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【グリーフケア宗教×科学エッセイ】悲しみは愛の最後の形 ~私はずっとあなたを呼び続ける~  作者: 藍埜佑


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第二章 人類は死とどう向き合ってきたか

 人間が死と向き合ってきた歴史は、人類の歴史そのものだ。ここでは、時代と場所を超えた幾つかの物語を辿ってみたい。あなたが今抱えている問いが、あなた一人のものではないことを知ってほしいからだ。


●古代エジプト――死者の書が語るもの


 今から三千五百年以上前、古代エジプトの人々は死者のために「死者の書」を作った。これはパピルスに書かれた呪文と祈りの集成で、死者が冥界を旅するための案内書として棺の中に入れられた。


 その中心にあるのは「心臓の計量」の儀式だ。死者の心臓が羽根――真実と正義の女神マアトの羽根――と天秤にかけられ、その重さによって来世への道が決まる。


 重要なのは、エジプト人が死を「終わり」ではなく「別の旅の始まり」として捉えていたことだ。彼らは愛した人を失ったとき、その人が無になったとは考えなかった。ただ、別の世界に移行したのだと考えた。


 ピラミッドも、ミイラも、すべてはその「旅」を助けるための準備だった。愛する人の肉体を保存しようとしたのは、その人の存在した証を、できる限り長くこの世に留めようとする、本能的な行為だったと言えるかもしれない。


●古代ギリシャ――ソクラテスの最期


 紀元前三九九年、哲学者ソクラテスは死刑を宣告された。毒杯を飲む直前、彼の友人たちは泣き崩れた。しかしソクラテス自身は穏やかだった。


 プラトンが記録した『パイドン』の中で、ソクラテスはこう言っている。哲学することとは、死の練習をすることだ、と。彼は死を恐れなかった。魂は肉体という牢獄から解放され、より高い真理の世界へと向かうのだと信じていたからだ。


 友人のクリトンが尋ねた。


「どのように葬ればいいですか」


 ソクラテスは笑って答えた。


「あなたは私を捕まえられればの話だが。私はここにはいなくなるのだから」


 これは強がりではなかった。彼は本気で、「自分という存在の核心」は肉体と一致しないと考えていた。肉体が滅んでも、その人の思考の本質は消えないと。


 友人たちが悲しんだのは、ソクラテスの身体が失われることではなかった。その声を、その問いかけを、もう直接には受け取れなくなることへの悲しみだった。それはあなたが今感じていることと、同じではないだろうか。


●日本――イタコと死者との対話


 青森県の恐山に伝わるイタコの習俗は、今も続いている。


 イタコたちは幼い頃から厳しい修行を積み、死者の言葉を「口寄せ」する。依頼者がやってくる。亡くなった親、子ども、配偶者。イタコはその人の名を呼び、言葉を引き出す。


 語られる言葉は、時に驚くほど「その人らしい」という。科学的に証明することは難しい。しかしイタコを訪ねた遺族の多くが、こう語る。


「言えなかった言葉を言えた」


「謝ることができた」


「ありがとうが届いた気がした」


 これが何を意味するのか、断言はできない。しかし確かなのは、人間には「別れが完結していない」ときに深く苦しむという性質がある、ということだ。イタコは、その「未完の別れ」に一つの区切りを与えてきた。


 それは科学的な証明ではないかもしれない。しかし人間の心にとって、それが持つ意味は本物だ。


●近代――マリー・キュリーの悲嘆


 一九〇六年四月、物理学者ピエール・キュリーが馬車に轢かれて突然死した。マリー・キュリーは、放射性元素の研究でノーベル賞を共に受賞したパートナーであり、最愛の夫を一瞬で失った。


 彼女の日記には、こう書かれている。


「ピエール、あなたがいなければ、私は考えることも、感じることも、生きることもできないと思う」


 しかし彼女は研究を続けた。二度目のノーベル賞を獲得した。それは「立ち直った」からではない。ピエールとともに追い求めた「真理」への情熱が、彼の死後も彼女の中で生き続けていたからだ。


 マリーは晩年、こう語ったと伝えられている。


「私が研究をやめないのは、ピエールがそれを喜ぶからだ」


 愛した人の意志や喜びが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。これは慰めの言葉ではなく、マリーが実際に経験した現実だった。


●近代――ダーウィンと娘アニーの死


 一八五一年、チャールズ・ダーウィンは十歳の長女アニーを結核で失った。アニーはダーウィンが最も愛した子どもだったと言われている。


 彼はアニーの死後に短い追悼文を書いた。娘の快活さ、優しさ、笑い方を一つひとつ記し、それを引き出しにしまい込んだ。誰にも見せるつもりのない、父親としての最後の手紙だった。


 この喪失は、ダーウィンの信仰を決定的に揺るがした。慈悲深い神がこの子の苦しみを許すはずがない。もし世界に設計者がいるなら、なぜ十歳の少女がこれほど苦しまなければならないのか。


 彼が『種の起源』で描いた自然界の冷酷さ――適者生存と淘汰――の背後には、アニーの死がもたらした「設計者なき世界」への確信があったという指摘がある。科学史上最も重要な著作の一つが、一人の父親の悲しみから生まれた可能性がある。


 これはマリー・キュリーの物語と対をなしている。マリーは愛した人の意志を引き継いで研究を続けた。ダーウィンは愛した人の死によって世界観そのものを変えた。どちらの場合も、喪失が科学的思考を駆動している。悲しみは人間を止めるだけではない。時に、それまで見えなかった世界の構造を、見せることがある。


●現代――グリーフケアという思想


 二十世紀後半から、「グリーフケア」という概念が広まった。


 かつて悲嘆は個人の問題として、あるいは「時間が解決するもの」として扱われてきた。しかし研究が進むにつれ、大切な人を失った悲しみは、適切なサポートなしには長期的な心身の影響をもたらすことがわかってきた。


 今では世界中に、グリーフサポートグループがある。同じ喪失を経験した人々が集まり、語り、聴く。専門家の介入ではなく、「同じ痛みを知る者同士の共鳴」が、悲しみの中にいる人に力を与えることが、繰り返し報告されている。


 あなたは一人ではない。

 同じ問いを、同じ痛みを、何百万もの人間が今日もどこかで抱えている。

 それは人類が始まった時から、ずっと同じだ。


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