第118話 和平交渉
メルテムの研究成果は、俺が思っていた以上に佐々木を喜ばせている。
「超高速移動は、人為的に異次元へと入り込み、時間を飛躍できると!」
「うん! じじいの言う通り!」
「素晴らしい! これを応用すれば、我は遂に、2015年の地球に帰れるのだ!」
「なんかよく分かんないけど、じじいが喜んでる! ああぁぁあ! 私の研究成果を喜んでくれる人が!」
少女と老人が、ただただ狂喜乱舞する。
それが孫とおじいちゃんの関係ならまだしも、今日会ったばかりの他人同士。
挙げ句の果てに、メルテムは佐々木をじじい呼ばわり。
なんとも珍妙な光景だ。
「ジョエルよ、この小娘と異次元の研究を進めるのだ!」
「かしこまりました。ではメルテム嬢、研究室を案内いたしましょう。ここは様々な機材が揃っております。メルテム嬢はそれらを自由にお使いください」
「え? いいの!? やった! ああぁぁぁああ! 今日は最高の1日!」
勝手に話が進んでしまっている。
せめて俺たちの許可ぐらいはとってほしいもんだ。
さすが魔王、鬱憤晴らしに戦争はじめるだけあって、わがままである。
「アイサカ司令殿、和平交渉をするのなら、今では?」
俺の耳元で、トメキアがそう呟く。
呟かれてようやく思い出した。
メルテムに研究成果を発表させたのは、和平交渉を円滑に進めるためのものだったはず。
衝撃的な真実が多すぎて、完全に忘れていたぞ。
「佐々木さん、ちょっと話が」
「なんだね。我は今、研究に忙しいのだ」
あらあら、メルテムの研究成果は効果が大きすぎたか。
果たして佐々木は、和平交渉に応じてくれるんだろうか?
というよりも、和平交渉に興味を持ってくれるんだろうか?
「実は、俺たちがここに来た理由は、和平交渉のためなんです」
「和平交渉だと?」
「ええ。佐々木さん、あなたは魔王なのだから、人間界との――」
「佐々木さん! 終戦を宣言しろ! 人間界と魔界の戦争を終わりにするんだ!」
これから交渉だというのに、村上がド直球の言葉を佐々木に投げやがった。
ああもう! そんなに戦争を終わらせた英雄になりたいのか!
どんだけビッグな最強の人生勝ち組になりたいんだよ、アイツ!
おかげで俺の予定が狂った。
「分かった、戦争を終わらせよう」
……え?
そんな簡単に戦争を終わらせちゃうの?
もう少し、何か山場があっても良いんじゃないの?
このままだと、村上のとても交渉とは呼べない和平交渉で、戦争が終わるぞ。
いや、別に良いんだけど……。
「えっと……じゃ、じゃあ、この降伏文書に、魔王としての署名を」
「うむ。ジョエル、ペンを」
「どうぞ」
一切の躊躇もなく、佐々木は降伏文書に署名する。
もちろん佐々木の名前ではなく、魔王としてのサインを。
おいおい、えらくあっさりと、魔界が戦争に負けた。
えらくあっさりと、人間界は戦争に勝利した。
「これでよかろう。では、研究の続きを」
降伏文書、といよりも、もはや戦争自体に興味がないのだろう。
署名を終えた佐々木の意識は、すでに研究に向けられている。
おそらく彼は、2015年の地球に帰ることしか、頭にないんだな。
第7人魔戦争の終結を、魔王が宣言。
あとはこの降伏文書が元老院に届き、受け入れられたら、戦争は終わる。
パーシングやイヴァンがいる限り、元老院が降伏文書を受け入れぬはずがない。
戦争は終結したも同然だ。
本来は、戦争が終わったのだから喜ばしいこと。
なのに今の俺は、どうしても素直に喜べない。
この戦争では、多くの人間と魔族が立派に戦い、または被害を被り、死んでいった。
死んだ者たちは、その死に価値がなければ、死んでも死にきれないだろう。
家族を守った、他人を守った、国を守った、暴力に屈さなかった、なんでもいい。
何かの理由があり、価値がなければ、死んだことに納得できないだろう。
だからこの戦争は、人が死ぬだけの価値がある戦争ということにしないといけない。
今、俺の目の前で、うるさいファンにサインをするように、佐々木は戦争を終わらせた。
果たして、そんな簡単に終わらせられる戦争に、人が死ぬほどの価値はあったのか?
そりゃ、価値のない戦争が終わり、これ以上の死者が出ないのは喜ぶべきことだ。
でも死んでしまった人たちは、価値のないことのために死んだことになってしまう。
戦った側の人間である俺は、どうしても、そこが気に入らない。
「佐々木さんはなぜ、戦争をはじめたんですか?」
一瞬で、容易に戦争を終わらせようとする佐々木に、久保田がそう質問した。
彼の口調は、やはり厳しい。
久保田もやはり、佐々木が簡単に戦争を終わらせることに疑問を持ったようだな。
メルテムを連れてどこかに向かおうとしていた佐々木は、久保田の質問に足を止める。
そして、ゆっくりと振り返り、さも当然かのように答えた。
「元の世界に帰れぬのだ。だから我は、我をこの世界に閉じ込めた者たちに、復讐をしようとしたまでだ。そうでもしなければ、我は一歩も前に進めなくなっていた」
「……それは、憂さ晴らしということですか?」
「どう表現するかは、貴様の勝手だ、クボタ」
否定しないということは、憂さ晴らしという認識が自分にもあるってことか。
自分の憂さ晴らしだけのために、戦争をはじめ、多くの人間や魔族を犠牲にしたと。
ふざけた理由だ。
佐々木は完全に狂人だ。
あまりにもな戦争理由に、俺のはらわたは煮えくり返りそうだ。
だが不思議なことに、正義感の強い久保田は、無表情のまま。
彼は感情を表に出さず、だが厳しい口調で、佐々木に次の質問を投げかけた。
「……では佐々木さん、なぜその復讐を止めるのですか? 復讐でもしないと、一歩も進めなくなったのではないですか?」
「簡単な話だ。地球に帰れる可能性がある今となっては、もはや復讐などに興味はない。むしろ、研究の邪魔となるだけだ。ならば復讐のための戦争など必要ない」
これ、この発言が、俺の癇に障る。
はっきり言って、佐々木の憂さ晴らしだけが、戦争の理由だ。
魔族はそれに従い、人間は身を守るために戦った。
しかし当の佐々木自身が、戦争など邪魔で必要のないものだと言い放つ。
すると今回の戦争で死んだ者たち全員が、死ぬ必要のなかった者たちになってしまう。
それでは死者も遺族も、納得できないだろう。
とは言っても、これらは俺の勝手な心情だ。
現実的に、淡泊に考えて、戦争が終わるのならそれでいい。
愚痴は言っても、文句は言わない。
ともかく俺は、必死で怒りを抑え、自らを納得させようとした。
戦争が終わるのだから、それでいいじゃないかと。
でも久保田は違った。
久保田はもう、俺の知っている冷静な久保田ではなかった。
「憂さ晴らし? 邪魔? 必要ない? 地球に帰れるから興味がない? お前がそんな勝手な理由ではじめた戦争で、何人が死んだと思っているんですか! お前さえいなければ、戦争ははじまらず、元老院を調子づかせることもなかった!」
無表情から豹変し、怒りの感情に飲み込まれる久保田。
つばを飛ばしながらの怒声が、部屋中に響き渡る。
「戦争が、元老院におかしなことをする隙を与えてしまった。それに対抗するために、必死に抗って、でもリナさんは殺された! リナさんは元老院に殺され、戦争に殺されたんだ! リシャールに殺され、お前に殺されたんだ!」
怒りだけでなく、哀しみも含まれはじめた久保田の言葉。
やはり彼にとっては、リナが死んだショックは大きい。
佐々木に怒りの矛先を向けるのも、理解できる。
「僕は……リナさんを守れなかった。リシャールや、お前のような卑劣な人間から、僕は大切な人を守れなかった。僕は無力だ。でも、でもだ! 僕はリナさんを守ると誓った! リナさんが守ろうとしたものは、僕が守る!」
そう言って、久保田は右手に剣を持つ。
まさか佐々木に斬り掛かるつもりなのだろうか。
彼の右手は小刻みに震え、恐怖しているようにも見える。
久保田、お前はなにをする気だ?
「元老院がいる限り、お前が魔王である限り、リナさんの愛した世界は破壊される。それは許さない! 今度こそ! リナさんの愛した世界を僕は守ってみせる!」
力強く叫び、意を決し、剣を構え、佐々木に突撃する、俺の友達。
ヤバい、久保田は完全に冷静さを欠いている。
なんとしてでも、俺は4年ぶりの友達を止めないと。




