帰宅
hello.hello、こんにちは
「ご飯出来たから、降りてきて!」と大声で呼びかけたが、いつも通り返事はこない。
いつもの事、いつものことなんだから。
テーブルの上には、作ったばかりのあったかい料理が並んでいる。
まだ温かく、湯気が立っている。
「いただきます」
私は手のシワとシワを合わせて言った。
食べ始める。
私の家では、これが普通の食卓。
父親と母親はどちらも毎日残業していて、下手すると今日中に帰ってこないこともある。そうなると、二人は何処かで食べてくるか、食べないことが多い。
偶に早く帰ってくると、一緒に食べるけど、そんな日は一年に何回か。
それを前にやったのは、数ヶ月前のこと。
弟は、最近、私の呼んだ時に来ることは絶対に無い。私が食べ終わる直前か、食べ終わった後に、まるで図ったかのように下りてきて、無言で食べ始める。
こうなったのは、ここ二、三年で、反抗期なのかなって思う。
今日も、両親共に遅くなるし、弟は下りて来る気配は無い。
結局、私は一人で食べることになる。
明かりは点いているけど、なんとなく暗い感じがする。
「ごちそうさまでした」
自分の使った食器をキッチンに戻し、リビングのテレビを点けた。テレビからは、下品な男女の声が聞こえてくる。
無音の部屋の中にやっと、音が増えた。
ソファに座って、それをぼんやりと眺めていると、ギシギシと軋む音が聞こえた。
そしてギイィとリビングのドアが開く。
立ち上がって振り向くと、思った通り弟がいた。
髑髏のTシャツに、黒いズボン、髪は茶色に染めている。眉間に皺を作って、気難しそうにしていた。
「ご飯、食べるよね」と聞くけれど、無言で椅子に座った。
茶碗に大盛りでご飯をよそって、箸を付けて、弟の前に置く。
弟は何も言わずに、箸を取り、カチャカチャと夕食を食べ始めた。
私はその間にお風呂を点けに行く。
お風呂を使うのは、今、私しかいない。
私以外はシャワーですませてしまうから。
戻ってくると、弟がまだ食べている最中だった。無言で私の作った料理とにらめっこしながら、食べている。
私は弟の対面に座った。
弟を改めてじっくりと眺めてみる。
身内だけど、弟はイケメンの部類に入ると思う。顔は整っているし、身体付きも太ってもいないし、痩せ過ぎてもいない。えっと……筋肉質っていうのかな。
でも顔付きはまだ子供の時のままで、お姉ちゃんお姉ちゃんと言っていた頃と重なる。
どうしてこんなにグレちゃったんだろう。
弟が私の視線に気付いて、私を睨んできた。弟が目を細めると、とても怖い。
「あっ、ごめんなさい」
「…………」
無言で、また食べ始める。
「な、何か飲む?」と聞くと、「コーラ……」と一言答えてくれた。
私は答えが返ってくると、思っていなかったので、驚いてしまう。それと少しうれしい。
立ち上がって、冷蔵庫からコーラを出して、棚から適当にコップを取り出す。
そのコップを見ると、心の中が少しだけあったかくなった。これは弟が幼い時に使っていたコップだ。
私とお揃いで買ったコップで、これは青で、私のは赤。そういえば、私のは、どこに置いたかな?見えている範囲には、無いけど。
そのコップを持って、弟の所に戻った。
弟はまだ食べている。もう少ししかない。食べるの早いなぁ。
コップをテーブルに置いて、コーラを注ぐ。
「あ……ありが……」と小さな声で弟が何かを言った。
「えっ……、ごめん、蟻がいた?代えるね」
私はコップを取り替えようとすると、弟はいきなりコップを奪い取って、ガブガブと一気にコーラを飲み干した。
私が驚いていると、コーラを私から乱暴に奪い取り、自分でコップに注ぎ始めた。
コップから溢れそうになるほど、大量に入れる。
そんなに私に入れられるの嫌だったのかな?
「ごめんね。お姉ちゃんになんかして欲しくないよね……」と謝ると、弟はテーブルをバンと叩いて、私を恐い目で睨んできた。
「健二……?」
「あっ……ち、が……」
「うぅ……ごめんね……。イヤだよね……」と目頭が熱くなってくる。
私は袖で目を擦った。
その時、何故か弟が私の手を取った。
「…………」
「な、なぁに?どうしたの?」
弟は口をゆっくりと開いたり閉じたりしている。
何か言いたいの?
すぐに、私の手を振り払って、「あっ……」と声を出した。目を見開いて、私を見てきている。
私は何をしているのか分からなくて、弟を見つめた。
弟は決まり悪そうにして、椅子に座り直した。そしてまた食べ始める。
分からない……。
急に手を握ってきて……。
うぅ……分からないよ……。
また、昔みたいに、話せれば良いのに……。
「昔に戻ってくれれば良いのに……」
弟がパッと顔をあげた。
その顔には、驚きと悲しみがあるように見えた。
すぐに私は今の言葉が、口に出ていたことに気づいた。口を手で塞いで、首を横に振る。
違う……今のは、違う……。
そんなことを、言いたい訳じゃない。
悲しそうな弟の目が、私の目と会った。
弟の黒い瞳が、私をジッと見つめてくる。
ズキン!
金槌で額を殴られるような頭痛がした。
私を責めるように、頭痛が何度も私を襲う。
ズキン!
ズキンズキン!
ズキンズキンズキン!
痛みが増していく。
耐えられない……。
弟に伝えようとしても、口が、頭が動かない。
すぐに目の前が真っ暗になった。