9話 分の悪い賭け
~世界ギルド 総本部~
廊下の石畳に敷かれた赤い絨毯の上を、ラルバが独楽のように回転しながら飛び蹴りを連打する。イチルギはそれをすんでのところで躱し、少しずつ後退る。ラルバが後退に合わせて膝を伸ばした瞬間を狙い、イチルギが距離を詰めて喉元を手刀で突き刺す。しかし、ラルバも同時に倒れるように後ろへ下がって手刀を避ける。そのまま片手でバク転の要領で下半身を持ち上げ、爪先で半円を描いて後退し立ち上がる。
「んひひっ、一点先取っ」
そう呟くラルバは、指先についた血を自慢げに弾いた。イチルギは悔しそうな渋い笑顔でラルバを睨みつけながら首筋を押さえる。
ルールその一、先に人間的致命傷を2回加えた方の勝利。
イチルギは指先で傷を撫で、それが先程の手刀を避けられた際に引っ掻かれたものだと理解して顔を顰める。首筋に火炎魔法で焼き痕をつけて傷を塞ぐと、姿勢を屈めて一瞬でラルバに詰め寄った。
「あ、ルール違反だ」
「攻撃じゃないからいいでしょ」
「まあそうか」
ルールその二、魔法・異能禁止の肉弾戦
再び2人はサーカス団のように飛び跳ねながら廊下を駆け抜けていく。しかし、確実に癖を見抜き攻撃が激化するイチルギに気圧されたラルバは、窓を開けて外へ飛び出し外壁をよじ登って距離を取る。しかし登った先の窓はどれも外側に鉄格子がついており、ついていない窓は鍵がかかっていた。
「ぐぬぬ……。窓が開かない……」
ルールその三、城の設備・備品等の破壊禁止
偶然開いている窓を見つけたラルバは聞き耳を立てて中の様子を窺い、安全を確認すると中へ入り込む。
「はい同点」
しかし待ち構えていたイチルギが廊下の隅からクロスボウで矢を放ち、ラルバの耳ごと側頭部を撃ち抜いた。
「うぎっ……!」
痛みに顔を歪ませながら刺さった矢を引き抜くラルバ。イチルギを睨みつけ、床を蹴り壁を走って距離を詰める。すると――――
「イチルギ様!お疲れ様です!」
衛兵の足音が聞こえたラルバは、即座に石の壁に指を引っ掛けて勢いを殺し天井の隅に身を隠す。イチルギも咄嗟に持っていたクロスボウを棚の陰に押し込んだ。
ルールその四、城内の従事者・一般人に戦闘がバレたら即敗北
「お疲れ様〜」
「先程2階で不審な物音を聞いたという報告がありましたが、イチルギ様は何かご存知ではありませんか?」
「ん〜聞いてないわねぇ、後で確認してみるわ。どうもありがとう」
「そうでしたか、では自分は警備に戻ります!」
「はーい、お疲れ様〜」
手を振って見送るイチルギの後ろから、ラルバが天井の縁に足を引っ掛けて蝙蝠のようにぶら下がり、喉元へ爪を伸ばす。しかしイチルギも屈んでこれを躱し、同時に逆立ちをしてラルバの顔を蹴り上げる。
「ぬおっ!ハズレっ!」
咄嗟に顎を持ち上げたラルバの首筋をイチルギの爪先が掠る。
「この靴、毒塗ってあるから今ので一点よ」
「嘘つけこのタコ」
「バレちゃったか」
互いに低レベルな悪態をつきながら城内を飛び回る。時折衛兵に出会してはラルバが飛び退き、イチルギが傷を隠す。2人の静かな死闘は誰の目に触れることもなく繰り広げられた。
「いい加減諦めてほしいわ……。私この後予定あるのよ」
「そうか。じゃあそれまでに仕留めてやる」
最初こそ一瞬で得点を許した2人だが、まるで武術の型に当てはまらないラルバの不規則な動きを警戒するイチルギと、自分の動きを即座に読み取り常に逆をついてくるイチルギに翻弄されるラルバ。2人の戦闘能力の高さは、今回のルールには噛み合わなかった。
戦闘開始から4時間が経過し、使奴である2人のスタミナに問題はなかったが、城の消灯時間が刻一刻と迫ってきていた。
すると、曲がり角の先から誰かの足音が聞こえてきた。イチルギは足音から衛兵のような金属音がしないことに気づき、役人の誰かだろうと目星をつけた。ラルバも足音に気づき、早めに距離をとって天井に張り付く。
「……む、こんばんは」
「こんばんは〜……見ない顔ね?」
陰から歩いてきたのはラデックだった。しかし、面識のないイチルギはつい頭の中で彼が誰なのかを考えてしまった。イチルギの頭上にいたラルバは、獣のように歯をギラつかせて瞳孔を開き静かに天井から落下をする。そして、イチルギの背中から心臓目がけて持っていたクロスボウの矢を突き刺した。
「私の勝ちだ!!」
「えっ……、ちょっ……!?」
「……?」
困惑するイチルギとラデックを他所に、仁王立ちで胸を張るラルバ。
「ちょっと! 彼に見つかったんだからアナタの敗北が先でしょ!」
「だってそいつ私の仲間だし、従事者でも一般人でもないもーん」
「ええっ!?」
「初めまして」
心臓を抉り胸から飛び出した矢のことなど気にも留めず、イチルギは自身が敗北したことに頭を抱えて悶える。
「ええ……そんな事って……でもぉ……」
「喜べラデック! 今しがた我々の仲間になったイチルギだ!」
「ラデックだ。よろしく」
蹲り唸るイチルギにラデックが手を差し伸べると、イチルギは項垂れたまま渋々手を握り返す。
「まずはこの国の権力を全て譲渡してもらって! いや、その前に金か。あとパスポートと住所と……」
ラルバは小さく唸りながらその場を彷徨く。
「ところでラデック。お前ここへ何しにきたんだ?」
「いや、宿にいたバリアに聞いたらラルバがここにいると聞いたもんでな」
「よく入れたな」
「ここ立ち入り自由だぞ」
そう言ってラデックはポケットから入場許可証を引っ張り出してラルバに見せる。するとイチルギはハッとして固まってからゆっくりと立ち上がり、ラデックの両肩を掴む。
「あのね……ラデックさん……。あのね……許可証はね……首から下げてなきゃダメなのよ……」
「そうなのか」
「あと……ここは関係者以外立ち入り禁止なの……。許可証で入れるのは一階ホールだけ……」
「そうなのか」
苦虫を噛み潰したような顔で笑顔をわなわなと震わせるイチルギと、真顔で許可証を首に通すラデック。横でラルバは勝ち誇った顔で腕を組みイチルギを見下している。
「ところでラルバ。さっきバリアに会った時いきなり殴られたんだが、なんでだ?」
ラルバはキョトンとした顔で首を捻る。
「……? さあ? ラデックに会ったら殴っておけとは言ったが……なんで言ったかまでは忘れた」
「そうか……」
ラデックはまだ痛む頬を軽くさすった。
〜真夜中の中央広場〜
誰もいない石畳の広場を、両腕を広げバランスを取ってくるくると回りながら踊るラルバ。その後ろをラデックがタバコを吸いながらついて行く。
「ふんふふ〜ん。気分がいいなぁ……これで権力と戦力がぐぐーっと上がったわけだ」
「本当に来るのか? 彼女は」
「え? 来るだろう」
ラルバは踊るのをやめてラデックに向き直る。
「聞いたところ彼女はこの世界ギルドのNo.2だ。しかしトップのヴェングロープ総統はもう寿命だろう。実質この国の殆どの決定権をイチルギが握っている状態だ。そんな彼女が自分の地位や権力を捨ててラルバについていくとは思えない」
「だって奴はゲームに負けたんだぞ。負けたら私の仲間になるとも言った」
「詭弁だろう」
ラルバは眉間にシワを寄せ俯く。
「……もし、もしイチルギが約束を破ったら……」
手を翳し、指の隙間から城を睨み付ける。
「ラルバ。世界ギルドに喧嘩を売るなら俺はそこで降りるぞ」
ラデックがラルバの翳した腕を掴む。
「……なんだと?」
「俺がついてきたのは命惜しさ故だ。イチルギと敵対することは俺の死に直結する」
「……その時は、お前を殺すだけだ」
ラルバはラデックの手を振り払い、不機嫌そうに態とハイヒールを鳴らして立ち去る。ラデックは暫く立ち尽くした後、一目だけ城の方を見てから宿へ向かった。
~質素な宿屋~
部屋の扉を乱暴に開けたラルバは、上着を無造作に丸めてコートハンガーに投げつけベッドに倒れ込んだ。
「おかえり」
ラルバは異物感のする毛布の返事に眉を八の字に曲げる。声の出所を鷲掴みにして持ち上げると、虚な目のバリアが出土した。
「バリア、まさかこの時間まで寝ていたのか……?」
「うん」
そう言ってバリアは今朝渡されたお小遣いを、そっくりそのままラルバへ返却する。
「……おやすみ」
ラルバは一言だけ呟いてバリアを毛布へ押し込むと、隣のベッドに寝転び数分もしないうちに寝息を立て始めた。
深夜、僅かな水音にバリアは目を覚ました。月明かりだけが部屋を照らしており、世界が止まっているのではないかと錯覚した。未だへばりつく眠気に耐え、ベットを這い出てトイレへと向かう。しかし扉は使用中の色を示していたため、暫く部屋をうろうろと彷徨ってから諦めて玄関に手をかける。
「2人とも遅い……」
彼女は独り言を呟きながら外へ出て、まだ明かりのついている酒場へふらふらと吸い込まれていった。
煌びやかだが、どこか老舗の優しさを醸し出す酒場は、怪しい無愛想な使奴にも丁寧だった。バリアがトイレを借りて外へ出ようとすると、突然何者かに腕を引かれて隅の席へ座らされる。
「こういうところでは何か注文するのが礼儀よ」
目の前の見慣れぬ使奴の女性にそう諭され、ポケットを探るが中は空っぽだった。
「お金持ってない」
「じゃあ私が奢ってあげる。マスター! こっちに黒バニラティーとメロンウイスキー頂戴!」
奥の老婆が優しい笑顔で手を振って返事をする。
「私はイチルギ。ラルバと賭けに負けてアナタ達について行くことになったの。明日からよろしくね」
「ん……」
バリアは差し出された手を無機質に握り返す。
「アナタ名前は?」
「名前……バリア」
「そう、バリア。アナタはどこからきたの?」
一度、使奴研究所と言いかけて。
「魔工……研究所……」
「偉いわね。でも大丈夫よ」
イチルギが優しく頭を撫でる。
「私と同じ出身ね。悪いけど、全部内緒ね?」
「一緒じゃないよ」
「……そう?」
話を遮るようにウェイターがドリンクを運んできた。バリアはイチルギに差し出されたカップを、じぃっと見つめてから静かに啜る。
「どう? おいしい? こんなの初めて飲んだでしょう」
笑顔で聞いてくるイチルギから少し視線を外し、カップの水面を見つめる。
「……甘い」
一言だけ呟きまたちびちびと啜り始めたバリアを、優しく微笑んで見つめるイチルギ。2人はそれ以降黙ったままだったが、その間にはどこか朗らかな空気が漂っていた。
「……これでいいんでしょう。ヴァルガン」
「誰?」
「ううん。なんでもない」