第87話 会議の結果
廊下に出てからすでに4時間は経過しただろうか。
緊張感がピークに達した。
さすがに俺の腹は限界である。
「ちょっとトイレに——」
便意に屈しようとしたその瞬間だった。
誰も通すまいと固く閉ざされていた議場の扉が、内側から開かれる。
と同時に、議場を覆っていた重厚な空気が、廊下に流れ出した。
これは果たして、結論が出たのか出なかったのか。
いろんな意味で早く答えを知りたい。
最初に議場から出てきたのは、無邪気な笑顔を浮かべるユーリだ。
会議中は比較的冷静だったユーリ派閥の面々に囲まれ、悠々としている。
見た感じ、全員が満足したような表情をしているな。
ユーリ派閥がこれだと、リナが王に選ばれた可能性は低いかもしれん。
次にアダモフが出てきた。
強く引き締まった口元、力の入った眉間、真っ直ぐとした瞳。
何かを決意したその表情は、彫刻にして博物館に飾っても問題なさそうだ。
彼の表情からは、何を読み取れば良いのだろう。
リナがどうなったのかの判断がつかない。
アダモフを追って、彼に詰め寄り、掴み掛かりそうな勢いで叫ぶジジババ共が出てくる。
城中に宣伝したいのか、大声で〝アダモフの暴走〟を伝える者までいる。
年寄りが元気なのはいいが、この元気さはいらないな。
ジジババ共を相手をしても意味がないと、アダモフは判断したのだろう。
彼は叫びになんら構うことなく、去っていった。
なんか、アダモフってそこそこ優秀な政治家だよな。
リナとルイシコフ、アダモフの3人が力を合わせれば、リシャールにも勝てる気がする。
さて、アダモフを追ってジジババ共も去った。
あいつらがあんな状態なんだから、きっとリナは要職に就いたはず。
彼女から結果を聞くのが楽しみになってきたぞ。
最後に議場から出てきたのは、リナとミードン、ルイシコフ。
彼女らは真っ先に俺らのもとへ歩み寄ってきた。
3人とも何かから解放されたように、清々しい晴れた表情をしている。
良い予感しかしないな。
でもちょっと急いでくれ、トイレ行きたい。
「クボタさん、アイサカ司令、ようやく答えが出ました」
満面の笑みでそう言って、しかしなかなか答えないリナ。
嬉しい報告をたっぷり焦らしている。
これに久保田は、ワクワクが止まらない様子。
トイレに早く行きたい俺的には、ただの苦行なんだが。
「グラジェロフの王位継承者はユーリに決定。後見人として、内務をアダモフが、外務を妾が担当することに決まりました!」
「ニャーーム!!」
リナが望んだ通りの展開。
講和派勢力としては喜ぶべき答え。
よし! これでリシャールの野望も妨害できる!
つまり、戦争の早期終結が近づいた!
「やった! やりましたね!」
「ええ! やりました!」
まるで我がことのように喜ぶ久保田。
そんな彼に、胸を躍らせたリナが抱きついた。
彼女は、深く、強く久保田を抱きしめ、王女ではなく1人の女の子として、喜びを爆発させている。
これは喜びによる突発的な行動か、それとも……。
「お嬢様、大変なのはこれからです」
「分かってるわ。でも今ぐらい、喜んでいてもいいでしょ?」
「仕方ありませんね」
いたずらな笑みを浮かべるリナに、ルイシコフも頬を緩める。
なんだか、お姫様とそのお目付役としては最高の絵じゃないか。
感情に疎い俺でも、その良さは分かる。
でもリナは、久保田と喜びを分かち合うのを選んだんだよな。
おそらく、はじめて自分を王女としてではなく接してくれた久保田は、リナにとって特別な存在なんだろう。
こりゃもしかすると、アレかもしれん。
そうか、ロミリアとフォーベックが言っていたアレって、これか。
「会議で決定したことを、私からお伝えしましょう」
邪魔するのもなんなんで、さっさとトイレに行こうとした俺。
しかしルイシコフに呼び止められてしまった。
まあ仕方ない。
仕事の話は重要だ。
「お嬢様は、自ら王位継承権の主張を取り下げました。ただし、自らをユーリの後見人にするのを条件にです。リシャール陛下の危険性を承知しているアダモフ様は、憲章改正と無理な解釈のみを懸念していたため、これで彼を味方にすることに成功します」
そうか、アダモフの懸念はリナが王になることだけだったのか。
リナがユーリの後見人になることには、反対していないと。
そこを突いた訳ね。
「しかし政府内にはお嬢様を嫌う方が多い。アダモフ様は賛成してくださっても、他の方々はなおも反発を示しました。彼らは、お嬢様が後見人となれば、ユーリ殿下はお嬢様の傀儡となり、伝統が破壊されるとの懸念を抱いていたのです」
それは反対の立場から見れば、一理ある。
リシャールを警戒する俺たちが、リシャールによる傀儡化を警戒するのと同じだ。
リナを警戒する人たちからすれば、リナによる傀儡化を懸念するのは当然。
で、そう主張する人たちをどうやって説得したのだろう。
「そこで私が、後見人を内務と外務に別け、伝統と憲章の影響が強い内務をアダモフ様、リシャールに対抗するための外務をお嬢様が担当する、という案を提出いたしました。これならば、国内政治のお嬢様による傀儡化は起きません」
ほおほお、後見人を2人にするのか。
それについては考えていなかった。
そういやさっき、リナがきちんと外務と内務って言ってた気がする。
「それでも納得しない者がいたため、私の案は修正されました。内務担当の後見人が、外務担当の後見人よりも上位に位置する、と定められたのです。これによりお嬢様は、アダモフ様の許可なくして行動できなくなりました」
最大限の譲歩ってところか。
そこまでリナの権力を縛る必要はないと思うが、そこは政治だな。
こんな面倒な仕事しなきゃならない政治家なんて、俺はなりたくないね。
まあ、ここまでは概ね満足だ。
戦争の早期終結には近づくし、講和派勢力もきっと喜んでくれるだろう。
しかしルイシコフの話を聞いて、1つだけ気になることがあった。
直接聞いてみよう。
「アダモフは、そこまで信頼できるのか?」
リナはアダモフの許可なしに行動できない。
だとすると、いろいろなことがアダモフの判断次第になる。
そこは大丈夫なのか。
「ご心配なさらず。アダモフ様は憲章を絶対視する方ではありますが、憲章の認める範囲内ならば、現実を見ておられる方です。おそらく我がグラジェロフにおいて、リシャール陛下に対抗できるのは、お嬢様とアダモフ様だけでしょう」
自信たっぷりのルイシコフ。
アダモフが優秀なのは、あの会議を見ていれば分かることだ。
その上でルイシコフがこう言うのであれば、安心できる。
よしよし、リシャールの野望阻止は順調じゃないか。
俺とルイシコフが話をしている間、久保田とリナもまた、話をしていた。
ただし俺らとは違い、その内容は明るい。
これからグラジェロフをどうしたいか、国民はどうすれば幸せになれるか。
希望に溢れた話を、2人は笑い声を織り交ぜながら楽しそうにしている。
どうやら俺はお邪魔のようだ。
「頼もしいですね。で、すみません、トイレってどこです?」
そろそろ便意も限界だ。
さっきまでは緊張で腹が痛かったが、今は安心感で腹が緩んでいる。
早くトイレに行きたい、
「お手洗いなら、あちらに」
「どうも」
ルイシコフの指差す方向に、俺はすぐさま歩き出す。
甲冑のこすれる音を石壁に響かせ、トイレへ一目散だ。
トイレに到着すると、今度は甲冑が邪魔で、用を足すのも一苦労である。
用を足し終え、帰りの道中、ジジババ共が集まって話をしているのが見えた。
どう見ても井戸端会議にしか見えないが、それには似合わない恐ろしい剣幕を見せている。
嫌な予感がした俺は、ヤツらの話に耳を傾けた。
「このままでは伝統と憲章の危機よ。あの下女はなんとしても排除しないと」
「我々の意見に同調してくれる騎士に連絡しよう」
「リシャール陛下も協力してくださるそうだ。すでにあの下女を討つための騎士が来ているとか」
「それは良い。では我々も、あの下女を討つため動き出そう」
おいおいおい! とんでもないこと話し合ってるぞ!
あいつら、伝統と憲章のためにリナの命を奪おうってのか!
しかもリシャールの力を借りるだと!?
とんだクソ野郎共だな、あのジジババ。
早くリナに警告しないと。




