表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
皀莢の花 白月に咲く  作者: もり
黄昏の章
1/3

一、鬼の顔 澄まし顔 ― 元亀四年(1573) 春 藍苗 ―

 ぽんぽんぽん。ぽんぽんぽん。ぽんぽんぽん。

 拍子とれし音、鳴る。


 一尺ほど低く掘られた土間の片隅にて、幼子(おさなご)が手毬をついて遊ぶそこは、山祗(やまつみ)の神を祀る館、人に呼ばれしはサンギ屋敷。この山間(やまあい)の小さな村落藍苗(あいない)にて、質素ながらも場違いとも云える大きな屋敷であった。全ての板戸は閉めきられ昼時と云うに薄暗い。

 今しがた戸口を潜った落人(おちうど)の風体を醸す男は、奥の小ぢんまりとした板間(いたのま)にて、折り目正しく座する和徳(わとく)小山内家遺臣、福士(ふくし)市左右衛門(いちざえもん)に耳打ちした。男の結われ損ね垂れた月代(さかやき)なき前髪が、(まぶた)をさわさわと掠め、市左右衛門はその都度目を細めてしまう。


市左(いちざ)さん、鄙館(いなかだて)千徳(せんとく)が姫様の身を引き受けてくださると」

 その市左右衛門と云えば常に顰面。が、これは元来のもの。で、付いた呼名が鬼ッ面(おにっつら)。証拠に男は、怒りとも取れそうなその顔に、頓着する風を見せてはいなかった。

(まこと)の話か。で、日は何時か」

「何時でも、と云うておりました」

 市左右衛門は眉間に皺を寄せる。途端、鬼ッ面が険しく変わる。

「何時でも、と云うことはなかろう。約定の日を(あらた)めよ」

「何度も云うたんですがね。笑ってですね、何時でもと」

 が、男は何事もないように答えた。


 千徳と和徳(わとく)の小山内の両家には血の繋がりはあった。ゆえに筋は通っている。しかし筋が通っているとは云え、日を決めぬとは不用心が過ぎた。

 市左右衛門は悩んだ。千徳とはただの(うつけ)であろうか。はたまた裏ありきの話か。それとも小山内を軽んじているのか、と。

 確かに血は水より濃いと云われる。が、それだけで信に足ると到底思えぬ世であった。


「して、鄙館の様子はどうであった」

 市左右衛門は無理矢理に気を取り直し、問を発した。今度は男が困り顔を浮かべる番だった。

「それがですね。よく分からんのですよ」

「分からぬ、とは」

 曖昧な返事に、不快顕に間髪入れず詰め寄られ、男はたじろぎ声音上ずるも、見、感じた事をおずおず話し始めた。

「いえね、棟梁が棟梁らしくないって云うんですかね」

「ふむ」

「やれしゃきりとしろ、とか、やれ呑み過ぎだ、とかですね。まあ下の者に好き放題云われておるんです」

 黙す鬼ッ面が怪訝に歪む。普段あまり目にかからぬ顔に晒されれば、()しもの男も「ひっ」と小さく頓狂な声を上げるしかなく、だがすぐに気を取り直し話を続けるは、ただの落人ではないことを如実に表していた。

「ですがね、規律が甘いって云えば、そうではなさそうなんですね、これが」

「どう云うことだ」

「城の中は掃除が行き届いてましてね、 (あくた)一つ見当たらず。まあ小奇麗しているんです。そして見るに兵は少ないながら、よく鍛錬されていましてね」

「良いではないか」

「云えね、なのに老いも若きも男も女も、なぜかへらへら笑って(たる)んでいるように見えまして。皆してオカメの面でも被っているような、けったいな所でございました。あんな城、見たことございません」

「成る程な」


 洒掃薪水(さいそうしんすい)に気を配ること。これは市左右衛門が男に命じた事柄の一つだった。実り知りたくば土見る。人知りたくば足見る。市左右衛門は鳥の目で一望せず。獣の耳で一聴せず。ただ瑣末(さまつ)な事を撚り集め物事を大観する癖がついていた。

 (あるじ)威厳無きも、兵精強。秩序保てど、気抜(きぬ)けている。なんとも狐に摘まれたような掴み所のない話に、心の整理をつきかねる。はて此度の話、(うつろ)(まこと)か。乗って良いものか否か。

 大浦の手は、山中深いここ藍苗にも及ぼうとしていた。その藍苗も今や、大浦に滅ぼされた和徳の遺臣達が犇めき物騒極まりない。野盗紛いの者も、ちらほら紛れていると聞く。あわや一波乱、そんな気配を察し、何処にどう転ぶにせよ急ぎここは出ねばなるまい。市左右衛門はそう考えていた。

 なれば、南の大光寺(だいこうじ)、北の波丘(なみおか)。だが、どちらも何やらきな臭い。果たして(きち)何処(いずこ)に転んでいることやら。


 そろそろと襖が開けられる。と、奥から嗄れた声がした。

「市左さん、千徳掃部(かもん)様ならああ見えて信用のおけるお方でございますよ」

 いつしか襖越しにも声音が届くほどとなっていたのであろう。市左右衛門は僅か強張る。

 声の主は白髪が混じり、やや腰の曲がった初老の男、屋敷の主、三上民部(みかみたみべ)であった。藍苗の(おさ)であり、和徳小山内家とは縁のある人物でもある。市左右衛門自身もこの男を依り、ここへと赴いた。

「すいません。聞き耳をたてていたのではないのですが、どうにも聞こえてしまいましてな」

 民部は人好きのする柔和な笑顔で、頭を下げる。

「知っておるのですか」

 市左右衛門は恐る恐る訊く。すると、その問いにゆるりとした言葉が返った。

「はい。気持ち良きお方でございます」

 続きを待つ市左右衛門。だが民部はおっとり笑い口を閉じた。話はそれで(しま)いだった。

 息をふうっと吐き固まった身を(ほど)く。暫し口元に手を当て黙考すると、幼子に目を向け、そして意を固めた。民部が云うのだ。間違いなかろう、と。

「姫様、明日、出かけましょう」

 幼子は、ぎこちなく笑う鬼ッ面を見上げ、心を何処かに置き去りにしたような澄まし顔で、こくんと頷いた。そしてまた手毬をつく。


 ぽんぽんぽん。ぽんぽんぽん。ぽんぽんぽん。

 拍子のとれし音、屋敷に響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ