じゅういちがつじゅういちにち
「今日はポッキーの日なんだってー」
十一月十一日という一がそろうゾロ目の日。
近野楠葉は学校でそんな話題を耳にした。
放課後、自宅への帰り道。周りにはコンビニやスーパーマーケット、最近ではめっきり見かけなくなったはず駄菓子屋が。楠葉の心を惑わせる。
(十一月十一日はポッキーの日じゃない! もやし、そう! もやしの日だ。私はもやしを食べる! モヤシ炒めならカロリー低いし!)
内心そう誓う――――楠葉はダイエット中だった。
決して体系が崩れているわけでも、平均体重を上回っているわけでもない。思春期特有の「なんとなく」で始めたダイエット。
その三日目の事である。
「ただいまー」
「お帰り楠葉姉」
「あれ? 音乃ちゃん? 来てたんだ」
なんとか誘惑に負けずに帰宅した楠葉を出迎えたのは、いとこで五つ年下の小学生、音乃。最近の小学生の例にもれず発育が良く、高校生の楠葉と比べてもその身長に大差はない。そんな音乃が頭の後ろで一つにまとめた髪をぷらんぷらんと揺らしながら佇んでいた。
「急にうちのママが楠葉姉のお母さんと出かけるって言いだしてさ、連れてこられた」
「今日は平日でしょうが。学校は? またサボったの?」
「そ。勉強とかかったるいし、それに小学生でやる勉強でつまずく要素ないし」
「相変わらずだなぁ……」
と、いつものやり取りをして、ふと楠葉は首をかしげた。
「お母さんたちは?」
楠葉の問いに音乃は表情を変えずに肩を竦めて。
「出かけた」
「出かけたって……音乃ちゃんは?」
「おいてかれた。連れてくと何かしら強請られるの最近ようやく学んだらしいから」
「それはそれは……」
音乃の雑な物言いに、楠葉は何と言っていいか分からなくなり曖昧に答える。
「そんなわけだから、ママたち帰ってくるまでダラダラさせてもらうね」
「今日ってポッキーの日なんだって」
「それ、学校でも聞いたよ」
楠葉がリビングでソファーに寝転がりながらけだるげにスマホを眺めていると、赤いクッションに座って暇を持て余していた音乃が思い出したかのように呟いた。
「なんだ、知ってたんだ。つまんないの」
「おかげでダイエット中なのに帰り道誘惑に負けそうになったよ。コンビニとか、スーパーとか。見るたびに思い出しちゃって」
「お、それはいいことを聞いた」
楠葉の返答に口を尖らせていた音乃がその表情を一転、にんまりと口元を歪めた。そしておもむろにワイドパンツのポケットに手を突っ込むと、取り出したものを楠葉に見せる。
「ここに一箱のポッキーがあります」
「え?」
「これを……こう。箱を開けて」
「何が始まるのよ」
唐突にパフォーマーのような行動を始めた音乃を見て楠葉は怪訝そうに呟いた。
「楠葉姉の鼻先にちらつかせます」
まだ袋を開けていないポッキーからふんわりとチョコの香りが漂い、思わず楠葉は溢れそうになった涎を飲み込み、顔をそむける。
「そうやって横を向いたところで……」
音乃はポッキーの袋を器用なことに箱に入ったままで開封した。
そうしてするりと一本取り出すと、楠葉の耳元で食べ始める。
静かな部屋の中、サクサクとポッキーをかじる音だけが響く。
「どう? おいしそうでしょ」
未だそっぽを向いたままの楠葉に、指先で押し込むようにポッキーを一本食べきった音乃が声をかけた。
「どう? って何よ。そりゃあ美味しいでしょうよ」
「楠葉姉は食べないの?」
「ダイエット中だし! それに年下からお菓子もらう程飢えてませんから」
「強がり~」
「あによう」
唇を尖らして拒絶する楠葉をみた音乃はにんまりと口角をあげた。
手の中にある箱からまた一本ポッキーを取り出すと楠葉の口元に近づけて。
「ほらほら、食べたいんでしょー?」
「そんなことない……ってポッキーでツンツンすんのやめてよ。チョコ付いちゃうじゃん。こら! ほっぺに『の』の字を書くな!」
頬をくすぐるようにポッキーでなぞられ、こそばゆくなった楠葉は体をそらすようにして距離を取る。
それを見た音乃はポッキーを指先で持ち、催眠術師がやるようにゆらゆらとそれをゆらした。
「楠葉姉はポッキーを食べたくな~る」
「ならないから」
「ほんとは食べたいんでしょ? ダイエット中で甘いもの我慢してるなら尚更」
音乃は甘くてほろ苦いチョコが口の中でサックサクのクッキーと混ざり合ってハーモニーを奏でるんだ。などとわざわざ楠葉の耳元で囁いて。
その様子を楠葉は想像し、ごくりと喉を鳴らした。
「……いつまで続ける気なん?」
これ以上は我慢できなくなりそうだと、楠葉は音乃をにらむように見つめる。けれどその目つきには食べたい事を我慢しているせいか棘がない。
「楠葉姉が食べるまでやるよ?」
「あーもう、一本! 一本だけ食べるから。ダイエット中の私を食べ物で構わないで!」
半ばやけくそのように楠葉は言う。それを聞いて満足したのか、音乃はポッキーのチョコのついていない方を自らの口にくわえると。
「ひほんんははいほね?(二言はないよね?)」
「それを食べろと?」
「ひほんんははいほね?(二言はないよね?)」
「……ないよ」
むむ、と唸りながら楠葉は反対側のチョコに噛り付く。
チョコの優しい甘さが口の中に広がり、もう一口、さらに一口。
気付けばチョコの部分はなくなっていた。
「食べたよ。もう誘惑しないでよね。ダイエット続けるんだから」
そういう楠葉を音乃は咎めるような目で見つめる。
「私ちゃんと食べたけど」
「ひっほん(いっぽん)」
「残りはもう音乃ちゃんの口の中じゃん」
「ひっほん(いっぽん)」
「…………」
「…………」
「ん、満足した」
それはどちらの台詞だったか。
湿ったクッキーはサクサクしていなかったけれど、チョコに負けないくらいに甘かったようだ。