小石が、遺跡の急勾配の外壁にぶつかりながら砕けて落下して行く。ここが地上十数mの高所であることを余計に強調するような描写を見ずに済んだのは、ハピネスにとって不幸中の幸いだったかも知れない。


「……リサイクルモデル?」


 ラデックの呟きに、ハピネスは身体を(こわば)らせた。丁度そのタイミングで、異能で見ていたラルバとキザンが同時に後ろを振り返ったのだ。何か恐ろしいことが起こる。そんな気がしたハピネスは、窓の淵に手を掛けて身体を外へ放り出した。


「ハザクラ!! 逃げ――――」


 ラデックの叫びが途中で途切れる。彼女は魔袋(またい)から”クローク“を取り出し、急な角度がついた遺跡の外壁を転がり落ちる。全身が岩壁で擦り剥け激痛に襲われる中、ハピネスは何とかクロークを全身に(まと)い芋虫のような格好になった。彼女はそのまま地面へと激突し、激痛に身を(よじ)る。擦り剥け血塗れになった手で魔袋に手を突っ込み、ラデックから受け取った”ラルバの血“をひと息に(あお)って回復魔法を発動させた。


「痛たたたた……。こ、こんなことなら、もうちょっとイイ杖を持ってくるんだった……」


 ハピネスは自国の露店で買った安物の杖を握り締めながら回復魔法の詠唱を続ける。そして異能をラルバ達から自分へと戻し、周囲の状況を観察した。今ハピネスがいるのは外壁の一部が崩落して出来た瓦礫(がれき)の中のようで、幸いにもイチルギ達がピガット村から来れば発見してもらえそうな位置であった。そして、より詳しく周辺を見ようと視点を上空へと持ち上げると、遺跡から少し離れた所に1人の人物が見えた。ハピネスがその人物の元へ異能を操作し近寄ると、それは”トレンチコートを着た灰色の肌の使奴“だった。


「……何だっけ。確か……”灰亜種(はいあしゅ)“だったかな?」


 ハピネスは(おぼろ)げな記憶を頼りに、何とかラデックとの会話を思い出す。




〜なんでも人形ラボラトリー ホテル「ラッキーストロベリィ」〜


「――――まあ突然変異みたいなものでな。“灰亜種(はいあしゅ)”って名称で扱われていた」

「ふぅん」


 連れ込み宿特有の広い風呂場で、ハピネスはラデックに頭を洗わせながら適当に相槌を打っている。一面パステルカラーの浴室、七色に発光するバブルバス、その他決して一般家庭には必要のない諸々の品々、そして若い男女が2人。が、当然何かが起きる筈もなく、一般家庭には必要のない品々は早々に隅へと片付けられてしまっていた。


「俺は見たことないが、使奴の黒痣(くろあざ)が原因らしい。使奴は怪我した所が黒く変色する特性がある。しかし、紅皮症(こうひしょう)などの肌の病気を先天的に抱えていた使奴は、肌の表層のみが黒く変色する。灰色に見えてしまうんだ。シャンプー流すからもう少し上を向け」

「生え際は優しくね。確か、黒痣自体が使奴の不具合だったよね?」

「そうだ。使奴細胞が高速で修復されると、細胞内の波導が抜け切る前に修復が完了してしまう。結果、行き場のなくなった魔力の残りカスが変色して黒く見えるんだ」

「冷凍庫で氷作ると白く見えるのと似てるね」

「ゆっくり修復すれば軽減される点も似ている。ハピネスは見たことないのか?」

「無いね。そんなオモシロ見つけたら、もっと早く君に聞いて――――痛い痛い!! 生え際はもっと優しく洗いなさい!! こっちは火傷してるんだよ!?」


 ハピネスは身を捩ってラデックの脇腹に肘打ちを入れる。


我儘(わがまま)言うなら使奴に治してもらえばよかっただろう……。それとも、今俺がやってやろうか?」

「この傷も盲目も治さない。これは(いまし)めだ」

「じゃあ文句言わないでくれ……」

「文句は言う」

「じゃあ治せ」

「嫌。ほら、次は体」

「それは流石に自分で洗え」


 ラデックはハピネスに泡立てたタオルだけを手渡し、隣で自分の体を洗い始める。


「えーっ!? 見えないのに!?」

「火傷してるとこ重点的に磨いてやろうか」

「意地悪!!」

「お前程意地の悪い奴もいないだろう……」


 ハピネスはムスッとしたまま体を洗い始める。


「で。その灰亜種(はいあしゅ)と普通の使奴。性能差はあるの?」

「ない。強いて言うならば、記憶の植え付け前に灰亜種(はいあしゅ)として扱われるが故に、ハザクラから受けた命令の内容や植え付けられた記憶が根本から異なっている場合はあるかも知れない。もしこの今の世に灰亜種(はいあしゅ)がいるならば、高確率で使奴部隊所属と考えた方がいいだろう。無論、値下がりした不良品を購入した客もいるかも知れないが、数が少なすぎる。考えるだけ無駄だ」

「ラデック君ラデック君」

「なんだ?」

「おっぱい」


 ハピネスが泡を胸につけて遊んでいた。


「…………巨乳にして欲しいとかいう改造依頼は断るぞ」

「出来ないの?」

「やりたくない」

「貧乳派?」

「やりたくない」




〜ピガット遺跡 ピガット・ウロボトリア遺跡下層〜


「……使奴部隊ね」


 使奴部隊――――

 何らかの理由で使奴として扱えなくなった、所謂(いわゆる)不良品で構成された5つの部隊。バリアのように異能による都合で性行為が不可能である場合や、変色、自動反撃、認識阻害などの異能者等。生産段階で“初期不良”とされた使奴が送られることが多く、それは当然“灰亜種(はいあしゅ)”にも該当する。対使奴用の戦術を持っていたり、使奴部隊員同士で面識があったりする他は一般的な使奴との違いは無いが、ハザクラの解放宣言より前に自分が使奴であることを自覚していたため、通常の使奴とは異なる思想を持っていることが多い。


 ハピネスがトレンチコートの使奴を観察していると、真っ直ぐ自分のいる方向へ歩いているのが分かった。ハピネスは一瞬背筋を凍らせるも、一度中断しかけた回復魔法の詠唱を止めることはなかった。


 健康な人間からは常に波導が放出されている。そして、魔法を使えばそれはより強いものとなる。波導を察知する能力、“念覚(ねんかく)”が獣以上に鋭い使奴にとってそれは壁越しにも伝わってしまう程(やかま)しく、距離がそう離れていなければ個人の特定さえされてしまう程の情報。


 しかし、そんな魔法を使っているハピネスがすぐ近くにいるにも(かかわ)らず、トレンチコートの使奴がハピネスの存在に気付くことはなかった。トレンチコートの使奴がハピネスのいる瓦礫の(そば)を素通りすると、ハピネスは自身の(くる)まっている“クローク”に手を当てて北叟笑(ほくそえ)む。


「ラプーに取りに行かせて良かった。この“クローク”、案外使えるね」


 人道主義自己防衛軍“総統”のバッジがついた“クローク”。これはバリアとベルがラルバ達の前で試合を行った時のものであり、今現在もベルによる道具強化の異能の影響を受けている。ベルの着ていたクロークという外套(がいとう)は、元々旧文明で衣服や持ち物を“覆い隠す”為に使われていた。そしてこの異能によって強化されたクロークが“覆い隠す”物体は、外部の何者にも把握することが出来ず、ハピネスの存在を一切感知出来ないものにしていた。更に、もし通常の念覚が鋭いだけの人間であれば、クロークの中に“生き物がいる”程度のことは分かったかも知れない。しかし使奴は生物の存在だけでなく”個人の特定も出来てしまう“ため、クロークの”把握することが出来ない“という能力に引っかかり、察知そのものが不可能になってしまっていた。これは今仮にハピネスが突然大声を上げたところで使奴に気付かれはしないことを意味し、彼女にとっては嬉しい誤算であった。


 ハピネスは安心しながら自己回復を行い、トレンチコートの使奴の動向を伺っていた。すると、その鋭い視線の先に見覚えのある人物と、そうでない人物の2人がいることに気が付いた。それは、背の低いメイド服の灰亜種(はいあしゅ)に袖を引かれているジャハルだった。


「む……何してるんだ? あの子は……」


 ハピネスが首を傾げたのも束の間。トレンチコートの使奴が消えるように急加速して、ジャハルの腹部に貫手を突き刺した。


「なっ――――!?」


 突然の出来事にハピネスは思わず狼狽(うろた)える。慌ててジャハルの元へ接近すると、ジャハルの足元から凄まじい勢いで煙が噴き出し、辺り一帯を覆い尽くした。ハピネスは視界を確保する為に急上昇をして、上空から煙幕を見下ろす。


「……成程」


 何の前触れもなく始まった襲撃を、既にハピネスは冷静沈着な態度で俯瞰(ふかん)していた。そこには、全世界が恐れ平伏した想像上の帝王。“先導(せんどう)審神者(さにわ)”の姿があった。


「まあ、“3対2”なら勝ち目はあるかな」


 煙幕から飛び出して行った人影を追いかけて、ハピネスは思念体を遺跡の外壁へと突進させる。物理障害の殆どを無視する思念体は幽霊のように壁を通過して、遺跡の通路の隙間に身を隠しているジャハルの元へと辿り着いた。


「……我らは、人道主義自己防衛軍」


 ジャハルが荒い呼吸を必死に押さえつけながら呟く。


「敗北を恐れよ。死を恐れよ。正義心を飼い慣らし、人道主義から己を守れ」


 ジャハルの呼吸が瞬く間に落ち着いていくのを見ると、ハピネスは彼女に届かないと分かっていながらも、(なか)ば馬鹿にするように語りかける。


「お呪いで元気になれるなら大したもんだ。どれ、先導の審神者様からも勇気を授けてあげよう」


 そう言って、ハピネスが思念体でジャハルの指先に触れる。


「……? これは……」

「多分、君のような異能なら分かるんじゃないのかい。私がここにいるってのが」

「……ハピネスか?」

「お、察しがいいね。泣く子も笑う先導の審神者様が来てあげたよ」


 当然ジャハルにハピネスの声は聞こえていない。ハピネスの思念体は正に幽霊そのもの。ハピネス側からは触ることも話すことも聞くことも出来るが、逆は不可能。にも拘らず、ジャハルはまるでハピネスが隣にいるかのように微笑(ほほえ)んだ。


「ああ、そう言えばラデックから聞いた気がする。そうか、こういうことも出来るのか」

「便利だろう? 私が来たからにはもう大丈夫。どこで死んでも骨は拾ってあげられるよ」

「これで2対2……。それでも相当戦力差はあるが……」

「君にはベル総統の不思議アイテムと入れ知恵があるだろう。3対2だよ」

「私にはベル様に頂いた道具と戦略がある」

「そうそう」


 ジャハルは意を決して前を向く。


「頼りにしているぞ。先導の審神者!」

「泥舟に乗ったつもりで頑張り(たま)え。クサリ総指揮官殿」

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