和哉の独白
俺の名前は桐下和哉。
いわゆる就職氷河期と言われた世代だ。
新型コロナウイルスに感染して、自宅療養している間に容態が急変した。
独り暮らしだったし、こんなものか。
実に不本意な一生だったが。
子供の頃はバブル経済でそれほど不自由は感じなかった。
しかし生来、俺は要領が悪く、あと一歩で成功を逃していたのも事実だ。
それらの出来事が次々と思い出される。これが走馬灯ってヤツか。
あれは小学校の学芸会。
浦島太郎が亀を助ける浜辺の、松の木(注1)の役だった。事前にトイレを済ませておかなかった俺は、必死で我慢した結果、フラワーロック(注2)のようにクネクネ踊る松の木で、その日一番の笑いを取った。
もちろん、後で担任の教師からムチャクチャ怒られた。
嫌な思い出だ。
中学校では陸上部に所属した。
跳躍力を買われて棒高跳びに打ち込み、練習では中学生の新記録(注3)に迫る高さを跳んでいた。
満を持して臨んだ県大会。
緊張のあまり突っ込み過ぎて棒が折れ、顔面を強打。
救急車で運ばれた俺は、意識と共にスポーツ推薦の進学も失った。
嫌な思い出だ。
高校では棒を竹刀に握り替え、剣道に打ち込んだ。三年間で実力を高め、校内では敵なし。優勝候補として迎えた個人戦の県予選。俺は順調に勝ち上がり、準決勝まで進んだ。
だが悲劇は起きた。
昼の弁当で食中毒を起こし、俺の青春は人生二度目の救急車で儚く終わった。
しかも、俺が対戦する予定だった相手は全国大会でベスト4まで勝ち進んだ。
もし、俺が下痢でなければ……。
嫌な思い出だ。
それから勉学に集中して、大学に進学。
俺の学力(注4)ではFラン底辺校だったが、それでも大学生だ。
大学生活を満喫しようと、テニスサークルに所属して、彼女もできた。
まさに待ち焦がれた幸せいっぱいの時期だった。
ところが状況は一変する。
バブル経済の崩壊だ。
リストラ(注5)とかの対象に親父がなって、家計は火の車。
しばらくは俺もアルバイトで凌ごうとしたが、そのバイト先も倒産。
結局、大学二年で中退となった。
嫌な思い出だ。
そんな中途半端な学歴では就職先もなく、アルバイトや派遣で生活して来た。
学生時代から付き合い、婚約を考えていた女性は、親友に寝取られた。
これは特に嫌な思い出だ。
それで女性不信になり、結局は結婚もせず生きて来たが、その最期が訳の分からない疫病に感染して孤独死なんて、本当に不本意な人生だったな。
まあ、意気揚々と玄関から飛び出して、軽トラックに撥ね飛ばされなかっただけ良いとしよう。
あの娘の三倍近くは生きたし。
四十五年の集大成が嫌な思い出とは、やり切れない。
もし、生まれ変わりがあるのだとしたら、次の人生は楽して暮らしたい。
少なくともゾンビになってアイドルを目指す(注6)には十年ぐらいは死んでないとならないよな。
ああ光が見えて来た、あれが閻魔大王の前か?
できれば霊界探偵(注7)として生き返らせてくれるといいが、いや、もうあんな嫌な思い出の世界に戻れなくてもいいか。
声の想定
・桐下 和哉 鈴木達央さん
注1 松の木
白砂青松と言われる風景は日本の砂浜の在り来たりな風景ではあるが、この風景は江戸時代に防風林として黒松を植樹したことで全国に広がった。
浦島太郎の物語の原型は雄略天皇の時代の頃、丹後国與謝郡での出来事なので、白砂青松の海岸であったかは不明。
注2 フラワーロック
ここで言及されているのは昭和63年にタカラから発売された、初代のフラワーロックである。
周囲の音に反応してクネクネと踊る様子は、多くの人々に微笑みをもたらした。
なお、20世紀は自宅で葬儀を挙げることもあり、ウッカリ片付け忘れると、読経に反応して踊るフラワーロックを見ることになる。
注3 中学生の新記録
当時の中学生記録は、昭和62年の4m71cm。その後、何度も塗り替えられ、令和元年時点では、4m93cm(平成29年)が中学生記録になっている。
注4 学力
和哉は高校三年間を剣道に費やしたので、スポーツ推薦で進学する予定だった。
結果が残せなかった為に改めて勉学に励み、地元の国立大学に合格した。
注5 リストラ
Restructuringとは本来、再構築という意味合いで、従業員の解雇は行われない。ところが日本ではバブル崩壊して以降、従業員の解雇をリストラと呼んだ。
「父さん、お肩を叩きましょう」なんて歌えない時代の到来だった。
なおリストラをする側は恨みを買うこともあるので、駅のホームから突き落とされないよう注意したい。
注6 ゾンビになってアイドルを目指す
プロデューサーがいないので無理。
ゾンビにハリウッドの特殊メイクを施して美少女にするという内容は、平成3年4月に漫画家のあろひろしさんが『恋は芙蘭』という短編作品で発表している。
これ以前に同じような内容の作品を知っていらっしゃる方がいれば、ご一報を。
注7 霊界探偵
体の中で霊獣を飼育する代償も必要なのに、軽々しく願うものではない。