第166話 戦いの終わり
俺は剣先を久保田に向けるが、剣を握る手は震えている。
魔王を封印するための確実な方法は、これしかない。
だけど、折角ここまで苦労して助け出した久保田に剣を刺すなんて……。
友達に剣を刺さなきゃいけないんなんて……。
「相坂さん、そんな悲しそうな顔をしないでください。相坂さんが僕を刺したところで、僕が死ぬわけではないんですから。冬眠状態になって、しばらく眠りにつくだけです」
そう言われたって、はいそうですかと簡単に刺せるわけじゃない。
心が落ち着かないんだよ。
「こうやって相坂さんと話せただけでも、僕は満足です。相坂さんは、僕を魔王から救い、この世界を救い、リナさんの愛した世界を守ってくれました」
なんとか立ち上がり、そう言う久保田の笑みは、彼が晴れやかな気持ちであるのを示している。
分かってる。
俺がやるべきことも、久保田が望むことも、何もかも。
ただ、脳が体を動かさないんだ。
現実的判断を、感情が邪魔しているのだ。
魔王を封印すれば、俺はおそらく生涯をかけて、魔王の復活を阻止しないとならないだろう。
つまりそれは、俺自身が、久保田を冬眠から目覚めさせないようにするということ。
これから生涯一度も、目覚めた久保田には会えないということである。
俺が久保田に剣を刺すことで、俺は4年ぶりの友達を失うのだ。
ロミリアの治癒魔法のおかげで、体の痛みは消えていく。
しかし、手は震えたまま。
心の痛みは増すばかり。
全てを理解しておきながら、それゆえに動けぬ俺。
そんな俺に、久保田は柔らかい表情のまま、はっきりとした口調で言った。
「お願いです。僕にもせめて、異世界者らしく世界を救わせてください。僕なりの正義を、やり遂げさせてください。今度こそ、リナさんの愛した世界を救わせてください」
「久保田……」
「たった今、僕の中には、戦争の元凶である魔王が閉じ込められているんです。僕が魔王を閉じ込めている今は、チャンスなんですよ。魔王を再び封印する、絶好のチャンス。これを逃すわけにはいきません」
……友達の願いは、叶えてやるべきか。
もし俺が久保田を刺さず、魔王が復活すれば、苦しむのは久保田だ。
いい加減、決意しよう。
「友達の相坂さんだからこそ、僕は頼んでいるんです。一緒に戦争を終わらせましょう。一緒に、リナさんの愛した世界を守りましょう」
これだから友達は面倒だ。
自分の思い通りにはならないし、嫌なことだってやらなきゃならない。
ボッチの方が気楽だ。
だけど、悪いことばかりでもないよな。
「分かったよ。異世界者の俺たちで、異世界者の問題を終わらせよう」
迷いを打ち消した俺は、剣をしっかりと握り、久保田の腹に向けて剣先を突き出した。
鈍い衝撃が伝わったのは、そのすぐ後である。
俺の持つ剣は、久保田の胴体を貫通した。
貫通した直後、久保田の体から、煙のような紫色の〝何か〟が抜け出す。
魔王の魂だ。
強い力しか持たぬ、地球に憧れた、友達のいない、哀れな魂である。
最後に魔王は、俺に話しかけてきた。
『最初から貴様を我の体としていれば……。今の貴様は、友を失う恐怖と哀しみに包まれている』
「おい魔王、この期に及んで俺に乗り換えるつもりか?」
『いや、貴様には怒りが足りぬ。それに、貴様に憑依するなど御免被る』
「そりゃ嬉しいね」
正式に、魔王から嫌われた。
こんなに嬉しいことはないな。
俺から友達を奪おうとしたコイツに好かれるなんて、それこそ御免被る。
行き場を失った魔王の魂は、静かに俺の剣へと吸い込まれていく。
自分の欲望のためだけに、第7次人魔戦争を起こした魔王。
その最期がこれほどに静かだとは、思いもしなかった。
それでいい。
もうコイツに、迷惑かけられたくない。
「相坂さん、ありがとうございました」
魔王の封印が終わり、剣を抜くと、久保田は爽やかに笑って、そう言った。
同時に、久保田の体から全ての力が抜け、彼はその場に倒れる。
脈はあるし、息もしている。
だが久保田が自分から動くことは、しばらくない。
彼は魔王の魂を失い、冬眠状態になってしまったのだ。
俺も、感謝の言葉を口にしておきたかったな。
「ルイシコフさんが、最後に言っていました。これからはクボタさんが、魔王を封印する。だからアイサカ様には、そんなクボタさんを守ってほしいって」
ルイシコフの最後の言葉を、ロミリアが教えてくれた。
さすがは使い魔、主人の最大の理解者だ。
「なら、冬眠状態の久保田を守ろう。久保田連れて、帰るぞ」
「はい」
「ニャー」
重力魔法を使えば、久保田の体など軽い。
俺は彼の重力をいじり、彼を背負った。
これで帰る準備は万全だな。
「こちら相坂、魔王は封印しました。これからガルーダに帰ります」
《ヘッヘ、結局、俺たちは待機してるだけだったなあ。アイサカ司令の帰還、待ってるぜ》
特に大きく喜ぶこともなく、いつも通りのフォーベック。
飄々とした笑い声から、彼の俺に対する信頼が伺える。
もはや、俺が魔王を倒すのは当然、予定通りだと言わんばかりだ。
俺とフォーベックが会話する間、ロミリアはオドネルのもとに駆け寄る。
「あの、オドネルさんは?」
「彼女は……」
「アイサカ司令、言ったはずだ。私に構うな。私はスザク艦長として、責務を全うする」
いつの間に意識を取り戻したオドネルの、変わらぬ言葉。
死を覚悟した彼女が、いまさらになって助けを求めるはずがない。
俺は、彼女の意志を尊重する。
「お別れですね、オドネル艦長」
「アルノルトによろしく」
「分かってます。行こう、ロミリア」
「……はい」
ロミリアも、オドネルの意志が固いことは理解しているようだ。
オドネルを止めることもなく、俺と一緒に、彼女は後部格納庫へと歩を進めた。
振り返ることなく艦橋を出て、廊下へと出た俺たち。
その瞬間、廊下が赤い光に照らされた。
これは緊急事態の知らせ。
何があったというのか。
《急げアイサカ司令。スザクの動力が失われたみてえだ。魔界惑星に向かって墜落をはじめてる》
おいおい、そりゃヤバい。
先を急ごう。
スチアたちとリュシエンヌが待つ、後部格納庫へ。
墜落をはじめたスザクの揺れは、大気圏へ接近していることの証拠。
防御壁もなく、大穴をあけたスザクが、大気圏再突入で無事なはずがない。
艦内重力装置も弱まったようで、俺たちの足は徐々に軽くなっていく。
これなら走るより、ジャンプした方が早そうだ。
ともかく急いで、小型輸送機でスザクを脱出しないと。
後部格納庫に到着したのは、スザクの船体が悲鳴のような、軋む音を鳴らす頃だった。
無傷の小型輸送機が俺たちを待つ後部格納庫には、親衛隊の死体がそこら中に放置され、血まみれ状態。
まさに地獄絵図。
真ん中には、この地獄絵図を作り出した張本人、スチアとリュシエンヌの姿が。
わざわざ無事かどうか聞かずとも、2人は元気そうだ。
「魔王はアイサカ様が倒しました! スザクは墜落をはじめているので、早く逃げましょう!」
大声で現状を伝えるロミリア。
それに応え、小型輸送機のパイロットがエンジンを起動、リュシエンヌたちも小型輸送機に乗り込む。
しかしスチアは、すぐには動かず、俺に質問してきた。
「コイツどうする?」
「どいつ?」
「親衛隊隊長のコイツだよ。アイサカ司令の大ファンの」
見ると、スチアの足元には、右手と左脚を失ったノラビアンが、血溜まりに浮かびながらもうめき声を上げている。
酷くやられたもんだな。
きっとスチアは、ノラビアンを殺すかどうか聞いているんだろう。
正直、どうでもいい。
「そんなの放っとけ」
「はいはい」
どんなに恐ろしいスチアでも、艦隊司令の俺の命令には従順だ。
彼女はあっさりと剣を鞘に納め、ノラビアンには目もくれずに小型輸送機へと乗り込んだ。
「アイサカ! 私はお前を殺し、現実を超越する! 絶対にだ! 待っていろ!」
うるさいうるさい。
どう見てもお前、ここで死ぬだろ。
つうかもう、死んだも同然だろうよ。
こっちは久保田を守らなきゃいけないんだ。
お前の相手してる暇はない。
ノラビアンの叫びを無視して、俺も小型輸送機に乗った。
しかしここで、重要なことを思い出す。
格納庫の扉、開けてなくない?
そう思った瞬間、俺の真横を、親衛隊の鎧がかすめた。
どうやらスチアが、そこらにあった鎧を拾って、勢い良く投げつけたらしい。
狙いは扉を開けるスイッチ。
物を投げるのが得意技であるスチアは、当然、鎧をスイッチに直撃させた。
格納庫の扉は徐々に開いていく。
同時に小型輸送機の側面ハッチも閉まり、小型輸送機は格納庫から浮かび上がる。
数秒後には、俺たちは帰るべき場所、ガルーダへと向かっていた。
《こちら最強の勇者様村上! 魔王艦隊は全滅させてやったぜ!》
《私たちエルフ族も救われた。これで、戦争は終わる》
魔力通信によって届く、単純バカとトメキアの報告。
彼らも全てを終わらせたのだ。
戦争は終わった。
俺たちの戦いは、もう終わった。
《ようやく、俺たちも長期休暇が取れる。なあ、アイサカ司令》
フォーベックの言葉は、俺にとって喜ばしいことだ。
艦隊が休暇を取れるというのは、平和な証拠。
それに何より、俺もフォーベックも、できればしばらく働きたくない。
「やっぱりアイサカ様は凄いです。最初は愚痴ばかりで、ちょっと困惑しましたけど、戦争を終わらせて、友達も助けたんですから」
どこか誇らしそうにするロミリア。
でも俺は、窓の外、魔界惑星の大気圏に再突入し、崩壊していくスザクを見て、自分を誇る気にはなれない。
席に座りながら、生きていながら、微動だにしない久保田を見て、誇れない。
「久保田はもう目覚めないけどな……」
「私とミードンが、ずっと一緒にいます。一緒に、久保田さんを守りましょう」
「ニャームニャ」
「そうだな。これからも頼りにしてるよ」
ロミリアの優しい言葉に、俺は後ろを見るのを止めた。
振り返れば、目覚めない久保田、破片と化すスザクしか見えない。
でも前を見れば、ロミリアやスチアたちがいる。
ガルーダとダルヴァノ、モルヴァノが、俺の帰りを待っている。
俺の居場所が、そこにはある。
久保田は魔王を封印し、人間界と魔界、リナの愛した世界を守った。
ならば俺も、艦隊司令として、守るべきものを守り続けよう。




