第142話 霧の向こう
濃い霧に包まれた王都の朝は、静寂な世界だ。
レジスタンスと共和国、そして帝国が対峙しているとは、とても思えない。
それどころか、そこに王都があるのかどうかすら分からなくなってくる。
ここまで静かだと、逆に雑音が欲しいくらいだ。
エンジン出力はゼロ。
明かりも最低限。
ガルーダの活動は、そのほとんどが停止中。
ただし、攻撃準備だけは万全。
偵察任務は、ともかく見つからず、しかし素早く動けるようにするのが大事だ。
ロミリアがガルーダを出発して数分が経った。
敵の情報が入ってくるには、まだ早い。
だからなんとなく、俺も帝国艦隊の軍艦の位置を探ってみる。
魔力レーダーで必要なのは集中力、ともかく集中力だ。
微弱な魔力を辺り一面に放ち、跳ね返ってきた魔力から相手を推測するという技。
宇宙や海のように、跳ね返るものが少ない場所なら、相手の発見は比較的容易。
でも今回は市街地であり、霧の水粒が邪魔して魔力も乱反射する。
ただでさえ集中力が必要なのに、条件の悪さがそれをさらに困難にしている。
まず俺は、微弱な魔力を放った。
あんまり強いと逆探知されそうで怖いので、普通よりも魔力は弱めだ。
さて、どんな感じで跳ね返ってくるだろうか。
数秒後、俺のもとにいくらかの魔力が帰ってきた。
魔力の跳ね返り方から察するに、確かに王都上空には3隻の軍艦がいる。
いるのだが、その詳しい位置までは特定できない。
攻撃を仕掛けるには、曖昧すぎる情報だろう。
敵艦とはそんなに離れてはいないはずだが、霧と市街地だけで随分と不確かな情報になるもんだ。
しかし、ロミリアの驚異的な集中力ならば、敵の位置を特定するのは難しくないはず。
小型輸送機で敵艦の近くまで行っているのだから、俺よりも条件が良い。
何より、俺とは完全に別行動をしているため、ロミリアが俺の愚痴に惑わされることもない。
帝国艦隊についてはロミリアを信頼し、任せよう。
彼女のことだ、敵艦発見の心配はしなくて良い。
そういや、今ふと思った。
帝国艦隊は王都の上空にいるんだよな。
ってことは、それを撃墜すると……。
「フォーベック艦長、グラジェロフ王都にレイド級が3隻落ちたら、地上は大変なことになりません?」
「なるなあ。100軒ぐらいの家が押しつぶされるだろうよ」
「それ、マズくないですか?」
「マズいな」
何を当然のことを、と言わんばかりのフォーベック。
だが俺は、なんだか作戦を考え直した方が良いんじゃないかと思えてきた。
いくらなんでも、100軒以上の家を破壊するのはマズい。
せっかく帝国を倒したのに、共和国が恨まれちゃ本末転倒だ。
「そんな深刻な顔する必要はねえ。アダモフたちレジスタンスが、一般住民を安全な場所に避難させてるそうだ。共和国だって、ある程度の補償はするだろうしな」
「でも、他人に自分の家を壊されて気分の良い人はいないかと」
「そりゃそうだが、帝国に勝利して気分の悪いヤツも少ないと思うぜ」
なるほど、自分の家より、帝国に勝利する方が大事ってことか。
グラジェロフ国民がそうであることを願うよ。
フォーベックとの会話を終え、艦橋の外に視線を向ける俺。
数十メートル先も見えないような濃霧に、ガルーダの放つ光が浮かぶ。
深い霧は、作戦の成否すらも隠してしまっているようだ。
「偵察機から座標が届きました!」
妙に落ち着けない中、クルーの1人がそう報告する。
ロミリアがついに敵の位置を把握し、俺たちにそれを届けてくれたのだ。
「敵艦はエンジンを停止させ、重力魔法のみで滞空しているようです」
ってことは、最悪こちらの動きがバレても、敵はすぐには逃げられないということだ。
よしよし、これは良い情報だ。
早速、作戦を第3段階に移行させよう。
「座標を第1艦隊に送信。ローン・フリート全艦は、いつでも攻撃できるように」
作戦の第3段階は、タイミングが重要だ。
第1艦隊の長距離砲が敵艦に直撃するまで、2分26秒かかるらしい。
一方で、レイド級3隻の防御壁を破るのにかかる時間は、早くて約20秒。
レイド級が防御壁を再度展開させるのに必要な時間は約15秒。
つまり、俺たちはレイド級3隻全ての防御壁を、1分51秒から35秒以内に破壊しないとならない。
敵がエンジンを停止しているのは助かるが、意外と緊張する作戦である。
《座標、ありがとよ! じゃあ第1艦隊、相坂が送ってきた座標に、めっちゃ強い熱魔法、ドーーン! と撃ち込んでやれ!》
結構な繊細さが必要なはずだが、村上の命令に繊細さは微塵も感じられない。
あれで大丈夫なんだろうか。
擬音だけで道案内されたような不安感があるぞ。
タイミングが分からないとどうしようもないんだが。
《事前の役割分担通りの攻撃だ。カウントゼロで発射しろ。15、14、13――》
大事なところはシュリンツ艦長がやってくれる模様。
ならば第1艦隊は安泰か。
「第1艦隊のカウントゼロから1分51秒後、俺たちも攻撃だ」
一方で、こちらも大事なことはフォーベックが口にする。
俺も村上も、いろんなことを艦長に任せっきりにしてるのね。
もはや司令と艦長の立場が滅茶苦茶だ。
《5、4、3、2、1、発射!》
「カウント開始。攻撃まで1分50秒前」
長いような短いような、何とも言えぬカウントだ。
少なくとも1分50秒間、帝国艦隊が俺たちの存在に気づかなければ良いんだが。
さすがに300キロ先からの攻撃、敵が少しでも動けば当たらない。
そうなりゃ、最悪は強行作戦に移行しないとならない。
面倒なことにならないことを願う。
「攻撃まで1分30秒。アイサカ司令、少しだけ高度を上げた方が良いかもしれねえぞ」
「うん? どういうことです?」
「いや、渓谷から頭出さねえと、敵艦への攻撃が当たらねえかもしれねえんだ」
「なるほど。じゃあ、全艦、攻撃1分前に高度を400メートル上昇させてください」
攻撃を当てるための上昇なのに、それで敵に見つかったら元も子もない。
艦の上昇は攻撃の直前がちょうど良いだろう。
俺は外の景色を眺めながら、カウントゼロを待つ。
どうやら日の出の時間を迎えたようで、霧が少しオレンジ色に染まってきた。
今日は良い天気になるらしい。
今頃、ロミリアはどこで何をしているのだろう。
敵艦の様子を探るため、俺は再度、魔力レーダーを使う。
さっきと違って、敵の大まかな位置は特定されているから、敵艦の追跡は容易だ。
跳ね返ってきた魔力からは、レイド級3隻が大人しく宙に浮いているのが確認できる。
そういや、ガルーダの中距離砲が1門だけ壊れている。
というのも、この前のとんでも超出力熱魔法攻撃のせいで、砲身が溶けてしまったのだ。
交換も間に合わず、壊れたまま出撃した。
まあ、なんとかなるでしょ。
「攻撃まで1分」
「よし、全艦高度を400メートル上昇」
指示と同時に、俺も重力装置に魔力を送り、ガルーダを上昇させる。
さすがにこの程度の作業は慣れたもんだ。
ただし、霧のおかげでどれだけ艦が動いているかが分からない。
これはもう、計器を見て調整するしかない。
いつもよりは多少なりとも面倒な作業。
それでも30秒後には、ガルーダは制約のない大空に飛び出している。
いよいよ作戦も第4段階か。
ところが、いつも作戦通りとはいかないのが戦場だ。
軍事学における摩擦は、完全に排除することなどできない。
相手の動きを追跡する魔力レーダーが、にわかに騒がしくなった。
3隻の敵艦のうち、1隻が動きはじめたのである。
最悪だ。
これで1隻の撃破はほぼ不可能になった。
救いは、他の2隻が動いていないことである。
どうも敵さんは、俺たちの存在に気づいているわけではないようだ。
単にタイミングが悪かっただけらしい。
「敵が1隻動いたけど、攻撃は続行。動いた1隻は、2隻を撃破後に直接潰す」
第1艦隊はとっくに熱魔法攻撃を行っている。
それ以外に選択肢はない。
倒せる敵は、倒せるうちに倒すべきだ。
司令である俺が、焦って変な指示をしてはいけない。
「攻撃まで10秒、9、8、7、6――」
多少なりとも面倒なことになったが、こっちが優位なことは変わらないんだ。
帝国艦隊め、どこから攻撃されたのかも分からず、撃沈されちまえ。




