おわりに それでも、明日へ
証明はできない。
あなたが失った人の意識が今もどこかに存在しているか、あなたを今も想っているか――それを科学は証明できないし、本稿も証明できない。
しかし、こう言うことはできる。
あなたがあの人を愛し、その愛を受け取ったという事実は、消えない。
それはあなたの中に、宇宙の構造の中に、因果の連鎖の中に、永久に刻まれている。
そして、あなたがここで問い続けているということ。
あの人はどこへ行ったのかと問い続けていること。
その問いの根っこに、あの人への愛があること。
それはあの人があなたにくれた、最も深い贈り物ではないだろうか。
「なぜ生きるのか」という問いに、誰も代わりに答えてくれない。しかし「何のために生きるか」は、あなた自身の中にある。あなたがあの人から受け取った愛を、次にどう渡していくか。それを探し続けることが、今のあなたにとっての「生きること」かもしれない。
探す必要すら、今はないかもしれない。ただ悲しんでいるだけの時間が、まだ必要かもしれない。
それでいい。
悲しみには悲しみの時間がある。ヴィクトル・ユゴーは最愛の長女を溺死事故で失った後、十年以上、その喪失を直接書くことができなかった。十年の沈黙を経て、ようやく娘への詩を書いた。悲しみの時間は、人が決めるものではない。あなたの悲しみが、あなたの時間をかけて、あなたの形に変わっていくのを、ただ待てばいい。
人は二度死ぬ、と言われている。
一度目は息を引き取るとき。
二度目は、誰にも名前を呼ばれなくなるとき。
だから、呼び続けてほしい。
あの人の名前を、いつまでも。
朝、目を覚ましたときに。
夜、眠りに落ちる前に。
あの人が好きだった季節が巡ってきたときに。
あの人が笑いそうなことがあったときに。
その一つひとつが、あの人をこの世界に繋ぎ止めている。
あの人は、あなたの中で、散逸しない。
それがあなたにできる、最も確かなことだ。
――あなたの悲しみと問いに、深く敬意を込めて。
――そして、かつてそうだった私へも。




