最悪っ
はじめて人を好きなった。
はじめて恋を知った。
はじめて悲しみも知った。
初恋。
「かーんなっ」
早希が肩を叩く。相変わらず声が大きい。
「今日も元気じゃん。」
皮肉を込めて振り返ったのに、早希は微塵も気にする風もなく、ニヤニヤ笑う。
「・・・またオトコ?」
ため息交じりに早希を睨めつけると、
「ピンポーン!さっすがカンナ、アッタマいい!」
「あんま、うれしくないっす。」
「でさっ、今日ひま?」
いっつも暇ですが、というセリフは口に出さず、コクリと頷いてみせる。
「じゃあ、今度新しく出来たバーにいい男がいるの見つけたから、行こっ。もう、ね、マジいい男だから。」
そのセリフ何度目よ、とうんざりしながらも早希のキラキラした表情をみていると、少しワクワクしてくるから不思議だ。
早希とは街で私が落としたハンカチを彼女が拾ってくれたのが、出会いのきっかけだ。
「私達の出会いって、少女マンガなら恋が始まってるよね。」
と2人でよく笑う。
早希は惚れっぽい性格だから、本当に私が男だったら、押し倒されていたかもしれない、とたまに本気で考える時がある。
女同士でよかった。でなければ、3ヶ月後には違う男に目移りされて、早希とは離れていただろうから。
「ね~行くでしょ?」
カンナがぼーとして返事も返さなかったため、早希が不安そうに覗きこんできた。
「あーうん。行くよ。」
「決まりっ」
早希は弾けるように笑った。
「いらっしゃいませ。」
想像していたより落ち着いた店だったので、カンナは少し萎縮しながら歩を進めた。
早希が見つけたというバーは、今までカンナが遊び場にしていたような派手な装飾やうるさい音楽がなく落ち着いた雰囲気で、それでいて、まだ子供のカンナ達をお客として受け入れてくれる、ちゃんとした空気があった。
「早希ちゃん。こんばんは。」
カウンターの向こうから、優しい声がした。顔を見るまでもなく、この声の主が早希のお気に入りだと判る。早希の好きなバリトン。私が聞いても少しゾクっとする色気のある声だ。
「こんばんは~。友達のカンナ。」
早希の他者紹介はいつもシンプルでスピーディだから好きだ。
「カンナです。」
それに比べて私はスマートな自己紹介の一つも出来ないのが、コンプレックス。
「オーナーのレイジです。」
レイジと名乗ったバリトンの男は、どう見ても私とそんなに年齢が変わらないように見えた。小さい丸顔、大きなつぶらな瞳、スッと通った鼻筋、グロスを塗っているような紅い薄い唇。
「ど、童顔ですか?」
思わず口にしていた。
「ばっ!」
続く「か」の字を飲み込む早希。ヤバいとレイジさんの方を見ると、小刻みに肩が震えている。
「あ、あの・・・。」
「いや~さすが早希ちゃんの友達だね~。まいったよ、2人には。」
訳がわからず早希を見ると、早希は眉間にシワを寄せてあさっての方をむいた。
「私は お前いくつだ って言ったんだ。」
さすがだ、早希。私がレイジさんにどう謝ったらいいかと口をモゴモゴしていたその時、店のドアが開いた。とたんに白檀の香りが私を包み、
そして彼に会った。
「こんばんは。」
レイジさんと負けず劣らず低音の渋い声の彼がにこやかに微笑む。
「ヒカル。久しぶりだな。」
レイジさんが嬉しそうに右手を挙げた。その手にパチンっと彼が右手を合わせて挨拶を返す。
「店、ついに出したんだな。」
彼は眩しそうに店内を見回す。
「あぁ、やっとな。」
レイジさんが彼の前に琥珀色の液体を満たしたグラスを置く。ついでに私と早希の前にも、淡い白色の飲み物が入ったロンググラス。
「君達にぴったりのカクテル。バージンチチ。もちろん、ノンアルコールだからね。」
そのカクテルは少しココナッツとパインの味がして、夏の香りがした。
「じゃあ君達も乾杯に付き合ってくれ。」
彼がグラスをあげる。
「レイジと可愛いいお嬢ちゃん達に。」
その言葉に私は思わずムッとした。お嬢ちゃんって何よ。バカにしてない?私の気配が伝わったのか、早希が慌ててグラスを大きく鳴らしてさけんだ。
「レイジさんに乾杯!」
「ありがとう。」
レイジさんの嬉しそうな声に私の頭に上った血が少し治まった。いけない、早希のお気に入りがいるのに店に来れなくなったら、申し訳ない。私も笑顔でレイジさんにお祝いを言う。
「おめでとうございます。」
「ありがとう、カンナちゃん。」
「へー、カンナちゃんって言うんだ。」
茶化したような彼の声がカットインする。
「そーですよ、ヒ・カ・ルさん。何か?」
不機嫌を隠さず、彼に向き直る。でも彼は涼しい顔でグラスの中身を舐めている。ムカつく。
「またまたぁ、ヒカルは昔から好きな女の子にはいっつも意地悪いうんだからな~。」
はぁ?嘘でしょ?いまどき、中学生でもそんな愛情表現しませんが?レイジさんにそう言い返そうとした時、彼が笑った。
「だってこの子、俺のどストライクだもん。是非、落としたい。」
屈託無く言い放つ彼に、何も言い返せない。
「なめてんの?」
それは早希の口から出ていた。
「私の友達、なめてからかってるの?おじさん。」
早希の冷ややかな口調は場を凍らすのに充分だった。
「あーごめん、早希ちゃん。ヒカル昔から性格悪くて。」
レイジさんが早希に頭を下げる。
「おまっ、それ言うなら口悪くてだろ!性格悪いってなんだよ。」
彼の言葉に早希が吹き出した。
「レイジさん、きっつ~。」
「思わず本音。」
「泣くぞ。」
一瞬で凍った空気が解けたのに安堵しながらも、私は居心地が悪くて上手く笑えなかった。面と向かって「落としたい」と言われたのが、かなり効いていたのだ。いままで私に寄ってきた男たちは、私に興味があることを隠して近づいてきたから。容姿がよく誘われ慣れしている感じの女の子には、男の方もがっつく誘い方がしにくいということを、まだ幼い私は知らなかった。だからこそ、ストレートに自分をタイプと言い切る彼に戸惑っていたのだ。
「ごめん、カンナちゃん。でもまた会いたい。」
彼の次の言葉で私の緊張はマックスに達した。私は思わず店から飛び出した。
「カンナァ?」
早希の声がドアが閉じるのと一緒に途切れた。
ちらりと店の方を振り返った時、頭上に丸い月が見えた。
思わず息をのむくらい、綺麗な月だった。
まだまだ引っ越し中です。