5話
5月の朝。
4月よりは少しだけ人の波が落ち着いてきて、満員電車にもほんのわずかな“余白”ができていた。
りこは、いつものようにカバンを前に抱えて乗り込む。
(この感じなら、まだマシかな)
そんな油断が少しだけあった。
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車内の揺れに合わせて、お尻に何かが触れる。
最初は気のせいだと思った。
でも、混雑の中でスカートの上から、不自然に触れてくる手がある。
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りこは少しだけ身を引こうとする。
けれど、人の流れでうまく動けない。
(え……)
気持ち悪い。
(どうしよう)
泣きたい気分になる。
そのときだった。
「……鈴木」
低い声。
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少し離れたところにいた悠星が、りこの腕を軽く引く。
強引じゃないけど、はっきりした動き。
「こっち」
短く、それだけ。
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りこは一瞬反応が遅れる。
「え……」
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悠星は視線を前に向けたまま、さりげなく位置を変えている。
人の流れの中で、自然に“壁になる位置”に入る。
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りこは引かれるまま少しだけ移動する。
さっきまでの圧が、少しだけ遠くなる。
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悠星はそれ以上説明しない。
ただ普通の顔で立っている。
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りこは状況を理解する。
(……今の)
さっきまでの気持ち悪さがなくなった。
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(助けてくれたんだ)
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悠星は何事もなかったように視線を逸らす。
「……ここならマシだろ」
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「……ありがとう」
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その後、電車は普通に進んでいく。
何も起きていないふりをしたまま。
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でも、りこはさっきよりずっと静かに立っている。
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悠星は何も言わない。
ただ少しだけ距離を保ちながら、同じ空間にいる。
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その距離が、
さっきまでとは少しだけ違って感じた。




