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   一

 目覚めると目の前にひしゃげた醜い肉塊があった。暗いピンクの地にどす黒いまだら模様が入っている。

 それが額を割られた中年男の顔だと気づくまでに、しばらく時間がかかった。


 ……え?


 ふと見る。

 そして、つくづくと見る。


 お腹のあたり脂肪のつき具合といい、頭髪のいかにも寂しげなことといい、どこからどう見てもそれは、五十がらみの風采のあがらないおっさんの見本だ。

 満員電車や場外馬券場の群衆に紛れ込んでしまえば、すぐに個体識別が不可能になったことであろう。

 生前はさぞ脂ぎっていたことだろう。

 さほど大きくない会社のせいぜい部長止まりで、会社の女の子たちにこれといった根拠もないのにやたら嫌われていて、太った奥さんと反抗期の子どもの二、三人もいて、毎日通勤電車の中でスポ-ツ新聞のエッチな記事を面白くなさそうな顔をして読んでいる。

 そんな日本のおとーさんの典型が、目の前で見事な死体となって、ゴロンと無造作に転がっていたりする。

 こう、だらーんと三十センチほどに伸びきったどす黒い舌を自分の顔の上に乗っけちゃったりして。


 ……嘘。


 ずさっ。

 ずざざざざざざざざっ!


 頭をボリボリ掻きながら、半分寝ている脳味噌で混沌とした思索を展開していたわたしは、ことここに至ってようやく事態を把握し、部屋の隅にまであとずさる。

 ちょっとおっさん待てよおいいったい誰に断ってこんなところでドタマかち割られておっちんでいるわけよりによってこのわたしの目の前で死体になっていることないじゃないいったいどういう了見をしているだろう死体だなんて死体だなんて死体だなんて死体だなんて死体だなんてし、た……い?

 のーみそはまだきちんと機能していないらしく、わたしの思考は素敵にループ、リズミカルに最後のフレーズをリフレイン。

 顔面蒼白でポカンと口を開けていること数分間。

 いわゆる、パニックってやつかも知れない。

 自分が置かれた事態はなんとか把握したんだけど、なすすべもなく地べたにぺたんと座り込んでいたわけね。


 ……えーん。

 ちょっとこれ、やばいんじゃない。

 やだよー。


 とかなんとかいって、空白ドタマ状態からなんとか脱出。

 とにかくしばらくして、やっとこさ状況を確認する余裕が出てきたわけ。

 で、結論。

 わたしとおっさんが半裸でベッドに同衾していたという事実。

 これは動かせない。


 おっさんはシマのトランクスにノースリーブのシャツ、わたしに至っては淡いブルーのスキャンティ一枚というはしたない姿である。

 もしここに第三者がいれば、間違いなくわたしたちはそういう関係であると思ったことであろう。

 わたし自身の意見をいわせてもらうのなら、

「決してそういう関係はなかった!」

 と目一杯否定させていただく。

 わたしにだって選ぶ権利はあると思うし、たとえぜーんぜん記憶がないといっても、こーんなむさ苦しいおっさんを相手にするほどわたしの趣味は悪くないはずだ。

 たとえぜんぜん記憶がないといってもたとえぜんぜん記憶がないといってもたとえぜんぜん記憶がないといってもたとえぜんぜん記憶がないといっても……。


 ……え?


 と、ここでまたしつこくループ状態に陥ろうとするわがドタマを両手ではしっと掴んで叱咤する。


 駄目よ駄目!

 お願い!

 正気を保ってて!


 ……なんてこった。

 どうもわたしののーみそは、まだまだ本格的に稼働していなかったらしい。

 ここに至ってようやく思い至ったのだ。

 自分が、記憶を喪失していることに。

 わたしは、たった今わたしが目覚める前の記憶を、一切持っていなかった。


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