ショートショート1
気が向いたら書いていこうと思っています学園ショートショート。ただ、私自身学生生活でのいい思い出とかってあまり無いので、まあこんな学生生活が送りたかった、みたいな内容になるでしょけどね。よければお付き合い下さい。
「頼む、お前しか頼れる奴はいないんだ」
担任の田村先生は、両手の皺を合わせて拝み倒すように私に頭を下げている。私は慌てて先生に顔を上げさせ、依頼への了承を示した。
「わかりましたから、頭を上げて下さい」
いくらなんでもこんな人通りの少ない場所で心配無いだろうが、それでももし誰かに見られたらと思うと気が気じゃ無い。教師に頭を下げさせている場面を友人なにかに見られれば、あっという間に噂が広がり、私は極悪非道のSの女王様として全校生徒の注目の的になってしまうだろう。それもまあ悪くないかなと思わなくも無いが、出来れば平凡に真面目に学生生活を送りたいと思ってい止まない私にとって、あまり歓迎すべきことじゃない。
私は仕方無く、首を縦に振った。
「引き受けます」
「本当かッ!」
自分から頼んでおいて、確認するな。そう突っ込んでやりたくなったが、ぐっと堪える。
「はい。どうせ家に帰ってもやることなんて無いですし」
本当は山ほどあるのだが、本当のことを言う必要も無いだろう。第一、もううんと言ってしまっているのから、引き返せない。
「んじゃ、よろしく頼むな、伊藤」
先生は最後に白い歯を覗かせ、いい笑顔を浮かべて職員室へと消えて行った。
私ははあと溜息を吐いた。
どうして、私が……
私に与えられた任務はクラス、いや学年……学校一馬鹿で有名な霧島祐司に勉強を教えることだった。
「はい、というわけで現在、我々はここ、二階にある補習室を借りて勉強します」
「しつもーん」
早速馬鹿っぽく手を上げて、霧島くんが質問を繰りだして来た。どうせ何でそんなことをしなきゃいけなんだとかそんなところだろう。馬鹿の考えることはわかり易い。
「はい霧島くん、何?」
「伊藤って彼氏とかいないの?」
「ぶふうッ」
な、何を訊いて来るのかしらこの子はッ! 私の予想を軽く飛び越えて、現状とはまるで関係の無い問いを投げて来るなんて。デリカシーが無い。
「何でそんなことを君に答えなきゃいけないのかしら?」
「別に嫌だって何ならいいけど」
「嫌ってほどじゃ……そうね、今はいないわ」
「今はってことは、前はいたりしたのか?」
「それは……」
いない。それどころか、彼氏いない歴イコール年齢な私に対してその質問は何? まさかわかって言ってるんじゃないわよね?
「どーなんだよ?」
「い、いいいたわよ。それもかなりのイケメンが」
つい、嘘が口を吐いて出てしまった。言ってしまってから訪れるこの罪悪感と後ろめたさに、ああ、私は何て正直な人間なのだろうと自分で感心してしまう。
「嘘じゃないよな?」
「う、うそじゃないわよ」
霧島くんの疑わしげな視線が、私の両の眼を射抜くように向けられる。く、くそう、普段は馬鹿なくせにこんな時ばっかり感が鋭いんだから。
私は二度ほど咳払いをして、じゃあ、と手にしていた教科書を彼に掲げて見せる。
「三日後、再試験があるわ。霧島くん、あなたの使命は三日後までに先生に提示された課題をクリアして、無事に再試験をパスすることよ」
再試の時点で無事もへったくれもあったものじゃ無いが、そんなことを言って彼にやる気を削がれてしまっては面倒だ。とにかく、まだ希望はあることを提示して、少しでも勉強に身を入れてもらわなくては。私の自由と信用のために。
「でもさー、再試の時点で満身創痍って感じだよなー。こんなことして意味あんのかよ?」
こ、こいつ……人が折角気を使ってやったってのに、何自分からやる気無くなるようなこと言ってんのよッ! っていうか満身創痍って意味わかって使ってんの?
「そんなことは無いわよ。この課題が全部正解だったら進級に必要な点数くらいはくれるそうだから。更に、試験の点数に応じて加点もしてくれるって」
「ふーん」
まるで興味の無さそうな霧島くんは頭の後ろで両手を組み、椅子を傾けて遊び出した。そんな彼の様子に、私は本気で殴り飛ばしてやろうかと真剣に思案を始める。
「だいたいさー、俺みたいな奴に勉強教えなきゃなんないなんて、伊藤も大変だよなー。ぜってー時間の無駄じゃん?」
「そう思うのなら真面目に、今から私が言うことを頭の中に叩き込みなさい」
「なあ伊藤、何でお前俺に勉強教えることにしたんだよ?」
「そんなこと、どうでもいいでしょ。いいから、教科書開いて」
「気になるじゃん。教えてくんなきゃ勉強に集中なんてぜってー無理」
「やる前から無理とか言わない。しょうがないわね」
仕方無く私は、なぜ霧島くんに勉強を教えてあげる気になったのかを話した。霧島くんは静かに私の話を聞いていたが、そう中身のある話では無いので、一分と経たずに離し終えてしまった。
終わった後、霧島くんは納得したように一つ大きく頷き、
「つまり、自分の信用と評価のためってことか」
「何よ、悪い」
私はどことなく居心地が悪くなり、霧島くんから視線を逸らした。体のあちこちがむず痒く、落ち着かない心境に囚われる。
「この際だからはっきり言うわ。私はね、あなたみたいな人が大っ嫌いなの。毎日毎日勉強も部活もせずにただ遊び歩いているだけで、いざ自分の立場が危うくなったらこうして誰かに助けおを乞う。そういうの、私の中の三大嫌いなものベスト二位よ」
「ちなみに一位は?」
「……ムカデ」
「あー……なるほど……」
霧島くんは納得したように、二度首を縦に振った。私は眉間に皺を刻み、目元に手を当てる。
「まったく、先生もなんであんたみたいな奴のために私に頭まで下げたんだか」
そこまでする価値がこの男にあるとは、私には思えない。糸を通す針の穴よりもだ。
「さっ、もういいでしょ。勉強しましょう。早く終わらせて、早く帰りたいわ」
そして、いつものように自室で勉強したい。
「そうだな。俺もいつまでもこんなところにいたくないし」
「………………」
本人は何気無く言ったつもりかもしれない。しかし、霧島くんの一言は私の眉をぴくりと動かす程度には私の心をえぐってくれた。
いつまでもこんなところにいたくない。
それは、いつまでも私と一緒にいたくない、とそういうことなのかしら? もしそうだと言うのなら、私の方こそお断りよ。とっとと帰りたいのは私の方。
私は左手に広げた教科書を持ち、右手にチョークを持った。黒板を向き、教科書赤い丸で強調されている個所を掻き出していく。
「この対策問題を見る限り、霧島くんは微分積分は割と出来てるみたいね」
「そんな言うほどのもんでもねーだろ。実際、俺の数学の点数は一桁だった」
「言ったでしょ、割と出来てる。他の人と比べると、そりゃ出来ていないけど、まあここは後廻しでもよさそうね」
ぱらぱらとページをめくり、一通り目を通す。これはあくまで先生の分析なので、私が分析し直す必要があるが、それでも一応の傾向くらいなら見て取ることが出来る。
「基礎の部分はごっそり抜けてるけど、なぜか応用は出来てる感じね」
「なぜか感で当たっちまうんだよな」
「前言撤回。一から教えないと駄目みたい」
どっと疲れが押し寄せて来た。まあ確かに、本試験の時は選択問題が多かったし、一個か二個くらいなら私も感で解いたけど、それでも問題数は五十問を超える。それらを感のみでといていったと言うのならある意味においては凄い。それはもう一種の才能と言って差し支え無いんじゃないかしら。
私は教卓の上に両手のひらを突いて、頭痛に頭を押さえるポーズを取る。
実際、頭が痛いような気がして来るから不思議だ。
「じゃ、始めるわよ」
「それにしてもさー」
自習室に入ってからそろそろ十分が経過しようとしていた。私は腕に巻いた時計と教室の時計を交互に見て、長話が過ぎたかなと身を反転させた。
そして、勉強の開始を告げようとした時、私の言葉に被せるようにして、霧島くんが口を開いてきた。私は心無しか前のめりになる。
「何よ?」
「伊藤っていい奴だなーって思う」
「はあ?」
何をいきなり。
唐突の『伊藤いい人』発言に、私は思わず眉根を寄せた。こいつ、人の話を聞いていたのか?
「私は、自分の信頼と評価のためにこうして霧島くんに勉強を教えているのよ? それなのに、私がいい人?」
「そいつはさっき聞いたよ。他ならぬお前の口からな」
「だったら……」
「でもさ」
霧島くんはそう前置きして、目を閉じた。嬉しそうに、あるいは気持ちよさそうに。
ゆっくりと、口を開く。
「普通、面倒くせーし誰もやりたがらねーと思うんだよな。でも伊藤は何だかんだと理由を付けて俺の勉強を見てくれてる」
「だからそれは、私の信頼と評価の――」
「だとしてもだ。それに、伊藤くらい頭のいい奴なら無理だっていう理由をでっち上げるくらいわけないと思うんだよな」
「それは……」
返す言葉も無い。……はッ! 私が言い負かされたッ! どうしようも無く馬鹿の霧島くんにッ! 何という屈辱。
私はがっくりとうなだれると、
「何とでも言うがいいわ。私が霧島くんに対して何も言えないのは見ての通りよ」
「あ? 何言ってんだ、伊藤。意味わかんねーぞ?」
がーんッ! 霧島くんから意味分かんないって言われた、意味分かんないってッ!
「とにかく、俺が言いたいのはお前はすげーいい奴で、だからこそ俺の勉強を見てくれるんだってこと」
垂れていた顔を上げる。すると、目の前には優しげに微笑む霧島くんの顔があった。一瞬だけ目が合い、瞬時に逸らす。
な、なにいッ! 何だあの顔はッ!
心臓がばくばくする。顔中が熱くなって、それどころか体中が熱くてたまらない。バッと勢いよく制服を脱ぎ出したいがそうも行かず、私の眼球は右へ左へと右往左往する。
やがて、私の心臓が少し落ち着いた頃合いを見計らって、自分の喉から声を絞り出す。
「……くだらないこと言って無いで、とっとと終わらせましょ」
「おー」
霧島くんはやる気がなさそうに手を突き上げると、机の上にノートを広げた。
それから、どんな内容のことを教えたのかよく覚えていない。ただ、とりあえず先生から与えられた課題をクリアする程度のことは教えたと思う。
結果から言うと、霧島くんは再試験でまたも落第点を取った。私が教えた勉強はまるまる無駄に終わったというわけだ。
それからも、彼と私は時々軽く雑談のようなものを交わすことがある。前からそうだったので、周囲は何も言わない。
しかし、あの日から私の霧島くんに対する態度が変わったのは、たぶん誰にも気づかれていないだろう。
いいですね、二人きりの勉強会。片と片が触れ合い、お互いの吐息が交差する教室の一室。夜中までかかって教えていると二人の間に変化が芽生え……じゅるり。……では、さようならあ(にっこり)。