金縛り
「柚原はさ、霊感って信じる?」
へらへらと笑いながら問いかけるのは、クラスメイトの名澤祐一。
進んで誰かに話しかけるのが苦手な柚原栞にしては、割りとよく話す人物の1人である。
少し癖の入った茶髪に、明るい茶のセーターがよく似合う。
快活な物言いと、どこか不思議な安定感のようなものを兼ね備えていた。
その安定感は、自然に人を呼び込んでいるようで。
つい先程も、また誰かに礼を言われていた。
そんな人望の厚い名澤が栞に話しかける際には、ある一定の法則性があった。
例えば、柚原は。名澤が栞にそう問いかけてくる時。それは名澤が、名澤自身の話を聞いて欲しい時だと、栞は知っていた。
「っと…、名澤君は? 」
「俺? 俺はさ、……」
そして嬉々と語りだした名澤の話は、とにかく長い。
3つ下に双子の弟妹を持つ長男は、何時も聞き役ばかりだ。と前に溢していたのを思い出す。
心優しい長男は、どうやら上手い話し方を忘れてしまったようだ。
栞が座っている机の斜め横に立って、名澤は話し続ける。
「実は最近、2日連続で金縛りにあったんだ。んで、それをうっかり親に話しちゃってさ…」
それを聞いた名澤母は、知り合いの霊感が強いという人に相談した。
熱心に名澤母の話を聞いてくれたというその人は、こう述べたらしい。
《このままだと、その子は近い将来引きこもりになるでしょう。
それを防ぐ為には、まず観葉植物を。
枕の位置も逆にして。
玄関に姿見を置いて下さい》
「引きこもり? ……名澤君が? 」
あり得ない。
少しだけ大きく見開いた栞の目は、驚きを隠しきれていない。
そこでようやく栞の前の席へと座った名澤は、また少しだけ表情を緩めた。
一息ついて伸びをする。
ぐ、ぐっーー。
ぐっ、ぐーー。
名澤が座った椅子も、それに合わせて音を立てる。
何処までも緩いリズムで伸びる腕は、まるで何かのタイミングを計っているようにも見えた。
名澤愛用の黒い腕時計が、栞の視界にちらほら動く。
「そんで、それを皆して信じまくっちゃってさ~。枕逆にして寝ないと怒られんの」
そうして名澤は、肩をすくめて笑った。
へらへら。
あ、これ。
最初と同じ表情。
へらへら笑う表情と共に、栞は名澤の開口一番を思い返す。
「柚原はさ、霊感って信じる? 」
何時もと同じ、快活で安定感のある話し方。
不思議な心地よさは変わらない。
でも。
眉毛、曲がってるよ。何で、下げるのさ。
名澤の眉毛が栞に移った。
「名澤君は、引きこもりにはなれないと思うよ。…だって、素質なさそうだもん」
元引きこもりが何をいうか。
素質って何だよ。
そんな皮肉が栞の脳裏に浮かんで廻る。
ああ。何だか私だけ、変な表情。
眉毛は曲がってるものの、やはり名澤はいつも通りだ。
栞は頬杖をついて顔を反らす。
なんだか悔しくて、小さく唇を噛んだ。
肘に触れた机がやけに冷たくて、無機質なものに感じる。ぶらりと前後に揺らした足が、前に座る名澤のつま先とぶつかって引っ込んだ。
それはたったの1週間だったのだけれど。
誰かが消し忘れた欠席者欄の栞の名前と、インフルエンザの文字。
堂々と書かれた嘘つきの欠席理由。
だって、名澤君は知らないでしょう?
・・
「私、去年そうだったから。何となく分かるよ」
1週間の引きこもり明けのあの日、1番に話しかけてくれたのは、誰だったのか。
その人が欠落者欄の栞の名を消してくれたことが、どれだけ嬉しかったのか。
霊感とか金縛りとか、そういう類いのモノを栞は信じていた。
以前、その事について名澤と話したこともあったはずだ。
しかし。
「私、霊感って信じない派なんだ 」
名澤君は、引きこもったりなんかしない。
少なくとも、私にそうやって話してくれる間は、そんな思いさせてあげない。
断定の言葉なんて使うの、何時ぶりだろうか。
常に、かな。だと思う。しか使っていなかった栞は、何だか新鮮で誇らしい気持ちを感じていた。